#07 Sancte Johannes




「妻瀬、やっぱりれおくんと連絡つかない?」
「うん、探してくるよ。時間ないし」
「……ごめん。お願い」
「了解」

【チェックメイト】本番前、リハーサルも中盤。月永は未だに姿を見せていなかった。
それは相手の『チェス』もどきもだけど――彼らは“まじめ”にリハーサルをするようには思えないから。

月永を探し出せる確証はない。
でも、連絡を待ち続けて何もしないよりはマシだろうからと足を動かす。
──けれど。探す間も無く。音響やらの指示をひと通り放送委員に託してステージ裏を後にしようとしたそのとき、彼は目の前に現れた。

「……月永?」

いつもとは違う、妙に静かな雰囲気を纏った彼に少しだけ戸惑ってしまう。
しかし身支度はきちんと済ませていて、準備万端らしい。

「どこに行ってたの、心配したよ、」
「うん。ごめんな、今から謝ってくる。……あとたぶん鹿矢のところにも連絡くると思うから。嫌かもしれないけどよろしくな」
「なに、どういうこと……?」
「鹿矢は、ここにいてくれ。頼むよ」

痛々しく笑って、それだけ言い残すと月永はステージへ走っていく。
わけもわからずにいると、ポケットの中でメールを知らせる振動がする。月永の言っていたやつだろうか。
届いたメールを確認して――目を疑った。

『チェス』は【チェックメイト】への出演を辞退する、と。
そして、出演料を貰う代わりに不戦敗を受け入れるのだという。

「……、はい。妻瀬ですが」

続くように彼らの首魁からの着信が鳴って、ワンコールで出る。
リハーサル中であることもありステージ裏では聞こえにくかったので、その場から離れようとすると――衣装を纏った三毛縞くんが私と入れ違うようにやってきた。おそらく月永の呼んだ助っ人なのだろう。
会釈だけして、移動して。私は電話相手と言葉を交わす。
概ね先ほどのメールに記載されていたことを確認するように話したのだと、思う。
端末の電源を落として、ポケットにしまう。
興奮でも歓喜でもなく、正反対の、もっとどろどろとしたものが溢れ出てしまいそうで気持ちが悪い。

ステージ裏へ戻ると、リハーサルのために流されている音楽の隙間から、月永たちの話し声が聞こえてくる。
よかった。『Knights』のステージは無事、決行出来そうだ。

「……ほんと、ありえない」

器具を扱っている放送委員の肩がびくりと揺れる。
怒気を、押し殺せていなかったらしい。
でも、抑え切れるわけがない。だってこんなのってないでしょ。

――出演料を貰えるなら不戦敗でいい、ってなに。
仮にも『チェス』の正当な後継であるみたいな面、下げてたんじゃないの。
月永の曲を使って、“そういうふうに”振る舞っていたくせに?勝負もせずに、ステージにも立たずに、報酬がもらえたらそれでいいっていうの。
配慮のかけらもない、ただ“ありがたい!”みたいな声が脳裏を過ぎる。無駄な労力なく済んだ、って薄ら笑いを浮かべている表情も想像できてしまう。

戦うことがすべてじゃない。
実際、夢ノ咲学院の評価システムがそうなったというだけで、戦うなんてアイドルの本質とは全く異なるものだ。
けれど“これ”は違うとはっきり分かる。ただのサボタージュ。怠慢。そういう心地の悪いものの極みだ。……でもどうしてこんなことに。

観客席から見えないギリギリのところまで近づいて、彼らの声に耳を傾ける。
月永ならその答えを知っているのだろう。

――話は途中からしか聞こえなかったが。
月永自身か、彼の曲かどちらをとるのかを、かつての『友達』たちに聞いてきたらしい。
彼らは月永ではなく曲を求めた。だから『友達』じゃないあいつらはもう敵なんだって。敵なら殺しあえる、だなんて、月永は笑いながら話す。

今回のライブについてはその延長上の話で、報酬は払うから舞台に立たないで欲しいと持ちかけたのだという。
『チェス』はそれをあっさり快諾して、むしろ助かったみたいに喜んだらしい。
月永は彼らに失望していた。当たり前だ。持ちかけられた話とはいえ、お金が貰えるならステージに立つことを放棄するって、そんなのもうアイドルなんかじゃない。

「音、どうしましょうか」
「……流したままで、大丈夫です」

ステージ上のようすを見かねた放送委員の彼は、私の顔色を窺うように尋ねてくる。
散々なことになってしまっているけれど、それでも彼らはまだステージに居る。
止めることは、違うと思った。だから続けるようにと指示をして、私は彼らを見ていた。

