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「はーい、おまたせ」
「わぁ、ありがとうございます」


 頭に三角巾を巻いて、エプロンをつけた、いわゆる「食堂のおばちゃん」をそのまま体現した女性が元気よく私の昼食を提供してくれる。
 休憩時間のわずかな間に、会社を飛び出し、数分歩いてでも食べたくなるお蕎麦。私のお気に入りの食堂。
 ビルが立ち並ぶこの街で、ここに来るとなんだか妙に安心する。まるで祖父母の家にいるような感覚になるのだ。


 お客は私を含めて四人くらいしかおらず、皆一人で食事をしに来たサラリーマンばかり。静かで最高だ。
 みんなに見えるよう、上の方に取り付けてあるテレビからは、どこかの町を芸能人が食べ歩きをする映像が流れてる。
 なんとなくそれを見ながら蕎麦をすすっていたその時だ。引き戸がカラカラと軽い音を立てた。あぁ、お客さんかと特に気にもせず食事を続けていると、


「あれ?」


今、来店したお客が不思議そうな声を上げた。チラリと視線だけ見やると、視界の中にあの夏油さんの姿。
 二ヶ月前からここに通っているが、会社の人間には会った事がない。穴場だなと勝手に嬉しく思っていたのに。


「あら、お兄ちゃん。いらっしゃい」


 夏油さんも多少驚いたらしく、数回瞬きをする。しかしその後は、当たり前のように私の前の席に座った。
 ええ?!他にも席は空いてるのに!という叫びは胸の内にしまっておこう。
 彼も常連らしく、店員のおばちゃんと軽い世間話をして、メニューも見ずに注文をした。


「お疲れ様。◇さんがいるなんて驚いたよ」
「お疲れ様です…」


 突然名前を呼ばれ、私は別の意味で少しビックリしてしまう。


「ん?どうしたの」
「いえ…夏油さん、私の名前知ってたんだと思って」
「もちろん知ってるよ。総務の人だし。しかも、私たち同い年だよね?」


 当たり前だと言いたげに笑い、しかも年齢が同じことまで知っていた。瞬きを数回し、啜った蕎麦を喉に通す。
 すると丁度夏油さんの頼んだ蕎麦もやってきた。



「あら、二人とも知り合い?」
「えぇ。同じ会社なんですよ」



 夏油さんはにこやかに答え、おばちゃんは「あ、そうなのぉ!」と元気よく言い、違うテーブルへ注文をとりに行った。夏油さんはおしぼりで手を拭きながら私を見る。



「よくここに来るの?」
「そうですね、二ヶ月くらい前からですかね?でも会社の人に会うのは初めてです」
「私も初めてだよ。結構通っているんだけどね」


 じゃあ、運良く入れ違いになっていたのか。私と夏油さんは。
 一人で気兼ねなく食事をしていたのに、彼を目の前にした途端、わずかに緊張が走る。小さなテーブルだから必然と距離が近くなるし、足が当たったらどうしようとか、口の周りに海苔付いてないかなとか、余計な事を考える。
 私の動揺なんて知らぬ存ぜぬで夏油さんは運ばれてきた蕎麦に手をつけた。


「ここの蕎麦、好きなんだ」
「そうなんですか。へぇ…」


 イタリアンとかフレンチとか食べてそうだから驚きで少し声が高くなる。
 それにしても夏油さんがそば猪口を持つと器が小さく感じるな。彼の手が大きいという事なんだろうけど。
 そこから彼が男だという事を再認識させられて、さらに彼の手の感触を思い出してしまったので、慌てて自分の蕎麦を啜る。



「◇さんも蕎麦好きなの?ここ、会社からだと少し歩くよね?」
「蕎麦というか、麺類全般好きなんです。あとここに来るとゆっくり出来るというか、静かで落ち着くんですよねぇ」



