#14



ざわざわ、ざわざわ。
音響の止まってしまった『Valkyrie』の舞台は停止してしまっている。ただならぬ状況に、客席もざわめき始めて――不味い、と思った。


――【金星杯】、日々樹くんの舞台と終わり、『Valkyrie』と『fine』のドリフェスが始まった。
凛月くんとは【金星杯】を観て別れてしまったので、私はひとりで観客席に座っている。

『Valkyrie』にとっては、初のドリフェス。慣れない様式の舞台だ。
反応はイマイチ――というか『fine』のファンは想定よりもいるらしく、ともかく彼らにとってはイレギュラーなものだった。

しかし、それでも彼らはパフォーマンスを続ける。完成された芸術を見せびらかすようなステージは、いつも以上に鬼気迫るものがあった。
録音された歌であるということに気づくひとはあまりいないのではないかというくらい――美の体現者である彼らは踊る。人形師と人形の舞台は続く。
――と、思っていたのだけれど。

『Valkyrie』の奏でる音は、魔法が解けてしまったかのように消え失せてしまったのだ。

音響機器の故障、だろうか。
なんの前触れもなく不自然に切れた気がするが。
観客席からは動揺の声が漏れ始めている。
演出プランにもこんなのなかったから、完全に“事故”だ。

それにしても、こんなに長く止まっているのはおかしい。音響は、放送委員の主幹のはずなんだけど。
放送委員は何をやっているのだろうか。対応に苦戦しているのだろうか?ならば、一旦中断します、とかアナウンスを入れるべきだろうに。

……彼らのステージを邪魔してしまうかもしれないが、音響機器のところまで行って、対応すべきだろうか。多少の心得は私にもある。
席を立とうとしたとき、隣に座っていた――そういえば彼も放送委員である――同輩が、私の腕を掴んだ。

「……えっと?」
「……」

無言で、光の灯っていない瞳で、彼は腕を掴む力をぐっと強くする。
指が食い込んで、痛い。男子と女子の力の差は歴然で、振り解こうとしたところで敵いそうにない。

「どこに行くつもりだよ」
「たしかにステージ中だけど。でも、音響事故でしょこれ、復旧も遅いし、」
「……『fine』の勝利の、邪魔をするな」

狂気じみたことを、言うと思った。
なんだって『Valkyrie』の事故が『fine』の勝利に結びつくんだ。いくら対戦形式であるドリフェスとはいえ、ダイレクトに得票数に関わるものか?
事故なんだって誰でもわかる、アイドルという立場なら同情さえするだろう――“ふつう”なら。

「(なに……なんなの)」

ざわざわ。
いい気味だよね、ああやって驕るから、偉そうに、なにが帝王だよ、なにが五奇人だよ。
異様なざわめきが講堂中に伝染していくのが分かる。四方八方から彼らを否定する声が聞こえてくる。
……ああ、これは“ふつう”じゃない。

それに、隣の彼。どこかで見たことがあると思ったら、かつての『チェス』のメンバーであり、巴の取り巻きの一人だ。
放送委員であるから多少の関わりはあるものの、あまり言葉を交わしたことはなかった。私を良く思わない人間の筆頭のようなものだから、当然だろうが。

「……離してよ」

強く掴まれているせいで、その場から離れることすら許されない。終いには無視されるしどうしようもない。
声を上げるなんて無粋な真似をすることはできない、パフォーマンスが止まってしまっているとはいえ、『Valkyrie』の演目の真っ只中だ。でも、なんとかしなければ――。

「……!」

その瞬間。
影片くんの声が講堂中に響き渡る。
音源ではない、彼自身の声帯が、斎宮の芸術を歪に奏でている。数度『Valkyrie』の舞台を観てきたけれど、バックダンサーである彼も歌唱の練習をしていたのだ。
心を震わせるそれが、誰も彼もの視線を奪う。
続くように仁兎の声が重なって――斎宮も音を合わせていく。

――こうして。
『Valkyrie』は決して無事とは言い難いが、演目を終える。
彼らが舞台を去っていく姿は痛々しくもあったが、今まで一番の、熱を感じた。
ほとんどアドリブの生の声は勿論完璧には程遠かったが、その場にいた誰もが目を離すことができなかった。
舞台から降りず、紡いだステージこそ彼らが青春を費やして築き上げてきた『Valkyrie』を愛する証明だったのだと思う。ステージを去るまで彼らはアイドルであり続けたのだ。

