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 前言撤回。やっぱり言いふらしてもいいですか。


 あれから数日。何事もなくいつも通りの平凡な日常。
 警備員のおじいちゃんの孫の写真を見て、自分のやるべき仕事をこなし、社員食堂で後輩の推し活の話を聞き、清掃員のおばちゃんから旅行のお土産だといってお菓子を貰った。
 そんな感じで一日が終了し、いざ帰ろうと思ってた矢先、最後に上司から命令が。営業部が使った会議室を先輩と片付けてほしいとのこと。


「なんでウチら総務部が……」


と椅子を片付けながら愚痴る先輩を私は苦笑いをしながら、まぁまぁとなだめた。





「さっさと終わらせて退勤しましょ。このホワイトボード、倉庫に戻してきますね」

「ありがとう〜。ついでに、"備品管理 " って書いてある青いファイル持ってきてもらってもいい?去年のやつ。明日使うんだ」



 ごめんねぇ、とジェスチャーする先輩に、了解ですっと軽く返事をして会議室を後にする。
 小さめのキャスター付きホワイトボードを引き連れて、過去の資料やら予備の椅子やらが置いてる倉庫へと化した部屋に向かった。


 ガチャリとドアノブを回したその時、「ひゃっ!」と小さな悲鳴が聞こえる。それに驚いて私も入りかけたドアの間で立ち止まってしまう。誰かが中にいた。備品でも探しているのだろうか。
 警戒しながら慎重に足を踏み入れる。誰かいるはずなのに、その人物は部屋の電気をつけていなかった。どうして?
 すると、薄暗い暗闇で人らしき影が動く。


「えっ」


 声を発したのは私。
 この倉庫の奥には長テーブルがある。その上には段ボールやら古くなった資料が置いてあるが、その空いたスペースに腰掛ける体格のいい男。そして、その男に跨っていたのは肩までシャツがはだけた女性。
 

「げ、とうさん……」


 プチパニックを起こした私が発した第一声は、この状況を説明してくれそうな男の名前。
 でも、夏油さんは私の姿を確認すると、涼しげな目を少しだけ丸くしただけで、口はへの字のまま。
 女性は第三者(私)の登場に羞恥心が勝ったのか、シャツを慌てて着直す。夏油さんの膝の上から降りると「邪魔しないでよ」と抗議する意味で私を睨みつけ、部屋から出ていく。香水の香りが、いやに鼻に残った。


 なにこの状況……呆然と立ちすくんでいれば、先に沈黙を破ったのは未だに長テーブルに腰掛けた彼の方。


「君は、私を見つけるセンサーでもついてるの?」
「好きで見つけてるわけじゃないですよ……」


 夏油さんはクスッと口元に手を当てて、にこやかな笑みを浮かべてる。見られて気まずいとかそういう感情はないらしい。


「あぁ、会議で使ったホワイトボード。助かるよ」


 長テーブルから立ち、ゆったりとした足取りで私に近づいてくる。
 そして、何事もなかったように部屋の中に半分だけ侵入してるホワイトボードを私から受け取ると、代わりに元の場所に戻してくれた。
 この状況に、どちらかといえば否定的な眼差しで夏油さんを見つめていれば、「そんな怖い顔しないでくれ」と困った顔をされた。


 さっきの出て行った女性はあろうことか、夏油さんと噂のあった受付嬢…ではない。
 確か、企画部とかそっちに属している女性社員だ。見た目も麗しく、きっとわざとなんだろうけど、男性が好きそうな露出度の高い服を身につけている。鼻の下を伸ばしている男性社員を何人も見てきた。
 噂になるのが嫌と言いながら、社内の人間に手出してるじゃん!と叫びたくなる。
 訝しげに見ていたら、私の言わんとしてることが彼に伝わったらしい。


「急にこの部屋に連れ込まれてね」


 怖かったよ、とわざとらしく肩を抱いて悲劇のヒロインぶる。あくまで自分からじゃない、と言い訳をしたいらしい。てか、こんな体格のいい男がそんなこと言っても説得力ないんだけどな。
 「夏油さんなら、簡単に振り解けますよね」と私の最もな返しに泣き真似をやめた彼は、「確かにね」と鼻で笑った。
 そんな彼を置き去りにし、私は先輩から頼まれた資料を探す。壁際に付けられた電気のスイッチを入れれば、先ほどとは段違いで部屋が明るくなった。
 ここか?違う…こっち?と部屋を歩き回っていると、夏油さんはなぜか私に着いてきた。まるで親鳥のあとに続く雛のよう。


「何か探しもの?」
「はい。備品管理の青いファイルです」


 様々なファイルと睨めっこしながら、夏油さんの問いに軽く答える。求めているファイルが中々見つからない。これでは先輩の元へ帰れない。
 夏油さんは棚に左半身を預け、腕組みしながら懸命に探す私を観察してる。捜索を手伝ってくれるでもなく、かといって部屋から出てくわけではない。この人なんだ?と本気で思う。
 無言で見定められてる状況がイヤだったので、私は世間話のつもりで夏油さんに話しかけた。


「あんなところ、例の受付嬢の人に見つかったらどうするんですか」
「んー?どうもしないよ。別に彼女じゃないし」

 
 ははっと軽快に笑う危機感のない夏油さんに呆れてしまう。言ってることは最もだけど、女の嫉妬の恐ろしさを知らないのだろうか。見つけたのが私だったから良かったものの、受付嬢だったら修羅場になるのでは?なんて勝手に心配になる。
 というか、そんな適当だったらいつか相手にした女性に復讐されても文句は言えないな。



