模擬戦が終わったあと二宮さんは約束通り私を夕飯に連れて行ってくれたけど、大層ご立腹だったようでお店に行くまでも食事中も二宮さんが口を開くことはほとんどなかった。さっき自分で「運動した後のご飯は美味しい」って言ったけどあれは嘘だ。折角自分じゃ行かないようなお洒落なレストランに連れて行ってもらったのに、空気が重すぎて味が全然分からなかった。



世界一残酷な「好き」の伝え方講座



二宮さんは機嫌こそ悪かったものの、私がお手洗いに行っている間にさり気なくお支払いを済ませてしまっていた。そんなスマートなことをさも当然のようにやってのけるなんてさすが二宮さん。惚れた弱みだろうか、機嫌が悪かろうが理不尽な扱いを受けようが二宮さんはやっぱり格好よかった。だけどこないだも奢ってもらったんだったと思いだして「私も払います!」と食い下がったけど一円たりとも受け取ってはくれない。挙げ句の果てに店の前で騒ぐなと怒られた。

「す、すみません。ごちそうさまでした…」

二宮さんは何も言わなかったけど、その代わりに私の頭を軽く撫でてくれた。しかもどうやら私を家まで送り届けてくれるつもりらしい。奢ってもらった上にそこまでしてもらうわけには…と思ったけど、あまり言うとまた怒られそうだったから黙っておくことにした。



元々口数が多い人ではないけれど、二宮さんは帰り道もやっぱり何も喋らない。前を歩く二宮さんの顔が見えないから機嫌が悪いままなのかよく分からなくて、私も話しかけなかった。ただ二宮さんの大きな背中を見つめたまま後ろを付いて歩くだけ。
……前、は。この大きな背中を見つけたら何も考えずに追いかけて、一方的にくだらない話をして、頭を撫でてもらうのが当たり前だった。二宮さんが大好きで、嫌われるなんて夢にも思わなくて。こんな風に、大好きな人が目の前にいるのに触っちゃいけない日が来るなんて知らなかった。

「……咲菜?」

二宮さんの怪訝そうな声が聞こえた。私は無意識に歩みを止めてしまっていて、二宮さんとの距離はだいぶ開いていた。

「……ここまででだいじょうぶ、です」

本当は自宅までまだまだ距離があるけど、二宮さんがそのことを知っているのは分かっていたけれど。これ以上二宮さんと一緒に居たら何だか泣いてしまいそうな気がした。

「今日はありがとうございました。模擬戦も付き合ってもらったし、ご飯も奢ってもらって、ここまで送ってくださって。本当に、ありがとうございました」
「……おまえの家はこの辺りじゃないだろう」

私がちっとも動こうとしないせいか二宮さんが引き返してきた。いくらすっかり暗くなってしまったとは言え間近で二宮さんの顔を見る勇気は出なくて、私は足元の小石に視線を落とした。

「どうした、気分でも悪いのか」

二宮さんの手が頬に添えられる。顔を上げさせようとしているのだと分かって、その手から逃れるために私は一歩後ろに下がった。そんなことをされれば二宮さんではなくとも不機嫌になるのは当然で、案の定二宮さんは先ほどよりも1トーン低い声で「おい」と言った。

「言わないと分からないだろう。おまえ、何が気に入らないんだ」
「…………二宮さんこそ」

絞り出した声は震えていた。まだ泣いてないはずなのに足元の小石がぼやけて揺れている。

「私が模擬戦のたびに二宮さんに蜂の巣にされてること、気付いてないとでも思いましたか?」

二宮さんが息を呑んだ。ああやっぱり、私の勘違いじゃない。二宮さんの無意識の行動でもない。二宮さんは明らかに自分の意思で、模擬戦のたびに私を蜂の巣にしていたのだ。

「わたし、ずっと嫌われてるんだと思って。鳩ちゃんのことで二宮さんが、私のことを嫌いになったのかなって」
「その件は違うとあれだけ、」
「だから出水に聞きました。出水は二宮さんと仲が良いし同じ射手だから、何か知ってるんじゃないかと思って。そしたら出水が、ベイルアウトする直前に何が見えるのかって聞いてきて」

