第28話 はじまり

まもなく、ひのやの営業時間が終了する頃。暖簾を片付けている私の元へ、晴太くんが携帯電話を握りしめて走ってきた。


「なまえ姉、電話! カウンターの上に置きっぱだったよ」
「ごめんね、ありがとう」


急いで受け取り、耳に当てる。その電話の相手は女将さんだった。もうすぐさくら屋で会うのにどうしたんだろう。



「なまえ、雅が! 」
「えっ、」



もしもし、と言う前に女将さんの焦りと不安が混ざった声がする。
すぐに新井先生の所へ来て、とだけ言われて電話は終わってしまった。
日輪さんに事情を話して、すぐさまひのやを後にする。


雅は私が吉原に来て初めて出来た友達だ。私と違って気が強くて、たびたび姉様たちに噛みついていた。それを収めるのが私の役目。


けど、彼女がいたから、私も幼い頃の厳しい日々を乗り越えられた。
遊女にも、百華にもなれなかった私と、変わらず友達でいてくれる。


その彼女に一体何があったんだろう。
焦る気持ちを抑えて、急いで雅の元へ向かった。



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「雅! 」



小さな診療所の一室。ベットに横たわる雅と、壁に寄りかかる月詠さんの姿があった。
月詠さんは私をみるとわずかに微笑み、声を抑えてと言うかわりに、人差し指を口元にあてる。



「月詠さん……あの、雅は」
「心配するな。今は眠ってるだけじゃ」



彼女を見れば、規則正しい寝息を立てている。おでこには包帯が巻かれていた。
月詠さんがイスを出してくれたので、素直に腰かけ、震えていた体を休ませる。
雅の布団を撫でれば暖かさが伝わってきた。




よかった、とりあえず無事で……




「何があったんですか? 」
「裏口で頭から血を流して倒れてたそうだ」
「月詠さん、ち、血が」



月詠さんを見ればいつもの着物にところどころ赤い血の跡。私は急いでハンカチを取り出そうとするが、月詠さんは手を出して制する。



「これは雅の血だから、気にするな」



病室の扉が突然開かれる。入ってきたのは女将さんと新井先生だった。



「なまえ、急に電話してごめんね。
月詠が通りかかってくれて助かったよ。私はもうパニックになっちゃって」

「女将さん、先生」

「雅さんの傷は深くないですし、安静にしてれば大丈夫です。
腕の方は少し時間がかかるかもしれないですけどね」

「腕? 」



女将さんが悲しげに雅の寝ている布団をめくる。左腕にも包帯が巻かれていた。襲われた時に腕で顔を庇ったのだろうと先生は言う。



「そんな! 雅はさくら屋1番の和楽器奏者なのに」



雅の弾く和楽器が好きだと言うお客さんも多い。でも、そんな彼女の腕は今はとても楽器の持てる状態ではない。



「女将さん、今日って」
「そうなんだよ。けど雅がこの状態じゃ……見習いを座敷に上がらせるわけにもいかないし」



幕府のお得意様が来る日だった。和楽器が好きらしく、いつも宴会の時は楽器隊も座敷に上がらせる。
以前楽器隊が不在な時に、ひどくご立腹だった。トラブルを避けたいお客のひとり。

断りたいが、お金まわりがいい人らしいので、無下にも扱えない。



「日輪に誰か女がいないか聞いてみるか」



月詠さん、と小さく呼んで話を遮る。




「……私が座敷にあがります」



誰かの為になるのなら、私は自らの記憶も騙してみせる。





その言葉に女将さんと月詠さんが目を見開く。2人は私の事情を知ってるから、発言にはひどく驚いたようだ。



「なまえ、良いんだよ。何とかするから」
「無理はするな。あの時みたいになるかもしれん」
「でも、もうすぐお店が開く時間です。今から姉様の中で奏者を探すのは時間的に厳しい」



お客さんの相手をするのは私じゃない。一緒にあがる姉様たち。そう、私は和楽器で場を楽しませるだけでいい。


女将さんは額に手を当てて、考え込む。
私の気持ちを汲み取ろうとしてくれるのが分かる。
でも、さくら屋をまとめる女将さん自身としての気持ちも私には分かる。
葛藤しているのだ。



「……分かったよ。月詠、今日は店の周りの警備頼むよ。なまえ、そうなったら急いで戻って店を開ける準備だ」
「なまえあがらせる気か、女将! 」



雅のいない穴を私で埋められるかは分からない。
でもここでじっとしていたくない。女将さんや雅、さくら屋の力になりたい。



私が頑なに意見を曲げずにいれば、月詠さんもため息をひとつ漏らし、分かったと小さく呟いた。



月詠さん、ワガママ言ってごめんなさい…




「雅さんに何かあればすぐご連絡します」



新井先生は一部始終を聞き終え、そう言ってくれた。先生が居るなら大丈夫だ。

雅に、またねと告げ、3人で診療所を後にする。月詠さんは未だに不満げな顔だが、私の意見を優先して、何も言わずにいてくれる。





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「久しぶりだ、この鏡台を使うのも」


さくら屋に戻り、雅の使ってる部屋を借りてお店にでる準備をする。化粧道具も持ち合わせていないので、ココから少し借りよう。


準備してる最中、心配そうな顔をしてる月詠さんが鏡越しに見える。彼女はゆっくりと煙管の煙を吐いた。



「……わっちが髪を結ってやる」



そう静かに呟くと、月詠さんは私の髪を結い始めた。



「こうしてると昔を思い出しますね」
「ん? ああ、でも前とは逆じゃ。昔はわっちの髪をぬしが結ってくれていた」




そう話してる間に瞳を開ければ、鏡には出来上がった自分の姿。



(月詠さんさすがだ……)



あの短時間で私の髪は姉様たちと同じようになっている。簪を挿せば完成だ。



「うむ。綺麗じゃ、なまえ」



いつもより豪華な着物に、派手な化粧に髪型。私じゃないみたいだ。
小さく深呼吸する。いつの間にか手が震えていた。

俯いていると月詠さんが胸を張れ、と言うようにトンと背中を押してくれた。

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