#18




声高らかに、此処に居るのだと主張するみたいに、『Knights』と『Trickstar』の旗がはためいている。
交差して聳えるそれは、舞台装置の“チェス盤”も含めて――ステージで繰り広げられている【デュエル】の象徴とも言えるだろう。

彼らを呼ぶ歓声が響いて、その期待に応えるように、『Knights』と『Trickstar』の面々は各々の強みを生かしたパフォーマンスを披露し観客を魅了している。
仁兎の実況も観客の高揚感をいい具合に高めていて、前口上を言ってのけた遊木くんもだけど、さすが放送委員会。場数を踏んでいるだけあって観客の反応やステージの進行具合を考えつつ盛り上げてくれている。

「(お、なるくんが視線くれた。ありがたい。……負けじと瀬名もって感じだ。今日は一段とギラついてるなぁ……?)」

興奮を凝縮させるように、私はシャッターを切っていく。
設営段階でも美しいステージではあったけれど、アイドルが立つと数倍もの輝きを増して見える。
それらを背景に彼らを枠に収めていくのは違う世界を切り取っている気分だ。

『Knights』がこうして結託して勝負に挑んでいく姿を見ることが出来たのは、因縁があるとはいえ『Trickstar』やあんずちゃんのおかげな部分もあるから、感謝も込めて映していく。
彼らをライバルと呼ぶには早計かもしれないが、互いに鎬を削り合う姿は観ていてワクワクするしカッコいいし、純粋に心が躍るものだ。

白熱していくステージとともに、観客のボルテージもどんどん上がって――ゴールドとシルバーのサイリウムが綺麗に波打っている。

たとえどれだけ心が沈んでいても。
“後回し”にしてしまうほどにアイドルたちの輝きは目を眩ませる。
本人たちは思ってもいないような救いすらもたらすことができるのだ。
私はそれを、よく知っている。



***



「今日は本当にお疲れ様、気をつけて帰ってね。備品とかは簡単に片付けておくから」
「ありがと。でも本当にひとりで平気?日も暮れちゃったし女の子一人じゃ危ないわよォ」
「時間もかからないだろうし大丈夫。みんなも帰ったし、なるくんも気にせず帰って?」
「……そう?なら、お先に失礼しちゃうわねェ。鹿矢ちゃんもお疲れ様」
「うん」

不味いかもしれない、と思ったのは衣更くんが合同練習に合流した日。
結構しんどいな、と思ったのは、その数日後。
日に日に増すモヤから目を逸らし続けて――どうにか【デュエル】当日を迎え、無事に終えることが出来た。

衣装や備品を仕分けて片付けて鍵を返して。
さっさと帰路に着くべきなのだが、足は勝手に音楽室へ向かっている。
凛月は帰ってしまったので無人なのは承知している。夜間の校内をうろつくことが推奨されていないのも分かっている。
けれどどうにも帰る気になれなくて、扉を開く。

――無人の音楽室に入るのは去年の春以来で。
主人の居ないグランドピアノは月明かりに照らされて、ひとりぼっちで佇んでいる。
試しに座って鍵盤に触れてみるけれど、ピアノは独学でかじった程度なのでぱっと弾ける曲も思いつかない。

でも、一つだけ。此処で数時間試行錯誤して、なんとか生み出した曲は指が覚えている。
記憶の隅に残る主旋律をなぞっていく。
広い音楽室に響く音にしてはシンプルで単調で、本当ならもっと綺麗に重なる音が奏でられるべきだ。
上手い人が使うべき資源だし、こんな初心者に触れられているのはピアノが可哀想。
そんなの、小さな頃は考えもしなかったのに。

「(……だめだなぁ。本格的にまずい)」

思考がどうしてもマイナスの方向を向いてしまっている。
蠢いている胸のモヤの正体にはなんとなく気づいているから、敢えて言葉にするのは確定させるみたいでしたくはないのだけど。

大丈夫、大丈夫。
これまでなんとかやってきたんだから。
私は『Knights』の味方でいれている。支えることもできている。“先輩”としてもきちんとフォロー出来ている。『広報』業だって疎かになんかしていない。
今日の【デュエル】だって大成功だったし、その一端を担うことは出来たはず。
関係構築してきた企業の案件は未だに多くあるし、学院に貢献できている。
ほら、私はまだ利用価値があるまま。
立場を弁えて、きちんと保てている。

……でも。やっぱり。どれだけ自己肯定感を高めるための言葉を並べたところで。
心の底に埋め込まれている“確信”は、脳内を駆け巡り続けて止まらない。

「(『プロデューサー』には敵わない)」

――そこにいる実感が無い。
――そこにいる意味が、分からない。
――私にしかできないことが、見えない。

ねぇ、月永。
託してくれたけど、私は本当に『Knights』に必要なのかな。月永は“私だから”と言ってくれたけど、それってむかしの話じゃない。
瀬名は、今の『Knights』は、大丈夫だよ。
まだ少し頼りないけど、これからは心強い『プロデューサー』が寄り添ってくれる。光みたいに導いて、支えて、先行きを照らしてくれる。

