知らないフリをした

犬飼くんが私に告白してくれたのは、私のことが好きだったとか、一目惚れしたとか、そんな簡単な理由じゃなかった。護衛とか任務という単語から想像するに、恐らくボーダー関連の事情があったんだろう。そしてきっとそこには、犬飼くんの気持ちなんてなかったに違いない。
別に私だって犬飼くんの押しに負けて付き合い始めただけであって、犬飼くんのことなんて好きでも何でもなかったのに。犬飼くんの方にも気持ちがなかったと知ってこんなに傷付くのはお門違いもいいところだ。

「さっきから反応悪いけど、もしかして体調悪い?」

私の心中なんて何も知らない犬飼くんがそう言って私の顔を覗き込む。その顔の近さに驚いて、「何でもない!」と叫びながら犬飼くんに鞄を押し付けた。押し付けられた犬飼くんは文句一つ言わずに受け取ったし、いつも通り、やっぱりどこか嬉しそうだった。
犬飼くんは、好きでも何でもない相手から荷物持ちみたいなことをさせられても嫌だとは思わないのだろうか。そう聞いてみたかったけど、実際に犬飼くんの口から答えを聞くのは怖くて、結局いつものように絡めとられた手を振り払うことはできなかった。

「何でもないならいいけど、調子悪いなら言ってよ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。ちょっと考え事してただけだから」
「考え事っておれのこと?」

犬飼くんは冗談っぽく言ったのに、私は咄嗟に返事ができず、思わず犬飼くんと繋いでいた手を引っ込めそうになった。そんな私の反応を見てさすがの犬飼くんも私が照れているだなんて勘違いを起こすことはなく、不安げな顔で立ち止まる。

「え、何?おれ何かした?」
「いや、あの……大したことじゃ」
「ねえ、別れ話とかじゃないよね?」

繋いだままの私の手を揺らしながら、犬飼くんが余裕のなさそうな声で言う。私は犬飼くんの目を見るのが怖くて、俯いたまま首を横に振った。

「じゃあ何?大したことじゃないなら言ってよ」
「……っ、」
「誰かに何か言われた?おれのこと嫌いになった?そりゃあちょっと強引な手を使って付き合い始めたのは認めるけど、おれ本当に#name2#ちゃんのこと好きで」

ああ、その言葉だけでこんなにも嬉しくなるなんて、我ながらなんて単純な人間なんだろう。
言いたいことや聞きたいことはたくさんあるのに何一つ言葉にならない。私は息を大きく吸って、震える唇を噛み締めた。それから、ふう、と大きく息を吐く。

「……今日、犬飼くんが、廊下で怒られてるの聞いちゃったの」

犬飼くんはそれだけで私が何を言おうとしているのか理解したらしい。私の手を握っていた犬飼くんの手から力が抜けて、体の横でだらんと揺れる。

「……#name2#ちゃんも」

犬飼くんの声が震えている。そろりと視線を上げると犬飼くんは、縋るような目で私を見つめていた。

「#name2#ちゃんも、おれが恋人ごっこで付き合ってるって言うの」

何か言わないと。咄嗟に口を開いたけれど、その先に続くはずだった言葉は、大きな爆発音と、誰かの悲鳴と、体に走った鋭い痛みとでどこかに飛んで行ってしまった。じんじんと痛む右半身に鞭を打って起き上がり、何が起こったのかと周囲を見回す。土煙の向こうに大きなシルエットが見えて、ダダダダダ、という聞き慣れない銃声のような音が聞こえてくる。

「な、にが」

地面に座り込んだまま呆然とする私の耳に、近界民だ!と叫ぶ誰かの声が聞こえた。ハッとして犬飼くんの姿を探したけれど、少し離れたところに犬飼くんと私の鞄が落ちているだけで、それを持っていた本人は見当たらない。

「い、いぬかいくん…!?」

悲鳴に近い上擦った声で姿が見えない犬飼くんの名前を叫ぶ。と、大きな振動が起こったと思ったら、土煙の向こうから誰かがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「#name2#ちゃんごめん、思い切り突き飛ばしちゃった!大丈夫?ケガは!?」
「だ、だいじょ」

先ほどまで学校の制服を着ていた犬飼くんは何故か黒いスーツを着て、左手に重そうな銃を持っていた。そういえばいつだったか、ボーダー隊員は戦闘体に変身してから戦うと聞いたことがある。犬飼くんの恰好が変わっているのはそのためだろう。なんて思いつつ、犬飼くんの戦闘体なんて初めて見たはずなのに、私の前で膝をついた彼を見て妙な既視感に襲われた。何だか前にも一度、この服装の犬飼くんを見たことがあるような……。

「#name2#ちゃん?やっぱりどこか打ったんじゃ」
「……ううん、本当に大丈夫」

近界民に襲われて気が動転しているだけなのかもしれない。そう自分に言い聞かせて、私は犬飼くんの手を借りながらよろよろと立ち上がった。

title/曖昧ドロシー

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