#23




「妻瀬さん?ああ、実家に戻るって言ってたかしら……。明日が法事だって今日気付いたらしくてね」
「…………、」

静寂に満ちた病室を訪れるのはこれで三度目。
一度目は彼女が目を覚ます前。二度目は先日の、ひとりで屋上へ向かっていた時。
どれも落ち着いた心地で居られなかった。我ながら、他人のことなのにひどく動揺していたと思う。

また屋上へ行ったのかと思えば車椅子は置いてけぼりで、その代わりに松葉杖が無くなっていた。
入院着は丁寧に畳んであって、箪笥から何かを取り出した形跡がある。
もうすぐ退院と言っていたけれど、荷造りをし始めたというわけでもなさそうだったから、この病室で何度か顔を合わせたことのある看護師さんに聞いてみればこの通りだ。
法事なんて嘘。彼女はどこかへひとりで向かったのだろう。

「(……動いてないと死ぬの?ほんと、見てないとすぐ消える)」

書き置きには“凛月くんごめんね、行ってきます”とだけ書いてある。
行くってどこに。どうせ家でもないんでしょ。書き置くくらいなら行き先くらい書いてくれないと困るんだけど。

俺が何を言ったって、鹿矢には届かない。
……ううん。兄者だってきちんと忠告をしていたみたいだし。セッちゃんだって、治療に専念してって言っていた。
でも大事だろうひとたちからどんな言葉をかけられたところで、止まらないんだ。

背負うだけ背負って、責任感みたいなものを感じちゃってさぁ。それでボロボロになっちゃったくせに。悪意に潰されてしまったくせに。

「……どうしようもないやつ」

そんな彼女を見捨てられない俺も、どうかしている。



***



「……守沢?」
「妻瀬?久しぶりだな……?」

うっかり彼の名を呼んでしまった声はしんとした練習室に響いて、守沢のもとへ届いてしまう。
いけない、と思ったときにはすでに彼の視線は私に向けられていた。

混乱と驚きに満ちた声で守沢はこちらに駆け寄ってくる。
数ヶ月ぶりに話すとかそういうレベルなのだけど、クラスメイトであるからか名前はきちんと覚えられていたようだ。

「松葉杖……そうか。怪我をして休学中とは聞いていたが。大丈夫なのか?」
「う、うん。治りも順調だから平気だよ」
「ならよかった。早く治ると良いな」

守沢千秋という男は、戦隊モノをモチーフとした古豪ユニットの『流星隊』に所属するクラスメイトである。
正義感に溢れてはいるがやや弱気な気質で頼みごとやらを断れない――夢ノ咲学院ではいいように使われてしまうタイプだ。
けれど誠実な性格や、堅実な努力の積み重ねが功を奏して個人での仕事は好調で、私が張り出していた案件もいくつかこなしていた記憶がある。

あまり付き合いが無いとはいえ、毎日教室で見てきた顔だ。彼の纏う陽の気は知っているので今日はどこか気落ちしているようにも見える。気のせいかもしれないが。

「……妻瀬はどうしてここに?俺に用事があったわけでもないだろう」
「あ、えーっと……友達が居るのかと勘違いしちゃって。覗いてみたら守沢が居てさ、ごめんね。邪魔しちゃっ……」

ふと、落ちていたばらばらのヒーロー人形が守沢越しに見えて、ぎよっとする。
よく見れば守沢の顔には薄っすらと涙を流した跡があった。
そしてすぐに、簡単に関わって良い問題ではないのだろうと理解した。声をかけたのは間違いだったと後悔するにはもう遅いけれど。

私の視線を追って守沢は納得したみたいに、困ったように笑う。

「……すまん。色々あってな」
「私こそ、……突然ごめんね」
「謝らないでくれ。正直、妻瀬が来てくれて落ち着いた。気が紛れているだけなのかもしれないが」

独り言だと思って少し聞いてくれないか、と頼りない声色で彼は呟く。
私の無言を肯定と受け取って、目を合わせずに、下を向いて。壊れてしまったヒーロー人形を見つめながら言葉を紡ぐ。