 毎日訪れるわけじゃないけど、仕事で嫌な事があった時は必ず来る。リフレッシュ出来ると、午後も頑張ろうと思える。会社から少し歩くのは慣れてしまえば気にならない。
 夏油さんは私の答えに、うんうんと相槌を打つ。その聞き方が、まるで一生懸命に話す子どもを微笑ましく見守る母親のようで、我に返り、少し恥ずかしくなる。


「夏油さんって誰かと食事してる事が多いから、ひとりで来るなんて意外です」


 話題逸らしに今度は私から質問をする。社員食堂でも同僚や、他の部署の女性社員と食事をしている所を多く見かける。後者に関しては、食事をする夏油さんの周りに勝手に集まっているんだろうけど。
 私の言葉に、夏油さんは張りつめていた糸が切れたようにフッと息を吐く。


「賑やかな食事も好きなんだけどね。たまにひとりになりたくなる」


 プライベートも騒がしいからね、と自慢なのか、自虐なのか。笑っていいのか微妙なラインのネタを出されて戸惑った。


 確かに普段から、あれだけ周りに人が溢れていたら、疲れそうだ。気遣いの出来る人だから、他の人より色んな事を考えているに違いない。
 ここは夏油さんの心の休憩所でもあるらしい。


 じゃあ、なおさら、他の空いてる席に座れば良かったのでは?と思ったけど、そこも夏油さんは私に気を遣ったのだろう。
 同じ会社の人間がいたら、話しかけないのも何となく気まずい。私ならそう思う。社内の人間がいるにも関わらず、他の空いてる席に座る勇気は内向的な私にはない。
 しかし、彼はそれすらも悟られないように、(彼の性格が社交的だからというのもあるけど)ごく自然に私の前に座り、他愛もない話をしてくれる。
 女性関係は、だらしないけど、根本的に優しい人なのだと思う。いや、でも……


「何を笑ってるの?」
「いや、あの、すみません」


 突然笑い出した私に夏油さんは訝しげな視線を投げつける。
 怒らないで下さいね、と前置きをすれば、夏油さんの瞳がスッと閉じられた。口は笑ってるけど、その顔怖すぎる。


「私が怒るような事を今から告白するのかな? 」


 早く言ってごらん?と無言の圧力を感じ、それに耐えられなくなった私は早口で答えた。


「自分から女性を受け入れているのに、穏やかな時間も欲しいって、意外と、欲しがりさんだなぁ、なんて」


 欲しがりに”さん”を付けたのは少しでも言葉と雰囲気を和らげる為。
 本当は、「わがままですね。自業自得では?」と言いそうになって、瞬時にセリフを変換した私を誰か褒めて欲しい。


 夏油さんの蕎麦を挟んだお箸を持つ手が、不自然に空中で止まったのを見て、失礼な発言をしてしまったと顔が青くなる。貼り付けた笑みを浮かべる夏油さんは、


「…◇さんって面白いね」


 見事な棒読みをかました夏油さんは、そのまま私が頼んだ、さつまいもの天ぷらを掻っ攫っていった。あまりのスムーズな犯行に一瞬何が起こったのか分からない。
 私は数回瞬きをした後、空になったお皿を見て落胆の声を上げた。天ぷらはすでに夏油さんの胃の中。


「夏油さん!それ私、頑張ったご褒美に頼んだ天ぷらですよ?!返して下さい!」


 今日の午前中、他の部署がしたミスの対応に追われたのだ。急ぎの案件にも関わらず、簡単には解決出来ず…。
 その為、午前中にやりたかった他の全ての仕事を投げ出し、その件に全力を尽くした自分へご褒美だったのだ。
 その慌てっぷりと必死さが可笑しかったのか、夏油さんはキョトンとした後、今度はククッと体を震わせて笑い出す。


「笑い事じゃありませんから?!」
「あー、ごめんね?それは大事な天ぷらだったね」


 目元を拭って、ようやく落ち着いたと思ったら、おもむろにおばちゃんを呼ぶ。


「頑張った人には、ご褒美をあげないとね」


 なんて言って、新しい天ぷらを注文してくれて、おまけにデザートまで奢ってくれた。
 憎めない人だ。



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2026/03/01




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