今日はそれを知りたくて二宮さんを模擬戦に誘ったのだと言った。
二宮さんはもう何も言わなかったし、私に触りもしなかった。

「今日の模擬戦で鋼くんに首を刎ねられたとき、」

俯いたままでも二宮さんの手がピクリと反応したのが分かった。二宮さんの纏う空気が一気に下がった気がする。たぶん今ものすごく気が立っているんだろうな。
私はやっぱり顔を上げる勇気は出なくて、足元の小石をじっと見つめたまま話し続けた。

「空が見えました。それから一瞬だったはずなのに、鋼くんの表情まではっきり見えました」

それらを視認した瞬間、私はベッドの上に横になっていたのだけれど。ユズルが言った「二宮さんが見える」というのは、あながち間違っていないんじゃないかと思った。
ベイルアウトする直前に見えるものは何だろう。二宮さんは私に何を見せたいんだろう。

二宮さんはもう一度、無言で私の頬に手を伸ばした。私はもう逃げなかったし振り払わなかった。大きくて冷たい手に頬を包み込まれて、そのときようやく、自分が泣いていたことに気付いた。

「…………えに、」

気のせいだろうか。二宮さんの声も掠れていて、何だか泣いているように聞こえた。



***



B級への降格処分が決まり、始末書やら後片付けやら作戦室の移動やら、諸々の作業が終わった後。文句一つ言わずに鳩原の尻拭いに徹した部下への労いも兼ねて本部に行く前にケーキを買っていくことにした。ガラスケース越しに見つけたチーズケーキを一つ余分に購入したのは、そういえば久しく咲菜の顔を見ていないと思ったからだった。
以前ならば咲菜を迎えに行くのは鳩原の役目だったが、代わりに犬飼が咲菜を呼びに行った。

「それ鳩ちゃんの分でしょって、断られました」

犬飼の言っている意味がよく分からなかった。ただ犬飼の表情を見て、それがあまり良くないことだということだけは理解した。



咲菜はすっかり寄って来なくなり、その代わりにあいつが影浦や絵馬、村上といった他の男と一緒に居るところをよく見かけるようになった。そいつらの前では楽しそうに笑っているくせに、俺には近寄らないどころか目が合っても怯えたような表情を向けられ視線を逸らされる。原因に心当たりはなかったが一つだけはっきりしたことがあった。
自分は咲菜に嫌われているのだと。

「二宮さん、顔が怖いです…」
「咲菜ちゃんが他所の男に懐くのが嫌なのは分かりますけど舌打ちはやめましょうよー」

辻や犬飼に何と言われようが、腹が立つのは仕方ないことだった。



その日も何時ものように影浦と犬飼が揉めたせいで巻き込まれる形で始まった模擬戦で、俺に見つかった咲菜が怯えたように顔を歪めてその場から逃げようとした。敵に見つかった狙撃手の行動としては当たり前のことだったが、普段から嫌と言うほど避けられたり怯えた表情を向けられていたオレは日頃の不満をぶつけるように咲菜にありったけのアステロイドをぶつけた。

「……、」

ベイルアウト直前の咲菜と目が合った。咲菜はいつものように目を逸らすことなく、ただ真っ直ぐに俺を見上げていた。
普段なら咲菜の目に俺が映ることはなかった。ここ最近はずっと俺以外の男が映っていた。だがその瞬間だけは咲菜の目には俺だけが映るのだと、咲菜が他の男を見ることはないのだと、気付いてしまった。

咲菜が懐いていたのは俺だったはずだ。影浦や村上よりも俺が一番咲菜に目を掛けていた。咲菜はいつだって俺だけを見ていたはずだったのに。

『戦闘体活動限界。山室、ベイルアウト』

歪んでいるのは自分でも十分承知していた。だが理性で抑えられるような感情ではなかった。
咲菜には俺だけを見ていてほしかった。他の男など視界にすら入れてほしくなかった。

一瞬でも咲菜の世界が俺だけになるのなら、それだけでよかった。

title/すてき


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