「夏油さん、背後に気をつけた方がいいですよ」
「ふふっ、刺されるって?心配してくれるんだ」



 その飄々とした態度に小さくため息をつくついでに、血まみれの夏油さんを必死に止血する自分を想像した。いや、まずナイフを持った女性をなだめるのが先かな?
 ありがたいね、なんて反省の色のない夏油さんにため息をついた。


「さっきの女性も、何も会社でこんなことしなくても…」


 よくないですか?と同意を求めた。誰がいつ来るか分からない、しかもホコリまみれのこんな部屋で。退勤時間とはいえ、私みたいにこうして残ってる社員もいるというのに。すると、夏油さんはあっけらかんとして答える。


「なんか、スリルを味わいたいらしいよ? 」


 らしい、という当事者なのに、どこか他人行儀な彼。呆れてものも言えないが、この夏油傑を誘惑する女性にも感心する。
 自分に自信がなきゃ出来ないよ。こんなハイスペックな人。
 私なんて話すだけでも緊張するのに。色んな意味で。
 


「でも、見つけてくれてありがとう。あの子、香水の匂いがキツくてね」
「……夏油さん、消さないでください」



 あと、近いです。
 なぜが部屋の明かりを突然消された。そして、いつも間にか背後に移動してきた夏油さんの距離がやけに近い。このままジャンプしたら、私の頭が夏油さんの顎にヒットしそうなくらい。
 イタズラっぽく、好奇心を含んだ瞳で夏油さんは私を見下ろす。舌なめずりでもしそうな雰囲気で、駐車場での夏油さんとも、自販機の前で会った彼とも違う。


 初めて見る、男という気配を最大限に纏った彼に戸惑いが隠せない。
 夢中で資料を探していたせいで、後ろは棚、目の前にはワイシャツのボタンが数個はずされて、素肌が見え隠れする夏油さんの姿。
 挟まれて逃げ場を失った私に、彼は妖艶な笑みを浮かべた。



「君はどう?そのスリル味わってみる?」



 低く、囁くような声が私の耳をくすぐる。その瞬間、ゴクリと生唾を飲み込んだ。指一本も触れられてないのに、身体が拘束されたように動かない。怖い。
 彼は分かってやってる。自分の持つ武器を最大限に利用して、相手を甘い罠にかける。どう振る舞えば女性が落ちるのか、知り尽くしている。
 そして、さっきの人の代わりを私にさせようとしてる。
 ここで私が「あらお手並み拝見ね」と挑発出来るくらい、自分の心にも身体にも自信があればいいけど、生憎そんなのは持ち合わせてない。
 反応のない私に答えを求めるように、さらに夏油さんが体を近づけて来たその時だ。
 


「ひぃぃ!」



 とうとう私は、言葉にならない悲鳴を上げて、雷を怖がる子どものように、頭を抱えその場に座り込んだ。
 上から「えっ」と呆気にとられた声が。おそるおそる見上げれば、口をポカーンと開けて、目がまんまるな夏油さんの姿。その顔が少し面白かった。
 すると夏油さんはその場に脱力したようにしゃがみ込んで、震えだした。


「あのぉ…?」


 心配になり覗き込むようにそばに寄れば、夏油さんは静かに笑っていた。くくっと耐えきれないというように。



「ひぃぃって……あははっ!」



 いつも、余裕そうな顔をしてる男が、子どもみたいに口を大きく開けて笑ってる。そんな顔も出来るんだ。
 少し意外で今度は私が目を丸くしてしまった。てか、何で爆笑してるの。この人。


「ごめんね、からかいすぎたね。でも、そんな反応されたの初めてだよ」
「は、はぁ…?」


 夏油さんほどの体格のいい男が間近に迫って来たら、顔見知りでも警戒するし、防衛本能も働くというものだ。
 あまりに笑うから口をとがらせて、私は全然面白くないですとアピールする。そんな私を見て夏油さんはさすがに落ち着きを取り戻した。


「そっか、そうだよね。ごめんね」


 夏油さんは立ち上がり、はだけていたワイシャツのボタンを丁寧に留め始める。ボーッと眺めていれば、スッと大きな手のひらが差し出された。座る私を立たせようとしてくれるらしい。手を取るか迷っていると、


「何もしないよ」


と安心させるように小さく呟いた。彼の手は大きくて、思ったよりあたたかかった。




「お使いで頼まれた資料はこれ? 」


 戸棚にしまってあった、まぁまぁな厚みと重さのありそうなファイルを一冊取り出し、私に見せる。「あぁ!そうです」と見つかったのが嬉しくて元気に肯定すれば、夏油さんは一瞬キョトンとし、そのあと優しく微笑んだ。そのまま小脇に抱えて部屋を後にする。
 

「夏油さん、私持っていきますから、いいですよ」


 置いてかれた私はパタパタと歩幅の広い彼に急いで追いつく。
 そう申し出た私を夏油さんは軽くチラリと見たが、資料を渡してくれるつもりはさらさらないらしい。挙げ句の果てには、


「せめてものお詫びで持っていかせて」


と困った表情のままエレベーターのボタンを押した。
 その後、突然の夏油傑の登場により、総務課の部屋に、私の帰りを待っててくれた先輩の黄色い声が響いたのは言うまでもない。



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2026/03/01




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