#30




「ったく。怪我したって言うから、急いで用事済ませて飛んで来てみれば家はもぬけの空だし。突然現れたと思ったら天祥院に啖呵切るし。寿命が縮んじまうんだけど?」
「ご、ごめんなさい……」
「勇気と無謀は違うって言うだろ。やっちまったもんはどうしようもね〜けどさ……。きちんと相手は選べ」

ぐさぐさと朔間先輩の視線と言葉が刺さって顔を上げられない。
天祥院からすれば、私の啖呵なんてただ子どもが喚き散らしたようなだけにも思うが。
殴りかかってしまいたい気持ちはあれど、討伐するなんて勇者めいたことをしようなんて思っていなかったし。

はあ、と朔間先輩はため息をついてわしゃわしゃと私を撫でる。久しぶりの感覚で、なんだか懐かしくも感じる。

「……でも。『朔間零の女』はこうでなきゃな」
「褒めてるんですかそれ」
「褒めてるよ」
「じゃあ、ありがとうございます」

褒められたものでないと言っておいて、良かったよと持ち上げるのだからずるい。それで喜ぶ私も私だけど。
――自分勝手な行為ばかりしているから褒められる機会なんて格段に減ったし、むしろ怪訝な表情を向けられることのほうが多くて。貰えなくて当然のものを貰えると、何倍も嬉しい。

「……天祥院、末恐ろしいですね。今思えば蛇とか猛獣に睨まれた心地だったというか、怖かったなあ……」
「マジかよ。ほぼ初対面であれだけ噛み付いておいて?役者だな、鹿矢」
「ははは、それほどでも」

天祥院との対話を終えた朔間先輩と私は帰途へ着いている。
急がないと飛行機に間に合わないよ、みたいなことを天祥院が言っていたし、先輩はどうやらまたどこかへ行ってしまうようなのだけれど。

使い慣れてきたとはいえ松葉杖を使って歩く速度は普段の数倍遅い。
朔間先輩はそんな私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれるので、少し申し訳ない心地である。

「……いちおう聞くけど。それ、誰にやられた」
「なんのことですか」
「その怪我だよ。……突き落とされたんだろ。凛月から聞いてる」

私にはあまり兄弟の話をしない朔間先輩の口から凛月くんの名前が出るのは意外だ。
凛月くんも凛月くんで朔間先輩の話はしようとしないから、彼から伝わっていたのだと考えると、思いがけないところから情報は伝わるものだ。

「名前とかもう忘れました。さすがにもう関わらないだろうし、結構どうでもいいです」
「どうでもよくね〜だろ。骨折られてんだぞ」
「退学を条件に示談になりましたし。気にしないでください」

――庇うわけではない。
本当に、もうどうだっていいだけ。
彼の顔も、謝ってきた時の声すら記憶から抹消したいだけ。

怪我自体は私の身体に刻まれてしまったものだから目を逸らせないが、肩を押されたときの感覚や彼の顔を思い出せばせっかく振り切った感情にまた囚われてしまいそうで。
悲しいこともあったけれど、優しい非日常に救われて、なんとか立てたのに。ぶり返せばゼロに戻ってしまいそうになる。

「……気にする。鹿矢は俺の女だろ」

ただのお飾りなのに。私を守ることだけが理由のもので、朔間先輩にはなんのメリットもない冠なのに。
その立場を律儀に守ってくれるから、頼ってしまいそうになる。

朔間先輩は海外でひとりで頑張ってきたのに。
たいして負荷のない、ステージにすら立たない私が、色んな人を救い続ける先輩に助けを乞うだなんて。これ以上の負担を強いることなんてしたくない。
でも、心の底ではいつか助けに来てくれるんじゃないかって期待していた。
ふらりと現れて、何とか解決してくれるんじゃないかって。

ううん。助けて、って声を上げたかった。
どうしようもなく真っ暗な感情を捨て去りたくて、ロックを聴いた。灰すら残さないくらいに散らしてくれると期待して、病室で何度も流した。
でも結局塵のようなものは積み重なって、しんどくなって。いけないものを吐いてしまった。

彼を責める理由なんてひとつもない。
むしろ今まで散々守られてきたのだ。なにか返さないといけないくらい。返せるのだとしたら一つしかないけれど。

『――ひとを愛したからこそ誰のことも見捨てられず、背負ったものの重みで圧死する。君は愛に切り刻まれ、愛で毒殺されるんだ』

朔間先輩に放った天祥院の言葉は的を得ている。
私だけじゃない、世界中の誰もが朔間先輩の助けを求めている。彼はそれに応えるべく奔走していて――でも私はそのうちのひとりにはなりたくない。
自分でなんとかできるんだと、安心させたい。せめて私だけでもその重荷から放ってほしい。

