#19



夕暮れを見ると寂しくなるのは何故だろう。
身を投げてしまっても良いと思うくらい美しい空の色。その一部になれるわけでもないのに、届かないのに――求めて、手を伸ばしてしまうのは星と似ている。

「綺麗」

身体を撫でる海風が気持ち良い。
車椅子でなければ全身に浴びれたのだろう。損をしているなあ、と思う。

打撲で済んだ左腕はもうじき治りそうだ。
まだ痛みは残っているが、パソコンの操作は通常程度にできるようになったので事務仕事くらいならこなせそうではある。けれど瀬名が頑なに断るものだから暇を持て余している。

こうしてひとりで屋上にも来れるようになったのだ。
リハビリも順調、退院もそう遠くはない話で、気を遣わなくてもいいのにと思いはするものの――彼の気持ちを汲み取るのも友人の義務のうちだろう。

「……こんなところに居たの。探したんだけど?」
「お。学校お疲れ様、凛月くん」
「まだ腕痛いんでしょ。俺が来るの待ってればよかったのに」

凛月くんの黒い髪が夕陽に晒されて、薄オレンジの光を纏って綺麗だ。
病室にひとりでいるのがちょっとイヤだったんだよね。とは言いづらくて。あはは、なんていつものように笑っていると怪訝な表情をされてしまった。

――巴に弱音を吐いてしまってから、タガが外れてしまったように負の感情が溢れ出るようになった。
ひとりきりでいると、不安に侵されてしまう。
より寂しく感じてしまう。弱さが露呈して、がたがたに崩れてしまった。
もうイヤだな、って思うことが多くなってしまって。
『広報』失格だな、と思う。

言葉にすると現実味を帯びて自分を縛ってしまうから。口にすることで昇華されるものもあるけれど、私の場合はあんまりプラスの方向には働かなさそうなのである。
自暴自棄になってしまう前に、また泣いてしまう前に、環境を変えるべきだと屋上に足を運んだのだった。

「じゃあ、帰りは頼っちゃおう。正直、ちょっと痛かったし」
「……どうしようかなぁ。俺が手伝わなかったら、鹿矢はずっと此処にいることになるよねぇ。今日は天気も良いし、夜通しでお月見しない?」
「夜通しは遠慮しておこうかな……」
「えー、鹿矢のケチ。俺からの誘いを断るなんて生意気〜。百年早いんだけど〜」
「ごめんってば。っていうか百年経てば断ってもいいの」
「だーめ。何年経っても断らないでよ」
「来世までいきそうな勢い……」

むすっとした凛月くんを宥めながら、少し先の未来を思い描いてみる。
――これが面白いくらい分からない。
来世どころか、これから夢ノ咲学院がどうなるのかも分からないし、そのなかで自分がどこまでやっていけるのかなんてますます分からない。
せめて道標のようなものがあればいいのに。
明確なゴールなんてない世界だ。自分で定めるしかないけれど、視えない先を考えるのは正直しんどい。

「……じゃあ来年の夏にでも夜通しでお月見しようよ。夏ってお月見のイメージはないけど」

名案、みたいに凛月くんは笑って、まだ薄くしか見えない月を見上げる。今晩は三日月のようだ。

「夏に?秋じゃなくて?」
「うん。夏のお月見。夜なら適度に涼しいだろうし、秘密の行事みたいでいいでしょ」
「……たしかに。天の川なんかも見れたらいいね」
「ふふ。欲張りセットだねぇ」
「あはは、強欲なもので」

……そうだ。
私はなににおいても、欲張りなんだ。

夢ノ咲学院のアイドルが輝いているところを観たい。
【金星杯】を観覧して思ったのだ。五奇人や巴たち――『fine』ですら、あんなステージで歌って踊る姿を観てみたいと思う。
誰もが笑顔でいられるステージを夢見ている。そんな未来を描きたい。一助になりたいと夢を抱いた。

でもそういう欲望の上に、『Knights』の味方をしていたいといういちばんの願いがある。
その末に迷走して失敗して、分からなくなってしまった。

「鹿矢らしいよね。だから心配にもなるけど」
「あはは……、欲張り過ぎるのも身を滅ぼすって分かったから。反省はしてます」
「……よろしい。まぁでも、お月見と天体観測くらいならかわいいものだよ」

