#14




流れる汗を拭って振り返ると。
夢ノ咲学院の誇るトップアイドル二人に挟まれて、青ざめた表情をステージに向ける彼女が視界に入ってくる。

――後悔しているのだろう。
関わらなかったことを。放置してしまったことを。彼らの舞台にしてあげられなかったことを。それでも。
項垂れるわけでもなく。視線を落とすこともなく。彼女の瞳はステージに向けられている。
握ったペンをひたすらに動かして、『次』を考え始めているのだ。……やっぱりあの子は眩しい。カッコいい。なりたかった“私”よりもずっと。

太陽が、頭上を過ぎていく。
灼熱が肌を焦がしていく。
暴力的なまでのそれにあてられたら最後。
噴き出る汗は止まらない。一滴残らず搾り取られて、体内から水分は消え去って――干からびて死んでしまうかも。

水に飢えて渇いた屍を晒すくらいなら、いっそのこと水にでもなって“ため”になりたい。
濾過されて、どこまで残るかなんて答えは分かりきっているのに。
いつだって身の程を弁えることもなく、希望を抱いて足掻いている。ギリギリの淵まで、息をしたがっている。

「(……あーあ。喉、渇いた)」



***



――夢ノ咲学院前駅にて。
【サマーライブ】は拍手喝采の中無事閉幕。
『Eve』は勝利を片手に帰途へ着く。

「報告お疲れ様、鹿矢。もう平気?」
「うん」

ライブを終えたとは思えないほどの爽やかな笑みを纏った巴に感心しながら、労いを受け取って、隣に並ぶ。
雑音が報告の電話に混ざらないようにと離れていたのを、迎えにきてくれたらしい。

「巴こそ、【サマーライブ】お疲れ様。しっかり撮っておいたから事務所で確認してね。データは今晩七種くんに送っておくから」
「ありがとう。じっくり見せてもらうね」

それとなく巴に手を引かれて――『Eve』を見送る輪に戻れば、それぞれが思い思いに言葉を交わし、別れを惜しみ、敗北を噛み締めている。

『Trickstar』にとっては初の対外戦、もとい他校との交流だったわけだけど。
一週間を共にしたということもあって顔を合わせた日よりもずっと雰囲気は良い。
玲明学園では恨みを買ったりしているらしい巴たちにとっても、良いライバルが出来たようなものだろう。頬を綻ばせる巴や漣くんは楽しそうだ。

彼らが列車に乗ってしまえば長いようで短かった『Eve』の味方も終わり。明日からはまた、私は――夢ノ咲学院の一員として歩みを進めることになる。

「それにしても。今回は妻瀬先輩にもしてやられたよね……、先輩は夢ノ咲学院側のひとで、てっきり僕たちのことも宣伝してくれてるんだ〜って思ってたし」
「あはは。一応『インターン』とは言ってたでしょ?敵だよってそれとなく伝えてたつもりだったんだけど」
「分かりづらいですって。あんずちゃんも妻瀬先輩が居たから安心してたっぽいのに……?」
「……それすらも会長の、俺たちを鍛えるための采配のひとつだったんだろう。実際、先輩は先輩の仕事をしただけだしな」

やっぱり、と笑えるまで何もかもを予測していたわけではないけれど。
『Trickstar』は負かされたことを悔しがりはしたものの――“敵”として動いていた私を糾弾することはなかった。それっぽい説明を付け加えたからだろうけど、天祥院の手駒だったとすら思われているらしい。

まぁそれならそれで。
半分は間違ってはいないし、裏側のゴタゴタを表にしたくない私としては儲けものだ。天祥院を盾にしているようで良い気分はしないが。


「──久しぶりに顔が見られてよかった……また機会があったら、いつでも呼んでほしいね。気が向けば、遊びにきてあげるからね」
「うん。君も君の戦場で勝ち抜いて、夢を叶えられたらいいね。困ったことがあったら相談してほしい、手助けするよ……対価は支払ってもらうけどね」