『Valkyrie』の残滓も消えないうちに、入れ替わるように『fine』は純白の衣を纏いやってくる。昨日約束した、巴の姿ももちろんあった。
会場は歓喜の渦に包まれて、空気は一変する。
これもこれで、“ふつう”ではないと感じるけれど。

不意に、掴まれていた腕がぱっと離されて――仕事を終えたためか、隣の席の彼は足早に講堂から去っていく。
不敵な笑みを浮かべながら。
勝利を確信するように。
先ほどの事故を、“はじめから知っていたみたいに”。
……そういえば、彼はまったく動揺していなかったように思える。

「(……もしかして、)」

――今日ほど悪意に対して勘が働く日はない。
この事故は、十中八九彼ら放送委員たちによるものだったのだろう。
だって『fine』はあんな事故があった直後だというのに、すぐに舞台へやってきた。
音響機器には“何の問題もなかった”なんてそんなに早く確証を得られるのだろうか。
プロの現場ならいざ知らず、音響機器はしょせんアマチュアの生徒たちが扱っている。
本当に問題が生じたのであれば教師に報告、相談、ドリフェスの振替だって考慮して、生徒会に進言すべきだろう。
どうやら『fine』のファンは少なからずいるようだし、彼らの舞台に被害が被るのは避けたいはずだし。

そして彼が私の隣に陣取っていた理由は恐らく。
あらかじめ他の委員たちと『Valkyrie』のステージを壊す計画があって――『Valkyrie』のサポートをしている私なら、横槍を入れかねないと考えたからだろう。

「……ふざけてる」

言葉にならない怒りが、込み上げてくる。
『チェス』もどきが、【チェックメイト】の舞台を、出演料を貰えるならと辞退した時の感覚とよく似ている。

許せない。許したくない。
だって、腐ってもアイドルなんでしょう。
たとえ価値観が同じでないとしても、アイドルにとってのステージがどれほど大事なものかくらい分かっているはずなのに。
それに、百歩譲って。

――『fine』のファンだからこそ。
――『fine』の勝利を、望んでいたんじゃないのか。
――おまえたちが邪魔をしてまで勝利を掴ませようとしたユニットの、パフォーマンスさえ観ないつもりなの。

邪魔ができたなら万々歳、立ち去っても構わない。
観る価値もないって言っているようなものだ。

「(そんなの、『fine』のファンでもなんでもない。ただ『Valkyrie』が気に食わないだけ)」

腹立たしくて。むかついて。頭に血が上って――なにもかもを席に置きっぱなしにして、私はあとを追いかける。
今なら誰にだって追いつけてしまうんじゃないかと思うくらい、速く。たぶん、あり得ないくらいの形相で走った。

それに気づいたのか、悠長に歩いていた彼は焦って校舎を駆け抜けていく。
階段を上って――恐らくは教室にでも向かって、鞄を回収して帰路に着くつもりなんだろう。

「――逃げるな!卑怯者、っ!」

怒りをぶつけるみたいに、声を大にして叫ぶ。
勿論知っているから名前を呼んで。
せめて最後まで観るのが務めだろうって。

私の言葉を背中で受け止めていた彼は、くるりと振り返る。そして泥を投げつけるみたいに言葉を吐いた。

「うるさい、なにが『広報』だ!偉そうに!『Knights』や五奇人どもばかり贔屓しやがって。俺たちみたいなのには一切見向きもしないで!それだけで飽き足らず日和様までたぶらかして、この女狐が、」

そして。
彼は邪魔者を排除しようと、押し退けるように肩を叩く。
運が悪いことに、私と彼が言い合っていた場所は階段教室を上ってすぐの踊り場で。
バランスを崩した私の身体は、きれいに宙を舞って。

「あ、――」
「――、」

まずい、みたいに青ざめた表情が遠くなっていく。
ごろん、ごろん、と転がっていく音。身体を打ちつけていく音。あらぬ方向になにかが曲がっていく感覚。声にならない痛み。鈍い音。

ばたばたと、駆けていく音。
――誰かが駆け寄ってくる音。

よくわらないままに、私は目を閉じた。



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