6



 どうして安易に引き受けてしまったのだろう。そう数分前の自分を呪った。


「どうしてくれるのよ!」


 甲高い声が総務部の部屋に響く。他のみんなは休憩中で、部屋には私しかいない。
 それはつまり、この状況で私を助けてくれる人がいない、ということだ。
 目の前の女性は大声をあげ、シュレッダーを指さす。そこには三分の一ほどしか生き残っていない書類があった。
 ことの発端は今から数分前に遡る。







 営業部所属の社員に用事があり、ほとんど来ることのない三階のオフィスに足を踏み入れた。
 ちなみに夏油さんは四日ほど前から出張。この前、一緒に昼食をとった時に教えてくれた。
 そっと周りを見渡す。あぁ、やっぱり夏油さんいないんだと少し落胆した気持ちになったのを、急いで頭を振ってかき消した。
 いやいや、いてもいなくても別にいいじゃん。


「うわ、ごめんね。俺の印鑑漏れてたんだ」
「いえ、ありがとうございます」


 提出された書類の不備を直してもらったので、私の用事はこれにて終了。早く戻って、今度は備品の発注をしなければ、とやるべき仕事を頭の中でリスト化していたその時だ。


「総務さーん」


 大きな声で自分の所属してる部署を呼ばれ、反射的にそちらを振り向く。派手な女性社員が私を見ており、引き止められたのは自分なのだと確信した。
 高めのヒールを履いたその人は颯爽とした姿で私に歩み寄ってくる。さすが人前に出る営業部。綺麗に身なりが整っていて眩しい。

 どうかしました?と返事をする間もなく彼女はだいぶ厚みのある書類の山を、私の前に差し出した。え、なにこれ。広辞苑くらいありますけど?


「ごめんね〜。今、営業部のシュレッダー壊れてて、代わりにこれ総務で捨てといてくれない?」


 コテンと首を傾げて、まさに"営業スマイル" と言える完璧な笑みを浮かべている。
 そんな彼女に気を取られてる隙に半ば強制的に持たされた書類の山。「えっ」と短く声を上げた私の手に渡った途端、彼女はパッと手を離し、「よろしくね〜」と自分のデスクにさっさと戻って行こうとする。


「あの!」


 私が呼び止めると、少しだけ不機嫌そうに「え?なに」と顔だけを私に向けた。片手にはスマホ。カツカツと音をさせて操作している。私の話よりもそっちが気になるよう。その態度に一瞬怯むが、負けじと彼女に大事な確認を取った。


「これホチキスで止まってるのとかありますけど、捨てていいんですか」
「あーいいのいいの。全部捨てといて」


 私の質問を突っぱね、スマホの画面を見たまま、追い払うように手をしっしとされた。
 年齢も社歴も彼女の方が上だから、何もいえない。というか、反撃したところで入社して一年ちょっとしか経ってない、ペーペーの私の言うことなどに耳を傾けないだろう。仕方がないとため息をつき、私は総務に戻った。


 人が出払っている静かな部屋で、まさに機械のように無感情でシュレッダーへ書類を流し込んだ。


「これで最後」


 手に取った書類は十枚ほどの厚さで、左上がホチキスで留められてる。先ほど女性社員に確認をとったものだ。
 これくらい外してよ、と心の中で悪態をつき、指先で無理やり芯をとった。もうっ…と思いながら書類を機械に突っ込むと、バリバリと音を立てて粉々になっていく。
 その時、バンッ!とノックもなしにドアが開かれた。


 音に驚いて肩を揺らした私の目に飛び込んできたのは、先ほどの営業部の女性。メイクで拡張された大きな瞳が、私を見つけるとさらに見開かれ、ドスドスと足音でもしそうな勢いで近づいて来た。え、なにごと?


「さっきの書類は?!」
「えっ」


 ものすごい剣幕で言われて、二、三歩後退る。ここに……と今もなお書類を飲み込み続けるシュレッダーを指さすと、彼女は機械の停止ボタンを壊れるんじゃないかと思うくらい強く押した。


「この中に、ホチキスで留まってた書類なかった?!」
「ホチキスで……」


 あった。数秒前までは私の手の中に。今は無惨にも半分以上が粉々だけど。
 引きつった私の顔を見て察したのか、綺麗に整えられた眉毛を吊り上がる。さっきのスマイルはどこへやら。
 よほど大事な書類だったのか、女性は焦りと苛立ちを隠すこともなく、近くのデスクに拳を叩きつけた。
 その拍子にデスクに置いてあった私のボールペンが転がり床に落ちる。しかし、それを拾う暇も私には与えられない。


「どうしてくれるのよ! 」


 そして、冒頭に戻る。しかし、私もこんなこと言われればさすがに黙ってもいられない。


「私は……捨ててって言われたから、捨てただけです」
「この書類ホチキスで止まってたでしょ!」
「さっき、捨てていいか確認とっ…」
「ちゃんと、これって書類アタシに見せた?見せてないでしょ。確認って言わないからそれ!」


 ……いやいや!そんなのは言いがかりだ。理不尽だ。
 第一に営業部の使う書類なんて、総務の私が判断できるわけがない。
 しかし、彼女のイライラは収まらず、装飾された爪で頭をガシガシと掻いた。
 あぁ、私に粉々になった書類を元に戻す特別なパワーがあったらな、なんてこの重苦しい空気から現実逃避しようとしてたその時だ。



「部屋の外まで聞こえてるよ?」



 張り詰めた部屋に突如響く優しい声。第三者の登場に私は少しだけ安堵した。
 そこにいたのは、出張に行っていた夏油さんだった。柔和な切れ長の瞳が私たちを交互に見やる。夏油さんを見た途端に、女性社員の顔つきと声色が変わった。


「あ、夏油くんだぁ。出張から帰ったんだね」
「今帰った所です。それより、どうしたんですか?」


 夏油さんがそう言いながら部屋に入ってくる。出張帰りだと分かる大きめの黒い鞄と共に。彼女が話してるのに、彼が私をずっと見ているのは気のせいだろうか?
 