凛月くんは赦すみたいに私を撫でて、きれいに微笑む。
そうだね、両立できることが一目瞭然なことくらいならいいのかもしれない。
私を未来へ繋いでくれることは、幸福なことだ。こうして漠然とした未来の約束をすることも。

来年の夏は、せっかく『Knights』に入ってくれた凛月くんのそばには居られないかもしれないけど。ふらっと現れてお月見と天体観測をするくらいなら――許されるかな。それくらい、赦されたい。

「来年が楽しみだねー」
「俺も今から楽しみ。忘れないでね」
「……うん。忘れないよ」

彼はいつも私が欲しいものをくれるから、すごいなと思う。心の中を覗かれてるかと疑ってしまうくらいに、口にしなくても、望まなくてもくれるから。
貰ってばかりで申し訳なくなって、でも本人は嬉しそうにしているし、決してイヤではないのだろう。

隣で月を見上げている凛月くんの横顔はけっこう見慣れたように思う。常に一緒にいたわけでもないのに、日常そのものみたいだ。
――私が『Knights』のそばにいた頃は、そういうものになれていたんだろうか。
分からない。自分勝手に駆け回っていた私。青春を味わってしまった私。多少力にはなれていたかもしれないけど、どれも心地がいいものじゃなかっただろう。

儚く夕空に浮かぶ月は美しい。
けれど過ぎ去って、思い出になってしまうことだけは、少し寂しい。



***


時間が経てば傷も塞がる。
きっとどこかで歩いてゆける。
だからこの無力感も季節が変わる頃には多少薄れてるといいな、とか思ってみたりして――それをどうにかするのは今からの行動次第だっていうのに。

未来の自分に夢見るのは自由だ。
でも実現させるために駆けるのは今の私なのだから、あまり大それた願望を持ちたくないというのが本音でもある。

頑張れるところまで頑張ろうとは思う。
終わりなんてないのだろう、物語じみているとはいえ小説や漫画なんかじゃない。死にさえしなければ、破片になってでも再起することはできる。
その力はどこから持ってくるのかって疑問はあるけれど。

「『Knights』?……まぁ、あんまり変わらないかな。鹿矢が気にかけるほどじゃないと思うよ」

先程まで屋上で月を眺めながら語らっていた凛月くん曰く、『Knights』は良くも悪くも変わらない状況なのだという。
五奇人にヘイトが向き始めたからといってどうこうなる問題でもなかったから当然ではあるけど。

予想通り、というか瀬名の言っていた通り――“私がいなくても大丈夫”らしいので、辛いけど、イヤだけど、安心したのも本当。
結果的に、私へ向けられた毒は私にだけ回って『Knights』は巻き込まずに済んだ。喜ばしいことだ。
『Knights』の置かれている状況が変わっていないことはまったくいい知らせじゃない。ただ、私がいたところで打開策なんて無いから、現状維持というだけで及第点だろう。

そんな『Knights』はともかくとして。夢ノ咲学院の現状を知るには凛月くんの話やネット上の――校内SNSでの情報だけでは足りない。
一度は、足を運ぶべきだろう。それこそ心配をかけないように、知り合いの誰もの不在を狙わないといけないというのは鬼門ではあるが。

疲れてしまって、壊れかけを集めただけの私は『Knights』の力にも、五奇人の彼らのためにもなれないのかもしれないけど。
最後まで、出来得る限りをすることが残された道だ。
動けるところまで身体を動かさないと、死んでも死に切れない。イヤだけど――もう逃げてしまいたいけど。
たとえ死地だとしても、行かない理由はない。どうせ本当の意味で死ぬわけでもないのだから。

「(……あ、歌が)」

ふと、懐かしい音が聞こえてくる。
どこからか――入院患者だろうひとが楽しげに歌う声が、廊下を伝って聞こえてくる。
私が初めてきちんと聞いた、月永の曲だ。
彼は学院ではずいぶんと敵をつくってしまったけれど、作曲家として、アイドルとして――人々に与えてきたものは息づいているのだ。誰かの笑顔をつくっているのだ。

看護師さんに注意されてか、歌は途切れてしまう。
それも当たり前。もう間も無く面会時間は終わってしまうし、離れた個室にも届くほどの大声だったし。
――ああでも。あと少しだけ、もう少しだけ猶予があれば。

「鹿矢。久しぶりだな」

救われたものがあったかもしれないのに。
ほんの数分前まで聴こえていたのに、もう聴こえないから、彼には届かない。

世の中にはそんな理不尽ばっかりだ。




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