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あれ以来、夏油さんはあの食堂で私を見つけると、「お疲れ様。前いいかい?」と言って目の前の席に腰を下ろし、一緒に食事をするようになった。
初めはこのやりとりに少し戸惑った。なんせ今まで仕事上でしか関わりない人。それもあの夏油傑だ。昼ご飯など食べた気がしない。
しかし、慣れとは恐ろしいもので、今は「あ、今日は
そして、夏油さんはその度になにかしら奢ってくれる。必ず。天ぷらやデザート、食堂のメニューに限らず、会社に向かう途中にあるコンビニで飲み物を買ってくれたり。
「昨日残業してただろ?お疲れ様の意味を込めてね」
「今日は営業部のやつが迷惑をかけたから、そのお詫び」
「私の事情を内緒にしてくれてるお礼だよ」
そう良い感じの理由をつけて、私は見事に餌づけされてしまっている。貰ってばかりも申し訳ないので、彼に何か返そうとすれば、
「私がしたくてやってるんだから、気にしないでくれ」
と本当に困った顔をするから、何も言えなくなってしまう。
結局、複雑な思いを抱えたまま、今日も夏油さんが買ってくれたミルクティーを片手に会社に戻るのだった。
夏油さんについても、少し分かって事がある。
まず食事の仕方が綺麗。残さず食べるのはもちろん、お箸の持ち方、茶碗の持ち方、全てが美しい。
あと、大笑いする時に眉毛が八の字になって、整った白い歯が見える事。
特に面白くない私の話が彼には刺さるらしく、時折、そんなに?!と思うくらい声を上げて夏油さんは笑うのだ。意外とツボが浅いのかもしれない。
それと夏油さんの友達には、教師として働いてる人と医学部に通ってる人がいること。
優秀な夏油さんの友達もやはり同じくエリート。類は友を呼ぶのは本当だったらしい。
その友達の話になると、口調が崩れて学生みたいな話し方になる。
「すごい甘党でね。子どもっぽいだろ?」なんて思い出し笑いをする夏油さんも、無邪気で子どもみたいだった。少し可愛いと思ったのは内緒。
♢
暖かな陽射しが降り注ぐ昼下がり。会社が近づくにつれて私が徐々に歩く速度を遅くすると、隣の夏油さんは、"またやってる" と言いたげに可笑しそうに笑った。
わざとらしく夏油さんの歩みも私に合わせてゆっくりになるものだから、「それじゃダメなんですよ!」と急いで抗議した。
「別にいいじゃないか」
「夏油さんがよくても私がダメなんです」
私の全力の言い分を夏油さんが「はいはい」となだめるのも、もはや私たち二人の恒例になっている。
外で夏油さんと食事を共にした日は、こうして並んで歩いて会社へ戻っているのだが、オフィスが近くなると、私は夏油さんから物理的に距離をとるのがお決まり。
決して夏油さんと一緒になんていませんでしたよ、と言い訳するみたいに。誰にかって?
会社の人間(主に彼のファンである女性社員)だ。夏油さんはなんにも気にしてないみたいだけど、私は気にしかしかない。
こんな、"あぁ、総務の人ね。名前は出てこないけど" なんて言われそうな一般ピーポーの私と、出勤するだけで、すれ違う女性たちが浮き足立つ存在である夏油さんが一緒にいるところを見られたら、何を言われるかたまったものではない。
「お先に行ってください」
どうぞどうぞ、なんて仕草をしてみれば夏油さんはクスッと小さく笑みを浮かべて、「分かった、先に行くよ」とヒラヒラと大きな手を振りながら先に会社に戻ってくれた。
その逞しい背中を見送りながら、私は今日も自分の平凡な会社生活が守られたことに安堵する。
そして夏油さんが通った数分後、彼が一度ご飯に行ったという受付嬢の横を通り過ぎながら、私はセキュリティゲートへ自分の社員証をかざすのだった。
♢
ある日、今日は社内で食べるか、あの食堂へ行くかと思案しながら一人で社内の廊下を歩いてる時だ。
角を曲がってきたのは、三人ほどの女性社員に囲まれる、夏油さんの姿。周りが一方的に話してて、夏油さんは、ほど良く愛想良く、相槌をしてる。
女性たちの声が大きいせいか、会話はほとんど丸聞こえ。夏油さんが私に気づいているのか分からないが、キラキラと発光しているその集団に、なんとなく肩身の狭い思いを抱きながら、私は廊下を歩き続けた。ちなみに女性たちは私の存在に気づいてない絶対に。
「夏油さんたまに外でご飯食べて来ますよね? 」
「どこ行ってるんですか!」
「あたしも連れてってほしい〜」
甘えるみたいな声で、さりげなく夏油さんの腕に巻きつく女性も中にはいる。
会話の内容はどうやら、昼食の事らしい。ドキリと女性社員の質問に心臓が動いた。夏油さんがあの場所を教えてしまったら、私のオアシスがなくなってしまう。
いや、夏油さんが彼女たちに教えても、別にいいんだけど。それは彼の自由だし。
でも……あの人たちと夏油さんが食堂に来るようになるその光景は、あまり見たくない。
彼はきっと私と同じように、彼女たちにも天ぷらを奢り、デザートを一緒に食べるだろう。
まだ見ぬその光景を想像するけど、あまりいい気分にはなれなかった。
とにかく、そうなったら仕方ないので、新たにご飯屋を開拓しよう。
自分の胸に小さな誓いをたてた所で、彼がどんな返答をするのか気になり、耳に全神経を集中させる。
一人で歩いてる私が彼女たちによって、さらに廊下の隅に追いやられた時だ。
「すまないね。教えられないんだ」
そう申し訳なさそうに夏油さんは答えた。ストレート過ぎるその返しに、女性陣たちは「え?」と一瞬押し黙ってしまう。私だって足が止まりかけた。というか、止まった。
そのあと夏油さんは彼女たちの反応を何も気にせず「友達と食べてるから」と付け足した。
言い方はやんわりなのに、それ以上は聞かないでという圧が滲み出ている。というか友達、とは私のことだろうか?
