#17



「ちょっとぉ?話聞いた時信じられなかったんだけど――」
「瀬名。忙しいのに、ありがと」

光を遮断しているカーテンの向こうはもう真っ暗だ。
面会時間もそろそろ終わってしまうだろう頃合いに、瀬名はやってきた。

数日ぶりの対面である。一年と少しの間、いつも顔を合わせていたから、日を空けて会うと週明けに登校したときの気分だなあと思っていたのだが。
――病室に入ってくるなり瀬名は黙り込んでしまった。
包帯がぐるぐる巻きの足に、腕に、頭に。絵に描いたような怪我人に成り果てた私の姿はよほど衝撃的だったのだろう。

「…………大丈夫なの」
「大丈夫……ではないけど、大丈夫だよ」
「なにそれ」
「まあ、座りなよー。そこの椅子使って」
「……うん」

土産だろう袋を机に置いて、瀬名は近くの椅子に腰をかける。少し居づらそうだ。
春には月永が入院していたし、知り合いが立て続けに入院なんかすれば気も滅入ることだろう。

「…………はぁ。くまくんもよく寝れるよねぇ、こんなところで」
「あはは。たしかに。私も夜寝付けないこと多いしなぁ」

私のそばですうすう寝息を立てている凛月くんは、瀬名が来る前に寝てしまったのだった。
昼が苦手なようだから、そもそも連日のようにお見舞いに来てくれることに驚いている。彼と会うのは今のような、夕方から夜の時間がほとんどだったし。

瀬名はそんな凛月くんを一瞥して、それでも此処はくまくんの寝床じゃないでしょ、と呆れた様子だ。まあそのとおりではある。

「妻瀬、すっかり仲良しだよねぇ。朔間とも仲良いっぽいし。そういう縁?」
「いや。居残ってると校舎で会うんだよ、凛月くん夜型っぽくて。だからたまにお月見とかもしてさ」
「お月見って……、もしかして俺たちが帰ったあと遅くまで居残ってるわけ?」
「あ。あー、時々ね。情報収集とかは校内のほうが捗るっていうか」
「……ふぅん」

危うく墓穴を掘るところだった。
ただでさえ心配をかけているだろうから、これ以上は懸念事項を増やさないようにしないと。
話題を逸らすべきだ。深掘りされてはボロがでてしまう。
そういえば、と私は続ける。

「少し入院することになりそうだから、現場はしばらく行けないかも。左腕が完治したら事務仕事もきちんとできるとは思うけど……ごめんね」
「……うん。まぁ、分かってはいたよ。俺たちのことは気にしないで、この機会にしっかり休みなよね。『Knights』以外でもたくさん案件抱えてたんだし。休む間なかったでしょ」
「う、うん。ありがと」

瀬名は、『Knights』以外の仕事をすることを、たぶん良く思っていなかった。
……だから気にかけてくれたのは意外というか。拍子抜け、かもしれない。

もちろん『広報』としては当然の仕事をしていただけで。
一年以上も彼らだけの味方をしてきたから、ちょっとした嫉妬と言ったところだろうか――身内だと思ってくれているのか――仕事の催促をされている場面で瀬名が通りかかったときなんか、やたら不機嫌そうな顔をしていた気がするし。

「なに、変な顔して。……あーもう、ほら。唇もカサカサになってる。一応女の子なんだから、入院中でもちゃんとリップクリーム塗らないとねぇ?」

妻瀬のリップクリームどこ?ポーチに入れたよねぇ?と勝手に机を漁り始めるあたり瀬名はやっぱり瀬名だなあと思う。
私じゃなきゃセクハラだーとか言われてたよ。
世話焼きも極まればお節介だって言われちゃうよ。っていうか一応女の子ってなに。女の子ですが。私は、瀬名が私のために何かしてくれることが嬉しいので、文句は言わないけど。

「たしか右の隅にあったような……。あー、それそれ」
「はい。塗るのは自分で出来る?」
「うん。あ、これね、瀬名がおすすめしてくれたやつ買ったんだよ」
「へぇ?俺の話ちゃんと聞いてたんだ」
「はー?いつもちゃんと聞いてますけど!」
「あはは、それはどうだか?宿題の範囲とかすぐ忘れちゃうじゃん。きちんと聞いてないからでしょ」
「そ、それはちょっと気を抜いてて……?」

何気ない会話ができるのは幸せなことだ。
近頃はギスギスしてばかりだったから、懐かしく感じてしまうのがちょっと悲しいけど。
多少気は遣われているのだろう、それでも。隣の席で喋っているような、他愛のない話は此処では貴重だ。
凛月くんはお見舞いに来てくれても大体こうして寝ているけど。でもそんな“ふつう”みたいな時間は心地よくて、ずっと居てほしくなる。

