視えていた人の話1// 2
「おっ、今日は乱が担当なのか」
季節が移り変わり、暖かな陽気の某日。
手の平に収まるか否かの端末を片手に広大な本丸内を彷徨っていた一振りの短刀は通り掛かったと思しき声の主へと視線を投げ掛ける。
戦装束たる見慣れた「白」に身を包んだ相手は空いている方の手をひらり、と挙げるなり人懐っこい笑みを浮かべて此方まで歩んできた。言うまでもなくそのもう片方の手には「本体」である太刀が握り締められている。
「こんにちは、鶴丸さん。鶴丸さんはこれから出陣?」
「ああ。その様子だと乱は留守番組になっちまったようだな」
「うん。あみだ籤でハズレ引いちゃったんだー」
だから今回はお留守番、などと残念そうに唇を尖らせる短刀を前に「白」に彩られた太刀はカラカラと笑う。
「なに、俺からすれば“その権利”があるだけ羨望ものだぜ?」
「むぅー……」
確かにそう言われてしまうと返す言葉もないのだが、しかし残念なものは残念でならないのだ。特に一週間は軽く超えるであろう長期の『外泊』ともなれば年に数回あるか無いかであるが故に。
「だけど鶴丸さんだってその時が来たらやっぱり「もうちょっとだけ」、って気持ちになるでしょう?お泊まりだったら何時もより長く「外」に居られる訳だし」
「そりゃあな。ただ俺達の場合、主と違って其処に「在るもの」として居られる訳でもないからなぁ……」
ほんの少しの逡巡の後に肩を竦めた太刀を見上げながら同意見だと言わんばかりに短刀も頷く。
頭では仕方がないことだと解ってはいるものの、どうにもこの「心」とやらは“ままならない”。
仮初めの肉体を得てからと言うもの、日々の暮らしの中で実に人間らしい「欲」を抱くようになった。
それが良いことなのか悪いことなのかは判断に窮するが、取り敢えず阿弥陀籤の結果に不満を抱かざるを得ない短刀は溜め息を飲み込むなり不意に握り締めていた端末を翳す。
「―――っね、折角だから鶴丸さん撮ってあげる!」
「おっと。この「姿」じゃ普段以上に写せるところが限られるぜ?」
「じゃあ何か代わりに撮って欲しいものとかは?どうせなら可愛いものが良いな〜」
「可愛いものねえ」
「だって薬研や厚ってば、いっつも同じようなものばっかり撮るんだよー!?「雅なものは解らん」とか言って寝そべりながらその辺のもの撮ったりしてさ」
“じゃあボクが撮るよって言っても頑として代わってくれないし!”
そう口にしては頬を膨らませる愛らしい容姿の短刀を微笑ましそうに見下ろしつつ、一振りの太刀は暫し考え込む。
正直なところ、件の短刀達の気持ちも解らなくはないのだ。頑として代わろうとしない理由も。
前者は個々の性格にも寄るのだろうが、大体が何を撮れば良いのか思い悩んでいるのだろう。だってほぼ毎日 誰頭が「何か」を撮っているのだから。
それに後者に至っては“これぐらいしか直接やり取り出来る機会がない”のだから例え「譲れ」と言われたところで素直に譲れる訳がない。
「ふむ。……それなら「あれ」が良いんじゃないか?」
「“あれ”?」
「以前、皆で種を持ち寄って植えていたのがあったろう?咲いているのがひとつ、あったぞ」
果たして短刀の言う「可愛い」はどこまでのものを言うのか。
その辺りは流石に定かではないものの、まあ、世間一般で言う「可愛いもの」に当て嵌まりそうなら及第点であろう。それにこれはまだ誰も撮っていないと自負できるものでもあるし。
「そうなの?ボク、まだ見てないや。ね、どの花だった?」
思いがけない太刀の台詞に案の定 短刀は目を瞬かし、そう言えば今日はまだ畑方面を見ていなかったなと思い返す。
ついこの間まで蕾だったのは確かなので相手の言葉に嘘はないだろう。と言うより、そもそも嘘を吐く理由がない。
ならば早速!とばかりに目を輝かせた短刀が先を促せば目の前の白い太刀は少しだけ目を細め、微笑と共に口を開く。
「――――――姫金魚草だ」
ああ、それにしても。
件の“あの花”は一体、「誰」が植えたのであっただろうか?
