任務上がり、本部の廊下を歩いているとお母さんから電話が掛かってきた。お父さんもお母さんも今日は帰りが遅くなるから夕飯は一人で先に済ませておいてほしいという内容だった。

「うんわかった。じゃあ何か食べて帰るね」

そう返事をして通話を切る。ケータイを鞄に入れようと立ち止まったところですぐ近くから声が掛けられた。

「咲菜」

ハッとして振り返るとすぐ近くに二宮さんがいた。隊服じゃなくて私服だ。今から帰るところだったのかな。もしかして邪魔だったから声を掛けられたのかと慌てて謝って廊下の隅に身を寄せると、二宮さんは怪訝そうな顔をした。

「何で避ける」
「いや、邪魔だったかなと」
「……邪魔じゃない」

二宮さんはそう言って私に向かって手を伸ばした。前みたいに撫でてくれるのか、それとも叩かれるのか。二宮さんの考えが読めなくて思わず身を竦めたけどそれも杞憂だったようで、ポンポンと軽く頭を叩かれた。

「今日は影浦たちは一緒じゃないのか?」
「あ、はい。カゲが鋼くんと模擬戦するからみんなで見に行くって…」

頭の上に置かれていた二宮さんの手がピクリと反応した。何か地雷踏んじゃったかなと一瞬ヒヤッとしたけど特にこれといった反応はない。二宮さんは私の頭に置いた手を引っ込めるついでに自分の腕時計をちらりと確認した。

「咲菜」
「は、はいっ」
「飯でも食って帰るか」
「…………えっ」

二宮さんが言った言葉を理解するのにだいぶ時間がかかった。ご飯でも食べて帰るかって?もしかしなくても私、二宮さんから夕飯のお誘いを受けてる…?

「おまえ夕飯ないんだろ」
「そうですけど何で知って……あっ、電話聞いてました!?」

ああっ、私のバカ!嘘でもいいからあのとき「今日の夕飯は私が作るよ」とか言えばよかった。そしたら少しは家庭的な女子だと思ってもらえたかもしれないのに。残念ながらお菓子作りは好きでも料理なんて全然しないから考え付かなかったけど。

「い、いいですそんな…!気を遣っていただかなくてもスーパーの御惣菜とかで済ませっ」
「咲菜」

遮るように名前を呼ばれた。聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるような声色に恥ずかしくなって俯く。

「俺も夕飯がないから付き合え」

二宮さんにそう言われてしまっては何も言えない。俯いたまま、私は小さく頷いた。何度か二宮隊のみんなに混ざって一緒に焼肉を食べに行ったことはあるけど、二宮さんと二人きりで食事に行くのは初めてだ。二宮さんってどういうところでご飯食べたりするんだろう。フレンチ?イタリアン?とてもじゃないけどお好み焼きとかハンバーガーとか食べそうなイメージないんだけど。
お金足りるかなあと財布の中身を心配しながら二宮さんの後ろを歩いていると、ちょうどラウンジに差し掛かったところで名前を呼ばれた。振り返らなくても分かる。カゲだ。周りの隊員たちが怯えたような顔で遠巻きにカゲを見ていたけどそんなことは知ったことじゃないと言わんばかりの様子で、カゲはずんずんとこちらに近付いてきた。

「鋼たちと模擬戦すっからおめーも来い」
「ええ…今からご飯食べに行くからパス」
「ああ!?チーム戦なんだからてめーもいねぇと話になんねーだろーが!」

カゲの向こうに申し訳なさそうな顔をした来馬さんやぴょんぴょん飛び跳ねながらこちらに手を振る太一が見える。うーん、来馬隊が三人揃って本部に来るのも珍しいしなあ。太一と鋼くんだけならまだしも来馬さんまで待たせてたみたいだし断るのは申し訳ない。だけど先に約束してたのは二宮さんだし…。どうしたものかと二宮さんの意見を仰ごうとして振り返ると、二宮さんはなぜか私とカゲを物凄い剣幕で睨み付けていた。この短時間で何があったんだと聞きたくなるほどの恐ろしさに思わず悲鳴を上げて飛び退いてしまいそうになったけど、ふと出水が言っていたことを思い出してぐっと踏みとどまる。

