#32




機材を背負って、人目を避けて。
薄い雲に覆われたハッキリしない色の空の下に居場所を見つける。

そこには先客の彼が佇んでいて、息を呑む。
べつに会う約束なんてしていなかったのに。

見慣れた景色に見慣れるべき姿なはずなのだけれど、海外を飛び回っていたせいか、『校舎』と『朔間零』という光景には珍しさを感じる。……でも、いつものようにどこかへ行ってしまいそうな気配は全くなくて。
直感でしかないが、先輩は学院に戻ってきたのだと思った。

「おかえりなさい、朔間先輩」
「……ただいま。鹿矢」

海外に戻ったんじゃないんですかなんて台詞は無粋だろう。
昨日顔を合わせた日々樹くんにもそう言っていたし、私と同じく彼のステージを見に来たのだ。

漆黒の髪が靡いているさまは美しい。
疲労を押し殺して笑っているさまは目を逸らしたくなる。
そもそも誰も居ない場所を探していたつもりだったけれど、先輩が居たことを嬉しく思うなんて、結局はひとりで居たくなかったらしい。

「昨日の今日だ。今度こそ家にいろって気持ちでもあるけど。そりゃあ、来るよな」
「あはは、観てろって言われましたから」

笑ってみせたつもりがどうやら上手く出来なかったようで、先輩は表情を曇らせる。

「……鹿矢。何かあったか」
「ごめんなさい、大丈夫です」
「ったく、誤魔化すの下手になったな」

正直なところ、今日は朔間先輩に会うだろうこととか、ドリフェスを観ることしか頭になくて――多少の覚悟はあったものの、瀬名との言い合いで気力を削られてしまった。
これまで一度の衝突もしてこなかった瀬名を相手に放ってしまった言葉は、謝罪をしたところで無くなるものではない。心の底で、ぐちゃぐちゃと蠢いている。
慣れないことをするものじゃないというか。
思っているよりもずっと、私は弱くなってしまったみたいだ。近頃、そんなことばかりを痛感する。

昨日から感情は漏れっぱなしらしい。
無理するなよ、と言う先輩に軽く相槌を打つと、聞いてねえだろと頬をつねられた。

「俺としてはもう十分だと思うけどさ。……今以上に強がる理由があるのかよ」
「……理想には程遠いですから」
「……そうか。程々にな」
「はい」

人通りのあまり無い校舎の裏で二人きり。
決して長くはない余命を消費している。

もうすぐ『fine』と日々樹くんの舞台が幕を開ける。
天祥院の台詞から考えるに五奇人討伐の最後のステージなのだろう。
……逆先くんが頑張っていることを知りながら、終わるのだろうと思っている。
彼のシナリオがどこまで通用するのかも分からないが、どちらにせよ一区切りつくのは明白だ。

「朔間先輩」

ならば。返すのは今しかないのだろうと思う。
私が今どんなものを抱えていようと、関係のないことだ。

彼の名を呼ぶと、優しげな表情が私を捉える。
何を言おうか分かっているみたいな目をするから、言葉を飲み込んでしまいそうになる。
だから、煩悩を追い払うように目を瞑って。
走馬灯のように思い出を巡らせて、口を開く。

「……『恋人』の肩書き、お返ししますね」

『朔間零の女』を、返さなければ。
これ以上先輩の負担にならないように、守るべき存在から外れなければ。

『五奇人』が討伐されたところで、『朔間零の女』である限り守ってくれるのだろう。
無敵の盾を携え続けることができるのだろう。
夢ノ咲学院で生きていくのに、そういう“強さ”を持っていられるのはとても幸運なことで――先輩に拒絶されていない今、返すことは自分を危険に晒す行為そのもので。
けれど、恩人の屍までもを盾にすることは、恩を仇で返す行為に等しい。

忠告をしてくれたあの夜。疲れ切った色を見せた朔間先輩を見たときから、返さなければならないと分かっていた。
私は今日、断頭台に立つ。
自惚れも甚だしいが、先輩は優しいから。私の死すらも背負いかねない。……そんなもの、背負わなくたっていいもので。

天祥院の言う『生贄』のような方法で守ることはできないけれど、私にはたった一つだけ“出来ること”が残されていたのだ。

「今まで守ってくださって、ありがとうございました」

自分だけでも生きていけるように強くならなければならない。
――誰かの脛を齧って生きているような弱い私は、『Knights』を追いかける資格もない。

「……もう要らなくなっちまったか?」
「違います。私なりのけじめです」

まっすぐ向き合って言葉を紡ぐ。
私の言葉に朔間先輩は「そうかよ」と笑って、でもほんの少しだけ寂しそうに目を伏せた。

「鹿矢らしいな、そういうところ。“まじめ”なのは出会った頃と変わらね〜っていうか」
「褒めてるんですか」
「褒めてね〜よ。馬鹿」

褒めてないと言うくせに、朔間先輩は私を褒める時と同じように頭をわしゃわしゃと撫でる。
いつもより乱暴に感じるのは、自分勝手な発言で不快にさせてしまったからかもしれない――と、一瞬思ったけど。
寂しさだとかそういうものを含んだ声色だったから、嬉しく感じてしまう。先輩を傷つけているのに気持ちが悪い。

「……貰ったものを全部返せただなんて思ってないですから、私に出来ることがあったら言ってください。動けることならしますから」
「へぇ。……じゃあもう一度『朔間零の女』になれって言ったらなるのかよ?」
「そ、それは……先輩にメリットが無いから」
「なんだよそれ」

生意気だな、と笑って朔間先輩の手は離れていく。
思考のすべてを振り払って、私はどうにか髪を直していく。

「……行ってください。日々樹くんと話す時間無くなっちゃいますよ」
「鹿矢は?」
「可能な限りダッシュで向かいます」
「危ねえ真似はするなよ」
「分かってますよ」

私の言葉を受け取って、先輩は背を向ける。
距離が離れていく。
寂しくて、心細い。近かったひとが離れていくのは悲しい。自分から、離したのだけれど。

「(……近かったとか。調子に乗るなよ)」

地下のライブハウスで思い知ったはずだ。遠く及ばない、星みたいな存在だって。
でも――近くにいることを許されてしまったから、彼の大切なもののちょっとだけ上のほうに居させてもらえたから。

彼の姿を見ると、心の底から安心した。
優しくしてもらえることが心地良かった。
イヤなことばかり降りかかる世界のなかで、いつもヒーローみたいに助けてくれて。会えばお決まりのように撫でてくれて、嬉しかった。

せめて間違っていないと良い。
この自己満足の塊せんたくがいつか朔間先輩にとって良かった、って。今は寂しく思っても、いつかそう感じてもらえるものになればいい。

私はきっと朔間先輩の死因のひとつに刻まれるのだろう。
愛かどうかは分からないけれど。愛のような刃をかざして、何よりもなりたくなかったそれになることを最善としたのだ。
ずっと背負わせるよりはマシというだけ。

私はまたひとつ、罪を背負う。





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