#20



憔悴しきった表情が橙色の隙間から覗いている。
久しく顔を合わせていなかった月永は、瀬名の隣で嬉々として曲づくりをしていた頃の面影をすっかり失ってしまっていて、かける言葉が出てこない。

「セナに止められてたんだけどさ、会っておきたかったんだ」
「……来てくれてありがとう、月永」

紡がれる声には覇気が宿っていない。
それでも私の前では格好つけていたいのか、彼は笑ってみせた。

「怪我は治りそうか?」
「回復は良好だよ。月永に比べたら遅いと思うけどね」
「男の子は身体が丈夫に出来てるからな〜?きちんと食べて寝ろよ。いつも怒られてばっかのおれが言うのも違うかもだけど、鹿矢はそういうのも“からっきし”だったみたいだし」
「あはは……ぐうの音もでないや。がんばります……」
「よしよし、鹿矢は相変わらず聞き分けのいい子だっ」

我が子を眺めるように目を細めて、月永は窓のそばへ歩いていく。

カーテンを閉めていなかったから、窓からは月明かりが差している。
ベッドの近くの間接照明だけを点けていたので部屋はそこそこ暗く、そんな空間の隅っこで月光を浴びる月永は神さまから祝福を受けた騎士のようだ。
それを堪能しながら、彼は寂しげな表情を浮かべている。

「見舞い品代わりに、おまえの好きなおれの曲でも贈れたらよかったんだけど。結局だめだった。……ごめんな」
「……ううん、気持ちだけでも嬉しいよ。ありがとう」

入院中もいろんなところで月永の曲を聞くんだよ、って。毎晩聴いてるんだよ、って伝えてみても、月永は「そっか」としか言わなくて、きちんと伝わっているのか不安になるけれど。
止まらずにずっと戦い続けてきたのだ。
『Knights』を守るために振るい続けてきた剣はもう錆だらけで、傷だらけだ。

「いつかまた聴かせてよ。私、月永の曲大好きだから」
「……おまえは変わらないな。おれたちが勝ち続けても、負け続けても」
「……変わらないよ。なにがあっても、私は『Knights』が大切で、大好き。だから今までやってきたんだよ」
「うん。知ってる」

じゃあやっぱりおまえにしか託せないな、と月永は独り言のように呟いて、ぐーっと背伸びをする。

もうたぶん、月永も疲れている。
大好きな作曲もままならなくなってしまって、満身創痍なんだ。
私には月永の明確な限界のラインは分からないけど、彼自身でも分からないからこそ今会いにきてくれたのかもしれない。言葉が届くうちに。強がりでも、辛うじて笑えるうちに。

「……おれが居なくなっても、セナを頼むよ」
「……うん」

そうして、いつかの舞台袖で告げられた台詞を、彼は重ねて私に託す。
はるか遠くの月や星に願いをかけるのではなくて、私としっかり目を合わせて。

「でも、私でいいの」
「鹿矢じゃなきゃだめだろ。あのセナだぞ?」

愛おしいものを思い返すように、月永は目を伏せる。
近頃はさんざん憎まれ口を叩いていたその声で、愛を告げるように青春の名を呼ぶ。

「きちんと務まるかな?もっと可愛くて有能で素直で、ポジティブな子のほうが合いそう」
「なんだその設定山盛り女子は。……誰がなんと言おうと、ありのままのおまえが魅力的だよ。おれたちはそんな鹿矢とだから一緒にやってこれたんだろうし」
「……あはは、口説き文句みたいだね」
「茶化すなよなー?本気で言ってるんだぞ」
「うそうそ、ごめんね。ありがとう」

月永にそう言ってもらえるのは心底嬉しい。
茶化さないと、いろんなものが溢れてしまいそうになるくらいには。

知っていた。分かっていた。覚えていた。
【チェックメイト】の時に貰った言葉を忘れられなくて、それを理由にして『Knights』のそばにいた。
でも過去になっていくたび、信じられなくなってしまったけれど。

またこうして、私は託された。
託されることが嬉しい。頼ってもらえるのが嬉しい。必要とされるのが嬉しい。でも、月永はどうして大切なものを私に託したのかって。

――もう、『Knights』を去るつもりだからだ。

それこそ兆しはあった。
【チェックメイト】での言葉も、彼なりに予兆を感じてのことだったのだろうから。
凛月くんは“気にかけるほどじゃない”と言っていたけれど、心配をかけまいと嘘をついていたのだと思う。
実際『Knights』は崩壊寸前ギリギリで。
剣だけでなく、盾や鎧にもヒビが入ってしまっていて。鞘はいまにも砕けてしまいそう。
悪意だらけの学院でなんとか生き残ってきたものの、すでに虫の息だ。

――本当に。思っている以上になにもできなかったのだ。
心臓が窮屈でしかたない。息をするのが気持ち悪い。大好きなんだよ。どこにも行かないで欲しい。置いていかないで欲しい。
でも、引き留めることは瀕死の彼を引き摺り回すことと同義だ。
そんな愚者に、私はなりたくない。

「……じゃあな。鹿矢」

私には逃げを許さないなんてひどい男だ。
私だってもう疲れたんだよ。本当は逃げ出したいんだよ。けっこう、頑張ったんだよ。
背を向ける彼にそんな文句を少しばかり無言で投げかけて、でも。意味なんてないから。

これが青春の終わりだというのならあんまりな幕引きだ。
血みどろになって、傷だらけになってまで歩き続けた道の果てが此処だなんて。本当に、本当にやってられない。目を塞いでしまいたいくらいきつい。

――そりゃあ、楽しいことばかりじゃなかった。
イヤなことなんていくらでもあったし、瀬名なんか癇癪起こしまくってたし。
ああ。でも。月永の新譜を先に聴いたって自慢してくる瀬名を羨ましがって、一度抜け駆けした時の瀬名の顔なんて傑作だったな。
月永と歩きながら、あっちこっち寄り道をして、一晩かけて帰路についた日も楽しかった。
『Knights』ってユニット名にするんだと聞いたとき、心が躍った。
二人でステージを駆ける姿が、大好きだった。
あの【チェックメイト】でさえ、観客みたいに見惚れてしまっていた。

月永と瀬名だったから、力になりたかった。
大好きで、大切で。
きっと一生をかけても見つからない。
……本当に夢みたいな時間で、楽しかった。

彼は去っていく。
扉に手をかけて、開いて。
暗がりの病室から、蛍光灯の光る廊下へ。
コマ送りのように流れていく現実が死ぬほど憎い。

「……ばいばい、月永」

あと何度砕かれれば、終わるのだろう。




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