鳩ちゃんが居なくなったのは私のせいではないと二宮さんは言った。それじゃあ鳩ちゃんのことで二宮さんに嫌われていると思っていたのは私の勘違いだったのだろうか。冷たい態度を取られたり模擬戦のたびに蜂の巣にされたことも気のせいだったのかなあ。だってそうじゃなかったら私が泣きやむまでずっと頭を撫でてくれたり、泣き腫らした顔を見られないようにってわざわざ人気のない廊下を選んでまで影浦隊の作戦室まで送ってくれたりしないと思うんだけど。



『伝達系切断。山室、ベイルアウト』

この日の模擬戦の最後に私が見たものは二宮さんの仏頂面だった。……あれ?



そのい、不可説につき



今回の模擬戦の発端はカゲが二宮さんに喧嘩を売ったことだった。私が二宮さんと一緒に泣き腫らした顔で作戦室に戻ってきたのを見たみんなの間で「咲菜が二宮に泣かされた」というとんでもない誤解が生じていたらしい。カゲの二宮さんへの当たりがいつも以上に酷かったのはそういうことか。だけどそれを知ったのは二宮隊との模擬戦が始まってからだった。みんなが私を心配してくれたのはすごく嬉しかったけどそのせいで模擬戦が始まるのはいただけない。なんか最近二宮隊とばっかり模擬戦してる気がするんだけど。

「悪い咲菜、アタシのミスだ!まさか二宮直々に落としに来るとは思わなくて」
「仕方ないよ。私も二宮さんはこっちに来ないだろうと思って油断してたし」

顔の前で手を合わせて謝ってくるヒカリちゃんにそう返しながら後ろから画面を覗き込む。先にベイルアウトしていたユズルが何か言いたそうな顔をしていたけど気付かないフリをした。

今回私は二宮さんから一番遠い位置に転送された。みんなからあまり二宮さんに近付かないようにと言われていたから、カゲの援護はユズルに任せて私は犬飼と撃ち合っていたゾエのヘルプに徹していた。だから犬飼が居場所が分かっていた私を放置して突然撤退したときは何事かと思ったし、犬飼が辻くんと合流した瞬間二宮さんがバックワーム起動して居なくなったと聞いたときは何だかイヤな予感がした。
案の定突然現れた二宮さんに蜂の巣にされてしまって、何だかもう、ここまで来ると執念すら感じる。やっぱり二宮さんって私のこと嫌いじゃん。

『おまえのせいじゃない』

…鳩ちゃんのことで嫌われてるんだと思ってたんだけど違ったのかな。それともあれは私を泣きやませるための嘘だったのかな。もしそうだったら、一度でも嫌われてないかもなんて思ってしまったのが恥ずかしい。やっぱり今まで通り距離を置いた方がいいかもしれない。まあ特にこれといった用事もないし大丈夫だと、

「……あ、」

そうだ、二宮さんにパンケーキと紅茶代を返すの忘れてた。





模擬戦終了後、「おめー二宮に泣かされたんじゃなかったら誰に泣かされたんだコラ」とカゲに絡まれた。とてもじゃないけど年下のC級女子隊員に泣かされましたなんて言えるはずがない。カゲなら女子だろうが年下だろうが関係なく首を刎ねるだろう。私のせいでカゲが減点されるのは嫌だったから何でもないと言い張った。カゲは納得していないようだったけど呆れたように溜め息を吐いただけでそれ以上は何も言わなかった。

カゲから逃げるために「ちょっと犬飼に用事があるから!」と言い残して作戦室を飛び出したおかげでケータイを持って来るのを忘れてしまった。今度こそ犬飼を呼び出して代わりに返してもらおうと思ってたのに。気は乗らなかったけど仕方がないと二宮隊の作戦室を目指して廊下を歩いていると廊下の角を曲がろうとしたところで誰かとぶつかりそうになった。

「あ、ごめんなさ……」

謝りかけて口を噤んだ。
ぶつかりそうになったのは私と鳩ちゃんの噂話をしていた例の女子隊員たちだった。

『あの二人、男を巡って街中で大喧嘩したらしいし』
『え、こわーい』

面識なんてないんだからすぐに立ち去ればいいのに、あのときの会話が蘇ってきて足が竦んだ。相手は年下なのに情けない。
私が動かないから二人は怪訝そうな顔をしたけれど、何を思ったのかあの場で私の名前を最初に口にした方の子が急に「山室先輩ですよね」と話しかけてきた。

