#7.5




「瀬名?」

羽風たちと別れて、そこそこいい時間になってしまったので帰途に着こうと歩く彼女を引き留めれば、意外そうな表情がこちらを向く。

俺たちを置いて過ぎていく足音だけが聴こえる。
ときめきやらではなく純粋な疑問を浮かべるそれに一抹の寂しさを覚えながら、俺はお構いなしに手を引いた。



***



「腕痛い……ちょっとしかやってないのに」
「普段から運動しないからでしょ。これを機にランニングでも始めたら」
「あー、それもいいね。っていうか、瀬名も上手だったよね。あのゲームまたやりたいかも」
「ダンスゲームでなら再戦してあげてもいいけどぉ?」
「挑むなら秘密裏に練習してから挑むから」
「それは楽しみだねぇ?精々手応えがあるレベルまで這い上がってきなよ。何戦でも付き合ってあげるから」
「ざ、雑魚だと思われてる……悔しい〜!」

此処に行きたいんだよねー、なんてなるくんと話していたカフェに押し込めば、妻瀬は興奮気味に目を輝かせた。
季節限定らしいケーキと、紅茶とコーヒーを一杯ずつ。ほとんど待つことなく出てきたそれを写真に収めて嬉しそうに笑っている彼女からは悲しい出来事の一つも匂わない。

妻瀬鹿矢と言う人間は。
一度突き放したのに、当たり前のように俺を追いかけてきた大馬鹿者だ。
もう随分前のことなのに拾った恩をなんとか返そうとして、そばにいる。大好きだと言ってくれる。

苦手なものでも必要とあれば克服しようと努力するし、才能がないと分かってもひとつは成そうとする彼女は、嫌いではない。
ああ、でも作曲は抗争やらで有耶無耶になって結局完成してないんだっけ。れおくんは作曲途中にワンフレーズ聞いたと言っていたけど、どんな歌だったのだろう。

ともかく。頑張りなよと投げ掛ければそれを糧にするし喜んで雑用もこなしていく――とか称えてやっている間もその張本人は幸せそうにケーキを頬張っている。
夜ご飯入らなくなるよぉ、なんて小言は今日ばかりは潜ませておく。

「……本題。近ごろ様子おかしかったけど、何かあった?」
「え」
「【デュエル】あたりから元気なかったでしょ。体調悪いのかと思ったけどそうでもなさそうだし」
「……あはは、なにもなくはないけど」

特殊な立ち位置にいる彼女はアイドルである俺たちとは異なるベクトルで、ややこしい事情を抱えがちだ。
『広報準備室』が無くなってしまうということ自体、彼女を磨耗させている一因ではあるんだろうけど――結局俺の前では愚痴のひとつもこぼさなかったし。
“なにもない”わけがないのに。

【デュエル】での立ち位置なんか特に気に食わなかった。
立場が立場とはいえあっさり後輩に主導を任せて、隅っこで笑ってばかりで。サポートばかりを務めて。
……まるで俺たちから距離を取るみたいに、どこか線を引くみたいに立ち振る舞っていたように思う。意見を言わなかったわけでもなければ仕事もきっちりこなしていたから、抜けがあるとかそういうのではなくて。

妻瀬のことだから、『Knights』の活動に影響を及ぼさないようにと気を遣っているのだろう。
『プロデューサー』との関わりを邪魔しないようにしようとか、後輩育成のためだとか大体そんなところ。

こいつが動く理由は大体それが根本にあるし、頑なに口にしないことだって俺たちへの“気遣い”がほとんどで。欲しいと頼んだこともないけれど、先回りしてくれる彼女のそれは居心地が悪いものではなかった。

「(……はぁ。っていうかなんで俺が妻瀬のことで苛々しなきゃなんないの。今日だってそう。俺との予定が無くなったことを斎宮に――マドモアゼルに愚痴ってた?ほんと、言いたいことがあるんだったら直接言えばいいのに)」

けど、こいつは時々訳のわからない方向に舵を切って、危険地帯と分かっていても飛び込んでいく。それも独断専行で。
少し目を離した隙に忽然と姿を消すのはれおくんとよく似ている。

放っておけばややこしい話に巻き込まれていくのは実証済みで――ここ一年で二度もあったんだから、気にしておくに越したことはない。
斎宮からの忠告を素直に受け入れるとかじゃなくて、釈然としないことをハッキリさせたいだけ。

視線を合わせればぎよっと妻瀬は目を見開く。
このまま降参しろと言えばするだろうけど、今日はそういうのが目的じゃないから。出来るだけ優しく名前を呼ぶ。

「妻瀬」
「……。ちゃんと言うから、待って」
「うん。仕方ないから待ってあげる」

最近やたらと一緒に居ることの多いくまくんが気にかけてはいるだろうし、そもそも俺の知ったことではないけれど。でも。

当たり前にあった両隣が消えてしまうあの感覚も、春のすれ違いも気持ちが良いものではなかった。
それに似た何かがまた来るんじゃないかって──嫌な予感を拭いきれない。俺はまた、何か気づくべきことを見逃している気がする。

妻瀬はケーキをごくんと飲み込んで紅茶を口にする。
その所作は決して貴族のそれとは似つかわしくなく、精々普通ってところだ。そこらへんの女子高生よりマシ、社会には出せるかなくらいのもの。

「今日は特別に、いくらでも――なんでも聞いてあげるから。感謝してよねぇ?」
「あはは。……瀬名感謝記念日つくらないと」

割りに合わないね、と言いにくそうに目を泳がせて、ようやく妻瀬は口を開いた。





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