#33




今日という日を最後に五奇人は討伐される。
悪辣の魔物たちは秩序なる天使によって裁かれて、物語から退場させられる。
本当の戦争でもないのに。
本当に死ぬわけじゃないのに。
それでも怖いものは怖いし、正直しんどい。

大切なひとたちの夢やら活力が剥ぎ取られて、摩耗していくさまは生き地獄のようだった。
傷だらけの魔物や怪物の体躯も、血塗れの天使の羽根も。騎士の血反吐も、名も無き民らの屍すらも糧として世界は明日を積み上げていく。
真っ暗闇の奈落の底みたいに見えない明日はすぐそこまで来ている。こちらをじい、と見つめて手招きをしている。

――なんて地獄。なんて祝福。
死してなお明日を迎えられるのは祝福以外の何でもない。

神様が一度世界を作り直すわけでもない、ただ延長上の明日には、すべてが意味のあるものとして描かれる。
もう小さな子どもではないのだから、犠牲が生じることにいちいち悲しんではいられない。

でも。たとえそうだとしても、イヤだった。
正義とか大義とかそういうものがあるのだとしても、大切なものが傷つけられることは堪らなく許し難かった。

これが、最後。
この終わりを無かったことにしてはいけない。
そうだ。残さなくては、ならない。
無かったことになんて、絶対にしてはいけない。
だから――私はただ観ている。

シャッターを切り終えた私の手元には、いずれ破棄されてしまうだろうデータが眠っている。
無かったことになるのだろう。
意味のないことなのだろう。……まあ、もうそれでも良い。誰に頼まれたわけでもない、自己満足で撮ったものだし。

処刑人が不在の断頭台は一人きりで寂しい。
最期に見る景色がアイドルのステージであるのは幸せなことかもしれないけど――『fine』のパフォーマンスはお世辞にも素晴らしいと言えるものではなくて、個々の力だけで保たれているようなものだった。
揺れる純白は不規律で、歪だ。

「(ああ、私はこの景色を――それでも綺麗だなんて思っちゃうんだ)」

頑張れ、と思う自分がいる。
彼らの心情を思ってのことではない。
のし上がってきたのなら、何もかもを犠牲にしてきたのだから、最後までやり遂げて欲しいというだけ。

ステージを舞う天祥院と目が合って。
私は嘲笑でも愚弄でもない、ただ「観ている」という視線を贈る。
――天祥院は知らないだろうけど、私もアイドルが好きなんだよ。
だからどんなに憎い天祥院の歌だって、必死な声色をしているのにカッコいいと思えてしまうし、良いレクイエムを貰った気分。

ひとりだから、勿論自分で自分の首に斧を振りかざすことは出来ない。
思いつく方法で言えばナイフで脈を切るとか、どこかに縄をくくりつけて首を吊るとか。
ぜんぶ、自分で。最期までひとりで済ませる。
何なら今はその真っ最中で。

たとえばこんな自殺劇を五奇人との『心中』と呼ぶひとがいるのなら訂正して欲しい。
この通り私は勝手に、ひとりきりで死ぬのだから。



***



客入りはもちろん上々らしい。
既に席はそこそこ埋まっていて、朔間先輩や逆先くんも見守るように座っている。
すぐ隣に斎宮や深海くんの姿もあるので、五奇人の勢揃いである。
かなり目立っているのは言うまでもないが。

一瞬だけ逆先くんと目が合ったけれど、バツが悪そうに顔を逸らされてしまったので、恐らく日々樹くんは彼の案を拒んだのだろう。
ステージに立っている日々樹くんの表情はどこか涼やかなので、渡せなかったとか間に合わなかったという訳ではないのだと思う。
少なからず協力していた私に合わせる顔がないということなら、今日が終わりだと思っていた私も彼に合わせる顔がない。

煌びやかに飾られたステージは天国のようだ。
知らず知らずのうちに召されてしまった後に見る情景みたいで、浮世離れした清廉さに包まれている。

だというのに、会場の雰囲気は五奇人討伐ということもあり――【海神戦】と似て物々しさを拭えず、所々から暴言が聞こえてくる。
本当に、情報に踊らされているとはいえ、どうしたらそこまで五奇人を憎むことができるのだろうか。
天才を妬む理由は分かるけど、レッスンやアイドル活動を真面目にやってこなかったくせにどの口が言うのかって話だ。
己の立場に危機感の一つも感じずに遊び呆けていたくせに。

「(制度が敷かれたおかげで、生存本能を刺激されて……多少の危機感は持ったんだろうけど。それすらも良いように使われて。……天祥院が何枚も上手だっただけなの?違うでしょ)」