――ただ。聞くべきことは聞いておかないと。
瀬名はひとりでやってきたのだ。姿の無い彼を気にかけるのは、当然のこと。

「……月永は一緒じゃなかったんだね」
「……やっぱ気になるよねぇ」

リップクリームをきちんと塗り終えて、瀬名の持っていてくれたポーチに戻す。
意識して買ったわけじゃないけど――オレンジ色のそれは此処にいない彼を彷彿とさせる。

穴がぽっかり空いたみたいな瀬名の隣は、なんだか寂しい。
前に比べて口喧嘩が増えてしまってはいる。
それでも月永が相棒的な存在であることには変わらないだろう。

「あいつも行くって言ってたんだけどさぁ?妻瀬の怪我も天祥院の思惑のうちだって思ってるみたいで。……刺激しちゃいそうだから、止めておいた」
「そっか。そのほうが月永のためだね。ありがとう。でも今度訂正しておいてよ。私のは自業自得みたいなものだから」
「……あのねぇ、俺が何にも知らないとでも思ってる?妻瀬に非がないことくらい知ってるよ」

間違っても謝ったりしないでよね、と瀬名は眉を顰める。

なんで、そんなの知ってるんだろう。
私が落ちた先に凛月くんが居たみたいだけど、決定的な証拠なんて無いはず。
私の証言と当人の自供があったからこそ、私を突き落とした彼は学院を退学になったのだ。
謝罪も受けたが――すべて内々に処理されて、一般には公開されていないはずなのに。知っているのは凛月くんや蓮巳くらいなのだと思っていた。

「…………どうして?」
「はぁ?そんなの突き落とした奴が悪いからに決まってるでしょ。あんたは被害者なんだから」
「あ、いや。なんで知ってたのかなって……私瀬名に話してないよね、突き落とされたとか」
「……ああ。此処に入院してるっていうのも含めて教えてもらったんだよ、そこで暢気に寝てるやつにね。たしかくまくんが妻瀬の第一発見者で、その時誰かが走っていく足音を聞いたとかで?」
「第一発見者って。死んだみたいに……」

じっと睨むと、瀬名は一瞬だけ怯んでぼそっと「そんなこと言ってないでしょ」とため息をつく。
……意地悪をしてしまった気もするけど。
ともかく。凛月くんと話す程度には仲良くやっているようだ。少しだけ安心した。話したことが私の怪我やら入院というのはなんとも言えないけど。

私の知らないところで友情的なものが育まれているのは喜ばしいことだ。
瀬名は月永しか友達いなかったもんね、よかったね、なんてテレパシー的なものを送ってやると、なぜか伝わってしまったらしく睨み返されてしまった。

「じゃあ俺は帰るから。もういい時間なんだから、くまくんのこと起こしてあげなよ」
「うん。…………ねぇ、瀬名は大丈夫?」

あえて主語を含まずに問いかけたそれは、ふざけたテレパシーなんかではないけれど、ニュアンスで読み取れたようだ。

瀬名は困ったように笑って、首を振る。
なにも終わったわけではないのだ。私が途中退場してしまったというだけで――調べた限りの学院は大荒れだ。
『Knights』もまだまだ絶不調で、瀬名はその渦中へ帰らなければならないのだから。

「……正直きついよ」

あまり弱音を吐かない瀬名にしては珍しく、素直な言葉を口にしたと思う。
つまるところ瀬名もけっこうギリギリなのだ。ふだんの態度にも現れていたから、薄々は分かっていたけれど。

強がりの笑顔ほど、痛々しいものはない。
どうすることもできない自分の無力さが、憎くて腹立たしい。なにか、できたらいいのに。
そのなにかを為すために、私はいろんな人と関わってきたのに。

「でも――なんとかやってみせるからさ。……妻瀬が居なくても、大丈夫。だから心配しないで。あんたはしっかり治療に専念して」
「――、そっか。頑張ってね」
「ん。じゃあね、お大事に」

まったく心強くない、精一杯の虚勢を張った背中が去っていく。
遠くなっていく。彼は彼の戦場へ戻っていく。

「……頑張って」

優しさは。優しい言葉は、刃のように心を突き刺していくから困ったものだ。まあ、こんなの勝手に自分で刺しているだけなんだけど。
わざわざ矛先を心臓に突き立てて、快楽を得るみたいに刃を潜らせているんだ。

安心させるための言葉は、慈愛に満ちていて、あったかい掛け布団みたい。
ゆっくりかけられて、全部を放り投げて寝ていていいよ、って。「休んで良いよ」「おやすみなさい」と言われることは、恵まれているのだろう。でも。――。

