「二宮さんって咲菜ちゃんを撫でるとき、犬を撫でるみたいな撫で方しますよね」

あのバカにそう指摘された。
たしかに「二宮さん、二宮さん」と俺の後を付いて回る姿は犬のように見えなくはないが、それは本人に失礼だろう。案の定その発言を聞いた犬飼はゲラゲラと大笑いしている。

とりあえずしばらく咲菜の頭を撫でるのはやめよう。そう決心したのはあいつが失踪する二日くらい前のことだった。



精一杯の善を



急用が出来て防衛任務に出られなくなった東さんが、自分の代わりにとB級に昇格したばかりの狙撃手を連れて来た。

「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします!!」
「はい。よろしくお願いします」
「フォローならいくらでもするから、一緒に頑張りましょうね」

真面目な秀次は礼儀正しく腰を折って挨拶を返した。後輩の緊張を解そうと加古が声を掛けている。不躾だとは思ったが、俺は二人の後ろから東さんが連れて来たB級隊員をじろりと見つめた。
何だこいつ。東さんはえらく目をかけているみたいだが、どう見たってこれといった才能もない平凡な隊員じゃねえか。それなのに何で俺たちがこんなやつの面倒を、

「……足引っ張ったら殺す」

期待の新人と言うわけでもない、どこにでもいるような平凡なB級隊員。平凡どころか平均より下回る実力かもしれない。訓練と任務は違うのだ。こいつは絶対に俺たちの足を引っ張るに決まってる。それなのに東さんはどうしてこんな面倒な案件を俺たちに押し付けるんだろうか。

「二宮ならそう言うと思った」

だが東さんは俺の態度を咎めもせずに可笑しそうに笑ってそう言った。

「だけど何だかんだ言いながら、お前は山室を助けてくれるだろう?」



結論から言うと、咲菜の初めての防衛任務は散々だった。
バンダーの砲撃で足場を崩されて地面に転がり落ちた挙げ句間近で見たモールモッドに腰を抜かしたのだ。急用が出来たと言いつつ一部始終を作戦室で見ていたらしい東さんは腹を抱えて大笑いしていたらしい。たまたま近くに居たから手を貸したが、いくら東さんの頼みだろうと二度と使えないB級隊員の御守りなんてするかと思った。思った、のに。



「…?誰か訓練室使ってるんですか?」
「ん?ああ、山室がな。今日は夜まで狙撃場が使えないから貸して欲しいと頼まれて」
「最近頑張ってるわよねえ、山室ちゃん。こないだの防衛任務がいい刺激になったのかしら」

その日咲菜は何時間経っても訓練室に籠りっぱなしだった。見かねた東さんが今日はもうやめるようにと声を掛けていたが、結局俺たちが帰る時間になっても咲菜は訓練室から出て来なかった。

「……山室先輩すごいですね」

秀次がぽつりとそう呟いた。滅多に人を褒めない秀次の言葉に東さんも嬉しくなったのか、「そうだなあ」と笑っている。

「努力できるのも才能の一つだな」

東さんが物言いたげな目で俺を見ていたが気付かないフリをした。



翌日、東さんを探して狙撃場に足を運んだ。誰もいない狙撃場で咲菜が一人で訓練を続けていた。その翌日も翌々日も。咲菜は誰よりも遅くまで残り、一人で黙々と的に向かって撃ち続けていた。

『努力できるのも才能の一つだな』

訓練中の咲菜の後ろ姿を見つめていると、東さんの言葉の意味が何となく分かった気がした。東さんがあの日、他のB級隊員ではなく咲菜を連れてきた理由も。東さんが弟子でもない咲菜に特別目を掛けている理由も。

「…………おい」
「え?わっ、に、にのみやさ…!」

俺が突然声を掛けたせいで驚いたらしい咲菜が狙撃を外した。あらぬ場所に当たった弾は見なかったことにして、俺は普段なら絶対に買わないそれを咲菜に向かって放り投げた。

「やる」
「あ、ありがとうございま……えっなに?え?」

自分でも柄でもないと思ったから、カフェオレを受け取った咲菜の反応を見る前にその場を立ち去った。

二宮さんと、明るい声に呼び止められるようになったのはそれからすぐのことだった。



「二宮さん聞いてください!さっき他のフリーの隊員たちと防衛任務に行ってきたんですけど、ちゃんとモールモッドを一撃で仕留められるようになってました!」
「…あれだけ残って訓練してたんだから当然だろう」
「えへへー」

咲菜の頭を撫でるのが好きだった。咲菜の柔らかい髪は触り心地が良かったし、そのままぐしゃりと掻き乱すと咲菜はいつも頬を緩めて嬉しそうに笑った。「弟子取ったのか?」なんてからかってくる東さんや太刀川の声が気にならないくらいには自分でもえらく咲菜に入れ込んでいたと思う。










「わ…わたしの、せい、かも」

「ごめ、なさ……ごめんなさ、」

咲菜が泣いていた。初対面だった俺に「足を引っ張ったら殺す」と言われても、初めて本物のモールモッドを見て腰を抜かした時も泣かなかった咲菜が、鳩原が居なくなったのは自分のせいだと泣いている。
いっそ咲菜には事実を教えた方がいいんじゃないかと思った。思った、が。

「……っ、」

上層部が鳩原の件を外部に漏らすなと言ったのは、模倣犯を出さないためだった。
咲菜は鳩原が失踪する直前に鳩原と大喧嘩している。もし鳩原がトリガーを民間人に横流しして近界に密航したなんて咲菜が知ってしまったら。鳩原に謝りたいと、鳩原に会いたいと、あいつを追いかけるために咲菜が鳩原の真似をしてしまったら。

「……そうか」

言えるわけがない。
恨まれても軽蔑されても、非道な男だと思われても。世界中から誰が消えようと、俺は咲菜にだけは消えてほしくなかった。

title/サンタナインの街角で


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