エミヤに大口を叩いた手前、何としてでも就職しなければならない。私は死に物狂いで就活をして、最後の最後、藁にもすがる思いで受けたウルク商事に就職が決まった。これもひとえに私の努力の賜物…と言えたら良かったのだが、最終面接で思い切りすっ転んだのが社長のツボに入ったらしく、「雑種貴様、ここまで我を笑わせる人材などなかなか居らぬぞ!」とその場で採用が決まったのだとは口が裂けても言えない。

職場は実家からでも通勤可能な距離だった。だけど私はエミヤについた嘘を訂正しないまま、就職と同時に一人暮らしを始めた。
風の噂で、エミヤは隣の県に就職したと聞いた。私があの日適当に口走った隣の県に。
私がそこに就職すると言ったから、エミヤもその土地を選んだのだろうか。なんて、ふっと沸いた罪悪感には気付かないフリをした。



***



部屋着に着替えてリビングに戻ると、ちょうどテーブルに料理を並べていたエミヤが私に気付いて顔を上げた。と思いきや、これでもかと言うほど顔を顰めて腕組みをする。

「なにその顔」
「……いや何、部屋着と言えば中学や高校時代の着古したジャージばかり着ていた君がそういう服を持っていること自体が意外でね」

エミヤはそう言いつつ気に入らないと言わんばかりに鼻を鳴らした。私が自分の家でどんな格好をしようがお前には関係ないだろう。不満に思いつつ、もこもこで肌触りの良い部屋着の裾を見せびらかすように引っ張った。

「お気に入りなの。可愛いでしょ?」
「ああ、服はな」
「はあ?」

眉間に皺を寄せる私を他所に、エミヤは小言を言い始める。夕飯が惣菜にビールだなんてお前はオッサンか、自炊はきちんとしているのか、お前は相変わらず云々かんぬん…。

「あーもー、うるっさい!何なの?アンタそんなことを言うためだけにわざわざ来たわけ!?」
「そんなわけないだろう。私は君が……っ」

エミヤは何を言おうとしたのだろう。勢いよく開かれた口は続きの言葉を紡ぐことなく閉ざされてしまった。それから気まずげに視線を逸らすと、「あたたかいうちに食べよう」と席に着く。私もエミヤに倣って腰を下ろして、すぐにガタン!と立ち上がった。

「アンタも食べるの!?」
「作ったのは私だが?」
「いや頼んでないし」

お前は何を言っているんだと言わんばかりの顔で私を見上げるエミヤに、私は喉元までせり上がって来た不満や文句をごくりと飲み込んだ。全部エミヤが勝手にしたことだけど、エミヤの手料理が美味しいのは事実だし、一応恩を感じないわけではない。私は大人しくエミヤの向かい側に腰を下ろした。

この後ビールを飲もうとして取り上げられ、拗ねてテレビを付ければコンセントごと電源を切られた私は、再びエミヤと言い争いを始めることになる。





「ねえ、彼まだ来てるの?」

イシュタルの言葉にコクリと頷く。あの日以降、エミヤは金曜日になると毎週夕飯を作りにやって来た。私はそのたびに、何でいるの、勝手に上がるな、洗濯物に触るなと、同じ文句を言い続けた。最も、何と言おうがエミヤ自身はどこ吹く風で、全く相手にされなかったけれど。

「なんかもうここまでくると、幼馴染と言うより通い妻みたいなものよね」

イシュタルはそう言ってにんまりと笑う。言い得て妙だ。私はやめてよと呻いてデスクに突っ伏した。

「アイツのおかげで私の至福の金曜日が丸潰れなんだけど。ビール飲ませてくれないし、タイムセールでゲットしたお惣菜はリメイク料理にされるし」
「スーパーの惣菜が彼氏の手にかかれば美味しい料理に早変わり、ね。これのどこに文句を言う必要があるのよ」
「イシュタルやめて、アレは彼氏じゃない。ほんっとにやめて」
「あらそう?ま、どっちでもいいけど、今週は夕飯はいらないってちゃんと言っておかなきゃダメよ」

イシュタルに言われて、デスクの片隅に置いた卓上カレンダーに視線を向ける。そうだ、今週の金曜日はケルト社との会食があるんだった。別にエミヤにいちいち私のスケジュールを教える義理はないけれど、私の帰りをいつまでも待たれるのは迷惑だし、帰りが遅くなったことについて文句を言われるのもごめんである。
私はエミヤに「今週は職場の飲み会があるからうちには来ないように」とラインを送った。ちなみにエミヤのラインは常に通知オフの状態で、メッセージが来ても基本的に全部既読無視。ブロックしないだけマシだと思ってほしい。
エミヤは私のラインに対して、飲み会の場所や何時頃に終わるのかなどと質問をしてきたが、今回も私は既読を付けただけで全て無視した。場所や時間なんかを言ってしまえば最後、迎えに行くと言い出すのは目に見えている。





「何だ#name2#、緊張して居るのか?」

顔を強張らせながらエレベーターに乗り込んだ私を見て社長が鼻で笑う。こんな高級ホテル、泊まったこともなければ足を踏み入れたことすらないのだ。テーブルマナーも自信がない。何か粗相をやらかして社長の顔に泥を塗ったらどうしようかと不安に駆られていると、社長から資料の束で頭を叩かれる。

「そう気負う必要はない。此度の会食、我らは接待を受ける身だ。貴様が何時ぞやのようにすっ転ぼうと、今回の取引に支障はなかろうて」
「まだ言いますかそれ…」
「ふはは、貴様のアレは前代未聞だったからな。まあ今日は変に気など遣わず大人しく座っていろ。此度の我らは接待を受ける側だからな」

社長の言葉に返事をした瞬間、エレベーターのドアが開く。ドアの向こう側に立っていたその人を見て、私は隣に社長がいることを忘れて思わず声を上げそうになり、慌てて口を押さえた。

「よお、待ってたぜ」
「何を言う、時間より10分以上早い到着ではないか」
「そういう意味で言ったんじゃねえっつーの」

ドアを押さえてくれるその人に会釈をしつつ、社長の陰に隠れるようにエレベーターから降りる。さっきとは違う意味で顔が強張るのを感じた。だって私たちを出迎えてくれたこの男性は、あの日エミヤの手で失恋させられた、キャスター先輩だったのだから。
エミヤのせいで私は先輩の顔を見ることができなくなり、卒業式にも、研究室の送別会にも行かなかった。あまり先輩のことは思い出さないようにしていた。だって本当に、先輩は私が初めて好きになった人で、憧れで、本当に。
本当に、好きだったのに。

「…ん?なーんか見たことある顔だと思ったらお前、」
「何だ、知り合いか?」
「あ、いえ、その」
「大学のコーハイ。久しぶりじゃん、#name1#」

先輩はあの頃と変わらない笑みを私に向けて、「綺麗になったなあ」とお世辞でも嬉しい言葉を掛けてくれる。私はといえば社長の陰に隠れたまま、「先輩こそ、お元気そうで」と当たり障りのない言葉しか言えなかった。

title/秋桜
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