#31.5




「鹿矢は兄者たちと心中する気なんだよ」
「……心中って」
「もちろん本当の意味じゃないよ。比喩的なもの」

レッスンの休憩中に突然そんなことを言うものだから、思わず言葉を溢してしまう。
ついこの間まで――怪我をするまで。妻瀬は俺たちがレッスンをしている隅っこで事務作業に奔走していた。
そんな彼女と少しずつ仲を深めていたらしいくまくんは、寂しげな表情で夕焼けをぼんやりと眺めている。

「……気になるなら会いに行けば?」
「そういうセッちゃんこそ。いちどお見舞いに行ったきり、会ってないでしょ」
「…………それは、そうだけど」

『Knights』は下降続きだ。
妻瀬が怪我をしてからはとくに不調に拍車がかかったみたいに、俺とれおくんの歯車も一層噛み合わなくなった。
今日だってれおくんは姿を現さないし。勝てないし。もどかしさが焦燥感を余計に刺激して、何もかもが上手くいかない。

あいつが居なくても大丈夫だと思っていた。
でも実際妻瀬は雑務を請け負ってくれていたし、外部の仕事も繋いでくれていた。
何より俺とれおくんの口論を仲裁する役割を担っていたから、影響がないはずがなかったんだ。

大口を叩いた手前、醜態を晒すことはしたくなくて彼女から距離をとっている自覚はある。
『Knights』はこの程度だった、なんて思われたくなくて。
意地のようなものが邪魔をして――事務仕事なら出来るという手伝いの申し入れさえ断った。

「……落ち着いたらね」

自分に言い聞かせるみたいに呟く。
返事のような静かな寝息に、ため息を吐いた。



***



――翌日。
噂をすれば何とやらで、雑踏の中に居るはずのない姿を見て目を疑った。
呼び止めるように溢れ出た声は彼女に届くに不十分な大きさだったと思う。
けれどなぜか妻瀬はそんな小さな声を拾い上げて、視界に俺を映した。

入院していた時よりは覇気の戻った様子でほんの少しだけ安堵したけれど、松葉杖をついて歩むさまは痛々しい。
傷を負った友人を見るのはもう懲り懲りだ。

「退院したのはくまくんから聞いた。……忙しくて顔を見せられなかったのは悪かったと思うけど、休学中のあんたがどうして此処に居るの」
「ドリフェスを観に。今日は日々樹くんが出るから」

妻瀬は夏頃から生徒会の依頼で『五奇人』のサポートをしている。
学院中のヘイトを買っている彼らのそばにいた彼女は誹謗中傷の餌食だ。本人の知らないところでもそれはたっぷりと。
ほら、今だって――ぼそぼそと陰口を叩かれているし。嫌な視線を浴びている。

「『五奇人』のサポート、休学しても押し付けられてるわけ?」
「違うよ、私が勝手にしてるだけ」

それをものともせず、というか、恐らく気にすることを放棄して妻瀬は否定の言葉を並べる。
心配しているひとが居ることくらい分かっているはずなのに、一人で歩いているみたいに俺を見据える姿は気に食わない。

「本当に自分勝手だよねぇ。俺は治療に専念して、って言ったはずだけど」
「ごめん、」
「くまくんも……れおくんだって心配してた。それなのに無理して這い出てきちゃってさぁ。妻瀬は『Knights』じゃなくて『五奇人』の味方なの?」

それは八つ当たりのようなもので。
我ながら意地の悪い問いかけをしたと思う。
これまで妻瀬は何があっても『Knights』を優先してきたから、答えは聞くまでもないだろう。
「そうじゃない」の一言が聞きたくて、言葉を吐いた。

「私個人の案件に『Knights』は関係ないよ」

けれど。彼女は否定も肯定も無い想定外の返答をするから、一瞬、息ができなくなる。

妻瀬の言い分は間違いではない。
『広報』は『Knights』とイコールではないし、ましてや彼女はメンバーですらない。
一緒にいるから“そう”見えるだけで、何の縛りもない関係だ。

