#19




一日の授業を終えた瞬間の解放感と言ったら、それはもう素晴らしい。
丸一日机に向かうことも去年に比べれば然程多くはなくなったけど、学生である以上避けられない時間だ。
ぐーっと背伸びをして机に突っ伏せば、隣から呆れた声が聞こえてくる。

「……眠いなら家に帰って寝れば?」
「眠くないよ……今日も一日疲れたなって。あー、アイス食べたい。ケーキ食べたい。甘いものでお腹を満たしたい……」
「妻瀬にしては珍しく荒れてるねぇ……?今日は『Knights』の活動も個人の仕事もないし、……カフェくらいなら付き合ってあげてもいいけど」
「えっ、ほんと?」

誘ってくれるなんて珍しい、と顔を上げれば瀬名は帰り支度を進めている。
意味のない嘘をつくことはないだろうしどうやら本当に付き合ってくれるらしい。欲望も口にしてみるものだ。

置いていかれないようにと慌ててカバンに荷物を押し込んでいると、私と瀬名の間に割って入るように羽風が現れた。今日は居なかった気がするけど、今来たのだろうか。

「瀬名く〜ん、鹿矢ちゃん、ちょっといい?」
「何」
「羽風、おはよう……?」
「あはは、もうそんな時間じゃないけどね〜?……ごめんだけど、化粧品とか貸してくれない?ほら目元とか腫れちゃってさ〜、誤魔化したいんだよね」

口調はいつもの調子ではあるものの、羽風の目元は泣いたあとみたいに腫れている。
羽風のことを多くは知らないが女の子に振られたとかそういう理由ではなさそうだ。
流石の瀬名も、悪態を吐かずに目を丸くして羽風に視線をやっている。

「どしたの、目……。化粧品とか自分の肌質にあったのちゃんと選んで使わないと、逆に荒れるよ」
「大丈夫?私のでよければ貸すけど」
「鹿矢ちゃんの化粧品なら大丈夫な気がするなぁ。むしろ優しく撫でてくれるだけで治っちゃうかも」

羽風は笑って軽口を叩いているけど、どことなく元気のない様子である。
今日くらいはクラスメイトのよしみで撫でてやってもいいかもしれない。治らないとは思うけど。

「現金なやつ。……ていうか、あんた見た目だけが取り柄なんだから気ぃつけなよねぇ」
「うわ、それって瀬名くんに言われたくない台詞ナンバーワン♪」
「はは。言われちゃったね、瀬名」
「ちょっと妻瀬、どういう意味?」
「いや、まぁ、羽風からしたらって話で」

私は見た目も中身も好きだよとにっこり笑ってやれば、瀬名はあっそう、と満更でもなさそうにそっぽを向く。
ゴホゴホと蓮巳が大きく咳き込んだ理由は恐らく私の台詞だろう。……我ながら、教室の隅っことはいえよく恥ずかしげもなく言えたなと思わなくもない。

今までの友好度やらを友情に全振りして、恋愛感情が無いと分かりきっているからか――瀬名相手ならわりとなんだって言えてしまう。
そもそも誰にでも好きだよとか言える性格でもないし。
『Knights』の面々ならともかく、誰彼構わず好きを振りまけるほど器用ではない。カッコいいとかの賞賛は抜きにして。

「……それにしても。妻瀬が化粧して登校するとか、二年前は考えられなかったよねぇ?」
「必要ないと思ってたからね。社会に出る時でいいかなって……、何から始めればいいかも分からなかったし。色々教えてくれてありがとね」
「仮にも女の子なんだし、最低限は必要でしょ。……ファンデーションが気持ち悪い、って言ってたあんたが普段から化粧するようになったのは褒めてあげなくもないけどさぁ?」
「素直に褒めてよ。毎朝頑張ってるんだから」

瀬名の言う通り『広報』として校外に出る時は気をつけていたけど、校内ではとくに気にかけていなかった。
疲れを誤魔化すために普段から化粧をするようになったのだと言えば叩かれそうだから黙っておこう。

羽風はマドモアゼルと斎宮に声をかけられてそちらで化粧品を借りるっぽい、ので、私は取り出しかけていたポーチをカバンに戻す。

「見繕ってやったのが懐かしいよ。リップとグロスの違いすら分かってないとは思わなかったけど」
「はは、その節はどうも」
「どういたしまして。そういえば、そろそろ新作も出るだろうしお店も覗いてみる?」
「いいね。そうしよう、そのあとはカフェでお茶しようね?」
「はいはい。分かったから……そのニヤけた顔なんとかして、さっさと帰り支度しなよ。置いてくよ」