「……助けたい人がいる。けど、怖くて仕方がない。何もできない、それに意味なんてないと――足がすくんでしまうんだ。“いじめ”を見過ごすことは悪を肯定するのと同じなのにな」

何を指しているのかは分からないが、彼は誰かを助けたいらしい。
正義のヒーローである『流星隊』ならば――ううん、その志を胸に灯す守沢ならば。悪を見逃すことができないのだろう。助けを乞われずとも手を差し伸べるべきだと、頭では理解しているのだろう。

けれど、“いじめ”に立ち向かうのなんて誰だって怖いに決まっている。マイノリティの味方をすれば白い目で見られるのなんて明白で、自ら安全地帯を捨てる行為のようなものだ。

「情けないことに、後輩にも“かっこ悪い”と言われてしまった。どれだけ努力しても、頑張っても、報われない。……俺はヒーローにはなれないんだ」

守沢は夢を砕いてしまうような言葉を、呪いみたいに吐くものだから。せめて否定してあげたい。
ただ、何も知らない私にそんな権利なんてないと思うと声を出すことすら憚れる。

――でも、それこそ目を逸らせない。
経緯も抱えてきたものも置かれている立場も違うけれど、苦しみの破片くらいなら分かるから。

「……守沢のこと、よくは知らないけど。噂とかを聞く限り頑張ってきたみたいだからさ。それだけで褒めてあげたいよ。頑張ったね、って。……でも本当に欲しい言葉とか、奮い立たされる言葉って違うよね」

多くの人が。彼がこの一年半近くで生きてきた足跡を知っている人はもっと違う言葉をかけるのかもしれない。もっと核心をついた言葉で彼を救えるのかもしれない。

私が見てきたのは生徒会を立ち上げるための署名を懸命に集めていたことや、【デッドマンズライブ】の会場となったステージでなぜか朔間先輩たちとステージに立っていたことくらいのものだ。
『流星隊』の案件に関わったことはあったけれど、あくまで個人のものだったし――守沢とは同じクラスではあるものの何度か仕事を繋げた以外での接点はほとんどなかった。

だとしても。目の前で折れそうになってしまっている頑張ってきた誰かを励ますような、突き進むための言葉ならばよく知っている。
何もできなくても、意味がなくても、報われなくても――それでも本心では走りたいと思っているんだ。

「迷ってないで、最後までやりたいようにやっちゃいなよ。……とか、けっこう無責任なんだけど」

今ここで、踏み出すためのエールを贈れるのは私なのだろう。
『広報』なんかじゃない、クラスメイトでもない、ヒーロー番組の隅っこに息づくような――懸命に戦いながらもピンチに陥ってしまったヒーローへ声を上げる無名のうちの誰か。若しくはそのうちの一人。

「大丈夫。頑張って、守沢」

だから単純で、無責任で、ありふれた言葉を贈ろう。
それって彼が一番欲しているものだ。私が欲しかったものだ。

「なんの保証もないけどね。同じクラスのよしみで骨くらいは拾うよ」
「……ありがとう。妻瀬」

守沢は言葉を噛み締めるように笑って、炎が灯したような色を瞳に宿す。

ぐっと拳を握って立ち上がって。折れたものを握りしめて、再起させるように。大事なものを抱きしめるように彼は上を向く。
倒すべき悪を見据える目ではない。
助けるべき、誰かを想っているのだろう。

「ちょっとは元気でたみたいだね」
「ああ、お陰様で持ち直せた。妻瀬の贔屓にしているユニット……『Knights』だったか。心強いだろうな。おまえのような味方がいてくれて」
「えっ、それは分からないけど……?」
「大丈夫だと、頑張れとエールを貰って嬉しくないはずがない。俺が保証する!」
「……そっか。そうだといいな」

守沢は太陽というよりも、それを包む炎のようだ。
眩しいというよりも熱くて、彼の心境はともかくとして――まさしく正義のヒーローである『流星隊』を名乗るに足る人物だと思う。

オープニングテーマが流れ始めるように、何処からかヒーロー番組の音楽が聞こえて来る。
それは彼を導くための報せで、彼をヒーローたらしめる物語を紡ぐための合図。



BACK
HOME