#14




「おーい、鹿矢」
「……?」
「起きろ〜。寝る子は育つって言うけどな〜?もう夜だぞ」

むくり、身体を起こすと目の前に広がるのはガーデンテラスの風景。
辺りは人の気配が一切なく、しんと静まり返っている。
隣で作曲をしていたらしい月永は私と目をあわせて、ぐっすりだったな〜?と笑った。

「……いまなんじ……?」
「んー九時くらい?おれもよくわかんないけど!」

わからないんかい、なんて思いながらぐぐっと背伸びをする。
寝起きにしてはやけに意識がはっきりしているのだが、感覚だけがイマイチない。そういえばいつから寝てたんだっけ。

「♪〜♪〜♪」

私を起こしたかと思ったら。
偉大なる月永先生は隣で作曲を始めていた。
起こした張本人でしょうが。放っておくんだったら起こさなくてよかったんじゃないか。

ぼやぼやと雲がかかっている月が空にひとりきりでいる。
そういえば今は、いつだっけ。

「鹿矢」
「わっ!な、なに」
「険しい顔してるな。セナになんか意地悪されたか?」
「……うん?そんなことないよ」
「それともレイと喧嘩でもしたか?最近仲良いみたいだし……」
「え、最近?」

仲が良いと言うのなら去年のほうがそうだったでしょ、なんて思いながら月永を睨んでやれば、きょとん、と何も間違ったことを言ってないぞみたいな表情を浮かべている。

じっと見つめ合うこと、数秒。
意識は覚醒していく。
――ああ。ネクタイの色、青色だ。

「……あはは、喧嘩する時間もないよ。朔間先輩、また海外だもん」
「そうなのか?じゃあ鹿矢はレイが居なくて寂しいんだな!よしよし、おれが慰めてやろう……♪」
「さ、寂しくなんてないよー」

私の頭を撫でている手の感覚は、あるようでない。夢である証拠だ。

「よし、今日はもう帰るか。鹿矢も起きたし、【チェックメイト】まで時間もないし」
「……帰るの?」
「……鹿矢は帰りたくないのか?」

憂いを帯びた笑みでそう言うものだから、つい引き留めてしまいたくなる。
夢なのに。
……ううん、夢であるのなら。どうにもならなかった現実のやり直しを少しだけ期待してしまう。
この後どうすれば“最悪”を回避できるのだろう、とか。そんな無駄なことばかり。

「……帰ろっか」

ふわふわ、ふわふわ、歩いているのに感覚のない奇妙な浮遊感。

これは、きっと、目が醒めたら忘れてしまう夢なんだろうなとなんとなく分かった。イヤだなぁ。忘れたくないな。

鼻歌を歌いながら月永は歩いていく。
でも、徐々に、徐々に距離は離れていく。
私はそれを必死に追いかけて、その曲なんていうのって聞いて。

「そうだな――」

タイトルを聞く前に、ぶつんとコンセントを抜かれたみたいに。
唐突に、夢は終わりを告げた。




***



「鹿矢」
「…………凛月」
「大丈夫?魘されてたよ」
「う、うん。大丈夫……」

心臓がどくどくとうるさく鳴っている。
どうやら本当に魘されていたようで、無意識に握っていた手のひらは汗だくで気持ちが悪い。
チクタクと音を立てる秒針の音がはっきりと聞こえるくらい神経が研ぎ澄まされている。

「夢を見てた気がするんだけど。…………起きたら忘れちゃった」
「ふぅん……?忘れて良かったんじゃない。もしかしたら悪夢だったかも」

悪夢を見ていた心地ではないのだが、残滓すら無い夢はどれだけ記憶を辿っても思い出すことができない。

「一理あるかも。あー、全然寝た気がしない」
「俺のピアノ聴きながら寝るなんて贅沢なことしておいて失礼なやつ〜……。罰としてジュース買ってきてよ、鹿矢」
「はーい……」

どうやら私は凛月の演奏を聴きながら寝こけてしまっていたらしい。
悪いことをしちゃったなあ、なんて思いながら音楽室を出て、ふらふらと夜の廊下を歩いていく。

ふと窓の外を見ると雲がかかっているせいか月の姿は薄っすらとしか見えない。
どこかで見た風景のような気もするけど、こんなのいくらでも見てきたものだし既視感を覚えるのも当然だろう。

腕時計の短針は、九を指している。



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