俺は『Knights』だけが妻瀬の居られる場所なんだって思い込んでいたから。
自分の知らぬ間に『Knights』以外のものが、彼女にとって大きな存在になっていたことが堪らなく嫌だった。
『五奇人』の朔間とは噂をされる程度には仲が良かったみたいだし、お人好しな性格もあるのだろう。
色んな要因を飲み込んで、妻瀬は自分が傷つく原因になった『五奇人』に情を寄せている。

勝手に押し付けられた立場に責任感やら情けやらを感じちゃってさぁ。
それって身体を労るよりも大切なものなの。
『Knights』にはそこまでして関わろうとしないくせに。ああ――イライラする。

「そもそも。『五奇人』相手に雑用以外で妻瀬が何をできるって言うわけ?怪我してるんだから満足に動けないだろうし、居るだけ邪魔で時間の無駄でしょ」
「…………勝手にしてることなの。瀬名にとやかく言われる筋合いはない」
「はぁ?俺はあんたのこと心配して、」
「じゃあ言い方を変えて。邪魔とか無駄とか、喧嘩を売られてるとしか思えないんだけど」

珍しく一丁前に睨みつけて噛みついてくるものだから、俺も感情のままに言葉をぶつけていく。
いつもは俺とれおくんの口論を仲裁する側だったのにね。
まあ――こいつも宥めるだけじゃなくて意見を言えるのだと感心したけれど。

段々、離れていく心地だ。
ううん、自分から距離を取っていたのだから向こうから同じことをされて当たり前。
気がつかないうちに、互いが見えないところまで来てしまったんだ。



***



結果的に。俺は妻瀬を引き止めることは出来ずに、彼女を置いて立ち去った。
初めから止めるつもりだったのかと言われると分からないけど、くまくんの言う『心中』が気に食わなかったことは確かで。
本当は止めたかったのかもしれない。
勝手に死ぬなら勝手に死ぬで、俺の知ったことではないのに。
――『Knights』は関係無いらしいし。

“今日が終わったら”と彼女は言った。
つまり今日限りで一度死ぬということだ。
比喩だとしても、苦しむことに変わりはない。
避けられるはずなのに、観なければ済む話なのに、自ら死地へ飛び込んでいくような彼女の性質はそれこそ死んでも変わらないんじゃないかと思う。

“身内みたいに言ってくれてありがとう”、ってなに。身内みたいに俺たちの世話を焼いてくれてたのはあんたでしょ。

『五奇人』のサポートで散々叩かれてきたかもしれないけど、もう一年前の、批判のひとつで閉じ籠ってしまうような弱いあんたじゃないんだから。
実力も経験も比にならないくらいついただろうし、今更俺たちにこだわる理由なんてないだろう。

れおくんの音楽を聴いて目を輝かせた妻瀬の表情を思い出す。
初めて美しいものを見たみたいに、救われたみたいに涙を溢した彼女を見たあの日。
こいつは俺たちじゃないとダメだなんて確信のようなものすら感じて、手を引いた。
それからはずっと一緒に居たから、どんな厳しい言葉も糧にしてきたから、きっと何があっても離れないのだろうと思っていた。

『チェス』ですら捨てて『Knights』を選んだのだ。まあ、拾ったのは俺なんだから当然だけど――そんな理由もあって、俺たちだけの味方でいるのだろうと勝手に思い込んでいた。
その結果がこれだから笑えない。

「……追いかけるとか、正気じゃないでしょ」

『Knights』以外に大切なものをつくっておきながら。戻ってくるのだと妻瀬は言った。
散々憎まれ口を叩いて、暗に「待たない」と言っても追いかけると言いのけてしまうから、心のどこかで期待してしまう。

『明日』が来ることを。妻瀬がさっさと死ぬことを望んでいるなんて、馬鹿みたいだけど。




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