#15



「(……もう、やだな)」

初めて考えた宣伝の文言が、ファンの怒りを買ってしまったとき。
直接言われたわけではなかったけど、バッシングを受けて落ち込んで、寝込んでしまった。
『チェス』のことを分かってない!って、彼らを汚してる、って。言葉のあやって本当に難しいのだと、失敗して初めて気づいた。

すぐに差し替えを行って、椚先生がフォローに入ってくれて大ごとにはならなかったけど。
……と言うか炎上したわけでもなくて、過剰なファンが暴走しただけだって先生は言っていたけど。嫌だと思わせた事実は変わらない。
社会で経験を積んできたわけでもないいち高校生が、少し彼らについて知ったからって、調子に乗るべきじゃなかったんだ。

――でも、けっこう頑張ったのに。
誰も誉めてくれやしない。
足りないから、まだまだ努力不足だから。

不貞腐れて、たくさん言い訳をして閉じこもってしまった私に家族はなにも言わなかったし、失敗は誰にでもあることだよ、って励ましてくれた。学校も病欠ってことにしてくれた。
優しさの海に飛び込んだみたいで、ちょっとだけ安心した。それが気持ちが悪くて仕方がなかった。

「ったく。学校来ないと思ったら……不貞寝してるわけぇ?」

けれど、彼だけは違って。
教師に押し付けられたのだろう――不機嫌そうに学校のプリントを持ってきた瀬名は、私の気持ちなんて知らないみたいな顔をして、ずかずかと部屋に入ってくる。

「……うるさい、な」

かすかすの声で、拒絶をたっぷり込めて吐いた。
久しぶりに言葉を発したから、自分の声に違和感すら感じる。

「なんだ。話せるくらいには回復したんだ?お母さん心配してたよ」
「出て行ってよ。用事、プリントだけでしょ」
「ふん。言われなくてもすぐ帰るけどねぇ?自分が気にかけてもらえるとか、悲劇のヒロインぶってなくてむしろ安心した」

ここに置いておくよ、と私の机に大きな封筒を置いて瀬名は扉のほうへ歩いていく。

「べつに擁護するわけじゃないけど。……なにをしたって、ただ気に食わないだけで批判も攻撃もされるものなの。広報もアイドルもそれは同じ」

……うるさい。うるさい。そんなのわかってるよ。

「それが嫌なら力をつけないと。もっと図太くないと。配慮はもちろん必要だけどねぇ、あんたはいちいち他人の意見を気にしすぎ」

暗がりにいる私をまっすぐ見つめて。
私は睨んでいるのに、瀬名はなんともないみたいに無反応だ。

「……俺は嫌いじゃなかったよ、妻瀬の考えてたやつ。次にまた期待してるから。……はやく学校来なよねぇ?じゃないと、あいつの新曲聴かせてあげないよ」

そう言って、瀬名は扉を閉める。
たん、たん、と階段を降りていく足音が聞こえる。
お母さんに挨拶する声。家を出て行く音。本当にプリントを持ってくるだけのために、私の家を訪れたらしい。

「…………嫌いじゃない、って」

彼の言葉を、反芻する。
労いの言葉でもなんでもない、ただ彼が思ったことを受け取っただけなのに。

どんなに優しい言葉よりも嬉しい。
頑張ってよかった、って思える。
――そうか、誰か一人には「嫌いじゃない」くらいに思ってもらえていたんだ。




***



「(――ここ、は)」

誰かが生きていることを証明する電子音。
動かない左腕に、左脚に。ぼうっとする意識。夢の中にいるみたいだ。私はさっきまで、たしか、放送委員の同輩を追いかけて。

「(……言い合って。……そっか)」

『fine』のファン――まがいに、突き落とされたのだ。最後に見えた表情からして故意ではなかったと思うけど。
サスペンスドラマだったら死んでいてもおかしくない状況だが、どうやら自分は助かったらしい。
真っ白な部屋、というのはあまり来たことがない。漫画やアニメの描写そのままだ。いざ自分が当事者になってみると清楚過ぎて少し怖い。
月永が入院していた時には、ここまでの恐怖感はなかったのに。

――ベッドの隣で眠ってしまっている彼は、きっと、学校からずっと寄り添ってくれていたのだろう。
非日常だらけのこの部屋で唯一日常を感じることができて、安堵する。

「……りつ、くん、」

発せられた声があまりにも弱々しかったので、自分でも驚いた。こんな声では、眠りの底にいる凛月くんに届かない。
いつもなら、眠りを妨げるのは彼の怒りを買ってしまうけれど。たぶん今は心配をかけてしまっている。早く、おこさないと。早く、おきてほしい。

「……凛月くん、起きて、」
「ん……、――っ鹿矢!」
「おはよう?」
「おはよう、って……そうじゃなくて。っ、……階段から落ちてきて、うごかなくて、それで、」

凛月くんは、私を見つけてくれたのだろう――それを思い返してか、いまにも泣きそうな表情だ。
イヤなもの、見せちゃったなあ。
下手したらトラウマ級だろう。私みたいに、もしかしたら死んだのかと思ったのかもしれない。

「……生きててよかった」

生きていることを確かめるように、凛月くんは、両手で私の右手を大事そうに包み込む。
私よりも大きな手。でもすっかり冷えてしまっているから、少しでも暖まるように私は彼の手を握る。
私の手もほとんど熱を帯びていないから無意味かもしれないけど。

思っているよりもずっと私は凛月くんと仲良くできていたみたいで、不思議な感覚だ。
身動きが取れなくなる前に止めてくれたり、こんな風に手を握ってもらえるくらいには大切に思ってくれていたのだ。

「そばにいてくれてありがとう、凛月くん」
「…………当たり前でしょ」

当たり前、って、嬉しいな。
好意をもらえるのは死ぬほど嬉しい。

窓の外は陽が落ちかけている。
『Valkyrie』と『fine』のドリフェスは、あれからどうなったのだろう。……斎宮、大丈夫かな。そういえば荷物も機材も席に置きっぱなしだ。
巴のステージも楽しみにしてるって約束したのに、それも守れなかった。ごめんねを言うのもきっと先になってしまう。

白い包帯だらけの身体は自分のものでないみたい。
満足に動きそうにない左手と左脚はつくりものみたい。……しばらくは何もできそうにない。まいったなあ。

どうして、こんなことになったのだろう。
朔間先輩の忠告をきちんと聞かなかったから?
感情のままに追いかけたから?
全部、全部そうだ。守ってもらっていたのに、無碍にして、台無しにしてしまった。

追いかけなければよかった。
彼に言葉を投げかけなければよかった。
感情を押し殺して、講堂に残っているべきだった。
それなのに仕事を投げ出してあまつさえ怪我をして、全部、自業自得だ。

「…………目が覚めた、って言ってくるね。家族のひと、今お医者さんに説明受けてるみたいだから」
「……うん」

凛月くんのぬくもりがゆっくりと離れていく。
少しだけ泣きそうになりながら、大丈夫でいられるように、残された掌を握りしめる。

此処にいて、なんて我儘を言う権利はない。
一人で病室にいるのが怖い。寂しい。寒い。誰か、そばにいてほしい。置いていかないで。
弱音ばかりが思考を支配していく。やめてよ、こんなの反吐が出る。

私ってこんなに、弱かったっけ。




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