『ベイルアウトする直前って何が見えます?』

そうだ、結局あのヒントの答えが分からず仕舞いだ。どんなに考えてもやっぱりよく分からないし、こうなったら直接自分で確かめた方がいいんじゃないかな。

「にっ、二宮さん!」

声がかなり上擦っていたのが自分でも分かった。震える手を握りしめて、仏頂面でこちらを見る二宮さんを見上げる。

「二宮さんも模擬戦しませんか?」
「あ?何で二宮まで誘わなくちゃなんねーんだ」

反応したのは二宮さんではなくカゲの方で、カゲは不機嫌そうに鼻を鳴らした。そういえばユズルが言ってたっけ、私が二宮さんに蜂の巣にされてることはカゲも気付いてるって。たぶん心配してくれてるんだろうけど言い方がちょっと。

「だって先にご飯食べに行く約束してたのは二宮さんだし…」
「だからって」
「しょ、食事前の運動みたいな…!動いたあとに美味しいものを食べるともっと美味しく感じますし、ね?」

我ながら必死すぎて怪しさ満点だったと思う。二宮さんは舌打ちを一つ零しただけで何も言わなかったけど、辻くんに電話を掛けていたから了承してくれたらしい。

「犬飼を連れてラウンジに来い。……ああ、影浦隊と来馬隊と模擬戦するぞ」

要件だけ言ってぶちりと通話を切った二宮さんは、不機嫌そうな様子を隠すことなくイライラとした様子で来馬さんたちの方へ歩いて行った。二宮さんの顔を見た来馬さんが怯えたように「二宮くんごめん!ホントごめん!!」と謝っている。
ちょっと無理矢理すぎたかなあ。二宮さんの後ろ姿を見ながら若干後悔していると、カゲがわしゃわしゃと私の髪の毛を掻き乱して二宮さんの後を追った。励ましてくれるつもりだったのかな。カゲの分かりにくい優しさに小さく笑うと前から舌打ちが飛んできた。





いの一番に来馬さんを狙撃したのは作戦ミスだったかもしれない。バランスを崩した来馬さんは犬飼に落とされてしまったし、挙げ句の果てに二宮さんよりも先に鋼くんが私の位置に気付いてしまった。

『おい咲菜鋼がそっち行ったぞ!』
「は!?ヘルプ来てよカゲ!!」

鋼くんに落とされたら怖いのを我慢して二宮さんを誘った意味が無くなるじゃん…!
慌ててビルから飛び降りて狙撃した場所から離れたけど、地面に着地した瞬間さっきまで私がいたビルが真っ二つに割れた。鋼くんはすぐそこまで来ている。私はすぐさま近くの建物に飛び込んだ。カゲがヘルプに来てくれるみたいだけど、それよりも先に鋼くんに見つかりそうな予感しかしない。身を隠したままそっと窓から外の様子を窺うと、鋼くんは私がそんなに遠くには逃げてないと分かっているようできょろきょろと周囲を見回していた。これじゃあバレるのも時間のもんだ……あっ目が合っちゃった。

「ごめんカゲ早く来て!バレた!!」
『ああ!?バカかてめーもうそのまま死ね!!』
「えっやだ助け、っ!」

崩れた壁や天井がガラガラと大きな音を立てて落ちてきた。咄嗟に頭は庇ったけど右足が瓦礫に挾まってしまって身動きが取れない。挟まった足をどうにか引き抜こうと躍起になっていた私の首筋に、ピタリと弧月が添えられる。

「さっきのはちょっと不注意だったんじゃないか?山室」

そろりと視線を上げると、鋼くんが弧月を振り上げたのがスローモーションで見えた。

『ねえ咲菜さん。ベイルアウトする直前って何が見えます?』



あいまい探偵



見えたのは青い空と、それから――――。

title/サンタナインの街角で


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