いとおしさの迷路
風間さんのことが好きだった。だから彼に好きな人がいるのかどうか気になるのは仕方がないことだと思う。太刀川にこっそり聞いてみると、てっきり面白がるなりバカにするなり何かしら反応してくれると思っていた彼は苦い顔をして首を横に振った。
「風間さんはやめた方がいいって」
「何で?好きな人でもいるの?」
「何て言うかさあ……風間さんってモテモテだし、みょうじが辛いだけだと思う」
太刀川の返答は曖昧だった。風間さんが私のことを好きになってくれる見込みがないならはっきりそう言ってくれればいいのに。それからも太刀川は私が風間さんのことで何度相談しても、言葉を濁すばかりで明確なことは何も言ってくれなかった。
今思えばそれは、私が傷付かないようにという太刀川なりの気遣いだったのかもしれない。
「太刀川どこ行った……」
今日も大学をサボった太刀川に一言言ってやろうと彼を探していると、廊下の突き当たりを曲がろうとする小さな後ろ姿を見つけた。誰がどう見てもあれは風間さんだ。太刀川の行方を聞くついでに少しお話したいな。そう思ってその後ろ姿を追い掛けた。
「風間さ……!」
風間さんは一人じゃなかった。黒髪ショートヘアーの、風間さんよりも背の低い女の子と談笑しながら歩いていた。
慌てて陰に隠れたけれど、誰かが自分の名前を呼びかけたことを彼は気付いたのだろう。
「風間さん、どうかしましたか?」
「………いや、何でもない」
ああそうだ、あの子はたしか風間隊のオペレーターの。そこまで考えてふっと足から力が抜ける。その場に座り込んで、ズキンズキンと痛む心臓を服の上から押さえ付けた。
ちらりと見えた風間さんの表情は柔らかかった。私が話しかけるときはいつだって無表情で、表情筋が動くことは滅多になくて。
あんな顔見たことない。そんな優しい声聞いたことない。
それが自分に向けられないだけでこんなに辛いなんて、知らなかった。
「今から風間さんと模擬戦するけど見に来るか?」
普段なら太刀川のそういった誘いにはその後の予定を放り投げてでも飛び付くけれど、今はとてもそんな気分になれない。行かないと首を横に振った私を太刀川も訝しく思ったのだろう。案の定太刀川は「なに、どうした?」と言って私の顔を覗き込んだ。
「別に、ただ太刀川の言う通りだったと思っただけ」
「は?」
「太刀川もさー、風間さんが三上ちゃんと付き合ってるならそう言ってくれればよかったのに」
「えっ、風間さんって三上と付き合ってるのか!?」
「知らなかったの?何で私太刀川なんかに相談したんだろ……」
太刀川は口が軽そうだから風間さんも言いたくなかったのかもしれない。というより、誰かに言うと冷やかされるから秘密にしていたのかも。風間さんそういうの嫌いだろうし。
「えー、みょうじさん一緒に見に行きましょうよ」
「出水私の話聞いてた?行かないって言ってるでしょ」
「模擬戦終わったら太刀川さんが夕飯奢ってくれるって」
「………行く」
こうなったらやけ食いしてやる。そう意気込む私を呆れた目で見つめながら、太刀川は現金な女め、と呟いた。
「あー……なるほど」
太刀川の視線の先には風間さんと三上ちゃんの二人が並んでいた。二人を見かけたのは30分以上前のことなのにまだ一緒にいたんだ。ズドンと胃に重いものが落ちてきて、何だか無性に泣きたくなる。
そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、太刀川は私の視界から遮るように二人の元に近付いていった。
「風間さんお待たせ。早速やりますか」
「ああ。………みょうじも一緒だったのか」
「はい……えっと、このあと一緒にご飯を食べに行くので太刀川の応援に、」
風間さんと会話しているのに視線はずっと足元を向いたままだった。