【視えていた人の話‐閑話‐】
◆
「踏み潰しても踏み潰しても“うじゃうじゃ”と湧いて出てくるってんだから殺し甲斐も何もあったもんじゃないわ」
営業スマイルと共に運ばれてきたパスタをいざ口にすべく いそいそとフォークを手にした所で一人の女性の動きがピタリ、と止まる。
それは何も目の前に座る友人の物騒な台詞に驚いたからではない。現に動きを止めた女性は友人を見るでもなく目下のパスタに視線を投げ掛け続けている。
具体的に述べると“パスタ皿の周辺をうろつく幼児体形の小さな生き物の姿”を目で追っていた。
赤黒い皮膚。赤い目。長い耳。二足歩行。
俗に言う「魑魅魍魎」を前に『今日はよく現れるなー』等と思いながら手持ち無沙汰となったフォークを一旦脇に置くことにした女性は今更ながらに相槌を打つ。
「バルサンでも駄目なら害虫駆除業者でも呼ぶしかないかもね」
そう言えば何の話をしていたのだったか、と思案しては直ぐに思い出す。
曰く「この季節は害虫がわらわら出てくる」とのことだった。
春先で徐々に暖かくなってきたからだろう、下手に木陰に近付いて「ぎゃあ!」な展開などあるあるネタだ。
そしてこの友人の口振りからして家に例の「アレ」が出たのかもしれない。一匹居た時点で彼方此方にわんさか居ると言うのはよく聞く話だ。
「駆除なら毎日してるんだけどね。それこそ、あっちこっち休む暇もなく」
「もう引っ越した方が早い気がするなあ」
と言うより毎回「アレ」を踏み潰しているのだろうか?
だとしたら凄い行動力だな、なんて感心していたら―――――――――“ぐしゃり”。
正にそのような効果音が似合いそうな感じに“潰された”。
「何」が?
勿論パスタ皿の周辺をうろついていた魑魅魍魎が、だ。
踏み潰されたわけではないが、叩き潰された。
ひしゃげた頭部から形容しがたいものが飛び散っていたが見なかったことにし、代わりに友人の背後にいる「もの」をチラリと盗み見る。
生憎とその表情を窺い知ることは出来なかったがテーブル上をチョロチョロとしていた魑魅魍魎が居なくなったのは此れ幸いと言えよう。何故なら何も視えていない友人から「食べないの?」と不思議そうに問われた際、全く以て“何事もなかった”かのような態度でフォークにパスタを絡ませることが出来たのだから。
「ところで本日のご用件は害虫に対する愚痴をひたすら聞き続ける、ってことでファイナルアンサーだったんでしょうか」
「んな訳ないでしょ。自分の親友を何だと思ってんのよ、アンタ」
物凄く怪訝な顔をされた。
てっきり今日は日頃の積もり積もった愚痴を聞かされるものだとばかり思っていたのだが。出だしが出だしだっただけに。
では本題は何だろうかとパスタを咀嚼しながら首を傾げれば既に昼食を終えて優雅にアイスコーヒーを飲んでいた友人が足を組み直す。
「アンタ、どうせ週末は暇でしょ?」
「まあ。大体は」
「こっちはまた暫く忙しくなりそうだからさー。その前に息抜きでプチ旅行とかどうよ?ってな誘いなわけ」
「なるほどね。良いよ。…………あっ、やっぱ駄目だ」
「どっちよ」
反射的に了承したものの直ぐに大事なことを思い出して首を左右に振る。
つい何時ものノリで簡単に頷いてしまったが、如何せん週末から暫くは既に予定が詰まってしまっているのだった。忘れているつもりはなかったのだが見事に忘れていたらしい。
又もや怪訝な顔をする友人を前に残りのパスタを食べ終えた女性は「ごめんごめん」と平謝りしつつ、簡潔に事情を説明する。
「いや、もう春休みに突入するじゃん」
「……?……ああ、そう言えば前にそんなこと言ってたっけ」
「うん。親戚の子が遊びに来ます」
三月も後半に差し掛かった頃なので児童や生徒は春休みに突入する。
故に短くも長い約二週間程度、女性の家には親戚の子供が泊まりに来る予定となっていた。
とは言え、社会人である女性は春休み中も普通に仕事があるので一緒に居られる時間は割と限られているのだが。
むしろ留守番の時間の方が長いかも、と危惧したが「それでも構いません」との事だったので何かその間の暇潰しになりそうなものでもないか友人に聞こうと思っていたのだった。物騒な言葉を口にする反面、これで意外と子供好きな面も持ち合わせているのがこの友人なのである。
「確か、半分は向こうの血が流れてるんだっけ。来るのは甥っ子?姪っ子?」
「―――――さあ、どっちだろう。まあ大した差はないからどっちでも構わないんだけど」
改めて問われたことでふと思い返す、あの少し癖のある色素の薄い銀の髪と大きな金の瞳を。
