#10




ホテルのタオルって家で使ってる数倍はふかふかしている気がする。

顔を埋めればそのまま眠ってしまってもいいかも、と思うくらい気持ちが良くて。でも濡れっぱなしだし、夏だからと言って自然乾燥も良くないと分かっているから大人しく水分を拭き取って、髪を乾かしていく。
バスローブ……はまだ巴が部屋に居るからやめておこう。自宅から持ってきた部屋着を着てシャワールームを出れば、部屋の一角の広々としていたスペースにセットされたテーブルが視界の端に映って。

「鹿矢。ようやく上がってきたね。少し遅いけれど、これからアフタヌーンティーをしようね!」
「アフタヌーンティー」

ケーキと紅茶と、キッシュを前に笑顔を浮かべている巴は、まだまだ寝かせてくれそうにない。



***



「紅茶美味しい〜。落ち着く……お風呂入っちゃったし、もうこのまま寝そう……」
「子守唄を歌ってあげようか?ついでに添い寝をしてあげないこともないね?」
「あはは、それは贅沢だ」

巴の歌声を聞きながら眠ったら夢にまで出てきそうである。

彼の髪の毛を乾かし終えて、鹿矢も入っておいでという言葉のままにシャワーを浴びているうちに、巴はどうやらルームサービスを手配していたらしい。
厳密に言えばキッシュだけは午前中に、彼があのお店で買ったもので――昼間同席できなかった私のためにと取っておいてくれたのだという。

ほどよい熱さの紅茶が身体をぽかぽかと暖めていく。冷房を入れているからちょうど良いくらいの心地で、ベッドに寝転んだら数秒で意識が落ちてしまいそうだ。

「今日は朝から慌ただしかったからね。さすがのぼくも少し疲れてしまったし、鹿矢には今から“ゆっくりする時間”を“補助”してもらうね」
「おお……“補助係”ってそういう?」
「何をもって“補助係”とするかは、ぼくの匙加減ひとつで変わるからね。ほらほら、鹿矢も食べてみて。このキッシュすっごく美味しいから!」
「……じゃあ、いただきます」

晴れて巴のお墨付き認定をされたキッシュを頬張れば、サクサク、ジュワ、と口の中いっぱいにサーモンと卵、パイ生地とほうれん草やらの味が広がっていく。塩加減もちょうど良い。常温ながらこれは美味しすぎる。巴も気に入るわけだ。

ついでに、今思い出したけれど――大したお昼を食べていなかったからけっこうお腹が空いていたらしい。感想を述べる間も無く平らげてしまえば、手元の空虚感に耐えられなくなってしまう。

「もう終わった……」
「あはは!あっという間だったね?」
「美味しすぎてつい。これ今度絶対買おう、一個じゃ足りないよ」
「うんうん、鹿矢も気に入ったならよかったね。ぼくの目に狂いはないから当然だけどね!」

鼻高々に笑う巴は、相変わらず美しい所作で紅茶を嗜んでいる。

――『Eve』の二人が『Trickstar』のパフォーマンスを見たうえで、なんだかんだ彼らを共演者として認めたっぽい、というのは漣くんから聞いて知ったことだ。
氷鷹くんとのやりとりでは若干肝が冷えたけれど、一安心である。

因みに。あんずちゃんは【サマーライブ】のプロデュースの担当ではないことが理由なのか、やはり遠慮気味だったらしい。

「今日居た女の子……あんずちゃんだっけ。鹿矢の後輩なんだよね」
「そうそう、彼女が天祥院を倒す一手になった勝利の女神さま。学院内では引く手数多の、夢ノ咲学院の誇る『プロデューサー』だよ。覚えて帰ってね」

自慢げに語ったのが気に障ったのか、巴は呆れたように腕を組んでため息を吐く。

彼は私の置かれている状況をなんとなく知っているのだろう。
夢ノ咲学院の事情が何故かだだ漏れのコズプロに所属しているし、『Eden』の一員でもある七種くんは私の『インターン』を主導しているひとだ。

「対岸の火事だし、口出しをするつもりはないけどね……。『広報準備室』はその彼女の台頭もあって中々不味い立場なんだよね?散々“補助係”のような仕事をしているって聞いたね」
「……まぁ、先輩だから。後輩のサポートをするのは当然だよ」
「ふぅん。偉くなったものだね」

巴の冷ややかな視線がこちらを向いて、思わず唾を飲み込む。
――こんな風に言われるのは、明確な怒気を向けられるのは初めてだ。視線を、どこにやって良いのかが分からない。
これまでは。可哀想だとか、理不尽だとか、そういう目ばかりを向けられてきた。若しくは無関心か。春から今までずっとそうだった。

ぶわり。忘れたい感覚が急速に頭を支配していく。
ドリフェスやステージに足を運ぶたび、雑用に回る私を刺す視線は居心地が良いものではなかった。
どうして先輩が雑用を?後輩に席を譲るような真似を?……そんなの、縁を紡ぐ彼女の邪魔にならないように余計なものは隅にいるべきだと思ったからだ。どうせ居なくなるもの、消えてなくなるべしと烙印を押されたもの。

“先輩”という役割をこなせば幾らか緩和されたし、役に徹するほどステージは上手くいく。還元できる。アイドルと切磋琢磨し合い『プロデューサー』は彼らを輝かせていく。それは肯定されるべきものだ。間違ってなんかない。生まれる感情はさておき今度こそ正しい道を行っているはずだろう。

巴は、それが気に食わないと言わんばかりに私を見つめている。……ううん、違う。気に食わないと言うよりも。

「怒ってるの」
「怒ってるね。きみがぼくの誘いを断ってまで戻りたいと願った場所は、他人に譲ってしまえるようなものなんだって――それなら無理やりにでも拐えばよかったって、思ってしまうね」
「……巴って私のこと大好きだよね」
「大好きだね。手元に置いて、ぼくの輝きだけでその目を潰してあげたいくらいには」
「物騒」

まったく冗談の通じない子だね、と私の手を引いて巴はベッドサイドに座る。
髪を撫でられて、そのまま視線を合わせるように顔が近づいてくる。ドラマなんかでよく見る構図だ。けれど。ロマンスっぽいことが起こる前兆なんかじゃない。

ただ単純に、私を逃さないための体勢であることは分かっている。
彼は聞かれたことを有耶無耶にして回避する私を知っているから。きちんと言葉を吐くのを待っているのだ。

「……答えになってるかは分からないけど。私は目を背けたり、逃げたりはしないし、譲らないよ。自分のしたいことも、“先輩”って役割も」

もちろん『Eve』の“補助係”もね。と続けて笑えば巴はきょとんと目を丸くして、納得したみたいに声を溢す。

「……うん。鹿矢は、そういう子だったね」
「どういう子よ」
「秘密」

そう言って私の手の甲に唇を落として、巴は王侯貴族のように微笑んでみせる。
らしいと言えばらしいけど、こちらの身にもなってほしいものだ。アイドルに耐性はあっても女の子らしい扱いには慣れていないのだから。

ふと──深い意味もなく、数刻前の瀬名の台詞を思い出してはかき消して。私は逃げるようにベッドへ倒れ込む。
逃げないんじゃなかったの、と私の髪を撫でる巴の声はどこか楽しそうだ。




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