風間さんの顔が見れない。これ以上ここにいるのが嫌で、あっちで見ようと隣に立つ出水の腕を掴んだときだった。
「………今日は俺の応援はしてくれないのか」
掴んだままの出水の腕がピクリと動いた。何事かと思えば、誰かがこちらに近付いてくる足音がして。
とうとう出水は力任せに私の手から自分の腕を引き抜いて私から距離を取った。出水の行動が理解できないし目の前に立っているのであろう風間さんが怖いしで、不安に飲まれそうだった。
「お前たちが一緒に食事をする仲だったとは知らなかった。随分と仲がいいと思っていたが、そういうことだったんだな」
冷たい声がする。風間さんは何を言っているんだろう。一緒に食事をする仲だとは思わなかった?何だかすごく勘違いされている気がする。
違うよ風間さん、出水も一緒に行くんだよ。太刀川とはそんな関係じゃないよ。
「ち、が……」
顔を上げた先にあった風間さんの顔は無表情なのにとても怖くて、さっき三上ちゃんに見せていたあの柔らかい表情とは大違いで。
「……風間さんこそ、」
絞り出した声は震えていて。事情を知っている太刀川たちにはきっと、私が泣きそうだとバレているに違いない。
「風間さんこそ、三上ちゃんと付き合ってるなんて知りませんでした」
「待て、何だそれは」
「やだなあ、とぼけないでくださいよ。風間さんと三上ちゃん、付き合ってるんでしょう?前からお似合いだなって思ってたんですけど、やっぱり女の勘って当たるもんですねえ」
こんなところで泣きたくない。それなのに口を開くたびに涙腺がどんどん弛んでいく。
「ああでも、付き合ってるなら教えてほしかったです。たぶん今まで空気読めてないことばっかりして二人に迷惑を、」
「黙れ」
お腹の底に響くその声に肩が跳ねた。
これ以上口を開くなと言いたげに風間さんの手が私の口を塞いだ。眉間に寄せられた皺が風間さんが怒っていることを表している。
「俺が三上と付き合っている?そんな戯言誰から聞いたんだ。太刀川か?」
「む………もがっ」
「俺の気も知らないでよくもそんなことが言えたな」
知らないよ。わたし、風間さんの気持ちなんて分からない。風間さんが私じゃない誰かのことが好きで、私のことはただの後輩だとしか思っていなくて。この恋が報われないただの片想いだなんて、そんなこと知りたくないもん。
「悪いが太刀川、模擬戦はまた今度にしてくれ。俺はコイツと話がある」
「え?あ、ハイ」
「……?っ!?」
そう言うが否や、風間さんは私の口を塞いでいた手を外すとその小さな背からは想像できないような力で私の腕を引いた。
何が起こっているのか分からない。ちらりと振り返ると太刀川と出水がグッと親指を立てていて、何が可笑しいのか三上ちゃんはクスクス笑いながらこちらに向かって手を振っていた。
風間さんに手を引かれたまま人気のない廊下をずんずんと進んでいく。縺れそうになる足を必死に動かしながら、ちらりとも振り返ってくれない風間さんの背中を必死に追いかけた。
風間さんが足を止めたのは、誰もいない風間隊の隊室のドアを閉めたときだった。
「オレが他の誰かと付き合っているとお前に勘違いされることがこんなに不快だとは思わなかった」
振り返った風間さんの顔は不機嫌そうに歪んでいた。こんなに風間さんの機嫌が悪いところなんて見たことがない。
どうしよう、何か言わないと。焦るばかりで言いたいことは何も浮かばない。
「なまえ」
風間さんに名前を呼ばれるのは初めてのことだった。それだけで心臓が跳ねて、脳が考えることを放棄してしまう。
「太刀川なんてやめて俺にしろ」
風間さん掴まれたままの腕は熱い。その熱はぶわっと全身に広がって、開いた口が一体何を告げたのか自分でも分からなかったけれど。
風間さんは三上ちゃんに向けた柔らかい表情とはまた違う、優しげな笑みと共に私を見つめていた。
←
back to top