#21




夏の足音はバタバタと駆けるようにうるさくてうるさくてうるさくて、鳴り止まなくて、耳を塞いでしまいたいくらい。

みーんみーん、じーわじーわ。
だらだら、だらだら。
ぽとん、と汗が落ちてプリントを汚していく。

「……レッスン、いかないと」

――今日は『Knights』の活動日だ。
プリントをポケットに押し入れて。ハンカチで汗を拭き取って、ドアを開いて。足は勝手にスタジオを目指していく。

「凛月」
「おいっす〜鹿矢。今日も顔色が悪いねぇ」
「開口一番にそれは酷いなぁ」

見慣れた後ろ姿に声をかけて、普段通りの会話をしながらゆったりと歩いて、ドアノブに手をかける。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■。■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■。……■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■?」

窓から差し込む日差しはそこまで強くないけれど、くらくらする。色んなことが頭を巡って気持ちが悪い。だから、はやくどこかへ逃げてしまいたい。

ぐ、っと力を込めて扉を開けばなるくんと司くんが私たちを迎える声がして――「お疲れ様」と笑って。
私はだらんとのしかかってくる凛月を背負いながら、お決まりの“寝床”へ足を進める。

すると、何かがすとんと抜け落ちているような感覚に陥って。
ようやく違和感・・・に、気づく。

「……ねぇ、聞いてる?」
「え?」
「……俺、鹿矢と会話してたよね?突然無視されたら傷つくんだけど〜……?」

そうだったっけ。
いや、何かを話していたのは覚えている。
けど、具体的な内容を思い出せなくて言葉が出てこない。
…………ああ、私は今、直前まで何を話していたのか忘れてしまったのか。

凛月からすれば一方的に会話を打ち切られてしまったようなものだ。

「お〜い、鹿矢?」
「…………ご、ごめん。あはは、何話してたのか飛んじゃって。最近食欲もないし夏バテかも」
「……夏バテ?なら俺の心配も杞憂なのかなぁ……。っていうか、食べるのは当然だけど水分補給とかもちゃんとしなよ。倒れたら洒落にならないよ」
「あー、今日あんまり水分とってないや」
「……はぁ。ほんと、だめな鹿矢。だから甘やかし甲斐もあるけどねぇ……?」

寝床に転がっていく凛月を横目に私は椅子に座って、虚空を眺める。
……凛月には咄嗟にそう言ってしまったけど。たぶん夏バテではなくて、おそらく情緒不安定とかそういう類のものだ。
これから忙しくなるのに。本当に、どうして今なのだろう。

「妻瀬先輩、お茶であればこちらに。先日Boxで購入しましたから潤沢にありますよ」

思考を切り替えるべく背伸びをしていると、どうやら凛月との会話を聞いていたらしく――司くんがドリンクを片手にこちらへやってくる。
喉は乾いていないけど、もらっておくことにしよう。

「じゃあ一つもらってもいい?」
「はい。常温なので冷たくはありませんが」
「大丈夫だよ、ありがとう」

【デュエル】の時はやや猪突猛進な面が目立っていたが、基本的には気遣いの出来る真面目な子だ。
いい子いい子、と頭を撫でれば嬉しそうにするから、可愛くてついたくさん撫でてしまう。

関わり深い後輩といえば司くんとあんずちゃんなので、二人をよく撫でてしまうのだけど――去年、朔間さんに会えば高確率で撫でられていた理由も分かるというか。

一つや二つしか歳が変わらないとしても、後輩は存在だけで癒しを感じてしまうものなのだ。
全く同じ感覚だとは思わないけど、通ずる部分はあるのだろう。

「そういえば、今日は凛月先輩とご一緒だったのですね。瀬名先輩はどうされたのですか?」
「……え、瀬名?…………あっ!?」

司くんの言葉に、さあっと意識が醒めていく。
……凛月との会話だけじゃない、もう一つ重要なことが頭から抜け落ちている。

今日は、瀬名と日直当番の日だ。
でも授業が終わると同時に呼び出されたから、断りを入れて――カバンもそのままに教室を出て話を聞いて。
日直の仕事をすべく教室へ戻るつもりだったのだけれど、どうしてかその足でスタジオに来てしまったらしい。

「(や、やばい。やってしまった)」

焦りでぶわっと汗が噴き出てくる。手汗が、すごい。
もう遅いかもしれないけどとにかく迎えに行こう、と立ち上がれば、扉が開いて――二人分のカバンを背負った瀬名の登場である。

「戻ってこないからまさかとは思ったけど、この俺を放っていくとはねぇ……?」
「せ、瀬名」

般若の如く表情を歪めている彼から「ありがとう」とカバンを受け取って、恐る恐る視線を合わせれば、ぎろりと睨まれる。
司くんは状況を即時に把握したのか、飛び火を恐れて私から離れていく。悲しい。

