いっそ殴るなり蹴るなりして怒ってくれればよかったのに、二宮さんは何かを我慢するように拳を握りしめただけで泣きじゃくる私を見ても何も言わなかった。

「……そうか」

返ってきたのは素っ気ない言葉だった。いつもだったら私が落ち込んでいたり泣きそうな顔をしていたりすると困ったような顔で私の頭を撫でてくれるのにその大きな手が持ち上がる気配はない。私は自分が取り返しのつかないことをしたのだということをこれでもかと言うほど思い知らされ、心臓が直接握り潰されたみたいに痛むのを感じた。

模擬戦のたびに蜂の巣にされるようになったり、私を見かけた二宮さんが怖い顔をするようになったのはそれからすぐのことだった。



再生の仕方をらない



中高生が定期テスト真っ最中のせいで、ボーダーの食堂はテスト勉強に勤しむ隊員たちで埋め尽くされていた。席が空いてないために食堂で勉強できない隊員たちがどこで勉強しようかと悩んでいたけど、私にはボーダーの食堂よりもとっておきの勉強場所がある。

そこは大通りから少し入ったところにある、おじいさんが一人で経営しているこじんまりとした喫茶店だった。店内は落ち着いた雰囲気だしお客さんもそんなに多くないし、あとパンケーキがとっても美味しい穴場中の穴場である。今日のお客さんは数学と格闘中の私の他にパソコンで何やら作業中のサラリーマンと読書に勤しむ女性しかいない。勉強や趣味に没頭するには最適な時間が流れていた。

もう三時間近く頑張ったし一息つこうかな。すっかり冷えてしまった紅茶に手を伸ばしたのと、カランカランという来客を告げるドアベルが鳴ったのはほぼ同時だった。

「……っ!」

咄嗟に教科書を立てて顔を隠したためか二宮さんは私に気付かなかったようで、こちらに背を向けるようにカウンター席に腰を下ろした。教科書の陰からこっそりと顔を出してその広い背中を見つめる。たしかにこのお店は二宮さんに教えてもらったし、そのときの口振り的にも行きつけのお店っぽかった。だけど今まで一度も鉢合わせしたことなんてなかったのに。

「エスプレッソを一つ」

注文が終わると二宮さんはすぐに読書を開始してしまって、しばらく居座るつもりなのだということが嫌でも分かってしまった。どうしよう、今日はもう帰ろうかな。だけどまだパンケーキ食べてないし、よりにもよってレジは二宮さんが座った席の隣だ。お会計のときに確実にバレる。このまま二宮さんが帰るまで勉強を続けた方が見つからないんじゃないだろうか。
本当は少しお腹が空いたんだけど、注文のために声を出したら私がいることに気付かれてしまうかもしれない。二宮さんに嫌われているのはもうずっと前から知っているけど、舌打ちされたり睨み付けられたり、こないだの模擬戦のときみたいに「イライラする」と言われたり。あからさまに態度に出されるのはさすがに徹えるのだ。

極力顔を上げないように気を付けながら勉強を続けていると、不意に誰かが近付いてくる気配がした。まさか二宮さんだろうかと恐る恐ると視線を上げる。

「お待たせしました」

にっこり笑った店長さんがテーブルに置いたのはパンケーキだった。もちろん私はまだ注文してない、はず。

「すみません、頼んでないんですけど…」
「いえいえ、頼まれましたよ」
「えっ!?」

さっきまで声を出すとバレるかもと怯えていたくせに、困惑した私は思わず大きな声を出してしまった。ハッとして二宮さんを見たけど読書中の二宮さんには気付かなかったようでこちらを振り返る気配はない。いつ注文したのか全く記憶にないけど、どうせあとで頼むつもりだったしラッキーだと思って頂こう。



二宮さんが席を立ったのは、二宮さんが来店してから二時間くらい経った頃だった。最後の最後でバレたらどうしようという私の心配も杞憂に終わり、二宮さんは手短にお会計を済ませるとすぐにお店から出て行った。聞こえてきた金額が明らかにエスプレッソだけの値段じゃなかったけどいつの間に他のものも注文したんだろう。ふとそう思ったけど、人が何を食べたか気にするなんてストーカーみたいじゃないかと浮かんだ考えを慌てて打ち消した。そろそろ夕飯の時間だし私も帰ろうかな。

「すみません、お会計いいですか」

二宮さんが座っていた席を片付けていた店長さんに声を掛ける。だけど店長さんは笑みを浮かべたまま首を横に振って「もういただきましたよ」と言った。なんかさっきもこんな感じの会話をしたような。あれ?

「そんなはずは…だってまだ払ってないです」
「先程のお客様がお支払いになりました」
「は?」
「パンケーキも、あのお客様が貴女に出してやってほしいとおっしゃったのでお出ししました」

絶句した私に追い打ちをかけるように、店長さんは「素敵な方ですねえ」と言いながらテーブルを拭いている。
慌ててお店を飛び出したけど、二宮さんの姿はどこにもなかった。

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