#29




「こんにちは。こうしてきちんと話すのは初めてだね、『広報準備室』の妻瀬さん」
「どうも、『生徒会長』さん。……色々と、よくもやってくれたね」
「……開口一番にそれとは不躾な子だね」
「お互い様だよ」

華奢で薄明な王子様のような印象の天祥院だったが、実際に面と向かうと身長も高いし、威圧感もある。
病弱という話を聞くけれど彼の本当の強さは“芯”にあるのだと思う。ただの直感だが。

彼こそが策を巡らせ夢ノ咲学院の頂点に立った『fine』の、生徒会の首魁……基盤のようなものなのだろう。
つまるところ『Knights』の仇でもある。

「この現状は『広報』の、君の力不足が招いた結果とは思わないのかい?」
「そうかもしれない。でも制度とかで、貶めたのは天祥院たちじゃない」
「人聞きが悪いなあ。『チェス』……いや、『Knights』のことを根に持っているんだろうけど。僕を責めるのはお門違いだよね。嵌めて、没落させたのは元お仲間たちじゃないか。……負け続けているようだし、彼らについては僕も残念に思っているよ」
「終わったみたいに言わないで」

きっと睨みを効かせる。効果はないだろうけど、たっぷりの威嚇を込めて。
――いけない。ダメだ、冷静にならないと。怒りに身を任せちゃいけない。

「敵ながらその威勢だけは天晴れだけど。なんの解決にもなりやしないからやめておきなさい。『広報』としては致命的だよ。この世界で生きていくのなら、外面は大切にすることだ」
「……ご忠告をどうも」

ぐ、っと振りかぶってしまいそうな掌を握りしめる。
天祥院は愉悦気味に薄ら笑いを浮かべて、私を測るように見つめている。

「『広報準備室』は教師からの評判は良かったみたいだけど。『五奇人』のサポートとしては期待通り“最悪”だったよ。……君が『広報』として名を上げられたのは『五奇人』のお陰だ。そんな恩人とも呼ぶべき彼らの偉業を君は華々しく伝え、一般生徒を刺激し悪へ昇華した。妻瀬さん。君は、酷い子だね」

私の起用はそういう意図があったらしい。
……ああ、なんとなくだけど分かっていた。蓮巳の気遣いだけじゃなかったことくらい。
無意識のうちだとしても、私は大衆の嫉妬心を撫でて天祥院に加担してしまっていたのだ。
そうとは知らずに活動していたとはいえ、許されることではない。

「『広報』の君は状況を一番俯瞰出来る立場にいたはずだ。それにしては動き出すのが遅かったよね。『Knights』ばかりにうつつを抜かしていなければ、もっと早くに僕らの企みに気付けただろうに」
「……全部を抑えれるとは思ってなかったけど。ひっきりなしに五奇人の悪評が湧いて出てきてたのは、天祥院が裏で糸を引いてたからなの」
「僕たちの話を聞いていたんだろう。自ずと解は得られるはずだよ」

つまりは、肯定ということである。
どこまでも根を張り巡らせて、じっくりと時間と労力をかけて此処まで辿り着いたのだ。
よくもそこまでリソースを注いだものである。
それだけ本気ということなのだろうけれど。

「私が“最悪”だったのは否定しない。加担したことも対処が遅かったことも事実だし。……でも天祥院だって“最悪”の生徒会長だよ。ひとを散々利用して、傷つけて。悪みたいにして裁いてさ」
「たしかに君にとっては“最悪”なのかもしれないね。“散々”大切なものを捻ってきたこの手が憎いだろう?」

見下すみたいに、憐れむみたいに頬に手を添えられる。
淡い青色が、私を選別するみたいに光っている。

「……退けてくれる?手」
「愛らしい反応だね。振り払えばいいのに」
「嫌がってるの分かるならやめてよ。噛み付いて、引きちぎっちゃうかもよ」
「ふふ。出来るものならやってみなさい」
「え、英智くん、妻瀬さん、落ち着いてください」
「止めないで、つむぎ。隠れていればいいものを、のこのこと顔を見せたんだ。お望み通り引導を渡してあげないと」

朔間先輩と天祥院の間には流れていなかった、やや危険な雰囲気を察したのだろう。
黙っていた青葉は私たちを止めるようにようやく言葉を発したけれど、それをいなすように天祥院は微笑んで、私の首を穿つように言葉を放っていく。
逃さないように。杭を打ちつけるように。

