#13




「お、はようございます……」

側から見れば私を引き上げてくれた朔間さんの視線は、刃のように研ぎ澄まされている。私以外にそれを目にしている人はいない。

『Trickstar』のステージを観にきたのだろう。彼は指導者のような立場だったから、居てもおかしくはないのだが。
でも。よりによってなぜステージ裏になぜいるのか。夢ノ咲学院のアイドルだし、巡り巡って関係者といえば関係者ではあるのだけれど。

「鹿矢」
「……なんでしょうか」

部屋に連れ込んだ男友達を見つけた親と鉢合わせた、みたいな気まずさに耐えられず目を逸らせば、腕を掴む力が強くなる。私の骨なんてポキッと折られてしまいそうだ。
反射的に硬らせてしまった私を映す彼の瞳はいつもよりずっと深い色に見える。

「先ほどの。満更でもなさそうな反応じゃったが、ああいうのが好みか」
「そういうわけじゃ……、急に、されたから驚いて」

嫌な汗が首筋を伝っていく。
言い訳みたいについて出る言葉に朔間さんは眉一つ動かさず、無表情だ。

巴と仲良くしていたところを見られて突っかかられるのは、これで二度目だ。
以前はまあ、私はまだ朔間さんの恋人という肩書きだったから分かるんだけど。
……『Eve』の味方に徹し過ぎていたとでも言いたいのだろうか。
それで、気を悪くした?…………後輩が取られると思ったとか?まさか。後輩にも恵まれている彼に限ってそんなこと。

「……海外では挨拶代わりなんでしょ。だからほら、親愛のあかしとかじゃないの」
「ほう?」

爆音で流れる爽快な『Eve』の楽曲と朔間さんの表情は不釣り合いにも程がある。

苦し紛れに出したこじつけは、巴がそばに居ようものなら爆笑したのちに一蹴されたに違いない。
“目を逸らしたからその罰”的なことを言っていたし、それ以上の深い意味はないと思うけど、今の朔間さんには何を言っても通じなさそうだから黙っておく。

朔間さんはステージを一瞥したのち嘲笑にも似た笑みを浮かべて、ならば、と続ける。

「我輩も許されて然るべきじゃのう。鹿矢の友達で、先輩で、同級生じゃし」
「なにを」
「おぬしの言う親愛の証とやらをくれてやる、と言っておるのじゃよ。ほれ、頬を差し出さんか」

いやいや。それはさすがに意味わかんないでしょ。とか言える空気でもなく、視線は注がれっぱなしである。

「か、間接キスになっちゃうよ。巴と」
「逆を差し出せば良いだけの話じゃろうて。まさかとは思うが……それが我輩を拒む理由になるとでも考えておるのかえ?」
「いや、拒むとかじゃないけど、」
「では。何故顔を逸らしておるのじゃ」
「……恥ずかしいから。そんなに近いの」
「……そうか」

私の言葉になぜか満足げな朔間さんは、離してくれるのかと思いきや――余計に調子に乗らせてしまったらしい。
不機嫌と愉悦の入り混ざった声色は艶を含んでいて、もう逃れようのない雰囲気だ。

「『広報』の仕事もあるじゃろ。さっさと済ませてやるから、大人しくしておれ」

そんな単純作業みたいに言われても。
渋る私に痺れを切らしたのか、朔間さんは吐息がかかる距離まで顔を近づけて反応を窺うように目を合わせる。ち、近い。黒と赤と、真っ白な肌で視界が埋まっている。

脳内が、今の状況を、全く処理してくれない。
だってこんなに近くに居る朔間さんは初めてだ。今までただの一度だって――『元カノ』だのなんだのって私の反応を楽しむことはあれど、いたずらでさえも恋人っぽいことを仕掛けてきたりしなかったのに。突然、今更、本当になんなの。

触れられた場所から火傷していくみたいに熱くて消えてしまいそうだ。
ゆっくり、じっとり、隅から追い詰められていくような感覚に声が思うように出ない。

「さ、さ、朔間さん。お願いだから、勘弁して、」
「……従う義理は無いがのう?」

不機嫌を包み隠さずに落とされる声は恐怖心を煽られる。意図的に、しているのだろう。
朔間さんを従わせたいなんて気概があるわけでもないが、このままだと不味いというのは理解できる。でも頭は回らない。負のスパイラルである。それもこれも、朔間さんの突拍子もない行動のせいなんだけど。

「……分かった、分かったから。とにかく今は、勘弁してください」
「今は?」
「……ま、また今度、ね、」

そう咄嗟に口にして、五秒ほど。
仕方がないと言わんばかりに赤い瞳は伏せられて――それに安堵して息を吐けばたった今自分の溢した言葉が脳内を駆け巡っていく。

いやいやいやいや待ってよ。また今度って、なに。ちがう、違う!そんなのただの後回しだ。回避案でもなんでもない。
ハッとなって顔を上げれば、数秒前の不機嫌を撒き散らしていた表情はどこへやら。彼は楽しげに目を細めて私を見下ろしている。
言ってしまったものを取り消すことなんて、許されなさそうだ。

「……ふむ。焦らされるのもまた一興じゃ。良い表情も拝めたことじゃし、今日のところは勘弁してやるかのう」
「…………うう。もう、それでいいです」

熱を帯びた顔を冷ましながら、朔間さんを見上げる。
掴まれたままの腕にはじとりと汗が滲んでいる。私のものか、朔間さんのものかは分からない。

「まぁ、何処の馬の骨かも知らぬ輩に貪り食われてばかりでは腹の虫が治まらぬのも事実。――実際のところ、『また今度』を大人しく待てるほど“いい子”ではないんじゃよ、我輩」
「……え。それってどういう、」

ぐに、と指で頬を拭われて。
そちらに気を取られているうちに、朔間さんの指は私の腕を離れて後頭部へ移動する。

「……鹿矢」

唇が、頬を通り過ぎて、音を塞ぐように耳に触れる。私の名前を呼ぶ低い声でじんわりと満たされて。――続くリップ音と、突然走る痛みに思考回路は焼き切れる。

「くくく、食べ頃の林檎のようじゃのう」

優美に、怪しく光る紅色こそ彼の言う林檎っぽい色な気もするけれど。返す言葉すらももう、口から出ようとしない。


…………今日の朔間さんはなんだか変だ。
すっごく失礼だけど、暑さでおかしくなってるんじゃないかと思うくらい。
いつもは小難しい言い回しをしたり、何を考えているのか読めないひとだけど、今日は単純というか。やけに感情的というか。……よく少女漫画とかで見かけるような、ムーブというか。目の前に与えられたものだけを紐解けば――私の頬にキスをした、巴に嫉妬しているみたいだ。

夏って、誰も彼もの距離が近くなるものなのだろうか。ああでも朔間さんだけか。巴は久しぶりというだけで、もともと距離の近いひとだったし。

毒を浴びせられたり、再会したり、突然距離を詰められたりで、感情の置き場所がさっぱりである。
ばくばくと鳴り続ける心臓を、暑さだとかライブの熱だとかに溶かしてしまいたい心地だ。
夏はまだまだ始まったばかりだと言うのに。



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