#08



私は結構、空き教室を根城にしているのだけれど。言うなれば音楽室は凛月くんのあなぐらである。
春に、作曲をしようと夜中の音楽室に忍び込んだときに初めて遭遇して、それからも数度彼がピアノを弾いているところを見た。
以来、音楽室付近の廊下に座り込んで、美しい旋律を聴くのは私の日課になりつつあった。
今夜もひっそりと耳にしながら、反省会だ。

「……勝てないなあ」

『Knights』は今日も敗北してしまった。
瀬名と月永は帰ってしまったので、夜の学校で仕事を片しつつネットで情報収集である。
時間が解決してくれるほど季節が移ろったわけではない。『Knights』への票は渋い。
打ち負かされたユニットが即退学になるとかいう、そんな校則じゃなくてよかったなとつくづく思う。

ドリフェス制度という枠組みの中ではまだまだ『Knights』は不利だ。
どれだけ技術的に優れていようが、投票者の意思ひとつで勝敗は分かれる。
かつての身内をさんざん打ち負かして、恨みを買っている『Knights』は投票されない。
大衆の意思こそが優れたアイドルを決定する。
……ううん、今までは『チェス』こそ大衆そのものだった。数は大なりと言うけど、あながち間違っていないのかもしれない。

外部でのライブで評価されていようが、校内でのランク付けはドリフェスの結果がダイレクトに反映される。
大衆に応援されるアイドルが評価されているのが現実だ。近頃で言えば、朔間先輩の忠告にあった『fine』なんかがそれに近いだろう。

「鹿矢?」
「……やっほー」

陰鬱としていたら、いつの間にか旋律は途切れていたようだった。
音楽室から出てきた凛月くんは廊下に屯していた私を不思議そうに見て、理解した、みたいな表情で隣に座った。

「誰かいるなとは思ってたけど。俺の演奏、タダで聴いてたんだ〜?」
「ちゃんと納税するよー。はい差し入れ」
「……仕方ないなぁ」

納税=買収である。私は凛月くんにジュースを献上する。
きんきんに冷えているのは彼好みのようだ。ご機嫌にジュースを喉に流し込んでいくようすは幸せそうで、見ていて嬉しくなる。

「月、きれいだねー」
「……ほんと。今日は満月みたい」
「月見団子でも買えばよかったかな……」
「ふふ。色気ないねぇ、鹿矢ってば」

ふたりして、ぼんやりと、時間を忘れたみたいに窓からみえる月を眺めている。
ピアノの音はもう聴こえないけれど隣に誰かが居るというのは安心する。凛月くんは日中起きていることがまれで、起きていても欠伸をしたり眠そうなのだけれど、夜は元気なようだ。

儚げな容姿をしているが月明かりに照らされている凛月くんはむしろ、夜に映えて美しいというか。少なくとも消えてしまいそうという印象は受けない。
その点はやはり兄弟である。朔間先輩はどちらというと、君臨してる感があるけど。そういえば最近は全然会っていないな。
ふと隣をみると、凛月くんは身体をぎゅっと縮こまらせていた。

「……寒い?」
「うー……ちょっとだけ……」
「あー、冷えたのが良くなかったかな。ごめんね。……はい。これ着て」
「……鹿矢のブレザーじゃ小さいんだけど?」
「だからカーディガン。うん、ぎりぎりいけるね。凛月くん華奢だし、オーバーサイズ買ってて正解だったな〜」
「……ありがと」
「どういたしまして」

音楽室に入ってもいいよ、って言うべきだったのかなとも思う。でも、この時間が終わってしまうのは名残惜しかったから。
凛月くんもカーディガンを羽織っていれば平気なようだしもう少し月を眺めていよう。

夜中の校舎にひとりで残るなと言われた春を思い出す。
まあ今日は凛月くんが居るから大丈夫だろうけど。……と言うか。そんなことも気にかけられないくらい彼らは疲弊してしまっている。
瀬名と月永もよく言い合いをしているし、彼の曲もより高難易度になって、暗めの曲が増えたようにも思う。彼の精神状態を物語っているのだとしたら、なにか、してあげられないだろうか。