「……ああ、本当に君は邪魔だったよ。期待通りに動いたかと思うと逆行してしまう不出来な機械そのものだ。応急措置で日和くんを使ってみたけれど……やっぱりあれは僕の思う通りには動いてくれなかったしね。結果的に君が退場したのは他の要因だったし」

突然並べられた友人の名前に、一瞬息をするのを忘れてしまう。

「(……巴は天祥院からの刺客だったんだ)」

考えてみれば二年生の秋だなんて、不可思議なタイミングだ。
出会いすらも仕組まれたものだと言われればそれはそれで納得がいく。突然巴のようなひとが私の存在を気にするなんて、あるはずもなかったのだ。

天祥院は朔間先輩を警戒していたようだから、『朔間零の女』という噂の真偽はどうあれ――それを暴いたり、崩したりする企みもあって私に巴を寄越したのだろう。
結果的に友人のような関係に落ち着いてしまっているから、彼の思惑通りにはならなかったのだと思うが。

巴は『fine』の招集を嫌がっていたし、百パーセント天祥院の思惑通りに動いてはいなかったのだろう――とくに、怪我をしてからは私への接触も不要だったはずだ。
日々違う花を携えて病室を訪れてくれて、少なくはない時間を共に過ごした。……あれは嘘じゃないと思いたい。
退場だなんてムカつく言い方だけど、学院から摘み出されて、無力だったのは事実だから。

「でもまさか、日和くんを手懐けるとは想定外だったよ。『五奇人』の頭目と『fine』の二枚看板を手玉に取るなんて普通じゃ到底出来ない」
「手懐ける?……あのさあ。天祥院は私のこと、どんな悪女だと思ってるの」
「専らの噂だからね。『五奇人』と『fine』を誘惑する悪女だ、って。日和くんのシンパあたりが嫉妬して流した噂なんだろうけど」

私は彼の計画において文字通り“邪魔者”だったのだと思う。
敵でも味方でも、かと言って完全に無視できる存在でも無く――目に余る“異物”。異物を排除しようとするのは当然だ。

『広報』はアイドルではない。
特殊ではあれ表立つべき存在ではない。
アイドル科における唯一の女子ではあるけど、混沌の目のような役回りは期待されていなかっただろう。
せっかく目の上のたんこぶが退場したのだ。計画の邪魔にならないように噂上だけでも存在を消してしまったほうがいいんじゃないか。
要素の多い図式であるほど、ひとの感情のベクトルはまとまらないものだし。

「(……なら、どうして)」

――そうだ。矛盾している。
善が生徒会、悪が五奇人だというのなら図式として成立している。
天祥院の企みの全貌がそうだとして。
第三の要素なんて不要だ。不確定要素でしかない。かき回す異物なんて無いほうが良いに決まっている。
入念に策を練ってきただろう天祥院が、敢えてそれを消さずに残しているのには違和感がある。

「邪魔だ」と断じるくらいには私の存在を目障りに思っていたはずだ。
『fine』にだけ有益ならばまだしも。五奇人にも同情を集めかねないもので、悪一色に描きたいのなら私が彼らを惑わせているなんて噂は不都合しかないだろう。

「……天祥院、どうして私の噂を消さないの」
「……僕としては君にもう一役買ってもらいたいんだよ。君の意思とは関係なく、と思っていたけれど。なんだかんだ役に立ってくれたしね。選択の自由くらい許容しようか」

頬に添えられていた手は去っていく。
代わりに、天祥院は悪魔の囁きのような台詞を丁寧に紡ぐ。

「『Knights』も『五奇人』も日和くんも、少なからず守る方法を教えてあげよう」
「そんな都合のいいものがあるの」
「うん。――君自身が生贄になって、諸悪の根源のすべてを請け負うんだ。例えば『五奇人』の悪性の根幹は『朔間零の女』である『広報』にあった、なんて噂を広めれば、彼らが負うはずだった傷を多少は肩代わりできるだろうね」
「――、」
「今のは一例に過ぎない。『Knights』への不満を背負うこともできるんじゃないかな。……大切な『Knights』、大切な『恋人』、大切な『友人』。彼らを守りたいと望むのなら、実現させるための筋書きを足してあげよう」

あたかも最高の救い手であるように、天祥院は私に手を差し伸べる。

これは私自身を売る契約だ。
天祥院の言っていることは間違っていない。手を取れば、多少の批判を背負うことはできるのだろう。
混沌と化した夢ノ咲学院であれば、根拠のない噂も天祥院の力があれば“本物”になる。
生贄となれば。守れなかったものの傷を深めずに済むかもしれない。――同じ場所に立てる傷を負えるのかもしれない。

