触れた棘から薔薇になれ
東くんから紹介された後輩に、二宮くんという男の子がいる。東くんには「同じ学部だから良くしてやってほしい」と言われていたけれど、当の本人はかなり不愛想な性格をしていた。キャンパス内で見かけるたびに声を掛けたり事あるごとに過去問やレポートなどを貸してあげたりしていたけれど、東くんからの紹介じゃなかったら早々に匙を投げていたと思う。
東くんや同い年の加古ちゃんたちと一緒にいるときは僅かながら表情の変化を見せるというのに、私と話すとき彼はいつだって機嫌が悪そうな仏頂面を浮かべていたから。
『先日お借りしていた過去問をお返ししたいのですが、今どちらにいらっしゃいますか』
絵文字も記号も何一つ使われていないシンプルなそのメッセージは30分以上前に送られてきたものだった。続けて5分ほど前に受信したメッセージには「学食で待っています」と書いてあった。返信どころか既読すら付かなかったからじれったかったのかもしれない。
『ごめん、今から行きます』
そう返事をして、待たせたお詫びにとすぐ近くの自販機で適当に飲み物を買う。
私のことが嫌いなら過去問やレポートの面倒は他の誰かに見てもらえばいいのに。東くんの顔に泥を塗りたくないのか、彼は変なところで律儀だ。
だだっ広い学食で目当ての人間を探すのはなかなかに難しい。テーブルとテーブルの間を歩きながら二宮くんを探していると、柱の向こうに加古ちゃんが座っているのが見えた。加古ちゃんの様子を見るに柱の陰になっている向かい側の席に誰かが座っているらしい。もしかしたら二宮くんかもしれないと、私は歩く速度を速めて加古ちゃんに近付いた。
「加古ちゃ、」
「やはり少し見てくる」
加古ちゃんに話しかけようとして思わず口を噤んだのは、二宮くんの少し苛立ったような声が聞こえたからだった。やっぱり柱の向こうにいたのは二宮くんだったらしい。おいおい、きみが学食で待ってるって言ったからわざわざここまでやって来たのにどこに行こうとしているんだ。思わずむっとして足を止めると、加古ちゃんが呆れたように溜め息を吐いて頬杖をつく。
「見てくるって。みょうじさんがどこにいるのか分からないのにどこを見てくるつもりなの?」
「大体の検討はつく。どうせ図書館で文献を探しているか、教授の手伝いでもさせられているんだろう」
「どちらにしてもみょうじさんだって暇じゃないのよ?しかも今から行くって言われたんでしょう?大人しく待ってなさいよ」
「だがもう5分も経っている。もし何か事件に巻き込まれでもしていたら」
「キャンパス内の移動で事件に巻き込まれるなんて聞いたことないから安心して。さっきから何なの、そわそわしてみっともない」
え、何?二宮くんったらどうしてそんなに私に会いたいの?
思いがけない会話に声をかけるタイミングを失ってしまい、私はその場から動けなくなってしまった。私が会話を聞いているだなんて思いもしていないのだろう。二人の会話は止まらない。
「そういえば今回のみょうじさんへのお礼のスイーツ、結局何にしたの?」
「……おまえに言う義理はない」
「ちょっと何なのその言い草。あなたがみょうじさんが好きそうなスイーツを教えろって言うからそれとなくリサーチして教えてあげてるんじゃない。しかも前回と同じじゃダメだなんて我儘を言うから」
「当たり前だろう。芸がないつまらない男だと思われる」
「たぶんみょうじさん、二宮くんのことつまらない男だと思っていると思うけど」
「はあ?」
私の耳が可笑しいのだろうか。二人の会話だけを聞くと、二宮くん、別に私のこと嫌ってないんじゃないの?むしろ好かれようと、している、ような。
「で、何を買っ……やだこれ、駅前の有名なお店のやつじゃない!予約するか朝イチで並ばないと買えないっていう…。まさか二宮くん、朝から並んで来たの?」
「……偶然通りかかっただけだ」
「偶然通りかかったとしても、7時前から並ばないと買えないらしいわよ。みょうじさんに言うときはもっとマシな嘘をつきなさい」
……いやいや待って落ち着け私。あの二宮くんだよ?目つきが悪くて口数が少なくて仏頂面なあの二宮くんが、そんなわけない。うん。
仮に二宮くんが私のことを好きだったとしても、好きな相手にそんな失礼な態度を取るだろうか。いや取らない。私だったら全力で媚を売る。
ということで、「二宮くんが私に好かれようとしている=ただの勘違い」と結論付けた私は、さも今来ましたと言わんばかりの顔でその場から一歩を踏み出した、ら。
「どうしたんだみょうじ、さっきからそんなところで突っ立って」
背後から声を掛けて来た東くんのせいで加古ちゃんたちは私に気付いたようだった。パッとこちらに顔を向けた加古ちゃんの向かい側から、がったーん!と大きな音が聞こえる。柱が邪魔で見えないけれど、恐らく二宮くんが勢いよく立ち上がってイスを倒してしまったんだろう。おそるおそる後ろを振り返ると、東くんがにこやかな顔でうん?と首を傾げた。何だその白々しい顔は。全部分かっていてわざと声を掛けたくせに。
東くんに背中を押されて、何とも言えない気まずさを抱いたまま加古ちゃんの隣に立つ。二宮くんは倒してしまったイスを元に戻す余裕もないのか、目を見開いて立ち尽くしていた。
「はは、どうした二宮。耳まで真っ赤だぞ」
私はこのとき初めて、二宮くんの仏頂面以外の顔を見た。
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