#01 Ut queant laxis




新しい制服を身にまとい、ドギマギしながら校門を抜けて、ようやくすんなり通れるようになった受付を通過して。
未だ刺さる視線を避けつつ教室へ向かう。
廊下を屯する不良たちの回避路も幾つか見つけたので無事登校完了。
真新しい教科書には、普通の学校では習うことのない“アイドル”になるための教養がびしりと書き込まれている。

夢ノ咲学院、アイドル科――広報準備室。
アイドルを世へ伝えるための新設学科ならぬ準備室に、この春私は入学した。
父が芸能関係のカメラマンを生業にしていることをきっかけに舞い降りた入学の話は、中学三年ながらきらびやかな芸能界に憧れていた私にとって思いがけず飛び込んできたチャンスだった。

――と言っても、しょせん漠然とした憧れで。
テレビやラジオから流れるキャッチーなアイドルソングを延々と口ずさんでいるわけでも無く、特に応援している俳優やモデルがいるわけでも無く――ただその輝きが眩しくて。
舞台に立ち、人びとを笑顔にするさまにただただ憧れた。

「(でもまあ、なんというか)」

アイドル養成学校であるはずの夢ノ咲学院は、多少の噂話はあったものの想像以上に荒廃していた。
不良が騒いでまともに授業も受けない、真面目なのは希少で、変人奇人にまみれている。
父には悪いけれど──とんでもない場所へ来てしまったなあというのが正直な感想だった。

「おはよう、」
「おはよ」

だから、隣の席のひとがまともに登校して、授業を受ける人でよかった。
ひとまずその幸運に感謝しよう。

挨拶を素っ気なく適当に返される程度だが、女子が一人というこの学院内において私はただでさえ“稀”な存在で普通に接してくれること自体がありがたい。

初めは興味本位で近づいてくる人たちも居たけれど徹頭徹尾遊びにはついていかなかったし、まじめに授業を受けている『つまらない女』というレッテルを入学早々貼られてしまったために、一人でいることがほとんどだった。
教師たちからは「活動をサポートしていくのだから仲良くするように」とお達しを受けているので、スタート位置を間違った気もした。けれど、堕落の方面へ舵を切らなかった自分の選択は間違っていなかったと信じている。

「(あ、この歌、新曲だ)」

話は戻って、隣の席の男の子。
名前を瀬名泉。綺麗な名前で整った顔だな、というのが第一印象。
ただその割に態度は基本素っ気なく、たまたま目にした友人らしき男子との会話では口の悪さが目立っていた。挨拶を返してくれるくらいにはいい人なのだけれど。

彼のイヤホンから漏れ出る音を拾って堪能するのは私の密かな日課になっていた。
とん、とん、といい気分になって指でリズムをとっていると、それに気づいたのか彼はこちらに視線をやる。
はた、と透き通った水色と目が合って思わず指を止めた。

「……音漏れしてた?」
「えっ、」
「指。リズム取ってたでしょ」

どうやら、私の奇行は視界の端に映ってしまっていたらしい。

「ごめん、つい……」
「別にいいけど。もしかして、これいつも聞こえてた?」
「……うん。実はいつも聞いてた」

日々の楽しみにしてました、なんて素直に白状すると、瀬名は綺麗な顔をむっと歪める。

瀬名はたしか、学院での中でも屈指の所属人数をほこる『チェス』だとかいうユニットに所属している。
課題曲などで聞いたことのない曲――おそらくユニット曲なのだろう、彼のイヤホンからはさまざまな音色が漏れ聞こえていた。
本人は気づいていないかもしれないが、いつも不機嫌そうな彼が曲を聴いていると雰囲気が穏やかになるから、それも相まって聴き入ってしまったのだ。
ひとりぼっちにも寄り添ってくれるような音色が、好きだったのだ。

「……あのさぁ」
「は、はい」
「聞きたいなら素直に言えばいいでしょ」
「えっ」
「ほら。これ、貸してあげる。……悪くない曲だから。ちゃんと聞いたら?」
「……いいの?」

はい、と私の言葉を肯定するようにイヤホンを手渡される。
おずおずとイヤホンを耳につけると、それと同時に瀬名は再生ボタンを押した。

──音が、広がる。
ずっと漏れ出ていた音色しか知らなかった歌を、私が知っている色よりもずっと多くの色彩を纏って塗り替えていく。神経のすべてが研ぎ澄まされていく心地だ。
初心者でも、これが至高の作品のひとつであることを理解できた。
涙が静かに頬を伝うのがわかる。

「すごい、」

自然と溢れた言葉を、瀬名は満足そうに拾い上げた。



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