まだまだ幼さを残した顔立ちをしているのにも関わらず何処か大人びた雰囲気を持つ、どちらかと言えば中性的な容姿をした彼の人物。
立ち振舞いからしても昨今の少年少女の成長は著しいな、と思い知らされるような子なので一緒に居るとついつい背筋が伸びてしまうのだ。
不思議と『だらしない姿を見せてはならない』、と思ってしまうのはその佇まいの良さにも起因しているのかもしれない。
「ふーん……ってか、アンタに親戚が居たってことにびっくりだわ。聞いたことないし。しかも年端も行かないような子とか」
「びっくりだよねー。今となっては違和感も無くなってきたけど」
「?」
いや、こっちの話。
「画像とかないの?」
「画像自体はよく送られてくるよ」
「?相変わらず妙な返し方をするわね……」
その可笑しな返答に解りやすく眉を寄せる友人だったので「まあ見てご覧なさいな」の一言と共にバッグから取り出した端末を手渡す。
そこにはこれまで送られてきた画像の全てが一覧として映し出されており、どれどれと身を乗り出して操作し始める友人は―――――――――次第に首を傾げていく。
「……ねえちょっと。人っ子一人、写ってないんだけど。ってかこの異常な食べ物率はなんなの。飯テロ?」
「なんか自撮りとか好きじゃない子みたいでね。写したとしても手とか足とかの一部分だけだし、そもそも友達が撮ってるときもあるっぽい」
ざっと見ただけでも圧倒的に食べ物率の高い画像の数々に「最近の子は洒落たもん食べてんのね……」などと何処か羨ましそうに漏らす友人。それには同意見だと言わんばかりに女性も頷く。
いつだったか親元を離れて大人数で暮らしている、と聞いたことがあったので恐らくは身の回りの世話をしてくれている寮母の腕が良いのであろう。
しかも件の寮には物凄く大きな畑があるらしく、画像の大半はその畑で取れたと思しき野菜や果物などが写っていた。
他にも季節の花々や遠出した際の風景など、実に充実した日々を送っているであろうことが窺える写真ばかりである。
「ところで明らかにやばいアングルのもあるんだけど、これは色々と大丈夫なの?」
「それ、は……スルーするかどうか私も悩んだ」
桃色のフリルが可愛らしい、黒地のスカートから覗く「絶対領域」。
どう考えても下から撮られたであろうその画像が送られてきた時は正直反応に困った。すこぶる困った。
だが後々から『誤解を与えかねない画像を送ってしまいました。申し訳ございません』と言う、それはそれは実に丁寧な謝罪文が送られてきたのを覚えている。まるで子供の悪戯に気付いた保護者からのものと思しき文面だった。
ただ此方も本人ではなく友達が悪戯で送ってきたのだろうと推測していたので大事にはしなかった記憶がある。と言うより対処に困ったので何も見なかったことにしたかったのだった。
「随分とまあ懐かれてるみたいで微笑ましい限りだけど……――――」
「……?どうかした?」
子供らしいと言えば子供らしい悪戯にちょっとだけ絆されつつあった友人だったものの、不意にその指の動きが止まる。
それでいて次の瞬間には端末の画面をジッと見詰め、口許に指を当てながら何かしらを考え込んでいるかのような仕草を見せた。
だからであろう、もしかしてまだ問題のありそうな画像があったのかと心配になった女性が身を乗り出して自身の端末画面を覗き込むも“何て事はない”。
そこには極々普通の風景が写っていただけで先程のような色々と誤解を与えかねない画像など何処にもありはしなかった。
あったのは本当に何の変哲もない、雨上がりの空模様だけ。
「ああそれ?酷い雨の後に虹が出たんだって。こんなにくっきりしてるのって滅多に見ないから珍しいね、って話をしてたんだけど」
「………………そうね。確かに“珍しかったわ”」
ほんの少しだけ目を細めながら相槌を打つ友人に僅かな違和感を覚えたところで礼と共に端末を返された。
あれ、と思いながらも端末を受け取る女性は今し方の違和感について言及するかどうか一寸だけ悩んでは直ぐに『まあいっか』との結論に至る。何分わざわざ口に出して指摘するほどのものでも無ければ、そもそもの話としてそこまで気にもなっていない。
と言うわけで最終的に「自分の気のせい」であると結論付けていたら件の友人が徐に口を開いた。
「ねえ。その親戚の子って、「子供」、なのよね?」
「うん?そりゃ大人びた子だけど、どこからどう見ても子供だよ」
「……そう。そうよね。だとしたら」
“ 、 ”。
まるで「何か」に対して吐き捨てているかのような、そんな口の動きだった。
