#08




夏の次、秋の記憶。
一年も経っていないというのに昔のように感じてしまうのはきっと、顔を合わせていなかったから。連絡を取っていなかったから。

交わることのなかったものが重なった数週間は不思議な期間だったように思う。
排除するはずだったきみは敵でも味方でもない、なんでもない“なにか”に移ろって。

「巴、いらっしゃい」

暇を持て余して読んでいただろう文庫本を片手に、彼女は今日もぼくを招き入れる。
太陽から隔離されている部屋は真っ白というわけではないにしても、色の無い空間だった。

「この部屋は質素だね。病室だから仕方ないけれど」
「あはは。まぁ派手ではないかも……。カーテン開けてないと季節もわからないし」

夏なら蝉の鳴き声で分かるのにね、とベッドに横たわって、彼女は天井を仰ぎ見る。

「でも巴のくれる花のおかげで華やかだよ。いつもありがとう」
「……どういたしまして。今日は趣向を変えてハーバリウムにしてみたね」
「あ、それ聞いたことある。うわー綺麗!」

角度を変えながらハーバリウムを眺める鹿矢は、絵本でよく描かれるクリスマスプレゼントを貰ったときの子どものようだ。
満面の笑みを浮かべる彼女に思わず口元は緩んでしまう。ベッドサイドに置かれた椅子に座れば、冷たい感覚。ぼくの体温を奪っていくのは憎らしい。

「気に入った?」
「うん。すごく」
「よかった」

ぼくが贈った花に包まれた小さな箱庭で。
革命から目を逸らすみたいに、ぼくときみを纏う世界の話をゆっくり口にする。
『アイドル』や『広報』を除いた、流れていく季節の話。病院の噂話。街にできた新しいお店の話。

期間限定だと分かっていた。
鹿矢の大切なものはぼくではないし、ずっとそばには居られない。――なによりぼくたちはお互いの“いちばん”ではない。
終わりはもうすぐそこ。だからこそ美しいのかもしれないし、尊いと思ったのかもしれないけれど。

当たり前に続けたかったその光景が、今も脳裏に焼き付いて離れない。





***




『Trickstar』と漣くんも合流し、【サマーライブ】の顔合わせを終えたのち、私は巴の指示通り荷物を纏めるべく学院を後にして。見学に来たあんずちゃんに雑務を押し付けてしまうことになってしまったことを申し訳なく思いながら、一週間分の荷物をキャリーバッグへ詰めこんでいく。

……帰ってきたら冷蔵庫の中身を整理しないと。
宿泊先は夢ノ咲だし、戻ろうと思えば戻れる距離ではあるけれど無駄な移動は避けたい。
ホテルのランドリーサービスとか使ったらお金が掛かるだろうし衣類は多めに持っていくべきだろうか。いやまあ、あとから経費で落とせばいいか。必要経費、必要経費。

「(泊まりは想定外だったな……)」

“補助係”って何。というのは話を聞いた時からの疑問ではあった。
曖昧に濁されたそれを天祥院は“『Eve』の味方”であることを指していたように思うけど、コズプロサイド(というか巴)的にはマネージャーくらいの意味合いな気がする。
七種くんが許可したのだって、深読みをすれば夢ノ咲学院の面々と接触させる時間を減らすためだろう。

キャリーバッグとリュックサック、紙袋を携えて、少し歩いて。
通り沿いでタクシーを待っていると見慣れた顔が向かいからやってくる。私服で一瞬分からなかったけど、瀬名だ。

街を歩くひとのなかでも抜き出て佇まいが綺麗で、伸びる影すらも心なしかすらっとしている。

「何その大荷物。夜逃げでもするつもり?」
「ちがいますー。『インターン』の関係で急遽ホテル泊になっただけ」
「ふぅん。泊まりなんてまた急な話だねぇ?もう家が遠いわけでもないのに。【サマーライブ】とやらのゲストのサポートなんだっけ」
「そうそう。『Eve』ってユニットのね」

あっそ、と(自分で聞いてきたくせに)興味なさそうに溢して、瀬名は私の手からキャリーバッグを奪っていく。
少し先にあるタクシー乗り場まで持って行ってくれるつもりなのだろう。

「何入れてるのこれ。重すぎじゃない?」
「一週間分だからね……。無理に運ばなくても大丈夫だよ、自分で引くから」
「その画が見てらんないから手伝ってあげてるの。大人しく頼りな」
「……う、うん」

最近、なんか、瀬名がやたらと優しい気がする。
朔間さんとの会話で話題に上がったから余計に意識してるのかもしれないけど、ゲームセンターで遊んだあとに誘ってくれたことといい、日直当番のサボりも最終的にはそこまで追及されなかったことといい――ひと段階身分が上がったみたいな心地だ。

たぶん、以前ならキャリーバッグではなく紙袋を持ってくれていたように思う。小さな変化ではあるけれど、ムズムズするのが正直なところである。
そんな私の気持ちも知らないで、瀬名は「そういえば」とこちらを向く。

「ホテル泊なのはくまくんにも言っておきなよ。一応。よく遊びに来るんでしょ」
「あ、そうだね。言っておかないと。タイミングが合えば鍵渡してもいいんだけどさ。……我が家のベッド、寝心地がめちゃくちゃ良いらしくてお気に入り認定されちゃったし」
「えぇ……。それは危機感なさすぎじゃない?くまくんだって男だよ」
「き、危機感かぁ……」

なるくんに付き合っていると思われていたくらいには、凛月と近い距離にいるのだろう。
……でもロマンスのかけらもないし、私が至近距離の凛月に照れようものなら全力で揶揄われるから瀬名が心配しているようなことはないと思うけど。

ああ、そういうのは朔間さんもだ。
あの兄弟、顔が良いことを自覚しているからさらにタチが悪い。

「……はぁ。彼氏の一人もつくれば意識も変わるんだろうけど。気をつけなよ。妻瀬だって、一応、仮にも、女の子なんだから」
「悪意しか感じない……。千年経ったら瀬名と付き合えるんだけどね」
「うわっ、ずいぶん懐かしい話を掘り返すねぇ……?っていうか覚えてたんだ?」
「そりゃあ。屈辱的な台詞だったから。十年早い〜とかは聞くけど千年はないなって」

じい、と視線をやれば居心地が悪くなったのか顔を逸らす。
そのあたりどう思われてるんですか瀬名さん、答えてください瀬名さん、と記者ばりに言葉を投げ掛ければ、瀬名は鬱陶しそうにため息を吐いた。

「……俺云々の前に相手を見つければ?そうすれば千年も待たなくていいんだから」
「いやいや、瀬名じゃあるまいしそんな簡単に見つからないと思う」
「ちょっと探せば居るんじゃないの、一人や二人は。物好きなやつ」
「物好きってどういう意味」

私の言葉を聞き届ける前に、瀬名はタクシーの運転手さんに話しかけて、トランクにキャリーバッグを乗せていく。
ちょっとカッコいいと思ってしまうのが悔しい。

「行っておいで。まぁ、頑張ってきなよ」
「……うん。行ってくる」

サイドミラーに映る瀬名は小さくなっていく。
すぐに背を向けずに見送ってくれるあたり、やっぱり瀬名の優しさがカンストしてるような気がしてならない。
春頃の瀬名ならすぐ歩き出してたでしょ、絶対。

『インターン』を終えて彼らのもとへ戻ったとき、慣れないそれを浴び続けたらどうなってしまうのだろう。なんてまあまあ失礼なことを考えながら、私は凛月へ連絡すべく端末を取り出した。




BACK
HOME