#28




罵倒の嵐――ではなく白い目で迎えられたので、缶やら石を投げつけられるよりはだいぶマシだなあなんて思いながら。
日中で、【海神戦】の雰囲気と比べれば落ち着いているとはいえ、すれ違うたび私に向けられる視線は温かなものではない。

「あいつ『広報』の。休学中じゃなかったのか?」
「松葉杖じゃん。自分が大怪我してますってわざわざ見せびらかしにきたんじゃねーの」
「『fine』のファンを唆して、退学に追い込んだんだろ。とんだ悪女だよな――」

聞こえてくる噂話を耳に入れたくも無い。
手続きとか案件処理のためにどうしても来なきゃいけなかったんだよ、とか叫び散らしても無駄だろうから無視を決め込むのが一番である。
校内SNSにはもちろん私に対してのコメントもあったから、なんとなく予想はしていたしショッキングまではいかないにしても。そこまで『fine』の肩を持つのかと思ってしまう。

同行してくれるはずだった母は、急な仕事で来れなくなってしまって。
書類を出したり生徒会へ引き継いだいくつか仕事の確認をするだけで、曲がりなりにも大人の目の効く時間だからと足を運んでみたが――出直した方がいいかもしれない。なんて、初っ端から陰鬱な気分だ。
まあ噂されることには慣れてるから、どうだっていいんだけど。

通い慣れた校舎を今の自分に出来うる限りの速さで駆けて、職員室の扉を叩く。
事前に来訪を告げてはいたものの、佐賀美先生は呆れたような表情で一人でやってきた私を迎え入れたのだった。



***



「……よし、書類周りはこんなところか。生徒会には俺から渡しておくから、もう帰っていいぞ」
「あ、はい。お願いします」

――夢ノ咲学院において、案件の書類を外部に持ち出すことは良しとされていない。当たり前だけど。そのほとんどが職員室や生徒会室に保管されているらしく、私が扱っている資料もそのどちらかで管理をしてもらっている。
紙文化が浸透しているからか、若しくはそのほうが都合が良いからなのか。どちらにせよ対応や処理をするにあたって足を運ばないといけないというのは若干面倒だ。

それが煩わしくて、データを扱うことがほとんどの私はノートパソコンを貸し出してもらっている。
漏洩の危険もあるので外部での仕事や急ぎの案件が無い限りは外で扱うことを推奨されてはいないし、ルールも曖昧ながらに敷かれていたりするのだが。
休学中ともなれば不要に決まっている。……だから佐賀美先生もこれを機に返却を促すかなと警戒していたのだけれど、結局最後まで触れられなかった。

「……ん?どうした、何か気になることでもあるか?」
「い、いえ。なにもないですよ」

単に忘れているだけなのか、見逃してくれているのか。
どちらにせよ幸運は私に味方したようなので黙っておく。

良い意味でも悪い意味でも先生たちは生徒たちの事情に深く関わろうとしていないように思う。思春期だし、扱いも難しいのだろうか。

「……しかしまた今日はなんで一人で?扉開けた瞬間肝が冷えたぞ、本当に」
「あー、母と来る予定ではあったんですけど、急な仕事が入ったみたいで。案件処理も遅くなるよりは早いほうがいいだろうし、まあいいかーって来ちゃいました」
「どうしたら一年でそこまで逞しくなれるかね。色々噂もされてるみたいだけど、案外ケロっとしてるよな妻瀬は」
「噂されるのもけっこう慣れましたから」

噂話は先生の耳にも届くらしい。
校内を巡回の最中や授業中なんかに小耳に挟むものなのだろう。
帰り支度をしつつ資料を整えていると、佐賀美先生はそういえば、と思い出したように声を溢す。

「朔間のこと、気にかけてやれよ。仲良しなんだろ?」
「朔間先輩ですか?」
「先輩?兄のほうは同輩だろ〜、一応は。……俺が言いたいのは弟の朔間凛月のことだよ。たしか妻瀬が階段から落っこちた時の第一発見者だったよな?」
「……はい、そう聞いてます」
「……あいつ、俺が着いた頃には随分取り乱しててさ。病院までぴったりついて離れなかったって聞いたし、相当心配してたみたいだから」

そういうやつためにも無理はしてやるなよ、とぽんぽんと頭を撫でられる。
耳が痛い台詞だ。

「……分かってますよ」
「本当に分かってんのか〜?この間のドリフェスでおまえを見たって話も聞いたぞ」
「ははは、気のせいじゃ無いですか。私入院してたし」
「……はぁ。だと良いけど。『広報準備室』の担当ってあきやんだっけ?あいつも苦労するな……」

