#07




トマトジュースを飲み切って息を吐く。
朔間さんはそんな私を見て、愛玩動物を眺めるような笑みを浮かべている。

「……なに」
「何も。もうおぬしの『大丈夫』は信じぬと思っておっただけじゃよ」
「信じてよ。……そう思ってほしいんだから」
「信じた結果がこれじゃからのう。少しは反省せい」

表情とは正反対の言葉はぐさぐさと刺さって痛い。
耐えられないなら頼れと言ってくれていたし、朔間さんの言う通りひとりで突き進んでしまった結果がこれなので、反論なんてもちろん出来ない。

「それに。前にも言ったがのう?我輩、可愛い後輩を……いや、元カノを粗雑に扱われるのは癪に障るんじゃよ」

彼なりに場を和ませようとしてくれているのかもしれないけど、朔間さんの口から吐かれるその単語には慣れない。
私と二人の時にしか言わないあたり揶揄われてもいるのだろう。

「どうせ瀬名くんに頼ってもおらんのじゃろ。一番の友達が聞いて呆れるわい」
「……ぐ、愚痴の一つでも聞いてもらおうと思ったよ。本人がそう言ってくれたしさ。でもなんか、珍しく優しくされたらそれだけでお腹いっぱいになっちゃって……」
「くくく。随分と愛されておるのう」

瀬名を見ているともっと頑張らなきゃと思う。
努力し続けることは才能だ。
彼はそれを持っているし、純粋に憧れている。
ちゃんと追いかけてないと置いていかれてしまう、とか、そういう危機感みたいなものがないわけではない。
だからまだ頑張れる、まだ話すまでのことじゃない、と限界のラインを引き伸ばしている自覚はある。

ただそれ以前に。ひどい言い方をすると、私は瀬名に優しくされることに慣れていないのだ。
“なんとなくそうだろう”と思って頭の中で処理をして勝手に救われた気分になっていたものを、言語化されて――行動で示されるとどうすれば良いか分からなくて。

私からではなく彼から機会をもらえたのに、少し愚痴を言ったあとは楽しく過ごして終わってしまった。
それはそれで後悔はしていないけど。
あんなの、二度はないだろう。

「…………朔間さん。『インターン』が終わったら、ちょっとだけ、話聞いてほしい、かも」
「うむ。いくらでも聞いてやるぞい。……これでようやく一歩前進じゃのう、強がりで意地っ張りの鹿矢ちゃんや♪」
「それはどうも!」

腕時計を確認すれば、もうそろそろ合同レッスンの準備に向かわなければならない時間だ。
私は荷物をまとめて席を立つ。
もう行くね、と言えばどうやら朔間さんはここで別れる気はないらしく――私のカバンを持ち上げて教室を出て行ってしまった。

「待って、自分で持つよ」
「“先輩”の厚意は素直に受け取っておくことじゃ。久しく教えておらんかったが、これも処世術のひとつじゃよ」

そう言ってすたすたと廊下を歩いていく朔間さんは、やっぱりスタイルが良い。こんな時に何を思ってるんだという気もするけど。
離れていく距離にハッとなって私は慌てて追いかける。

「……鹿矢。コズプロとのやり取りは恐らく天祥院くんも察しておるぞ。どう動く?」
「仕事は放棄しないよ。だから私は望まれた通り『Eve』の味方として動く。『Trickstar』やあんずちゃんには悪いけど」
「まぁ、それが無難じゃのう」

戦略の一助を担っている私が言うのも慢心し過ぎな気がして嫌なのだけれど、『Trickstar』は『Eve』に呑まれるに違いない。
だから、正直手助けの一つくらいしてやりたいところではある。
『Trickstar』にとって最重要なあんずちゃんは【サマーライブ】のプロデュースを任せられているわけではないが、勝利を掠め取りたいのなら彼女の手は必須で。
関わるように肩を押すべきだ。“先輩”として。

けれどコズプロはともかく、天祥院に望まれているのは逆の行為である。
“先輩”として、脅威になること。
越えるべき障害となって高みへ誘うこと。
……まぁ、たとえ今回『Trickstar』が負けたとしても、あんずちゃんを焚き付けるための起爆剤のひとつにはなれるだろうけれど。

「“先輩”の在り方も一つじゃない。天祥院は、教え導く方法が寄り添う以外にもあるってことを言いたかったのかな」
「ほう?」
「いや、都合良く使われてるんだろうけど。すごくポジティブに捉えればそうも読み取れるというか。過程と結果が同じなら、ネガティブに考えるほうが損な気がしてきてさ」

夢ノ咲学院から乖離させるための毒であっても、七種くんの話は間違っていないと思う。
悔しいけど『広報準備室』は『プロデュース科』を肥えさせるための餌だ。

だとしても。まだ、見捨てられてはいない。
ならば、頑張らないわけにはいかない。
……天祥院は私を切り捨てるよりも活用することを選んだのだ。

延々と“補助係”に付けられている理由はネガティブなもの以外考えられないけれど――許されている限り、私は私の立場を守って、やるべきことを守り通す。
だってそのための『広報準備室』で。その場所を維持するための諸々が裏目に出てしまったけど。

「……あんずちゃんも『Trickstar』も逆境を力にするタイプじゃない。私はけっこう『敵』だったし。合同ライブではあるけど、分かりやすく警戒できる……はず」

一応夢ノ咲学院の仲間である私も『味方』とは判別しにくいゆえに、対抗策の一つくらい練れるんじゃないかな、という算段である。それも彼ら次第ではあるけど。
ちらりと朔間さんを見れば苦い顔をこちらに向けている。