「C級の女子隊員の間では有名なんですよ。すごい先輩だってみんな憧れてて。ね?」
「うん」

話を振られたもう一人がにっこり笑って頷く。私のことを悪く言っていたとは思えないほどの満面の笑顔だった。顔が引きつりそうになったけどどうにか我慢して、代わりに「そうなんだ」と当たり障りのない言葉を返す。私があの話を聞いてないと思ってるんだろうけどよくもまあそんな心にもないことが言えるな。

「先輩、弟子は取らないんですか?私たち誰かに弟子入りしようと思ってて、出来れば山室先輩に」
「咲菜」

きっと弟子にしてくださいと続くはずだったんだろう。だけどその言葉を遮ったのは二宮さんの声だった。気のせいかと思ったけど私が曲がろうとしていた角から現れたのは正真正銘の二宮さんで、後ろには犬飼と辻くんもいる。二宮さんは彼女たちには目もくれず、ただ私をまっすぐに見つめていた。

「いつまでも来ないと思ったらこんなところで何してる。東さんが呼んでるって言っただろう」
「は…」

何のことですかと言ってしまいそうになったけど二宮さんに睨まれて慌てて口を噤んだ。言うまでもなく二宮さんの口から東さんに呼ばれているだなんて話は聞いてない。もしかしてラインしてくれてたのかな。作戦室にケータイ置いてきちゃったし見てないや。

「す、すみません。今行きます。……えっと、じゃあね」

嫌な子たちだったけど今まで話してたし無視するのは良くないと思って、彼女たちに軽く手を振ってさっさと歩き出した二宮さんたちを追いかけた。





「あの、東さんはどこにいらっしゃるんですか?私今ケータイ持ってなくて」
「……呼ばれてない」
「えっ」
「さっきのは嘘だ。東さんは呼んでない」
「……」

何それどういうこと?何で東さんは私を呼んでないのにそんな嘘を吐いたの?
二宮さんの思考が読めず困惑していると、隣を歩いていた犬飼が可笑しそうに笑いながら「咲菜ちゃんあの子たちのこと嫌いでしょ」と耳打ちしてきた。えっうそちょっと待って、何で知って……?

「辻ちゃんが教えてくれたから」

辻くんが無言で視線を逸らした。そうだ、辻くんあの場に居たしあの子たちが私のことを何と言っていたかばっちり聞いてたよね。何だか居たたまれなくなって、前を歩く二宮さんに深々と頭を下げた。

「な、なんか気を遣っていただいてすみません…」
「…………嫌なら嫌だとはっきり言わないとああいうタイプは調子に乗る」

ぽん、と頭に手が置かれた。驚いて顔を上げると二宮さんが少しだけ口元を緩めて私を見下ろしていた。何だか恥ずかしくなって手に持っていた封筒をぐしゃりと握りしめる。…あれ?この封筒何だっけ。

「忘れてた!!」

突然大声を出したせいで二宮さんが目を見開いて手を引っ込めた。慌てて皺が寄った封筒を二宮さんに差し出すと、二宮さんは怪訝そうな顔で「何だこれは」と呟く。

「こないだ二宮さんがおご……立て替えてくださったお金です」
「知らん」
「知らん!?」

思わず素っ頓狂な声を上げると犬飼がぶはっと吹き出した。いやいやいや、知らなくはないでしょう。気付いてないフリをしてただけで私があのお店に居たことは知ってたでしょう二宮さん…!

「だ、だってパンケーキを注文してくれたのは二宮さんだって店長さんが」
「そうだな」
「あとお会計も二宮さんが一緒に済ませたって」
「ああ」
「だ、だからそのお代を…」

二宮さんは溜め息を吐くと再び私の頭に手を置いた。ぐしゃりと髪の毛を掻き乱したその手はすぐに離れていく。

「俺が勝手にしたことだから気にするな」

そう言い残して二宮さんは作戦室に入って行った。辻くんもぺこりと頭を下げて後に続き、最後まで残っていた犬飼が私の肩にポンと手を置く。

「仲直り出来たようで何よりじゃん。よかったね、咲菜ちゃん」
「っ、」

ニヤニヤと笑いながら犬飼も作戦室に入って行った。何なの一体。何がどうなってるの?嫌われてるんじゃなかったの?だってさっきの二宮さん優しかったし、前みたいに頭撫でてくれたし、それに……。
じゃあ何で二宮さんは模擬戦のときいつも私を蜂の巣にするんだろう。混乱する頭では何も分からなかった。

title/箱庭


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