「気持ちは嬉しいです。でも、本当にもう関わりたくないし関わって欲しくないから。……さ、朔間先輩だって私の『男』なんですよね。恋人の気持ちも汲んでください」
「……デカい口叩くようになったじゃね〜か。たしかに俺は鹿矢の『男』で、恋人だけどさ。俺の気持ちは汲んでくれね〜のかよ?」

朔間先輩の足は止まって、つられて私も立ち止まる。
向かい合うみたいな形になって、先輩の鋭い視線が私を射るみたいに突き刺さっている。

「もう解決したことなので。向こうから関わってくるようであれば、その時は相談させてください」
「…………分かったよ。そこまで言うなら追及しない。探りも入れね〜よ」

こんな会話をしておきながらだけど。
朔間先輩の背景は赤々と紅葉していて、出会ってもう半年も経つんだなと思った。
秋の星座こそ何にも知らない。そもそもまだ星のみてない時間だ。光のひとつも見えない。
あーあ、と朔間先輩は後悔するみたいに、またひとつ大きなため息を吐く。

「やっぱり無理にでも攫っておくべきだったな。鹿矢は家にいろって言っても守るタイプじゃね〜し」
「あはは、たしかに。でも『朔間零の女』らしくないですか」
「らしくね〜よ」

たらればの話でしかないけど、たしかに連れ去ってもらっていたらこんな怪我はしなかったんだろう。
異国の地で朔間先輩を手伝うことができたのかもしれない、なんて微塵も無い可能性を描いてみる。

「(いやでも英語すらできないし?)」

怪我はしなくても、私は朔間先輩の重い荷物になって足幅を狭めただろうから――結局のところ彼に迷惑をかけてしまったのだと思うとどうしようもない。
心配をかけるか迷惑をかけるかなんて、最悪の天秤だ。

「……朔間先輩、ごめんなさい。たくさん心配をかけてしまって」
「……うん。良くはね〜な。……まぁ、沈んでなくて安心したよ。お前ただでさえ抱え込みがちだったから」
「そうですかね」
「おう、バレバレなんだよ」

木々が揺れて紅葉がひらひらと舞っていく。
朔間先輩を中心に、一枚の絵のように秋の風景が出来上がっていく。美術館に飾られた大きな絵画を前にしているみたいだ。

「俺がいない間色々あったんだろうけどさ。頑張ったな、鹿矢」

――ああ。いつも、先輩は突然救ってくれる。
何の気無しにふらっと現れて言葉を投げかけてくれて私を肯定してくれる。

堰き止めていた何かを、優しく取り除く音。ぐちゃぐちゃにほつれてた糸にそっと触れて、解いてくれる感覚だ。
悲しい、じゃない。しぬほど嬉しい。
美しい光景は次第に潤んで見えなくなっていく。

「ありがとうございます、朔間先輩ほどじゃないですけど」
「……なに、褒めてくれんのか?」
「当然です。世界で一番頑張ってるんだから」

だから何も言えなくなってしまう前に、きちんと告げよう。
朔間先輩がどう思ってるかとか、周りがどうとかなんて知らない。私はこう思っているんだと声を上げよう。
助けて、なんて悲鳴ではなく目一杯の賞賛を。

「……ん。最強の魔眼を持つ『魔王』の朔間零ちゃんだからな〜?……そんな俺に見惚れて涙が出てきちまったか。よしよし、特別に胸を貸してやる」
「貸してください。……でも松葉杖が邪魔すぎて、頭突きするみたいになっちゃうからいやだな……。もう、すごい邪魔、こんなのいらない……」
「こらこら、歩行の支えを捨てるなよ。……仕方ね〜な。ほら、鹿矢」

名前を呼ばれると同時に、ぎゅう、と全身を覆うほどのぬくもりに包まれる。
宥めるみたいに、あやされるように撫でてくれる手が温かい。いつまでもそうしていて欲しいと望んでしまいそうになる。
名前を呼んでくれる声が優しくて、離れていってほしくない。

――頑張ったんだよ。
何もできなかったけど。
何もなせなかったけど。

後悔や無力感はずっと残るのだろう。
私の首を吊るための縄となるのだろう。
明日どころかずっと囚われるのかもしれない。
だとしても。たったひとりでも、悪でしかない、功績のひとつも無い道筋を肯定してくれたんだ。

それだけで、私は果報者だ。




***



「……おや」

赤に染め上げられた風景の中に、友の姿を見る。
出会った頃に比べれば雰囲気も変わって、すっかり老けこんでしまった様子だけれど。

紅葉に塗れながら『恋人』を抱擁する姿こそ、想像もしておらず。
あの『魔王』が。ひとを愛し空を駆ける友が、たったひとりをその身に抱いているのだ。
――恋慕であれ庇護欲であれ、微笑ましく尊いものに違いはない。

「…………美しい光景ですねぇ」

視線が合うのは時間の問題だろうからその瞬間まで。少しの間、過ぎゆく青春の一幕に想いを馳せていよう。




BACK
HOME