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あと少しだけ手のひらの上で

秀次くんと私は幼馴染みだった。

「なまえはすぐ転ぶから」

秀次くんはどこへ行くにも私の手を引いて歩いてくれた。いつも二人でセットだった私たちを見て、近所のおばさんたちも秀次くんのお姉ちゃんも「あなたたち本当に仲良しねえ」と笑っていた。

それが変わってしまったのはいつからだろう。

秀次くんが笑わなくなった。手を繋がなくなった。一緒にいる時間がめっきり減って、秀次くんと話さなくなって。
気付けば廊下ですれ違っても知らんぷりされるようになっていた。
言葉を交わすのは本当に用事があるときだけで、秀次くんはもう、私のことを名前で呼んでくれなくなった。


別にこの年になってまで手を繋いでほしいわけじゃない。あの頃みたいにずっと一緒に居たいわけじゃない。だけどふと思うことがある。

幼馴染みだと思っていたのは私だけだったんじゃないか。秀次くんと仲が良かったなんて、そんなものは私の幻想なんじゃないか。

だから私は、秀次くんとの関係を誰にも言ったことがなかった。





「なまえちゃんって秀次と仲良かったっけ?」

そんなことを言われたのは初めてだった。秀次くんに聞いたのかな、とも思ったけれど、彼が私との関係を毛嫌いしている迅さんに教えるはずがない。

「私がしゅ………、三輪くんと話してるところ、見たことあります?」
「ないから不思議なんだよなあ」

迅さんは一体何を見たのだろう。もし私たちが仲良くしている未来が見えたのだとしても、それはきっと秀次くんが近界民を駆除し尽くしたあとのことだ。

「秀次がなまえちゃんの手を引いて歩いてるんだ」
「は?」
「しかもそんなに遠くない未来のことでさあ」

たぶんそれ、未来じゃなくて過去の話です。
迅さんのサイドエフェクトって過去じゃなくて未来を見るものじゃなかったっけ?みんな迅さんのサイドエフェクトをすごく頼りにしてるみたいだけど一気に胡散臭くなってきたぞ……。

「……サイドエフェクトの調子が悪いんじゃないですか」
「いやいや絶好調だよ。だってさっきなまえちゃんのパンツの色見えたし」

え、と間抜けな声が漏れる。瞬きをした瞬間に迅さんは目の前から居なくなっていた。そして。

「ほら、ピンk」
「いやああああ何してるんですか!!」

スカートの裾を押さえて迅さんから距離をとる。この変態め!と思い切り睨み付けても迅さんはヘラヘラ笑うだけだった。

迅さんがお尻を触ってくる、という話はボーダーの女性陣の間では有名な話だった。だけど私は直接被害に遭ったことなんてなかったしそのうち誰かがどうにかしてくれるだろうと思っていたけれど。
これ以上被害が出る前にこの変態は今ここで駆除すべきだ。トリガーを手にしたそのときだった。

「トリガー起動」

それは私の声じゃなかった。
記憶していたよりも随分低いその声に、一瞬誰のものなのか分からなかったけれど。迅さんの背後からその首筋に弧月を突き付けていた人物を見て、握っていたトリガーが乾いた音を立てて床に落ちた。

何で、どうして。いつもなら私が誰と何をしていたって知らん顔するくせに。
久々に真正面から見たその顔は憎悪に染まっていて、私に向けられているものではないと分かっていても背筋が凍る。

「迅……殺す」

ドスの利いた声を出したのは秀次くんだった。さすがの迅さんもこの未来は予知できていなかったのか、口の端が引き攣っている。

「しゅ、秀次…?何でお前そんなに怒ってんの?」
「黙れこの変態…!」

どうやら秀次くんは私のスカートの中身を見てしまったらしい。見たくもないものを見せられて怒っているのだろう。私も秀次くんには見られたくなかったな……迅さんに見られたことよりショックかも。

「なまえに何てことを…!殺してやる!」
「ちょっ、ちょっと待て!」

迅さんが叫ぶようにそう言って両手を上げた。秀次くんは迅さんの首筋に弧月を当てたままピクリともしない。
秀次くん、気付いてるのかな。それとも私の気のせいかな。
秀次くん今、私の名前呼ばなかった……?

「"なまえ"って…お前なまえちゃんのこと名前で呼んでたっけ?」

どうやら完全に無自覚だったらしい。カラーンという音と共に秀次くんが弧月を落とした。真っ赤になって目を見開いて、口をパクパクさせて。見たことがない秀次くんの反応に言葉が出ない。

「あ、」

先程までの気迫はどこへやら、一瞬のうちにこちらに背を向けた秀次くんは廊下の向こうに走り去ってしまった。と思えばすぐに戻って来て、私の手を掴んで走り出す。
秀次くんはトリオン体で、私は生身のままで。その状態で走らされて付いていけるはずもなく、廊下の角を曲がったところで思い切り転んでしまった。

「………」

は、恥ずかしい…!顔を上げなくても秀次くんが呆れたような顔をしているのが容易に想像できて、唇を噛んだまま俯いた。

「……大丈夫か」

思っていたよりも優しい声にそっと顔を上げると、そっぽを向いた秀次くんが私に向かって手を差し出していた。
夢みたいな展開に混乱するばかりだ。名前を呼んでくれて、転んだ私に手を貸そうとしてくれて。

掴んでも、いいのだろうか。触るなって振り払われたりしないのだろうか。おずおずと手を伸ばすと、焦れったくなったのか秀次くんが自分から私の手を掴んで立たせてくれた。

「怪我は」
「だ、だいじょうぶ……」

強かと膝を打ち付けたためかなり痛かったけれど血は出ていなかったし、それにこれ以上秀次くんと一緒にいると緊張で可笑しくなってしまいそうだ。変なことを口走る前に一人になりたかった。

「来い、手当てしてやる」

換装をといた秀次くんが、私の返事も待たずに歩き出す。あの頃よりも大きくなった手が私の手を包み込んで、昔みたいに手を引いて歩いてくれる。

「秀次くん、手………」
「なまえはすぐ転ぶからな」

『なまえはすぐ転ぶから』

ぶっきらぼうな声とは対照的に秀次くんの手は力強い。そのことが何だかとても嬉しくて小さく笑うと、急に恥ずかしくなってきたらしい秀次くんは誤魔化すように「迅には近付くな」とか「スカートの丈はもう少し長い方が、」とブツブツ言っていた。

title/寡黙




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