――声が。彼の音楽とともに聴こえてくる。
おまえが一生懸命だったから、みんなそうだと思っていたんだって、一番大切なひとを責める声。

たった一年と少しの、眩しくて美しかった青春を振り返るように。言葉に愛をのせて彼は剣を光らせる。
私は愚かしくも、この時に初めて気が付いた。
少なくとも夢ノ咲学院に入って、私の聴いてきた月永の音楽には――その根源には、いつも瀬名がいたのだ。
ああ。だからこそあんなにも『Knights』は輝いてみえたんだ。

月永の作る曲は誰もを虜にするほど素晴らしいし、瀬名の美貌も歌声も彼自身の研鑽があってこその賜物だ。
でも、二人でなきゃ意味がない。

「(……私が『Knights』を好きだと思ったのは)」

支えたいと思ったのは。
力になりたいと思ったのは。
彼らがともに在ることがなによりも尊くて、幸福だったからだ。

「世界のぜんぶを敵に回しても」だなんて絶世の台詞を前に瀬名は困惑しているのだろう、けど、仕切り直すように彼らは歌いはじめる。
なるちゃんや凛月くんも瀬名に声をかけられて、混ざり合っていく。

月永が連れてきた三人もまた舞台を降りることなく声を重ねていく。正直何を考えているかなんて、分からないけど。
今このときは『Knights』と敵対することなく、楽しそうに月永の音楽に身を任せていた。


「――鹿矢」

途端、舞台袖に構えていた私を呼ぶ声がする。
はっと夢から醒めたみたいな感覚。透き通った緑色が私を捉えて離さない。

まるで演出のように私と向き合って、微笑む月永は綺麗だった。
橙色の髪の毛はライトに照らされてちかちかと光っている。さんざん瀬名に綺麗だとか言っているけど、彼もひときわ美しいことを彼自身、知らないのだろう。

「セナを、頼むよ。セナはおれの剣で盾で鎧だったけど。『Knights』にとっておまえは大切な“日常”で……そうだな。おれたちが騎士なら、おまえは集うための円卓だったから。いつだって“たいらに”してくれる鹿矢が必要だ」

彼と瀬名ほどの青春は、私にはない。
だからこそその台詞には驚いて――言葉を失ってしまう。
なんだって『Knights』の円卓なんて、たいそうなものに私をあててしまうんだ。

遠い国の騎士物語。
一国を治めた王さまとその騎士の集う円卓。上座下座の概念がなく、すべての者が対等であるという考えそのもの。

「おまえにしか託せない。頼むよ」
「っ、月永、まって」

最後の賛歌のように、美しい旋律を唱えるように、たしかに紡がれた言葉ねがいを必死に抱きしめる。
音楽に飲まれて、私の言葉さけびは消えていく。
一方的に注がれたそれを、飲み込んで――高らかに歌う騎士たちの姿を私はただ見つめていた。

「……これから居なくなっちゃうみたいなこと言わないでよ」

私、任された、なんて言ってないよ。
ねぇ。私は円卓だなんて、価値のあるものじゃないのに。騎士の集うものそのものになんてなれないのに。百歩譲って私が“日常”みたいなものだとしても、月永が居てこそなのに。
勝手に価値付けて、勝手に託して、勝手だらけでわけがわからない。

月永は、もう席につけないくらい満身創痍だ。
今がそうじゃなくても――多分これから彼はどんどん傷ついていく。それを分かって、でも、大切なもののために歩いていこうとしている。

円卓なんかあったって、意味がない。
集う騎士がいないのなら、認めてくれた月永が去って行ってしまうのなら、ただの、遺されたつくえでしかない。
居たって意味がないものに、いま、意味を与えてくれたのは月永なのに。

「……綺麗」

大好きな『Knights』。
青春の輪郭をしたたからもの。
私の進みたい道を切り開いてくれた、大切なひとたち。

スポットライトに照らされて、音楽にあわせて、彼らは舞台を舞う。剣を振るう。歌う。
何も知らない観客は、夢中になってライトを振る。声援を贈る。非日常を堪能する。
いつまでも、いつまでも、続けばいいのに。


――この【チェックメイト】を境にして。
『Knights』は今までの快進撃が嘘だったかのような苦境を迎えることになる。
仲間だったものたちへの粛清で返り血に染まってしまった月永の刃は段々と綻びて、錆びていったのだった。



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