百貨店やらセレクトショップやらに付き合ってもらったのはけっこう前だけど。
買い物を終えたあとの、一息つくみたいにお茶をして適当に駄弁る、みたいなオマケっぽい時間も好きで。今日はレッスン帰りというわけでもないから時間も多くとれるだろう。
新学期になってからは瀬名と出かける機会も減っていたから、尚更楽しみだ。




***



「…………はい、両替してきたよ」
「テンションが低いな、妻瀬。悩みがあるなら聞くぞ?」
「低くない。……それより瀬名とダンスゲームやるんでしょ、荷物番しててあげるから」
「ああ、頼む。一戦終わったら交代しよう、見ているだけだとつまらないだろうしな!」
「うん。一回だけなら……」

――瀬名と出かけるつもりが。なぜか私たちは羽風に連れられて、ゲームセンターに来ている。
デートスポットのように小洒落た内装だし、禁煙らしいから匂いはそこまでだけど、色んなゲーム音が混ざり合っててひどい騒音だ。

天祥院が家の事業を投げられているとかで視察……と言うと堅苦しいけど、たぶん大体そんなところで。
たまたま居合わせたA組の面子で仲良くやってきて、そこにあんずちゃんが“お守り役”として加わって、蓮巳が抜けて――現在に至る。

『瀬名くん、妻瀬さん。君たちも一緒にどうかな』

天祥院の誘いに瀬名は少しだけ悩んではいたけどオーケーするし、約束していたわけじゃないからドタキャンというわけでもないが――楽しみにしていたから虚しいものは虚しい。
妻瀬さんも行くよね、と言われたときの私はどんな表情をしていたか分からないけど、表情筋は死んでいただろう。

私の気も知らないで。
瀬名はダンスゲームに夢中になって、守沢と踊っている。

「(……楽しそうにしちゃってさ)」

夢ノ咲学院のなかでも瀬名と守沢は努力家なほう、だと思う。
二人とも五奇人のような天才というわけではなくて。
守沢も春までは深海くんと校外で活動していたみたいだし、それまでも目立ってこそいなかったがこつこつと実績を積んできたひとだ。

――かつて“いい思い”をするために堕落に身を置かなかった、数少ないアイドル。
そんな彼らがゲームとはいえ楽しそうに踊っている姿は微笑ましい。『Knights』を――瀬名を応援してしまう自分もいるけど。今日ばかりは負けてほしさもあるけど。
そんな願いは両立できないぞと言わんばかりに二人のスコアは同点となって、私の番が回ってくる。

「頑張れ、妻瀬!俺と瀬名は同点だったからな。どうもこのゲームは一度のプレイで二回戦うみたいだから――勝負の行方は妻瀬にかかっているぞ!」
「え、責任が重すぎる」
「初心者だからって容赦しないからねぇ?」

そこは容赦してよとも思いつつ。
良くも悪くも、瀬名はこういうひとだったとため息を吐く。

勝負事において負けたくない気持ちは人一倍で、手加減なんて以ての外。
思えば『Knights』のメンバーは、そういう精神的な部分にも共通点がある。
私だってそんな『Knights』に感化されているから。普段勝負の場に立つことはできなくても、負けは嫌いだし勝ちは好きだ。
それに。せっかくやるなら、瀬名相手にだって勝ちたい。

「ほら、始まるよ。精々ついてきなよねぇ?」
「……もちろん」

隣で踊る瀬名というのは、新鮮な風景だ。
ついでに私も踊っているというのはかなりのイレギュラーな状況である。
でも。なるくんは、凛月は、司くんは――月永は。全然違うけど、こうして隣り合っていたのだと思うと羨ましくも感じる。
背中を預けて、同じものを背負って、パフォーマンスをしているのは心地がいいだろうなぁ、なんて思う。

「いいぞっ、妻瀬!その調子だ!」
「げ、なにこれ。どう動けばいいの?!」
「妻瀬、俺の真似してもいいよ。まぁそれじゃ勝てないだろうけど〜?」

アイドルになりたかったわけでもないのだけど、普段見ることのできない景色を追体験しているみたいで。
ゲームセンター特有の暗がりのはずなのに、なぜか視界は一段と澄んでいる。





BACK
HOME