#21



「休学?」

はた、と目を丸くして私の言葉を反芻する。
どうも彼にとっては意外だったらしい。今も休学中ではあるので、実質延長というだけなのだが。

「さっき家族から連絡があって。怪我が完治するまでは、ってさ」
「てっきり退院したら戻るのかと思ってたね」
「ははは。私もそう思ってたよ。松葉杖にも慣れてきたからそれで登校するつもりだったし」
「その心意気はなんだか危なっかしい気もするけどね。……あ、そうそう、今日はガーベラを持ってきたね!」

あの日弱音を吐いてしまってからと言うものの、凛月くんほどではないが巴は私の病室をよく訪れるようになった。
そして毎度綺麗な花束を持ってきて、病室を花まみれにしていくのである。本当に個室でよかったと思う。

一年の頃は話したこともなかったし正直あまりいい噂を聞いたことがなかったので、深く関わることもなかった。
だから本当に、こうして二人きりで話すような仲になるとは思ってもみなかったのだけれど。

巴の持っている花束からほんのり甘い香りが漂ってくる。
ガーベラなんて母の日くらいしか目にしないし、こうして自分が貰うのは新鮮だ。

「ガーベラって結構いい匂いするんだね」
「ぼくが選んだからね。当然だねっ!」
「謎理論ですが……」

巴は、良くも悪くも“そのまま”の人物を継続というところで。
太陽のように明るくて、笑顔を振りまくアイドルの体現者のごとく揚々と在った。

変わったところといえば、私を雑用として扱わなくなった点だろうか。
怪我をしているということもあるのだろうけど――どちらかというと“友達”みたいに接してくるから、距離感を分かりかねるのが現状で。

『fine』の一員であるから、五奇人のサポートをしていた私に対して思うところはあったのでは、と今更ながらに思いつつ――彼は『fine』やら学院内でのあれこれを話題にすら出さなくなったし、敢えて避けているみたいだから、それを気にしないでおくにしても。
慰められたとはいえ抱きしめられたり、まあまあ気恥ずかしい思いもしたのだ。落ち着かないと言えば落ち着かない。

「……っていうか、まだ授業中の時間でしょ。いいの?巴は優秀かもしれないけど出席日数とかあるんじゃないの」
「気にしなくて平気だね。……それよりも!ぼくのことは日和って呼んでって言ったよね、鹿矢?」
「え、ええ……人間にはそれぞれの距離の詰めかたってものがあるんだけど……」
「ぼくは気にしないね!」

日和くんのほうがいい、とか言っていたのは覚えているけど、いきなり名前呼びは段階を色々すっ飛ばしているように思う。
やっぱり彼の中で私は雑用から友達あたりにランクアップしたのだろうけど。言ってくれなきゃ分からないでしょそういうのは。

「そうだ。気晴らしに散歩にでも行かない?今日は秋晴れ、ってかんじで温かそうだし……看護師さん曰く近くの公園の銀杏が見頃らしいね?」
「え、ほんと?……行きたいかも。外に出るっていっても屋上ばっかりだったし」
「うんうんっ、そうと決まれば準備しようね。善は急げ、だね!」

陽射しの差し込む時間の少ないこの病室の、唯一の太陽のように笑うからちょっと眩しい。
バックボーンもほとんど知らない、学院で時間を共にしたことなんて一ミリくらいしかないひと。
彼はアイドルなのに、アイドルとして舞台に立つ姿を目にしたことは無いと言っても過言ではないし、これじゃあ本当にただの友達みたい。

だからこそ、なのかもしれないけど。
巴と過ごす時間は『広報』やら――夢ノ咲学院の生徒であるということをくり抜かれた夢みたいで、不思議な気分だ。
なにもできずに大切なものが崩落していくのは耐え難くて。現実逃避みたいに、私は陽だまりで目を潰す。



***



「おお、綺麗だ〜」
「本格的に秋って感じがするね。風も気持ち良いし、いい日和っ!」

ばっと手を広げて全身に日光を浴びる巴は、本当に気分が良さそうだ。
『fine』のファンも増えて囲まれることも多いに違いないし、解放感もあるのだろう。

病院の近くの公園は入院患者の散歩コースとは聞いていたけれど、訪れるのは初めてだ。
仕事やらで各所へ足を伸ばしていたとはいえ、知らない世界に来たようなもので――見慣れた景色なんてひとつもない。
一面の赤と黄。秋の香りを纏った陽の光は夏のそれとは違い浴びるだけ浴びても焦がされることはなくて、心地良い。

「銀杏だけじゃなくて、紅葉もあるみたいだね。あとで向こうにも行こうよ」
「じゃあぐるっと一周しようか。ジョギングコースがあるみたいだしね?」
「本当だ。じゃあ、お願いします」
「ふふ、仕方がないね」

お姫様の手を取るのとは全然違うけど、私をエスコートするみたいに巴は車椅子を押して、鮮やかな世界のなかで束の間の休息時間を過ごす。

「あら、日和くん。こんにちは」
「日和くん、今日もかっこいいねぇ」

病院の中で巴はちょっとした有名人になっていて、彼ほどのレベルとなると私の病室に来るまでに度々声をかけられるらしい。
同じく散歩に訪れていた患者さんに声をかけられながら笑顔で応える巴はやっぱりアイドルだなぁ、なんて思ったりして。

