#16




新学期になっても大して何かが変わるということはないと思っていたのだけれど。
掲示板の隅にひっそりと貼られた通知に、目を疑った。

「……無くなるんだって?『広報準備室』」
「うん。そうらしいよ」

さらさらと日誌を書きながら他人事みたいに渇いた台詞を吐いた妻瀬は、良くも悪くも“いつも通り”で。
当事者なのだから勿論掲示されるよりも前に知らされていたのだろうけど、それにしては動揺のひとつも見せなかったように思う。
本気で気にしていないというのなら大した神経の持ち主だ。

「らしい、って。あんたのことでしょ」
「だって私が卒業してからの話だし。余命はまだまだあるから、あんまり実感はないかな」

隣の席に座ったところで妻瀬の視線はこちらを向かない。
実感がない、というのは本当だろう。
卒業後に廃止になるというだけで、明日にも居場所がなくなるわけでも、目の前の仕事が消えるわけでもないのだから。

……でも、それとこれとは話が別でしょ。
言ってしまえば曲がりなりにも『広報』として踏ん張ってきたものが否定されたのだ。自分だったらと思うと、考えたくもない。

「……平気なの?」
「なーに、心配してくれてるの?嬉しいなぁ。今日は赤飯だね」
「ったく。調子に乗るな」
「いったぁ」

緩い表情で茶化すものだから小突いてやれば、妻瀬はむっと眉を顰めて、やる気無くしたから続きは瀬名が書いてねと書きかけの日誌とシャープペンを俺に押し付けて、窓の外へ視線をやる。

夕方になりきれない空は未だ青を保っている。
ありきたりな風景を眺めながら、妻瀬は静かに声を溢した。

「…………そりゃあ煮え切らない部分もあるけど、昨日の今日知ったわけでもないし。気持ちの整理はいくらかついたよ」
「……そんなに前から知らされてたわけ?」
「ちょっとだけ前にね。冬の終わりくらいだったかな……。突然呼び出されて、はい、って感じで」

てっきり退学処分にでもなるのかと思った、と声色だけは明るい妻瀬の表情は見えない。

「在籍してる以上は今まで通りだし、何も変わらないよ。少なくとも『Knights』に迷惑がかかるようにはしないから安心して」
「そう言われて悪い気はしないけどさぁ?……愚痴くらいなら聞くから、言いなよ」
「……うん、ありがと」

一先ずは。妻瀬の返答に満足して、筆を走らせる。
途中で押し付けられたものの残りの項目はほとんどない。
たった数行のために俺に寄越すくらいなら、最後まで書いてくれればよかったのに。

「急げ急げ〜。時間は有限だよ。それにレッスン室もタダじゃないんだから」
「……はぁ。妻瀬のくせに生意気〜」

こうしていると、何もかもが戻った心地だ。
違うのはネクタイの色とか少しだけ伸びた妻瀬の髪の毛とかだけで、ガーデンスペース辺りに行けばれおくんが作曲したりしているように思えてしまう。……そんなはずがないのに。

きっと、妻瀬がそんな過去の風景を現在と繋ぐものなのだろう。
変わらずにあの頃と同じ笑顔を纏っているから。決して帳消しになんてならない“かつて”さえも飲み込むみたいに。

本当と嘘を織り交ぜて、上手に笑っている。




***



開催の迫る【デュエル】に向けて合同練習をすることになった『Trickstar』と『Knights』は、それぞれメンバーをかき集めている真っ最中である。
とくに遊木くんは瀬名に監禁されたこともあり『Knights』に拒絶反応すら覚えているのだろう、瀬名の監視網にも引っかからずにしぶとく逃げ回っているようで、結局あんずちゃんは放送で誘き寄せることにしたらしい。

彼を呼び出すあんずちゃんの声を聞きながら、ドリンク係を買って出た私は自販機を目指している。
……これで呼び出すことができたのなら遊木くんはどこまでも男の子というか、なんというか。しめたものというか。
なんて思いながら歩いていると、背後から私の名前を呼ぶ声が響いた。

「司くん。どうかした?」
「あ、あの。お手伝いします。女性一人では大変でしょうから」
「ありがとう。助かるよ」

先ほどスタジオから送り出してくれた司くんは、どうやら私を追いかけてきてくれたらしい。
ぱたぱたと駆け寄ってきて、隣に並ぶ。

――しかし。どうやら手伝ってくれるというだけではないようで、司くんは何か言いたげな表情でちらちらと私の顔を窺いながら一歩後ろを歩く。
数十メートルの沈黙を経て。自販機前にたどり着いてようやく彼は重い口を開いた。