教えるつもりはないとはっきり言われてしまっては、女性陣もそれ以上、どこでですか?など言及出来ず、「え〜ざんねん」と甘えたように不満げな声を出すだけ。
夏油さんの意外な答えに、私はつい彼の方を向いてしまう。だけどすれ違った夏油さんはもう数メートル進んでいて、私からはいつものようにキュッと後頭部でまとめられたお団子しか確認できない。
どうして彼は教えなかったのだろう。人におすすめできるくらい、美味しい食堂であることは間違いないのに。
でも、夏油さんの答えを聞いて、どこかホッとしてる自分がいた。
それは、自分のオアシスが守られた安堵からなのか、夏油さんと女性たちが一緒にいるところを見ずに済むという事への安堵なのか、今の私には分からなかった。
♢
「あ」
食堂に足を踏み入れると、そこにはもう見慣れた人物がいた。おばちゃんはいつものように元気に「いらっしゃい」と言ってくれて、もはや当然のように、夏油さんの席の前にメニューを置いてくれる。
夏油さんも私を確認すると、箸を止めて柔らかく微笑んだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
メニューも開かず、おばちゃんに注文を済ませる。つけられたテレビからは、芸能人がお宅訪問とか言って、どっかの社長の豪邸を紹介していた。
午前中、廊下でのあの出来事があったのに、私は食堂に来てしまった。なんとなく夏油さんがいるんじゃないかと思ったからだ。
「今日、廊下ですれ違ったね」
「気づいてたんですか?」
「もちろん。どんどん隅っこに追いやられていくから心配になってしまったよ」
なんて軽口を叩いて夏油さんは笑う。あなたの取り巻きのせいですけどね?!なんて言えるわけもなく、「いいんですよ。彼女たちは夏油さんに夢中なだけですから」と皮肉のような言い回しをして、出されたおしぼりで手を拭った。
天気とか最近この辺りに出来たカフェとか、取り止めのない話を夏油さんとしていると「おまたせ〜」とおばちゃんが私の昼食を提供してくれた。待ってました私のご飯。おばちゃんにお礼を言って、早速割り箸を手に取る。うん、今日は綺麗に割れた。
「夏油さん今日……」
「ん?」
「どうして、ここ、あの人たちに教えなかったんですか?」
一口目を口にしたところで、私は思い切って彼に聞いてみた。
もちろん、彼女たちへ口コミをしてもらいたかったわけではない。ただ気になった。
しかし、私の問いに夏油さんは普段通り、丁寧な所作で食事を続ける。変わらない態度に、私この質問するの結構勇気いったのにななんて思う。
その後、夏油さんは箸を置いて、お茶が注がれた湯呑みにゆっくりと手を伸ばした。
「教えて良かったの?」
夏油さんの瞳がくるりと店内を見渡す。少し首を傾けて、そんなわけないよね?と言いたげに彼は意味深に口角を上げた。まるで、私が教えて欲しくなかったことを見透かしてるみたいに。
そんな夏油さんをなんとなく直視出来なくて、口にもう蕎麦が含まれているのに、私は再度すする。おずおずとしてる私を見ながら、夏油さんは再び箸をとり、漬物を食べ始めた。
「だってここ、君がゆっくり出来る場所なんだろ?だから言わなかったんだ」
まるで当たり前というように夏油さんは言った。平然と食事を続ける彼とは反対に、私の箸は止まってしまう。
そういえばそんな話を前にした気がする。夏油さんがそんな小さな話を覚えてることが意外で。それに、私のためだという回答に、戸惑いながらも嬉しさが込み上げる。
それを知られないように、慌てて湯呑みに手を伸ばし、程良い温かさのお茶を一口飲んだ。
「そう、なんですね」
「私にとってもそうだからね」
ふふっと夏油さんは笑った。そして「ここは私たちだけの秘密基地だよ」なんて少し恥ずかしい台詞を、恥ずかしげもなく言うもんだから、一瞬キョトンとしてしまう。
でもそんな台詞すら許されてしまうのだから、顔が整ってる人はズルい。
でも、秘密基地というのはいいかもしれない。子どもの頃は憧れたものだ。自分の好きなものを持ち込んで、誰も知らない自分だけの場所という特別感に浸って、心ゆくまで過ごせる世界が。
「夏油さん、秘密基地作ったことあります?」
「あるよ。当然」
「ですよねぇ。私は自分の部屋のクローゼットの中に作ってました」
「クローゼットか。女の子だねぇ。私は男だったから、外に作ってたな。森の中に誰も使ってない小屋があって、友達とそこでよく遊んでた」
そこから、何を基地に持ち込んでたとか、子どもの頃に流行ったモノとか、とるに足らない話なのに夏油さんと盛り上がってしまった。
なんてことない他愛のない話をするこの時間が、どうやら私は結構好きらしい。
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2026/04/02