意外だったのは。巴と天祥院の関係性が、想像の数倍悪いものではなかったことだ。

言われてみれば直接二人の会話を見たことはなかったし、イメージと違った、の一言で済む話ではあるのだが――かつて『fine』として徒党を組んでいた彼らにも、“そういう”ものはあったんだ、と腑に落ちる。

ビジネスライクとしか思っていなかったけれど、『Knights』にも側から見れば分からないような、温かく尊い日々があったように。
立場や思想は違っても、ともに戦場を駆けた日々にはきっと、彼らでしか共有し得ないなにかがあったのだ。

当時は自分のことで精一杯で失礼なことを考えていたように思う。うちに秘めていただけだから、謝る理由はなくても申し訳なさはじんわりと沁みていく。

ぱち、と天祥院と視線が交差する。
独特の、円やかな水色。ぜんぶを支配してしまいそうなそれは未だに苦手だ。
彼は私と巴を見比べては悪戯っぽく笑って――いつものように偉そうに、腕を組んだ。

「なに」
「──いや、本当に。元々は僕が仕組んだ縁とはいえ、仲良くなるだなんて思っていなかったから。目の前に並ぶ君たちが面白くて、つい」

ひとを見て面白いだなんて趣味が悪い。
たしかに、私と巴はクラスも違ったし、一番距離の離れた関係性だったというか、天祥院の策がなければ話すことなんてなかったのだろうけれど。

「……始まりこそ仕組まれてても、“それ”しかない一本道じゃないんだし。歩き方次第でどうなるかなんて変わるでしょ」
「そういうものかい?普通なら嫌悪感すら抱きそうなものだけど。妻瀬さんの図太さには感心するよ」
「ははは。それはどうも」

なんだか似たようなことを、もっと皮肉っぽく言われた気がするけど。
べつに蒸し返したいつもりなんてないのだろう。

純粋に、不可思議なものを見るかのような眼差しを向ける天祥院との会話を遮るように、巴は私の手を掴む。
その表情は困惑の一色だ。

「巴?」
「…………もしかしたらとは思っていたけれど。鹿矢は、ぼくの近づいた理由を知っていたの?」
「うん。嬉々として本人がバラしてきたよ」
「嬉々と、ってほどでもないけどね」
「あー、ラスボスっぽく、禍々しく?」
「酷い言い草だなぁ」

いや、あれは悪代官もびっくりなオーラだったとも思う。
視線でそう訴えていると、巴は無言で――海外ドラマの再会シーンさながらの勢いで私を抱きしめる。
それはもう、信じられないくらいの力強さで。照れる暇もなく、骨の軋む音が鳴るくらいに。

「い、痛い痛いっ!巴、力加減!」
「……ねぇ、鹿矢。きみは全部を知っていて、ぼくを許していたの」

――友達でいてくれたの。
なんて、巴にしては覇気の薄い、随分と自信の無さそうな声が降ってくる。
反射的に触れた彼の腕は僅かに震えている。そばにいる私にしか分からないくらい、ほんの少しだけ。ああ、そういえば。

「(……言ってなかったんだっけ、結局)」

知ってたよ、とか言う暇もないくらいに。
時間は無かったのだ。巴がいつか憂いたように、本当に。お互いのことを話すことを避けていたから余計に。
この一週間ですらも思い出話や仕事の話やらで敷き詰められていて、それもそれで楽しかったんだけど。

「巴、」

彼の言葉を肯定するように、私も負けないくらいの力を込めて。親愛を込めて。思いっきり抱き返してやる。
天祥院とかが見てるけど、まあいいか。

そりゃあ動揺はしたし、全部演技だったのかなって悲しくなりもしたけれど。
初めて抱きしめてくれたときの温かさが答えだと知っていて。――だから何もかもを許して友達だ、って単純に割り切れる話でもないにしても。

「許すとかじゃなくて。友達でいたかったんだよ、私が」


終わっていく。
秋の風に揺られながら纏った花の匂いは消えてしまった。
代わりに夏の――焼き消すというよりは照らし尽くす太陽の香りに満ちていく。それらを引き連れて巴は再び夢ノ咲から去っていく。

ありがとう、と離れる間際に囁かれた言葉は、心の底から嬉しそうな声色をしていた。




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