「(……忘れてた。つくった曲、聴かせてあげれてないな。楽譜は捨てちゃったし、興味なくなってるかもしれないけど)」

できたら聴かせてくれよ、って言っていたのに。
中途半端だから、失敗作だから、なんて言い訳をして先延ばしにしてしまって、なあなあになってしまったいた。
……けど、実際そんな雰囲気ではないとも思う。
日々の戦にあけくれるだけで精一杯。平生を装っているけれど、たぶん中身は傷だらけだ。
そばにいるだけでなんにも出来ていない自分が腹立たしい。

「……険しい顔。仕事大変なの?」
「……んー。私は、いろんな人のおかげで絶好調だよ。ほんと、怖いくらい」
「ふぅん?」
「『Knights』は大変なのにね」

五奇人の仕事のほとんどは外部でのものだ。
ゆえに、人脈は結構広がったと思う。仕事のつても増えた。名前もそこそこに知られるようになって、五奇人さまさまである。
ドリフェス制度に囚われない『広報』の評価は目を見張るものがあると椚先生も言っていた。

「詳しくは知らないけどさぁ。絶好調なの、素直に喜べばいいんじゃないの」
「まあ、そうだよね。評価されてるのは喜ばないと損かー」
「そうそう。それにせっかくの月夜なんだから……俗世のことは少しだけ忘れて、ゆっくりしようよ」
「……うん。そうする」

凛月くんなりに気を遣ってくれているのだろうか。
勘違いだとしても今はそれに甘えようと思う。

たしかに――陰鬱になるには勿体無い月夜だ。
雲ひとつない空にぽつんと浮かんでいるそれが、世界を照らしている。ただそこにあるというだけで見守ってくれているようで心強い気もする。
月見には早いけれど、本当に団子でももってくればよかったな。

……そういえば、凛月くんは私がピアノを聴きにきていることを知っていたみたいだ。私だとは認知してはいなかったみたいだけど。
瀬名のイヤホンから音漏れする月永の曲を聴いていた記憶を掘り返して。また同じようなことをしていたんだな、と思った。
聴きたいならそう言えばいいんだって、あの時はそう言われたけど、みんながみんな許してはくれないだろう。不快になるかもしれない。
……凛月くんは嫌な顔をするかな。

ちら、と凛月くんの表情を窺ってみる。
すると彼も私になにかを言おうとしていたようで、ぱちりと目が合った。
凛月くんは私の髪の毛をくるっと弄って、緩い笑みを浮かべる。距離が近くて、どきりと心臓が鳴る。

「ねぇ、今度はさ……特別に音楽室に入れてあげるから、またジュース持ってきてよ。もちろん月見団子もいっしょにね」
「え、」
「……嫌ならいいけど」
「い、イヤじゃない!ほんとに!」
「?あっそ。変な鹿矢」

――こんなの私の心を読んでいるみたいだ。
漫画みたいな展開だよ、そんなに徳を積んでなんていないのに。許されていいのかな。

素直に嬉しすぎて、笑顔が溢れてしまいそうになって、顔を伏せる。思っていたことをなにも口にしないで叶えられるのは奇跡のようなものだから。
凛月くんが考えて、口にしてくれたという事実が嬉しかった。

「寒いの?」
「寒くないよ……むしろあっつい」

夏のど真ん中なんてとうに過ぎている。
今夜は涼しいけど。私の周りだけは真夏の昼みたいに暑くてしかたない。
ぱたぱたと仰いでみても一向に熱が引く気配はない。いっそのこと冷蔵庫に入ってしまいたい心地だ。

「鹿矢のカーディガンあったかいし、ちょうどよかったねぇ」
「……うん。脱いでてよかったかも……」

じっとりした暑さだけを残して、私の心には色んな感情を蠢かせて、月は満ち欠けを繰り返して、夏は徐々に終わりを告げる。
けれどそれまでの幸福を噛みしめる時間はなく。
容赦なく、終わりの日は近づいてくる。



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