「……た、たぶん」
「……頼りないのう。最後の“たぶん”で説得力はゼロじゃ。今からでも家に閉じ込めるか、連れ去るべきかもしれぬ」
「えぇ、そんなに?なんとかなるって」
「こんなことを我輩も言いたくはないが、なんとかならんかったじゃろ。忘れたとは言わせんぞ」

はあ、と大きくため息を吐いて朔間さんは私を小突く。なんだか懐かしい気分だ。

思えば去年も同じような会話をした気がする。
五奇人討伐が本格的に始まる前の夜。
朔間さんに迷惑をかけたくなくて、忠告を振り切って。【金星杯】には関わることはしなかったけれど――結果的に私は怪我をしてしまった。彼にとっては苦い記憶なのかもしれない。

「去年のあれは朔間さんのせいじゃないよ。分かんないけど、いずれ似たようなことは起きてたと思うし」

仮に、私が怪我をしないでいたとして。
『Valkyrie』討伐後、【海神戦】のような雰囲気が校内で常だったとするのならば、まず無事ではいられなかっただろう。
いくら私が『朔間零の女』であろうと校内にいる限り安全の保証はなかったはずだ。

ずっと朔間さんに引っ付いていたとするのなら尚更。それこそ彼から離れた瞬間に闇討ちやら制裁されていたっておかしくない。
……怪我したことが幸運だったとかは絶対に思わない。でも。少なからず拾えたものもあったのだと信じたい。

「それでも、繰り返したくはないんじゃよ。『敵』となったところで、嬢ちゃんらが鹿矢を排斥するとは思わんがのう?」
「心配し過ぎだよ。それこそ朔間さんの思ってる通り、大丈夫だよ」

鍵を借りて、防音練習室へと足を進める。
窓から差し込む光は暖かいを通り越して暑い。
日光に弱く、普段ならばへばっていそうな朔間さんはちょっと格好をつけて私と並んでいるようにも感じる。

「……私はもう平気だから。無理しないで、どこかで涼んできなよ」
「ううむ……鹿矢に見破られるとは我輩もまだまだじゃのう」
「あはは。伸び代があるってことじゃない」

なんて、調子に乗ったことを言ってみたりして。こんなの昔の自分に聞かせたら心臓が潰れてしまうだろう。

朔間さんは私の軽口を嬉しそうに笑って、優しく頭を撫でる。

「……鹿矢。誰がなんと言おうとおぬしは『広報準備室』の妻瀬鹿矢じゃ。かつて『五奇人』を支えた『朔間零の女』であり、『Knights』の味方で――決して『Eve』の“補助係”ではない。一時的な“役”と心得よ」

改めて自分の肩書きを並べられると、嬉しいものだ。
アイドルではないからと距離を取るもので、プロデューサーではないからと腰の引けてしまう肩書きでも、自分に馴染むそれは嫌いにはなれない。

けれどその台詞に覆い被さるように。
その一部に異論を唱えるように、夏に似つかわしい声が降ってくる。

「──“役”だとしても、鹿矢が『Eve』の“補助係”であることに変わりはないね?」

振り返れば、笑顔を貼り付けた巴が仁王立ちしていて、その後ろに氷鷹くんが控えている。
合同レッスンの時間までは幾らかあるが、二人とも早速レッスン着に着替えているあたり他の面々を待つというだけでもないらしい。

「お疲れ様、鹿矢。思っていたより早かったね!まだ時間ではないけれど、これからこの子の実力を見ようと思ってね。すぐに準備をしてくれる?」
「え、あ、うん。分かった」
「……ということで、ぼくたちは今から忙しいからね。部外者はお引き取り願いたいね?」

朔間さんと巴の視線は一瞬だけ交差して離れていく。
このひとたち、去年はたしか同じクラスだった気がするけど、話したことはあるのだろうか。朔間さんはほとんど日本に居なかったしそういう話はあんまり聞いたことはないけど。

部外者と呼ばれた朔間さんは年長者ゆえの余裕なのか、刺々しい言葉に動揺の一切を見せず笑みを浮かべている。

「ふむ。……どうやら招かれざる客のようじゃし、我輩はこれにて失礼するとしようかのう?鹿矢、氷鷹くん。健闘を祈っておるぞ」

私に荷物を渡して、朔間さんは去って行く。
朔間さんの背を無言で見つめる巴の表情は珍しく厳しいものだ。――でも既視感があって、いつだっただろうと記憶を巡らせる。

けれどそれも束の間。
巴はくるりと私のほうを向いて、揚々とした声を廊下中に響かせた。

「言い忘れていたけど鹿矢もぼくたちと同じホテルに泊まってもらうからね!レッスンはいいから、顔合わせが終わったらお家に戻って準備をしておいで?」
「……えっ。え!?なにそれ」
「“補助係”なんだから当然だね?ぼくがさっき決めたことだけどね!」

突然の宣告に、眩暈がする。
そういうのは初めに言って欲しかった。というか、普通に驚く。

ポケットの中で震える端末を取り出せば、新着メールが一通。
七種くんからのもので、件名は『【サマーライブ】期間の宿泊先について』とある。

「(……。七種くん大変だなぁ)」

一瞬だけ、遠くに離れた影が揺れた気がした。




BACK
HOME