「聞いてよ〜」


と女性社員は夏油さんにすり寄り、今起きたハプニングを都合がいいように話し始めた。まるで、私に非があるように。
 それを見てウンザリした。何なんだ。だったら最初から私に頼んだりしないでよ。
 



「言い訳しないでくれる?」
「仕事増やさないでよね」
「人のせいにするな。全くこれだから新人は」




 ……あぁ、最悪。前の会社のこと思い出しちゃった。中々のブラック企業だった。
 言った言わないの水かけ論。高圧的な先輩の態度。どうせ新人がやらかしたのだと、人の話を聞いてくれない上司。
 私の言葉なんて誰も信じてくれなかった。


 あぁ、ここでもか。
 きっと夏油さんも彼女の肩をもつ。当たり前だ。だって彼女の方が私より多くの時間を共有してるし、同じ営業部だし。それは仕方のないこと。
 そう。仕事なんて理不尽なことだらけじゃないか。


 女性社員の言葉に反論するのも疲れ、無感情で私はその場に立っていた。未だにペラペラ話し続ける彼女の横で、夏油さんは私を見ている。
 私の様子を窺うより、早くその人の機嫌取ってくださいよ、なんて冷ややかな気持ちが心に渦巻く。
 もうどうでもいい。責任を私になすりつけられても、夏油さんが私の言葉を信じなくても。


「……私が書類をシュレッダーにかけたのは事実です。申し訳ありません」


 静かに頭を下げた。彼女の気は治らないだろうけど、謝るしか私には出来ない。
 顔を上げれば、フンッと鼻をならす女性社員の横で、真剣な眼差しの夏油さんがいた。一瞬視線が交わった後、彼はチラリと中途半端に機械に飲み込まれてる書類に目をやった。



「この書類を君が勝手に破棄したの?」
「一応破棄していいか確認はとりました。というか、破棄するのを頼まれたというか…」
「じゃあ、君は悪くないよ」



 え?と女性社員と私の声が重なる。夏油さんは私から視線を外し、困惑してる女性社員へ言葉を並べた。



「先輩、そもそもシュレッダーを他の部署から借りるときは自分の手で処分しろって部長に言われましたよね?自分の書類には責任もつようにって」
「え、いやそうだけどぉ」
「彼女は確認をとったと言ってますし、そもそも、確認作業を怠ったのは先輩じゃないですか」



 大事な書類を破棄する紙の山に紛れ込ませるなんて。
 夏油さんの淡々と事実だけを述べる態度に、女性社員はきまりが悪そうに縮こまっていく。有無言わさずガン詰めにされるより、こうやって正論を並べられる方が耳が痛い。
 そして、とうとう我慢ならなくなったのか、彼女は私をキッと睨みつけると、かろうじて残っている無惨な書類を、シュレッダーからぶんどって部屋から出ていった。


 呆気にとられた私は、疲れた様子で短くため息をついた夏油さんをチラリと見上げる。視線に気づいた彼は、申し訳なさそうに眉毛を下げた。


「すまないね。あの先輩には私たちも手を焼いてるんだ」
「いえ、ありがとうございました。でも、いいんですか?…私の肩を持ったりして」


 "彼女は確認をとったと言ってますし"
 夏油さんのさっきのセリフが蘇る。彼女は同じ営業部だし、彼にとっては先輩だ。角が立つと仕事がやりにくいだろう。仕事が円滑に進むなら、納得はいかないけど私を悪者にしてもよかったのに。
 私の心配事に夏油さんはキョトンと目を丸くしたあと、当たり前であるように答えた。



「私は、ちゃんと仕事をしてる人を蔑ろにはしないよ」
「でも、私の話が違う可能性もあったじゃないですか。なのに私の言ったことを信じてくれて…」
「え、嘘ついたのかい?」
「いや、違いますけど!」
「だろ?ちゃんとしてる人が不当な扱いを受けることはあってはならないよ」



 夏油さんはそう言って軽く微笑んだ。徐々に自分の顔が熱くなるのが分かる。あぁ、この人は、ちゃんと耳を傾けてくれるのだと。
 その嬉しさと夏油さんに誤解されなかったという安堵で口元が綻ぶ。


「あと単純な話。あの先輩よりも君を信頼してる」


 夏油さんは身を屈めて、先ほど床に落ちた私のボールペンを拾ってくれた。夏油さんに信用されているとは。なんだか誇らしい気持ちになる。
 


「君はこれから休憩?」
「え?まぁ、はい…」
「じゃあ、営業部が迷惑かけたからね。今日はご馳走するよ」



 そう言って、この前私が話した新しく出来たカフェに連れて行ってくれた。気になっていたことを覚えていてくれたらしい。
 このデザートのケーキの美味しさに免じて、今日のことはチャラにしようと思う。
 


– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

2026/04/02


 




戻る