君が泣くように笑うから

またあとでねと犬飼くんは言ったが、昼休みになっても犬飼くんが私の前に現れることはなかった。休み時間どころか授業中もビクビクしてたのになんて拍子抜け。なーんだ、あれはただの冗談か。そうだよね、人気者の犬飼くんが私みたいなモブに告白なんてするわけ…。

「#name2#ちゃん、一緒にかーえろっ」

放課後、教室の外で満面の笑顔で待ち構えていた犬飼くんに思わず顔が引き攣った。

「なん……なん、で」
「ええ?付き合ってるんだから一緒に帰るのは当然でしょ?」

相変わらずニコニコと笑いながら犬飼くんはそう言った。教室にはまだクラスメイトがたくさん残っていて、女子が興奮したように黄色い声を上げている。

「ね、帰ろ」

差し出された手が何を求めているのか分からないほど鈍くない。だけど彼の思惑通り手を重ねるのは何だか悔しくて、私はわざと肩に掛けていた鞄をその手に掛けた。案の定犬飼くんは渡された鞄をきょとんと見つめている。だけどそれも一瞬のことで、すぐに再び笑顔になった。

「もー#name2#ちゃんったら可愛いなあ。大丈夫だよ、言われなくてもちゃんと家まで送るから」
「は……?」
「だっておれに鞄渡しちゃったらおれが返さない限り帰れないもんね?」

犬飼くんの目が可笑しくて仕方ないと言わんばかりに弧を描いている。ちょっと困らせてやろうと思ったのに反対にやり返されてしまった挙げ句抵抗する間もなく右手を絡め取られた。振り払おうにもビクともしない。有名人と言うのは本当らしく、イケメンのボーダー隊員が女子と恋人繋ぎで廊下を歩いているのは学年を問わず生徒たちの好奇の目に晒されることになった。恥ずかしくて死んでしまいたかった。





学校を出た後も犬飼くんと繋いだ手が離れることはなかったし、鞄も返してくれなかった。宣言通り犬飼くんは本当に私を家まで送るつもりらしい。

「一人で帰れるから!鞄返して!」
「#name2#ちゃん諦め悪いなあ。で、家どっち?」
「お、教える義理はないかと」
「えーもー、#name2#ちゃんったらそんなにおれと一緒にいたい?困ったなあ」
「……っ、そこの信号を右に曲がって」
「うんうん、まっすぐねー」
「ちょっ、」

何でこの人私の家まで知ってんの?最早ここまで来るとストーカーにしか見えないんだけど。

「#name2#ちゃん、今おれのことストーカーだと思ったでしょ」

私の手を引くように少し前を歩いていた犬飼くんが不貞腐れたような顔でこちらを振り返った。さすが自他共に認めるイケメン。不貞腐れた顔もかっこよかった。見惚れたら負けだと思ってすぐに視線を逸らしたけど。

「お…思ってない、よ?ただほら、犬飼くん物知りだなあと……」

俯いたままそう誤魔化した。何か言われるかもと思ったけど犬飼くんは何も言わない。その上立ち止ってしまったものだから何事かと思って顔を上げると、犬飼くんは呆けたように私を凝視していた。な、なに…?わたし何か変なこと言った?

「…………おれの名前知ってたの?」

ようやく口を開いた犬飼くんは絞り出すようにそう言った。その声は何だか震えているように聞こえたし、犬飼くんの顔にも下手くそな笑顔が貼り付いている。まるで今にも泣きだしそうな、

「……友達が教えてくれたから」

犬飼くんの反応には何も触れずにそう答えた。犬飼くんは小さく笑って「だよね」と言った。
犬飼くんが歩き始める。斜め後ろから見えた犬飼くんの顔にはやっぱり笑顔が貼り付いていた。

「犬飼くん、そっちは遠回りだよ」
「もー#name2#ちゃん、少しでも長く彼女と居たいっていう彼氏の気持ちが分からないかなあ」

……やっぱりさっきのは気のせいだったみたい。溜め息を吐きつつも犬飼くんの望み通り、いつもは曲がらない道で右に曲がった。





ここでいい、いやいや家まで送らせて。という押し問答の末、根負けした私は犬飼くんに家まで送ってもらうことになった。何度も言うようだけど本当に、何でこの人私の家知ってんの。

「……送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

ようやく犬飼くんは私の手を解放し、鞄も返してくれた。キィッという門が開く音に気付いたのか家の中から飼い犬の鳴き声が聞こえてくる。ああそうだ、あの子の散歩にも行かないと。

「じゃあ、」

また明日、と言うのも癪で小さく頭を下げて門を通った。だけど門を閉める前に犬飼くんに手首を掴まれる。驚いて顔を上げると犬飼くんはにこりともせず、「#name2#ちゃん」と真顔で私の名前を呼んだ。

「な、なに…?」
「今日はもう家から出ないって約束して」
「は?何で?」
「約束して」

何で犬飼くんにそんなこと言われなくちゃいけないんだろう。私が丸め込みやすかったから何でも言うことを聞くとでも思ってるのかな。

「無理だよ。だって今から犬の散歩に行かないといけないのに」
「じゃあ犬の散歩はおれが行く。だから今日は家から出ないで」
「意味分かんないんだけど…」

振り払うと犬飼くんの手は意外にもあっさりと外れた。そのまま犬飼くんに背を向けて玄関の鍵を開けると、後ろからもう一度「#name2#ちゃん」と呼ばれた。

「おねがい」
「…………、」

犬飼くんを振り返りもせずにガチャリとドアを開けると、飼い犬のまめが元気よく飛び出してきた。私の足元を嬉しそうにくるくる走り回ったあと、尻尾を振りながら門の向こうの犬飼くんの元に駆け寄って行く。犬飼くんは門の隙間から手を差し込んでまめの頭を撫でていた。珍しいな、まめは知らない人にはあんまり懐かないのに。やっぱり名字に犬って漢字が付いてるから犬に好かれやすいのかな。

「…………30分」
「うん?」
「いつも30分くらい散歩してるの」

靴箱からまめのリードやらお散歩グッズやらを取り出して犬飼くんに差し出すと、犬飼くんは「りょーかい!」とにっこり笑った。さっきの真顔が嘘みたいな笑顔だった。

title/箱庭

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