#02 Resonare fibris




「あ。これ、妻瀬が泣いた歌だ」
「それ言わないでよー恥ずかしい……」
「この曲聞くと思い出すんだよねぇ」

片耳にイヤホンをして、瀬名は笑う。

入学して、約一年が経って。
かれこれあって瀬名とは度々会話をするようになり、友人と言っていいレベルには仲良くなって──その縁もあって『バックギャモン』の広報を暫定的に担っている。
学院の半数ほどが所属するユニットということもあって、抱えるメンバーは想像の倍以上。すべてのメンバーが揃ったところなんて見たこともないけれど。

「ね〜月永ー、ここ分かんないから教えて!」
「う〜待って!いまいいところだから!」

譜面に向かう天才、月永レオ。
『チェス』、今は『バックギャモン』の誇る天才作曲家だ。
彼は友人の少ない瀬名の唯一の相棒にして、私が涙した曲の生みの親。子どもをそのまま大きくしたように純粋で愛らしい。
気まぐれで陽気。直観型。瀬名とはけっこう真逆だけど、兄弟のように戯れる(と勝手に思っている)さまは楽しげで、相性も良いように思っている。

「やっぱり難しい〜……頭がごちゃごちゃしてきた」
「作曲ねぇ。妻瀬、才能ないんじゃないの」
「うう……それは、わかってるよ」

手元の五線譜に描かれている歪な音符を覗き見て、瀬名は眉を顰める。
まず音符が下手くそ、と言われてしまえば返す言葉がない。

──私は、時折月永に作曲のいろはを教えてもらっている。
彼の気分次第だし、今日のように作曲に集中していると相手にすらしてもらえないけれど。
出来はお粗末で、瀬名からはこの通り散々な言われようだし、月永からも「箪笥に閉じ込められた洗濯機の悲鳴みたいな歌だな!おれは結構すきだぞ!」と褒められているのかよく分からない評された方をしたし、才能がないことくらいとうの昔に理解している。

「でも、一曲だけは完成させたいんだよね」
「妻瀬って、けっこう何でも完遂したいタイプだよねぇ」
「……あー。そうかも」
「やるなら、精々頑張りなよ。……ああでも」

瀬名は、そばで作曲作業を続けている月永を引っ掴んで呆れ顔でため息を吐く。

「あんた少し熱あるでしょ。ここで休むでもいいけど、ちゃんとリフレッシュしなよね。うるさいのは俺が連れてってあげるからさ」
「……えっ」
「おい、セナ!作曲の邪魔するなよ〜!」
「はいはい。あんたはこっちね」
「なんだよー。鹿矢、作曲はまた今度な!」

去っていく二人を呆然と見送って、額に手を当ててみる。……たしかに熱っぽい。
自分でも体調の変化に気づかないくらい活動に熱中していたらしい。

友人である瀬名が活動熱心だからこそ、触発されているのだろうけど。
まともに活動しているのは言えば瀬名くらいのもので、『バックギャモン』の面々は基本的に月永のもたらす恩恵で遊び呆けている。
参加しても適当にこなすだけ、ゆえに瀬名が声を荒げることも少なくない。その仲介役をするのは月永や私の役目だった。

とはいえ、どちらかというと――私は瀬名の気持ちがよく分かるのだ。月永の才がそんな不真面目なやつらに消費されていくのは見ていられないし、腹立たしい。
しかし注意したところで現状が変わるわけでもなく、日に日に肥大化していく『バックギャモン』は正直「詰み」だと感じていた。

広報活動を行っているのは『バックギャモン』が主だけれど、堅実に続けてきたからか、他のユニットの仕事も増えている。
契約やらで縛られているわけでもないので比重を変えること自体は容易だし、いつの間にか受け持っていた事務仕事を続ける義務はない。

「(それでも私をスタートラインに立たせてくれたのは彼らだ)」

恩義も、好意もある。
何より私は月永の作る歌を熱心に練習して、自信満々に歌い上げる瀬名が好きだった。
『バックギャモン』のメンバーは山ほどいるけれど、私にとっては彼らこそが『バックギャモン』そのものだった。
だから、離れるという安易な選択肢はもたない。

ベンチにごろっと項垂れる。
ここから移動するも正直怠いし、瀬名の言う通りここで休息を取ることにしよう。
春の日差しが心地いいうちに眠りの底へ落ちていく。


月永が怪我をしたのは、それから間もなくしてのことだった。





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