そうぼやいて佐賀美先生はぼりぼりと頭を掻く。
――ともあれ、学院での用件は終わりだ。
二時間ほど書類と向き合って整理やら処理やらをしたけれど。
自身の取ってきた仕事を『fine』の功績みたくでっち上げられたっぽい、みたいな書類は見るに堪えなかったし早々に立ち去りたい。
先生たちには分からないように書き換えられていたり、修正されていたので一層腹立たしい。

認めたくはないがこんなことも当然に横行しているのだろう。
彼らは帝王を暗殺し、神さまを落としてしまうほど策を巡らせてきたのだ。
まだ可愛いレベルというか、『fine』を頂かせるための礎の末端程度の工作なのだろう。いくら私がどう思おうと、彼らにとっては。

「校門まで送らなくて平気か?」
「行きも一人だったので大丈夫です。タクシーもすぐ呼ぶので」
「はいはい。じゃあ何かあったら大声で叫ぶなりしろよ?駆けつけてやるから」
「ありがとうございます」

失礼します、と扉を閉めて息を吐く。
明日は日々樹くんのステージ当日でもあるし逆先くんのもとを訪れようとも考えていたけれど、あんまり良い気分ではない。

「(……なんかどっと疲れた)」

彷徨いているとより人目に留まってしまうので迷っている暇はないのだが。……やっぱり今日はやめておこう、疲労困憊だろう逆先くんに気を遣わせてしまいそうだし。
慣れたとは言ったが全くダメージが無いわけじゃない。佐賀美先生もきっとそれを分かって遠回しに“無理をするな”と釘を刺してきたのだ。

帰途に着こうと廊下を歩いていると、少し先から誰かの話し声が聞こえてくる。
別に珍しいものでもなんでもない。至って日常の音である。

「(……?この声)」

けれど。聞き間違いでなければ。
それは私のよく知るひとの声で、思考が止まってしまう。

「――君たちは悪ではない。そのように名付けて、恣意的に印象を操作し、悪役に仕立てあげたけれど……。童話に登場するような、血の通わぬ悪党ではない」

話し相手は久しく声を聞いていないが、すべてを掌握しているだろうひと。

「だからこそ。君たちは、僕に勝てない」

あの【チェックメイト】で『Knights』の助っ人として舞台に立ってくれた、彼。
生徒会長であり――『fine』に所属する、夢ノ咲学院を頂くひとり。
どくん、どくん、と心臓の音がうるさく響いている。

「(朔間先輩と天祥院……と青葉、)」

三人が顔を合わせているものの、言葉を交わしているのはどうやら朔間先輩と天祥院らしい。
掲示板の前に陣取っている彼らから隠れるように、私は壁に引っ付いて聞き耳を立てる。

「聞くまでもないかもしれね〜けど。全世界の夢ノ咲学院の姉妹校で、次々に事件が起きたのは……。それも、おまえの仕込みか?」
「証拠は残していないけれど、念のため曖昧に答えようか。夢ノ咲学院の最大の出資者は天祥院財閥だ、姉妹校も同様にね。――根を張り、操り、意のままにすることは容易いね」

ほとんど確信はあった。
それが、彼の吐いた言葉で揺るぎないものに変わる。天祥院こそが朔間先輩――五奇人を陥れた首謀者ということだ。
おそらくだけど、『Knights』も。

なるほど先輩が海外を飛び回っていたのはやはり仕組まれていたことで、彼の不在を好機として天祥院は“こと”を起こしたのだ。
たぶん、理にかなっている。勝てない相手である朔間先輩には戦わずして勝つというのは戦法として“あたり”だったのだろう。名案だったと賞賛されるのだろう。……先輩が疲弊してしまっているのがその証拠で。

制御できないほどの苛立ちとか、怒りが込み上げてきて止まらない。
衝動のままに動くな。それで痛い目を見たじゃない。――でも。

「天祥院」

朔間先輩に毒針を刺すが如く佇む彼を、牽制するように声を上げる。彼らの前へ足を進める。
予想の範疇ではなかったのだろう。第三者の声に天祥院は一瞬だけ呆気に取られて、不敵な笑みを溢す。

「……ああ、君か。盗み聞きとは恐れ入るよ。たまらず飛び出してきた、って顔をしているね。麗しの恋人を助ける『騎士』――の真似事かな?とても戦える身体には見えないけれど」

いまや夢ノ咲学院の“希望”を一身に背負うそのひとは、救い主のように。或いは神様のように。子どもの反抗期を見下すような視線で、私を突き刺した。



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