物語のエピローグに一文足すだけで救われるものがある。
作者じゃない私には足せないひと手間を、大それた願いを、天祥院の手さえ取ってしまえば実現できる。
欠けたものは戻らなくても、これ以上を避けられるのなら。
なんて、悲劇のヒロインみたいな台詞だ。

「やめとけ。もういいから」

朔間先輩の声に、はっと現実に引き戻される。
私を尊重して黙っていてくれただろう先輩は、見たことがないくらいの怒りを纏った視線を天祥院へ注いでいる。
自分に向けられようものなら尻尾を巻いて逃げてしまいそうだ。

「朔間先輩、」
「……黙って聞いてりゃ好き勝手言うじゃねえか。これ以上俺の女を侮辱するなよ」
「美しい愛だね。それが君の敗因でもあるのに惚れ惚れするよ。……ともあれ。朔間先輩同様、学院を離れていた君に出来ることはもう何もない」

僕の手を取る以外はね、と。最後のチャンスのように視線を向けられる。
手は、まだ差し伸べられたままだ。

……よく見れば、天祥院も調子がすこぶる悪いらしい。顔色も悪いし、無理をしていることなんて一目瞭然だ。
彼の信念とかは分からないけれど、彼は彼なりの意志を持って立っているということは理解できる。だからと言って嫌悪感が消えるとかそういうものではないけど。

彼にとってこの提案は、本当ならば無意味で無価値なのだと思う。不要な楽章。排除されてもなんら影響のない一行だ。むしろ無いほうが差し支えないほどのもので。

私は希望を断つように、最後の可能性を自身で断ち切るか、すべてを賭して生贄となるかを選択しなければならない。
天祥院にとっては“どちらでもいい”のだろう。後者のほうが、綺麗さっぱり廃棄できるという意味では良いのかもしれないが。
今度こそ処分する終わらせるつもりで、中途半端に生き延びてしまった私に死に方を選べと言っているのだ。

「……鹿矢」
「大丈夫ですよ」

まあ、大丈夫ですなんて言って、大丈夫だったことなんてなかったけど。
天祥院の手を取るんじゃないかと懸念されているのだろう。……たしかに、そうしたい気持ちだってあるし。けっこう私の心は見え見えなのかもしれない。
そんな懸念を払拭するみたいに、私は天祥院をしっかり見据えて。

「全部が手のひらの上だなんて思わないで」

悪態たっぷりで、言葉を吐いてやる。
私の選択なんてどちらに転んでも良いようなもので、些細な誤差だろう。盤上の真上から眺められているみたいで、心底腹立たしい。

――どちらの選択肢を選んでも同じしぬのならば、少しでも、欠片でも生き延びれる方法を選ぶ。
思い切り首を刎ねられたほうがいっその事楽なのかもしれない。無力感で自害するよりマシなのかもしれない。
でも、夢ノ咲学院での居場所を失うわけにはいかない。
天祥院の手を取るということは、『広報準備室』は悪で、不要なものと断じられて――学院での未来を捨てるということだ。

私にはまだやるべきことが残っている。
ちょっとしか守れないような、生贄になんてなるものか。

「ありがたい提案だけど。お断りします」
「……意外だね。立場や『五奇人』まで利用して『Knights』を支えてきた君だ。守るための手札を渡されれば、迷いなく行使すると思ったけれど。それとも朔間先輩の言葉には逆らえないのかな」
「違うよ。自分で選んだの。……私はもうなにもできない。お望み通り、天祥院の見えないところで首を切るんだと思うから」

余計な手間が要らなくなって、安上がりで済んでよかったね。と告げれば、天祥院はどこか納得するように口角を上げて差し出していた手を下ろす。

「盾にすらならないと言うのなら、最期まで観客席で観ていなさい。そこが君の断頭台だ」
「うん、観てるよ。……調子あんまり良くないんでしょ。精々最後まで身体には気をつけて頑張って」
「激励の言葉は素直に受け取っておくよ。けれど、虚勢もここまでくると立派な鎧だね。君はもうボロボロのくせに」

――なんの解決にもなりやしないと分かっていても、言葉にするべきだ。示すべきだ。
無意味で無価値なものだとしても。虚勢だって信じていれば鉄の鎧になる。
そもそも大丈夫だと、歩いていけると信じなければ足は動かない。
せめて私はこうなのだと、堂々と在ろう。

「ボロボロでも、歩くことくらいは出来るよ」

摩耗して、欠けていったとしても。
塵屑になるまで砕かれたとしても。



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