「まったくどういうつもり?呼び出しくらったからって日直の仕事を全部俺に押し付けるとかさぁ……。妻瀬はいつからそんなに偉くなっちゃったのかなぁ?」
「いや、ほんとにごめん。すっかり忘れちゃってて……」
「はぁ?あんたの記憶力どうなってるの。ついさっきのことでしょ。カバンも放置していくとかあり得ないんだけど」
「返す言葉もないです……」

ほんと信じらんない、と大きくため息を吐く瀬名に謝罪以外で返せる言葉が思いつかない。
私は瀬名のカバンと上着を受け取って、お決まりの場所へ運んでいく。

……次の当番と、次の次くらいは私が代わりにやろう。それで怒りが収まるとは思えないけど、せめてもの償いで。

「妻瀬、もうじき『インターン』なんでしょ。一時的とはいえ社会人の端くれになるんだから、しっかりしなよねぇ?」
「はい……」
「あらあら。鹿矢ちゃんならきっと大丈夫よォ、散々大人相手に営業かけてきたんだし。外面だって泉ちゃんに似て“しっかり”してるんだから♪」
「……まぁ?初めは俺が面倒を見てやったようなものだしねぇ。そこまで心配はしてないけどさぁ」

椚先生もだけどね、と思いながら、助け舟を出してくれたなるくんに心の底から感謝する。
私が原因で怒らせてしまった以上「機嫌を直して」なんて言えないし――話題を上手く逸らしてくれたおかげで、熱りも冷めてきたようだ。

「恥をかかないように頑張るよ。『インターン』期間は何も手伝えないと思うから、困ったらあんずちゃんに頼ってね」
「分かってる。あいつも『プロデューサー』だし?精々可愛がっててあげるよ」
「意地悪はしないであげてね……」
「俺は意地悪なんてしないけどぉ?教育的指導をしてあげてるだけ。むしろ感謝してほしいくらい」
「はいはい。その時はアタシが止めてあげるから安心して?……予定が早まって週末から『インターン』なんだっけ。暫く会えないのは寂しいけど、頑張ってねェ」

カッコいい子がいたら仕留めてくるのよォ?となるくんがばちこん、と星を飛ばすみたいにウインクを私に投げかければ、牽制するみたいに瀬名の視線が飛んでくる。

そんな怖い目を向けなくても。大人が高校生なんかを相手にしないことくらい分かってるだろうに。
ただ、彼が元々活動していたモデル業界は綺麗な子ばかりだから――そういう常識も違ってくるのかもしれない。

瀬名なりに心配しているのだろう。
かわいい奴め、と心の中でほくそ笑めば視線はさらにキツくなる。読心術を習得しているのなら言って欲しい。

「あはは、心配しなくたって『Knights』以外に靡いたりしないよ」
「ウフフ。熱烈よねェ、鹿矢ちゃんって」
「……まぁ、及第点ってところかな。……ほら、そろそろレッスン始めるから。妻瀬はくまくんのこと起こしてきて」
「はーい」

凛月はすでに熟睡しているようなので、起こすとなると少し苦労しそうだけれど。
そうも言っていられないので私は寝床へ近寄って声をかける。

「凛月、レッスン始めるってよ」

試しに揺さぶってみるけど反応は皆無。
……よくこの短時間で深い眠りにつけたものだ。
数度繰り返せばようやく声を漏らしたので、頬をつついて彼の名前を呼べば、瞼がゆっくり開いていく。

「鹿矢〜……、あと少し待って……」
「瀬名と交渉してね。……あと引きずり込もうとしないで。私は寝ないから」
「うー……夏バテなんでしょ、寝ようよ……。まぁ鹿矢が添い寝してくれるならすぐ起きるんだけど……?」

言っていることが無茶苦茶である。
あとでジュース買ってきてあげるから、となんとか説得して私は凛月を瀬名のもとへ送り出す。
……暫くはこうして凛月を起こすこともないのだと思うとちょっとだけ寂しい。

というか、軽口を交わし合いながら和気藹々と過ごす姿を見られるとはあんまり思っていなかったし、そもそも革命がまた起きるなんて想像すらしていなかったし。

たったひとつの季節を経ただけでこうも情勢は変わっていくのだ。それも、良い方向に。
夏が来て、秋が来て。年が変わるまでに。彼らはどう変わっていくのだろう。
ほんの少し怖いけど、楽しみだ。


――そんな、まだ見ぬ未来を思い描きながら。
私はカバンの中で振動する端末を手に取った。






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