#17




「え。瀬名来てたの」
「昼間に偶然エントランスで会ってねぇ。アイス、鹿矢に差し入れだって。冷凍庫に入れておいたからあとで食べよう?」
「……そっか。お礼言っておかないと」

昼寝と呼ぶには大胆な眠りに浸って、良い気分で目を覚ましたそばにあった凛月の寝顔を前に飛び起きたのは数時間前のこと。……近頃はあまりなかったからと油断していた。眠る直前は凛月が巻きついてきていたような気もするけれど。

まぁそれも言えば夏に入る前までは日常茶飯事だったので、懐かしささえ感じる衝撃はもういいとして。
曰く、買い物に出ようと部屋を出た凛月は瀬名と遭遇したらしい。

「上がっていかないのって聞いたんだけど、用事があったみたい。セッちゃんも大忙しだねぇ」
「……あー。グラビアの仕事受けてるとか、なるくんから聞いたような」
「セッちゃんからじゃなくて?」
「まあね」
「ふぅん」

リモコンを手に取った凛月は、チャンネルはそのままで!というバラエティ番組の司会の言葉も無視して、裏番組のドラマに変えてしまう。無情である。
クライマックスを迎えた恋愛劇を横目に、私は少し不恰好なオムライスをスプーンで割って、口に運んでいく。見た目はまずまずだが味は美味しい。数ヶ月も自炊を続ければ上達するものだ。

なぜか分からないけど、自分で作ったご飯ってあっという間に終わってしまう気がする。あと一人分を作るのって案外めんどくさい。
瀬名と買い揃えたレシピ本はどちらかと言えば栄養バランスやら健康志向に寄ったものが多く、二、三人前で表記されているものがほとんどだ。なので、凛月が晩ごはんを食べていく日はけっこう作りやすいのである。

「ていうか凛月は家主じゃないでしょ。なに勝手に上げようとしてるの」
「気遣いなのに〜。目が覚めてセッちゃんが居たら鹿矢が喜ぶと思って」
「……う、嬉しいけど。ちょっとしたホラーじゃない?」
「ホラーって。チクっちゃおうかな」
「嘘だよ!ご馳走様でした!」
「あ、逃げた」

ぱちん、と手を合わせて。CMに切り替わったと同時に席を立って、キッチンにお皿を運んでいく。
凛月のお皿にはまだ三分の一ほど残っているので、洗うのはもう少し後でいいだろう。後工程を楽にするためにも、お湯で軽く濯いでケチャップを落としておく。こういうの、実は地味にやっておくべきなのだ。

ソファなんかがあればいいんだけど、残念ながらそこまで家具へ注ぎ込めるほど潤沢な資金があるわけでもないのでゆっくりとベッドに横たわる。顔を埋めるように伏せればふわふわの羽毛が出迎えてくれて、気持ちが良い。

動きっぱなしだった『インターン』の日々が嘘のような、まったりとした日常はまだどこか落ち着かない。
――でもとにかく、天祥院の話が本当なら懸念事項はひとつ消えたから。最悪の事態は回避できたから。ひと段落したことを喜ぼう。
幸いなことに私は自分で地雷を生成して設置して、踏みかけたところをなんとか生きながらえたのだ。

「…………ねぇ、凛月。この間は、夏バテでって理由で無視しちゃってごめんね」
「……今?まぁ、べつにいいよ。参ってたのは本当だったんだろうし。何も言ってくれなかったのはムカついたけど……なぁに、ようやく吐く気になったの」

ポーカーフェイスは得意じゃない。
加えて凛月は出会った頃から私の考えていることを見透かしているようだから、上手く取り繕ったとしても違和感を本能的に感じ取っていたのだと思う。
拗ねたような口調ではあるが、凛月は安堵したように息を溢す。

「…………まあまあ自業自得なことがあって。罠だって分かってたのに欲を出して迷走してたの。挙句調子に乗って、思いっきり逆走してたというか……コースアウトしかけたというか。軽く危機一髪だったって話」
「濁すねぇ」
「濁すよ。しんどかったし、カッコ悪いし」

あんまり言葉にしたら沈んでしまいそうだし。
言いかけたものを取りやめて、唾を飲み込んだ。

「話はいまいち見えないけどさぁ?……自己嫌悪に浸るのは鹿矢の悪い癖」
「あはは、そうかも」

床が、軋む音がする。
先ほどより近くに聞こえる凛月の声は、すぐそこから発されているのだろう。

「……それでも。隅っこだけでも、話してくれたのは嬉しい」

さらりと私の髪を撫でる指は少しの寂しさを帯びていたけれど見ないフリをしてしまう。
心配してくれていたのに、言えなくてごめん。言いたくなくてごめん、と心の中でもう一度謝って。凛月の優しい声がそれを受け取るように降ってくる。

「ちゃんと分かってるよ。鹿矢の行動が巡り巡ってぜんぶ『Knights』のためだってことくらい。鹿矢は、俺たちの『味方』だもんねぇ」
「……そのつもりだよ」
「うん」

伝える勇気も、成し遂げられる自信も本当はないから、しまっておくけれど。
譲らない。きっと、何があっても。逃げ出すことだけは絶対にしないよ。
凛月の言う通り。私はずっと、『Knights』の味方なのだから。

笑い話に出来る日が来たらきちんと話そう。
いつか、そんな『後日談』に辿り着けたら。とか――現実逃避にも程があるし夢みたいな話でも。思うくらいはいいだろう。分かっている。分かっているから、前を向くのはもうちょっとだけ待ってほしいだけ。せめて夏の間くらい、いいでしょ。

ぬくもりを求めて、凛月の手に触れる。
今日は甘えん坊さんだねぇ、なんて上機嫌な声色で絡んでくる指はくすぐったいけれど、あったかい。いつもと立場が反転しているみたいだ。

「……鹿矢、オムライスつくるの上手になったね。次はハンバーグつくってよ」
「……じゃあ凛月のポテサラ食べたい。あと、ミネストローネスープも」
「ふふ、欲張りな鹿矢。仕方ないなぁ」




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