ケルト社との会食は緩やかに始まり、特に問題が起きることもなく静かに終わった。今回、社長秘書であるシドゥリさんから私に与えられた任務は「ギルガメッシュ社長の暴走を防ぎ、ケルト社との会食を無事に終わらせること」だったので、十分仕事を果たせたと思う。もっとも、今回は社長自身が大人しくしていてくれたため、特にこれといって私が口を出すこともなかったのだけれど。
「では社長、お疲れ様でした」
タクシーに乗り込んだ社長に挨拶するべく、車内を覗き込むように身を屈める。社長はそんな私を胡乱な目で見つめると、「貴様は何を言っている?」と心底呆れたような声色と共に溜め息を吐いた。
「我を一人で帰すつもりか?シドゥリに我の面倒を見るように言われていただろう」
「そう、ですけど…あとはもう帰るだけですし……」
「ならばそのちっぽけな脳みそによく刻んでおけ。会食は家に帰るまでが会食だ」
「ええええ」
何だその、小学生の頃先生たちがよく言っていた「遠足は家に帰るまでが遠足ですよ」みたいなセリフ。まさか社長の口から聞くことになろうとは。
「で、ですが私の自宅は社長のご自宅とは反対方向ですし…」
「構わん。早く乗れ」
「どうしたどうした、何揉めてんだお前ら」
背後から声を掛けられて反射的に振り返ると、キャスター先輩の顔が思いの外近くにあって口から変な声が漏れそうになった。社長と会話をするために腰を屈めたキャスター先輩がバランスを取るためかタクシーのドアに手を掛けたので、さらに縮まった距離に今度こそ情けない声が出る。
「#name2#がなかなかタクシーに乗ろうとしないのだ。貴様からも何か言ってやれ、狗」
「あー…お前さんと一緒に帰るのは#name1#も気遣うから嫌なんじゃねえの?」
「い、いやなわけでは…。ただ申し訳ないなと」
「我が構わんと言っているだろうに。申し訳ないなどと思う必要がどこにあるのだ」
じとりとした視線を向けられて返事に窮していると、「じゃあさ」とキャスター先輩が言う。助け船を出してくれるのかと期待して窺うように先輩へと視線を向けると、キャスター先輩は内緒話をするように私の耳に口元を近付けた。
「コイツと一緒に帰るのが嫌なら、俺が送ってやろうか」
「……っ!?」
声にならない悲鳴を上げて耳を押さえた私を見て、キャスター先輩が口元を吊り上げて笑っている。細められた目元は色っぽく、ちらりと見えた舌は獲物を狙う肉食獣のように下唇を舐めた。あ、あ、と言葉にならない単語を零す私の顎にキャスター先輩の指が掛かった、と思いきや、ぐいっと強い力で腕を引かれて車内に引きずり込まれる。
「……だから早く乗れと言ったのだ」
言うや否や、容赦ない威力のデコピンが飛んできた。額を押さえて悶える私越しに、社長がキャスター先輩に向かって「戯れにしては度が過ぎるぞ」と不機嫌さを隠さない低い声で言い放つ。この声色で怒られたことは一度や二度の話ではないので、私は額を押さえたまま思わず背筋を伸ばした。
「……お前さんの趣味じゃねえと思ったんだけどなあ」
「ああ、我の趣味ではない」
うっすらと揶揄いを滲ませたキャスター先輩の呟きに、ギルガメッシュ社長がぴしゃりと返事をする。
「だがイシュタルめに、此奴でなければならぬ男がいるからしっかり目を光らせておくようにと言われているのでな」
「へえ」
「貴様もだこの阿呆め。我に手間を掛けさせた罪は重いぞ」
「も、申し訳ありません……」
タクシーのドアが閉まる。滑るように走り出した車内で、私たちを見送ってくれているであろう先輩をどんな顔で見ればいいのか分からず、しばらく膝の上の鞄を抱き締めていた。
自宅から少し離れたコンビニで降ろしてもらおうと思っていたけれど、ギルガメッシュ社長に無言で睨まれたので、大人しくアパートの前で降ろしてもらうことにした。タクシーから降りた後、もう一度挨拶をしようと社長を振り返ると、何を見つけたのか社長は私の向こう側をじっと見つめていた。
「……成程、イシュタルめが言っていたのは貴様のことだったのか」
「え?」
社長はさっきもイシュタルの名前を出していたけれど、一体何の話をしているのだろう。怪訝に思いながら社長の視線の先を振り返ろうとした私は、背後から誰かに腕を取られて思わず肩をびくつかせた。
「なんっ…、えっ、エミヤ!?」
何でここにいるの!?と声を上げる私を無視して、エミヤは車内の社長を睨み付ける。街灯の明かりでも分かるほど刻まれた眉間の皺に、エミヤの不機嫌さが滲み出ていた。
「我を睨むなど不敬にも程があるであろう、贋作者。今宵の我は貴様に感謝こそされど、睨まれる覚えはないのだが?」
「黙れ」
エミヤに捕まれた腕が痛い。痛い、離して、と訴えても、エミヤの力が弱まる気配はなかった。そんな私たちを見て、社長がすっと目を細める。
「随分と余裕がないのだな。自信がないのか?」
「黙れと言っている」
「貴様のそれは何も伝わっていないぞ。だから狗がちょっかいを出そうとするのだ」
狗、という単語を聞いた途端、エミヤが目を見開いて私を見つめた。
「……会ったのか、あの男と」
無理矢理絞り出したような、掠れた声だった。信じられない、というより信じたくない、と言いたげなエミヤに何と言えばいいのか分からず、私は視線で社長に助けを求めた。私と目が合った社長が呆れたように大きく息を吐く。
「だからこうして連れ帰ってやったのだ。あのまま放っておけば確実に食われていたであろうな」
「っ、」
「先程から言っているであろう。感謝こそされど睨まれる覚えはない、と」
社長は素っ気なくそう言うと、タクシーの運転手さんに一言、「出せ」と命じた。
バタン、ドアが閉まる。タクシーのテールランプが暗闇の中に消えてもエミヤは私の腕を掴んだままだったけれど、その手には全く力が込められていなかった。
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