「……凛月くん、起きてるでしょ」
「……バレてたんだ?鹿矢のくせに生意気〜」
「バレてる。……もう夜だからなにも羽織ってないと風邪引くよ。そこのカーディガン使っていいから」
「んー、ありがと。使わせてもらうねぇ」

不自然に寝息が止まったから、まさかとは思ったけれど。凛月くんは狸寝入りをしていたようだ。
瀬名と話すのが嫌だったわけではないと思う。
ただ単に、起きるタイミングを失ってしまったのだろう。

凛月くんはもぞもぞと起きて大きく欠伸をして私のカーディガンに包まる。
その様は暖をとっている小動物のようだ。

「……ねぇ凛月くん」
「なぁに?」
「それ、あったかい?」
「……?うん、あったかいけど」
「そっか」

カーディガンは、暖をとるのに丁度いい。
この季節なら尚更だ。羽織るだけで寒さから逃れられるし、暑くなれば脱げばいいし。

――私は。必要だって、言われたから。
ここに居てくれ、って言われたから。
求められていたから。
理由があったから、居ることができたのだ。
居ることで、マイナスよりもプラスに働くから。
だから、少なくとも意味があったんだけど。

「鹿矢」
「うん?」
「……鹿矢は、大丈夫なの」
「大丈夫だよ」

……なんて、いつものように笑ってみせる。
瀬名よりはましな表情をしていたと思うけど、どうかな。
凛月くんからは目を逸らしてしまったので、その表情は分からない。

どんな状況になっても、強がってばかりだ。
少なくとも私を含めて、周りにはそんなひとばかり。
やけにプライドが高くて、完璧で綺麗なところだけを見て欲しくて。泥臭いところ晒すなんて以ての外。弱音を吐くくらいならその時間を努力や軌道修正に充てるべきだ。

雨水が窓を叩く音がする。しとしとと水滴が葉を揺らす音が、僅かに聞こえる。
病室は空調設備が整っているものの、少し肌寒くなってきた。

「……雨。今日そんな予報だっけ」
「……さぁ。通り雨とかじゃないの」
「なるほど。凛月くん、傘ある?そこのビニール傘でよければ持って行っていいよ」
「いいの?それじゃあ、ありがたく使わせてもらうねぇ。……そろそろ時間だし、俺も帰るよ」
「うん。いつもありがとう。気をつけて」

いっそ雨に濡れて、憑き物みたいに蝕んでいく弱さみたいなものを、流してしまいたい。
凛月くんはカーディガンを私に羽織らせて、また来るね、と帰っていく。私はまたね、と笑って手を振る。

ざあざあ、激しく地面を叩く音がする。
雨は本降りになってきたようだ。それかにわか雨か。室内にいる私には関係のないことだが。
少しだけ残された瀬名の香りが、凛月くんの体温の名残るカーディガンが、なぜか痛くて仕方ない。

「……痛くなんてない。大丈夫、大丈夫」

痛むのは傷だけ。致命傷でもなんでもない。
リハビリすれば元の生活に戻れるし、退学処分になったのは私じゃないし。
戻れば、蓮巳は仕事を用意してくれるとも言ってくれていた。縁をつくったひとたちとの仕事も、きっとまたできる。朔間先輩たちとも、きっと。

「――でも、『Knights』には」

私、要らないんじゃないか。
ううん。――必要じゃ、なくなってしまう。

『なんとかやってみせるからさ。……妻瀬が居なくても、大丈夫』

“なんとか”なってしまったら、私が居なくても大丈夫だって証明されてしまう。
早く、早く、彼らに追いつかなきゃ。行ってしまう前に、走らないと。でも、でも、でも。言われちゃった、私が居なくても大丈夫だって、言われてしまった。

大丈夫に、ならないでよ。
……ああもう最悪。馬鹿みたいなことを願うな、そんなこと思っていない。違う。
『Knights』が『大丈夫』になるならなんだっていい。

私は月永の言葉に安堵しきっていたのだ。
たしかに私は“日常”だったかもしれない。
でもそれって【チェックメイト】のときの話で。五奇人や巴と関わり始めてからはずっとそばにいられたわけでもない。
辛うじて言い合いを止めることは出来ている。でもたぶん望まれた機能は果たせていない。

そもそもアイドルでもない私が必要不可欠なはずがない。……『Knights』を支えられていると、必要なピースだと勝手に思い込んでいたのだ。

優しさのはずなのに。心配をかけないための言葉だって分かっているのに。
瀬名を責めるのは間違っている。揚げ足を取っているのと同じだ。
ああ、でも。それでも。
嘘でも虚勢でも、その台詞だけは聞きたくなかったよ。



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