#36



巴が探してくれた美味しいと評判らしいイタリアンのお店は、平日の昼間だというのにずらりと列ができている。
混雑するだろうからと敢えてランチタイムをずらして先に服を見繕ってもらったのだけど。

「並ぶとは聞いていたけど想像以上だね……。鹿矢、立ちっぱなしで待つことになるけれど平気?」
「うん、大丈夫。最後尾行こっか」

聞き耳を立てればどうやら跡継ぎがいないという理由で近いうちに閉店してしまうらしく、常連客がこぞって詰めかけているようだった。
それにしたってすごい行列だ。ざっと数えて十組は待っているようで、列でお腹が鳴らないことを祈るばかりである。

「こんなに惜しまれているんだから後継者が居ないのは本当に不運だったね。お花も沢山贈られているみたいだし」

店舗の入口は色とりどりの花で彩られている。
綺麗だなと思う。このお店が愛されている証拠だ。……こんなに愛されているのに、無くなってしまうのは勿体無い。

窓から見える店長だろう年配の男性はにこにこと笑顔を絶やさず料理を振る舞って、いろんなお客さんに声をかけられては笑い合っている。いかにも“善人”という雰囲気だ。
料理だけでなく彼の人柄もあって長く愛されてきたのだろう、というのは一目で分かった。

「鹿矢、どうしたの?」
「……ああ、ごめん。お店の中見てた。店長さん良い人そうだなーって」
「へぇ。このぼくが隣に居ながら?他の男にうつつを抜かすなんで良い度胸をしてるね」

うつつなんて抜かしていませんが。
不本意な言葉だったので不服です、みたいな視線を送ってやれば巴は表情を歪める。
あ、これはちょっと不味いぞと頭の中で警報音が鳴り響く。
彼の機嫌をこれ以上損ねてしまえば面倒になることは明白だ。

「あの、メニュー。次どうぞ」
「あっ。どうも……」
「ちょっと鹿矢。ぼくの話聞いてる?」

タイミング悪く回ってきたメニューを貰いながら小さくため息を吐く。
今、「何食べようか?」なんて話題を変えたところで話を逸らしていると思われてしまいそうだ。

「聞いてるよ。……ごめんね。今からは巴のことしか見ないから、許して欲しいなーなんて」

こういう台詞がすらっと出てくることに気恥ずかしさを感じながらもぐっと耐えて、巴の様子を伺う。
彼はそれを数秒眺めた末に、それなら許してあげなくもないね、当然のことだけど!と満更でもなさそうに腕を組む。
単純すぎるような気もするけど。とりあえず落ち着いてくれたのなら何よりである。

今なら自然に話題を変えられるだろう、と私はメニューを広げる。

「おすすめのは食べるとして、あと何か気になるのある?」
「……うーん。キッシュは欠かせないね。このお店を選んだ理由の一つでもあるし、ぼくの好物だからね」
「へぇ。そうなんだ、初耳かも」
「知らなかったの?……ああでも、考えてみればぼくたちってお互いのことをよく知らないね?ぼくも鹿矢の好物とか思い当たらないし」

思い返せば巴が持ってきてくれた花の花言葉とか、天気だとか紅葉だとか。看護師さんの間で話題らしい占いとか。見舞いに来てくれる度に話していたのは自分たちのことというよりも、周りの世界の話題がほとんどだった。

彼に興味がないというわけでもなかったが、話題に上がらない以上自分から聞くこともなかったように思う。
巴もとくに気に留めていなかったはずだ。

「なんだか損をしてしまった気分だね。話す時間なら山ほどあったのに」
「時間ならあるよ。たとえば今からとか」

他愛のない話に花を咲かせれば店に入るまでなんてあっという間だろう。
だから早く頼むもの決めちゃおう、と提案すれば巴はそうだね、と目を細めて綺麗に笑ってみせた。

好きな食べ物とか、服の趣味だとか――尋ねればインタビューのように解説付きで答えが返ってくるものだから、改めてこのひとはアイドルなのだと思い知らされる。
彼も彼で私の嗜好やらに興味津々な様子で食いついてきたからお互い様なのかもしれないが、知らないことを知れるというのはやっぱり楽しい。
同じクオリティでの回答は出来なかったと思うけど、喜んでくれたようなので良しとしよう。

言葉に出来る時間は限られているから、多くを聞いたとしてもそのひとの一割も知ることは出来ないのだろう。
なのに少しでも空白を埋めれば本人そのものを知った気になって、周りより優位に立ったみたいに思えて。特別な立ち位置にいるみたいに錯覚する。
実際の距離は変わらないのに。
情報量を増やすことで心だけが寄っていくなんて、考えてみれば面白い感覚だ。

アイドルであることも広報であることもなかったみたいに、私たちは日常の風景の一部に溶けている。
道の向こうのショーウィンドウに映っているのは紛れもなく私と巴だ。
夢ノ咲学院で息をして肩書きを背負っていた私たちは、そこから飛び出して隣り合っている。制服すらも纏わずに。

「なぁに、また目移りしてたの?」
「ち、違うよ。向こうに映ってる巴を見てたの」

これなら文句は言われまい、と自信満々に告げると巴はふるふると首を振ってため息を吐く。
映し出された先の自分ですらもアウトらしい。

「いい?鹿矢は特等席に居るんだからね。せっかく目の前にぼくがいるんだから、それを堪能しないと勿体無いね!」

――なるほど、巴は自分本体以外に目移りされるのが嫌なのだ。独占欲の権化か。
それが自分に向けられていると思うと、多少のむず痒さはあるものの悪い気はしないが。

「ほら。きちんとぼくだけを見ていて?」
「……近い近い。じゅうぶん見えてるから!」

松葉杖をついている私を引き寄せるわけにもいかないからか、巴はずいっと顔を寄せて満面の笑みを輝かせている。
恥ずかしいので他人のフリをしたい。後ろに並んでいる老夫婦に微笑ましい視線を向けられているので、時すでに遅しとも思うけど。

巴が似合うと言って選んでくれた秋物のワンピースは、風に揺られてひらひらと波打っている。
着慣れない生地は少しくすぐったいけれど、暖かくて心地が良い。



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