「……あの、妻瀬先輩は『広報準備室』所属でしたよね。『プロデュース科』の前身の。となると、転校生のお姉さまは後輩にあたるのでしょうか」
「まあ、そうなるかな」

視線を合わせずに私は自販機のボタンを押していく。
がこん、がこん、と落ちてくるペットボトルを抱えながら、次に続くだろう言葉を想像して唾を飲み込んだ。

「……妻瀬先輩への断りもなくお姉さまを頼ったことは失礼だったようにも思います。それで、気を悪くさせてしまったのではないかと」
「いいんだよ。私のことは気にしないで」
「で、ですが」

――そういえば学院祭の時は、一応の形式を気にしたなるくんが私を通して『プロデューサー』を頼ったんだっけ。

なので、恐らくは。誰かが私の立場を気遣って、司くんに苦言を呈したのだろう。
『広報』であるというよりは『Knights』のお手伝いとして私を認識していた司くんが、私の立場を気にすることはなかっただろうし……というのは若干失礼だけど。
先輩たちはきっと同意してくれる!みたいな考えで暴走した結果がこの【デュエル】なのだから、些末なことが思考の外にあったというのも的外れではないと思う。

建前としては『広報準備室』は『プロデュース科』の前身で、あんずちゃんとは先輩後輩という立ち位置だ。
『Knights』を贔屓にしている『広報』を頼らず後輩の『プロデューサー』を頼った、イコール私を軽んじている、というのは極論に思えなくもないが。

「『広報』と『プロデューサー』は違うから。先輩後輩ではあるけど、気にしなくて平気だよ」

――そもそも学院から託されている規模も権力も、何もかもの幅が違いすぎるから何とも言えないというか。
きちんと明文化されていないので、側から見ればその違いは分からないのかもしれない。
気に留めなかった司くんこそが正解なのに、というのは私を思って言ってくれた誰かに失礼なのだけど。

「分かりにくいだろうけどね。司くんは間違ってないよ。……むしろ最善の選択をしたんじゃないかな」
「最善、ですか」
「あんずちゃんの活躍は勿論知ってるよね。今後も『プロデューサー』主体の案件は増えるだろうし、彼女に『Knights』をプロデュースしてもらうこと自体、間違いなく返り咲くための一歩になると思うから」

事実、『プロデューサー』には学院全体が注目しているし期待もしている。
その“大きな流れ”に乗ることは『Knights』にとっても益になるはずだ。

それにかなり無理矢理ではあるけど、司くんは『Knights』を叩き起こすように行動を起こしてくれたのだ。
リベンジは勿論、『Trickstar』と正々堂々と【DDD】の再戦をすることでイメージアップにも繋がるだろう。

「使えるものはどんどん使って、縁を繋いでいかないとね。私としても『Knights』にはもっと活躍してほしいし、それを妨げる要因に自分が居るのは不本意なんだよ」
「……妻瀬先輩は本当に『Knights』のことを思ってくれているのですね」
「うん。当然だよ」
「ふふ、そう言っていただけると心強いです」

司くんの瞳には、活気の光が灯っている。
眩しい、光だ。
――彼が加入するまで、『Knights』にはこういう“活気”とか“情熱”みたいなものが欠けていたと思う。時代の流れのなかで欠けてしまったとも言うけれど。
鼓舞するように撫でてやれば、司くんはむず痒そうに頬を緩ませた。

「頑張ろうね。相手に不足はないし。勝って実力を見せつけてやろう」
「勿論です。……それにしても、案外好戦的なのですね。妻瀬先輩って?」
「あはは、『Knights』というか……瀬名とはそこそこ長く一緒に居るから。感化されたのかもね」

――本当なら。
『Knights』だけのプロデュースをあんずちゃんに託せるのが最善ではある。が、彼女のことだ。どちらを優先させることはないだろう。

まぁ要所要所で繋がりはあるし、個々人でも縁を繋いでいるようだから、コミュニケーション部分で心配なのは瀬名くらいだ。
……そこはなんとかカバーするとして。私はフォローにつくのが妥当に思う。
先輩だからと余計な茶々は入れず、橋渡し的な役割や全体の統括はプロデューサーであるあんずちゃんが行うべきだ。
『Knights』だってお世話になる機会は増えていくだろうし、彼女自身の経験にもなる。
それにこの一年は“そういう”役割を望まれているというのもなんとなく分かっているから。
調整役の調整。サポートのサポート。だいたいそんな感じ。

「(……先輩らしく、うまくやらないと。排斥されちゃったら残った意味すら無くなるもんね)」

息苦しさは酸素に換えていかなきゃ。
そうでないと、ただ沈澱していくだけだ。



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