だって、この数週間の間で痛感した。
『Knights』のメンバーを支えて、プロデュースをするあんずちゃんを見て、これなら大丈夫だなんて思ってしまった。
妙な、充足感。吐き気がする程の疎外感。息をするたびに喉を締め付けられる心地だ。

指はいつの間にか止まっていて、静寂だけが私を包んでいる。
春でも夏でもない中途半端な季節だ。
……いっそのこと冷たい風か熱風にでも吹かされれば違ったかもしれないのに。そうすれば此処にいることくらいは実感できたはずなのに。

こつ、こつ、と誰かが廊下を歩く音が聞こえる。
先生か、警備の人か。見つかったらめんどくさいなぁ、なんて思っていると――そのどちらでもない人物はなぜか私が此処にいることを知った風な口ぶりで、名前を呼んで、扉を開いた。

「お邪魔するぞい」
「……朔間さん。凛月なら居ないよ」
「知っておるよ。偶然、おぬしが入っていくところを見かけてのう」

つい立ち寄ってしまったのじゃ、と朔間さんは薄い笑みを浮かべて入り口を塞ぐように立っている。
……動く気配はない。私はカバンを手に取って、目線を合わせる。

「……私はもう帰るよ」
「なんじゃ。演奏会はもう終わりかえ?連弾でもしてやろうと思ったのじゃが」
「き、聞いてたの?……連弾してもらえるほど弾けないから遠慮しておく。そこ、退いて?」

暗闇の中でも目立つ赤い瞳は一切の揺らぎを見せず、私を貫いている。
居心地の悪い沈黙だ。

「随分と余裕が無いようじゃのう」
「余裕は、そこまでないかも。でもたぶん環境変化に馴染めてないだけだから」
「……『広報準備室』の置かれている状況は決して良いものではない。……鹿矢。もしも耐えきれぬのなら、誰かに頼ることじゃ。己の限界も見えぬほど愚かではないじゃろうて。その虚勢の面も長続きはせんぞ」
「……分かってるよ」

大丈夫だの平気だのは、しょせんその場凌ぎの道具だ。気にして欲しくないのなら、悟られたくないのなら、言葉の効能があるうちにモヤを取り払って、最低でも取り繕えるレベルまで消化しなければならない。

瀬名だって愚痴くらいなら聞くと言ってくれたし、目の前の朔間さんにだって言えば聞いてくれるのだろう。頼る相手は幸いなことに近くに居る。
今この瞬間も私を気遣ってくれているのだから、きっとそうだ。……けれど。

「そうじゃない」を欲しがって、もし貰えなかったら。或いは“肯定”されてしまったらと思うと怖くて踏み出すことが出来ない。ゼロではない可能性を捨てきれない。

失礼なのは分かっている。
意味のないたらればを語るくらいだったら、直接聞いたほうがいいことも分かっている。
でも、たとえ冗談だとしても、強がりだとしても。もう一度ああ・・言われてしまったら、立っていられる自信がない。

「肝に銘じておく。うん、まぁ、まだ私は捨てられるほど用無しでもないと思うし。一応は大丈夫。利用価値が無いなら退学にでもなってるはずだし」
「……うむ。利用価値が無ければそれこそ天祥院くんにでも潰されておったじゃろ。……あまり良い気分はせんがのう?元カノを道具のように思われるのは」
「……も、元カノはやめて」
「元『朔間零の女』と呼ぶには長いじゃろ。薫くんに倣ってみたのじゃが」

間違ってはおらんじゃろ?と怪しく笑う朔間さんをひと睨みすれば、なんのダメージも喰らってません、みたいな表情を浮かべるものだからため息をつく。

「鹿矢。今日はもう帰るだけかえ?」
「そうだけど……、誰かさんが塞いじゃってるので帰れないです」
「では、これから我輩に付き合っておくれ。それが此処を退く条件じゃ。……なに、ただの夜道の散歩じゃよ。“ふつうの学生”らしく、手を繋いで、買い食いでもしながら語らおうぞ」

それ本当は凛月とやりたかったんじゃないか、とも思うけど。
学生で言うところの――いや、まぁ学生ではあるんだけど、所謂放課後デートっぽいものを所望されている気がする。
私が条件を飲むしかないと知りながら、ズルい提案をするひとだ。

「……手を繋いだら食べにくくない?それに下手したらスキャンダルだよ」
「人通りのない真っ暗闇であれば問題ないじゃろ。たとえば、この廊下とかのう?」

私はもう『朔間零の女』じゃないのに、手を繋ぐなんてよく分からない状況だ。
朔間さんの描く“ふつうの学生”像がどんなものか分からないけど、仲良しな高校生同士でも手を繋ぐなんて滅多にないと思う。たぶん。

「行くぞ、鹿矢」

手を差し伸べられて、手を差し出して。
一夜限りのパーティーへ出かけるみたいに、音楽室を後にする。
初めて握った朔間さんの手のひらは、想像よりもずっとあたたかくて大きくて、申し訳程度のサイズの私の手が貧相に思えてしまうけど。まぁ、いいか。

こつ、こつ、と二人分の足音が廊下に響いている。
私と朔間さんの歩く音が、響いている。




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