それこそ全部を彼のせいにするなと思う。
大きな流れに乗るだけの考えなしたちが、正義とか秩序のような大義にふらついて。“それっぽく”振舞っちゃって。心底胸糞悪い。

……たぶん、私が一番気に食わなかったのは天祥院じゃない。“大衆”そのものだ。
中身は違えどそういう大衆相手にアイドルの輝きを知らせるのが、私の役割なのに。

「鹿矢!」
「っ、?」

雑音の中から唐突に、聞こえるはずのない声が私の名前を呼んだので顔を上げる。
視界に飛び込んできた巴は私を目指して一直線に駆けてくる。
ステージ脇から出てきたのだろうか。もうすぐ開演時間だというのに、何の迷いもない表情でこちらに近づいてくるものだから呆気に取られてしまう。

「遅かったね。大丈夫だった?やっぱり迎えを寄越したほうがよかったね?」
「ご、ごめんごめん、歩くの遅くてギリギリになっちゃって。……っていうか大丈夫なの?もう出番じゃないの」
「ああ、それは心配無用だね。きちんとステージには上がるつもりだから」
「そ、そう……」

『fine』が通路にやってきたというだけで注目を浴びているので気恥ずかしい思いもあるけれど。
どうやら彼はアイドルとしてではなく友人として会いに来てくれたようなので、いつも通り接するべきだろう。

「話してた子は、一緒じゃないんだね」
「……うん。さっきは助けてくれてありがと」
「……きみが辛そうな顔をしていたからね。助けるのは当然だね」

巴は私の頬に触れて、困ったように笑う。
ふと、天祥院の言っていた――巴との出会いが仕組まれていたということを思い出す。
そうすぐには割り切れないのが正直なところだ。どこからどこまで、なんて明確には分からないし。
全部が全部嘘ではないのだろうけど。

「(……でも、きつそう)」

『fine』は異常なほどの熱量を注がれている。
アイドルというよりも、正義の――秩序の象徴であるものに対する狂気的な信奉、もしくは「悪」を罰する快楽に溺れているようなもので。それらを浴びて正気でいられるはずがない。

トレードマークの笑顔でさえうまく浮かべられないほどに、辛いのだろう。
頬に添えられた指に触れて、目を合わせる。
……辛そうな顔をしているのなら、私だって助けたい。
どんな経緯があったとしても『fine』である前に巴は友人だ。大切だと、思っている。

「日和」

呼び慣れない呼称はやっぱりむず痒いけど――でもこれで少しは気が紛れるだろう。
“彼”をきちんと観ているひとがいるのだと、分かるだろう。
見開かれた薄紫色の瞳には私だけが映っている。

「ちゃんと観てるよ」
「……あはは。鹿矢には敵わないね」

ステージに立つ理由がなんであれ、席に座っているのがどんな観客であれ、巴はアイドルだ。
逃げないと決めたのは彼自身で、衣装を纏って控えているのがその証拠。
虚勢だとしても否定はしたくない。
自分のされたくないことを他人にするのは違うだろうし。大丈夫かと問いかけたところで返ってくる言葉も想像がつくし。

「……驚いた?」
「不意打ちを喰らったようなものなんだから驚きもするね。……まあ、おかげで少し気が晴れたね」

言葉の通り、ほんの少しだけいつもの調子を取り戻したように、彼は笑ってみせた。
強がりなのだろうけど、それに応えるように私も笑ってみせる。

「ありがとう。鹿矢、いってくるね」
「うん。いってらっしゃい」

ふわりと薄黄色の髪を揺らす彼を見送って、席に着く。
……私の言葉は麻酔のようなもので、一時的に痛みから目を逸らすことができるだけのものだ。巴の心理的負担が減るわけではない。
本当なら、これ以上傷を負う必要はないのだと引き止めるべきだったのだと思う。

終わっていく。
純白の衣装がステージへ消えていく。
「行かないで」とか、そんな無責任な言葉を口にできるわけがなかった。
映画のヒロインみたいに引き留めてなんだかんだで誰もが救われてハッピーエンド。なんて茶番劇、この世界は許してくれそうにないし。

――だってそんな無茶が叶うなら。
華麗に音響機器を復旧させて斎宮たちを助けることも、朔間先輩の最強お助けキャラとして世界を駆けて活躍することも、『チェス』の残党たちを私の力だけで説き伏せて、『Knights』を――瀬名と月永の大切な日常を守ることだってできたはずだ。

すべてを賭して大切なものを守れたのなら、それこそ悪魔に魂を売ってもよかった。
事後処理程度なんかじゃない、過去をやり直せるとか状況を一変させるほどの力があるのなら欲しいに決まっている。
でも、出来なかったんだよ。
あり得ない、空想の話なんだよ。



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