けれど。隠しているだろう疲れや翳りとかが垣間見得てしまうのは、彼の息遣いすら聞こえるほどの距離に居るからだろうか。

「巴」
「どうしたの?」
「疲れちゃったから、休憩したいな。そこのベンチでとかどうでしょう」
「良いけど……コースからは外れちゃうね?」
「まあまあ。寄り道も悪くないでしょ」

摩耗しているのは『fine』もなんだろう、とか。考えたくはないんだけど、まったくの的外れというわけではないのだと思う。
いまの生活が心地良いのならば。清々しい気持ちというだけならば、わざわざ足繁く私のもとへ通わないだろう。

ジョギングコースから少し離れた場所に、ぽつんとベンチが置かれている。
人通りは少なく、けれど陽当たりは良好。近くの紅葉や銀杏の色付きは見頃を終え初めているものの公園を一望できそうな場所だ。
巴が座ればそこだけは華があるのだけど、あたりの景色を含むとどちらかというと冬の気配も感じる。

「……もしかして、気を遣ってくれた?」
「なんのこと?」
「なんでもないね。此処はなんだか寂しいけど……それも風情があっていいね」

木枯らしと呼ぶにはまだ温かい、さあさあと風の抜けていく音が私たちを纏っている。
ひとで賑わうジョギングコースや黄色と赤色の世界からも抜け出して、それをじっくり俯瞰しながら。

「鹿矢」
「んー?」
「…………このままどこかへ行こうか」

提案というよりは、願望の漏れ出たような声。
私にしか届かないくらいのそれは、自信満々で笑顔を撒き散らしている彼らしからぬ台詞だ。
けれど、すぐに納得する。巴も精神的に参っているのだ。

「此処じゃないどこか遠くに。そうすればきっと、きみもぼくも笑って過ごせるはずだね」

いつものような眩い笑みではなく憂うような表情で、巴は空を見上げながらひらひらと落ちていく葉を浴びている。
ドラマや映画の一幕のような風景のなかで彼はいまにも泣きそうだ。

「……逃避行のお誘いみたい」
「間違ってはないね」

薄紫色の瞳はまっすぐに空を見つめている。
受け入れる言葉も、拒絶する言葉も分からなくて、私も同じように薄い雲の並ぶ天を仰ぐ。
どこか遠くって、どこだろう。

私が言葉を紡ぐより前に、バイブレーションが鳴る。
自分の端末は階段から落ちた時の衝撃で壊れてしまって修理中なので巴のものだろう。

「……携帯、鳴ってるよ」
「……いいの。どうせ招集とかそういうのだろうしね」
「私が言うのもなんだけど、電話くらい出てあげなよ。それにまたかかってきちゃうよ」
「……仕方がないね。少し外すよ」

端末に表示された文字を見てため息をついて、巴は少し離れたところで不機嫌そうに電話に出る。
今日はぼくたちじゃないはずだね、という開口一番の言葉にひっかかりながらも――どうやら一言二言を交わしたところで通話を終えたようだった。

「はぁ。今日は楽しい日だと思っていたのに。わるい日和っ!」
「まあまあ、私は楽しかったよ」
「ぼくだって楽しかったけど。これからが憂鬱だね。やっぱり電話になんて出るんじゃなかったね」
「なんか大切な用事なんでしょ、行きなよ」

彼の口ぶりから先程の電話はおそらくなんらかの呼び出しで、此処を離れなければならないのだろう。
促すように視線を合わせると、巴はむっと眉を顰めた。

「……鹿矢。敵に塩を送るって言葉、知ってる?」
「知ってるよ。でも今は敵じゃないよね」
「……そうだけど」
「初めに垣根を超えてきたのは巴だよ」

今だって『広報』も『fine』もなしに私に会いに来てるでしょ、と笑ってやると、巴は言葉を失ったみたいに黙り込んでしまう。

雰囲気で感じ取れたとはいえ、自惚れの固まりのような言葉だったので気分を害してしまったのかもしれない。
窺うように名前を呼ぶ。
すると巴は私をぎゅう、と抱きしめた。

「え、ちょ、巴」
「…………少しだけ、このままでいさせて」
「……うん?」

目のつきにくい場所とはいえ、野外で抱き合う形になっているのはあまり良くはないと頭で理解をしながらも、縋るような声で請われてしまえば何も言えなくなってしまって。
シチュエーションこそ先日の病室と似ているが立場は逆転してしまっている。

ふわふわの、綺麗に流れている彼の髪の毛をなぞるように撫でてやればぴくりと揺れて、なんだか可愛く感じた。

「巴の髪の毛、ふわふわだね」
「……当然だね。ぼくをなんだと思っているの」
「だからその理論はなんなのー」

――敵に塩を送ると言うのなら。
もう、巴は私にそうしているのだ。
あの日、偶然居合せたのだとしても、溢れてしまったものを彼は抱き止めてくれたのだから。

いつの間にか時間が止まってしまったかのような凪いだ世界で、銀杏の葉が散っていく。
此処にいたいはずのこの温もりを送り出すのは、心が痛い。



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