#XX




雪が降って、降って、外は真っ白で。
吐く息も真っ白で、世界が白の絵の具で塗りたくられたみたいだ。

嘲笑うみたいに強い風が吹く。
盾にした傘は容易に壊されてしまって、追われるように校舎へ逃げ込む。
全身に降りかかった雪は身体を冷やしていく。
軽く吹雪かれただけなのに。早く拭かなければ風邪を引いてしまいそうだ。

「……鹿矢?」

静かな廊下に声が響く。
振り向けば、久しく顔を合わせていなかった友人の姿が見えた。
闇の中でも赤く光る瞳は私を捉えている。
私は彼の名を呼ぶ。



***



「凛月くん」

秋の夜の日から顔を合わせていなかった彼女は、まるで数日ぶりに会うかのようにひょっこりと現れた。
そういえば、もうすぐ復学するのだとメールで連絡をくれていた気がする。
歩行を支えていた松葉杖は見当たらない。

無残な姿になれ果てた傘と水滴に塗れた顔を見て、彼女の置かれている状況を察する。
廊下よりはマシだろうと空き教室に押し込んで、濡れてしまった頭や顔をタオルで拭いてやれば、ありがとう、と申し訳なさそうに声を溢した。

「久しぶり。元気だった?」
「鹿矢こそ。……突然どうしたの。もう復学したってわけでもないよねぇ」
「今日は書類出しにきたの。来週から戻る予定だよ」

鹿矢は数ヶ月前と変わらない、まるで怪我の一つもなかったような笑顔を被っている。
……ううん。そう、見せたいだけで。
もちろん、足は治ったのだろうけど。
俺の言葉に応えられないと謝って、戦場に赴いた彼女は『Knights』や兄者たちのように傷だらけだ。

そのくせに、休息もせず『Knights』に仕事を回していたことを知っている。
セッちゃんは知っていて何も言わなかったのだろうけど、現場に来ていたらしいという話は何度も聞いたし、直接顔を合わせることはなかったが彼女の影はいつもそばにあった。
“次回”の話も度々取り付けてくれていたようで、俺たちは苦しい状況ながらもまずまずの忙しさを保てている。

裏から手を回す上手さとかは恩人と仰ぐ兄者譲りというか、真似っこをしているみたいであまり良い気持ちはしないけれど――休学中で、表立って動くことのできなかった彼女なりに『Knights』を支えたかったのだろう。

「……たくさん心配かけてごめん。これからはきちんと『Knights』の味方でいるから」
「鹿矢は『Knights』の味方でしょ。今も昔も、ずっと」

いつの間にか終息した“噂”だとか。
消息を絶った『fine』の“あいつ”とか。
彼女を囲っていたものは、ある日を境に音も立てずに消えていった。
或いは手放した、というのが近いのかもしれない。……前者は、片方の反応を見るに鹿矢から離したようだったし。

俺の言葉に鹿矢はバツの悪そうな顔をして、自虐めいた言葉を吐く。

「ずっとは味方でいられなかったよ、私」
「味方だったよ。対象を増やしただけで、無くしたわけじゃない。……少なくとも俺は知ってる。わざわざ宣言しなくても大丈夫だから、」

今度こそどこにも行かないで、と続くはずだった言葉は肩に倒れ込んできた彼女によって塞がれてしまった。
呆気に取られている俺を見上げて、鹿矢は悪戯っぽく笑ってみせる。

「あはは、不意打ち」
「なんなの急に。ひとがせっかく真面目に話してたのに〜……」

押し返してやろうと触れれば微かに震えていて、拒絶反応にも似たそれは感情をぐちゃぐちゃにしていく。
……嘘でも笑っていなければ誤魔化せないほどに感情の置き場を見失っていて、赦しの言葉のひとつも受け入れられないなんて。そんなのあんまりだ。

「鹿矢」

名前を呼べば、びくりと肩を揺らす。
反射的に下を向いてしまった彼女がどんな表情を浮かべているのかは分からない。

「そんなに頑張らなくたってよかったんだよ。誰も鹿矢のことを責めたりしなかったのに」
「……責められる理由はたくさんあるよ。それに、頑張れてたのかも正直分からない。……自分勝手に消耗しただけだと思う」

――ああ。だから。
頑張れなんて言ってやりたくなかった。
背中を押してなんかやらなかった。
抱えきれなくなって『捨てる』選択をした末に、どうなるかなんて予想できたから。
捨てたものすら抱え込んで、潰れてしまうことくらい分かっていた。

「でも、もう大丈夫だよ」

嘘つき。
大丈夫なら、笑って顔を上げるはずでしょ。
いつもみたいに――安心させるみたいに貼り付けたそれを向けるはずだ。

ねぇ、どうして俺には見せてくれないの。
どうして顔を上げてくれないの。
“あいつ”には弱いところを見せたくせに。泣き顔を見せたくせに。縋ったくせに。

「(……なんて言って、俺が追い討ちをかけるわけにもいかないよねぇ。せっかく言葉だけは強がれてるんだから)」

鹿矢は自分の在りたいものでいるために、誰の迎えもなく此処までひとりで歩いてきたのだ。手を引けなかったことを後悔してももう遅い。
なら、せめて。どうせ素直に迎え入れないセッちゃんの分も含めて言葉のひとつでもかけるべきだ。

ぽん、ぽん、と頭を撫でて、頑なに顔を上げない彼女をゆっくり抱きしめてやる。
外気に晒されていたせいか身体はまだ若干の冷たさを纏っている。

「……今まで黙ってたけど、俺は鹿矢を甘やかす係なの。だから鹿矢が居ないとぐうたらになっちゃうんだよねぇ」
「……。嘘だ……、」
「嘘じゃないよ、今も甘やかしてるでしょ。俺をぐうたらにしなくて済んだんだから、鹿矢の功績は大きいよ」

窓の外は雪で真っ白で何も見えない。
泣きじゃくるように風は雪を乱暴に運んでいく。

鹿矢の大好きだった『Knights』は砕けて散ってしまった。
なのにわざわざ戻ってくるなんて、鹿矢は本当に物好きで、救いがなくて、可哀想。

「……おかえり。鹿矢」

僅かな温もりを拾うように、頬を寄せた。



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