生憎と「声」にはなっていなかったので続いた言葉が何だったのかは解らず仕舞いだったけれど、相手の表情を見る限り余り気持ちの良いものではなさそうだ。むしろ気付かない内に地雷を踏み抜いてしまった感がある。
今の会話の何処に地雷が?、などと気まずそうに視線を彷徨わせてから掛ける言葉を探していると何気無く此方を見た友人が途端に呆れ返ったような面持ちで頬杖を突くのが解った。
「まあアンタ相手に言ったって仕方ないんだろうけど、面倒事には関わるんじゃないわよ」
「?大丈夫、そうそう連帯保証人になったりはしないから」
「どや顔で言うことじゃないんだけど、それ。……本当、頼むわよ」
“アンタとは「友達」のままで居たいのよ”。
物事をハッキリと言い放つ友人にしてはとても珍しい、か細い呟きだったように思う。
それが余りにも珍しいことであったが故に女性が目を瞬かせていると溜め息混じりに立ち上がった友人がテーブルの端に置いてあった伝票を引っ掴んだ。
あ、と漏らす頃には「それじゃ、またね」の一言と共にひらひらと手を振りながらレジに向かってしまっていたので小さく礼を言いつつ『今度は自分が盛大に奢ろう』と心に決める。だって折角の誘いも断ってしまったことだし。
「……ん?」
自分もそろそろ行くかと、昼休憩の時間を気にしながら荷物を手にしかけたところで今更ながらに女性は気付く。
友人が去ったあとも微動打にせず、いつまでも其処に在り続ける「もの」の姿を。
いつもならば友人にくっ付いてすぐに消えてしまうのに今日に限っては何故かまだ「其処」に居るのである。
それ故に思わず友人の後ろ姿を探してしまう女性だったものの疾うに去ってしまっていた事もあってか何処にもその姿は無かった。と言うか、仮に見付けたとしても“どうすることも出来ない”のだが。
ただ目の前の「もの」に害がないことは知っていたので結局はそのまま放置することにし、普段通り特に気にせず店を後にする事にした。
例え件の「もの」が自身の後を追い掛けて来ていても『まあいっか』で済ませながら。
【思っていたよりも早く着きそうです】
後日、そんなメッセージを受け取るなり女性は早々に仕事を切り上げた。
『やばい。夕飯の買い出ししてなかった』
普段は一人きりの為、食事は基本的に『お湯を注ぐ系』のものばかりだったのだが今日から暫くはそうも行かないのである。
ほぼ空っぽである冷蔵庫の中身を思い浮かべて“ううん…”と唸る女性は暫し悩んだ後、最終的に「取り敢えず今日は向こうの好きなものを作ろう」と言う考えに思い至る。決して考えるのが億劫になった訳ではない。
なった訳ではないが、“一旦荷物を片付けたら一緒に買い物に行こう”と改めてメッセージを送ると直ぐに【分かりました】との返事が返ってくる。
ついでに夕飯のリクエストも考えておいて欲しい、と打った後、続けざまに相手へと問い掛けた。
【もうすぐ着くけど、今どの辺に居る?】
【雑貨屋さんの角を曲がりました】
【マジか。じゃあ、もう暗くなってきてるから明かりが点いてる場所で待っててくれる?】
【分かりました】
どうやら彼方の方が先にマンションへと辿り着いてしまいそうであった。こんなことなら予めポストにでも鍵を入れておけば良かったか。
暖かくなってきたとは言え夕方になればそれなりに気温も下がるし、何よりこの辺は外灯が少ない。エントランス内に居てくれればまだ安心だが、どうにも外で待っていそうな予感がする。
と言うか、これまでの経験上、あの子は律儀に外で待っているだろう。部屋に入る際も「どうぞ」と言うまで動かずに待っているような子だし。
「あ、」
そうこう考えている内に覚えのある後ろ姿が視界に入り込んできた。
辺りが暗くなってきても決して風景に溶け込むことのない銀の髪に、フード付きのパーカーとハーフパンツ。
足元は黒地のブーツで纏めると言った少年とも少女とも取れるその出で立ちの「子」の傍らには日用品が入っていると思しき大きめのキャリーバッグと“大小の影”がある。
実際は「影」などではないのだが、付き従うように控えている「それ」らを目に『この前とはまた違う面子だなー』と言った感想を抱く女性は気持ち小走りとなった。
するとその足音に気付いたのだろう、此方へと視線を投げ掛けた「それ」らは女性の姿を捉えるなり表情を一変させて直ぐ様“何かを叫ぶ”。
しかしこれまで一度として「それ」らの声を耳にした事の無い女性は、
「――――――動かないで下さいっ!!!」
代わりとばかりに口を開いた身内のその「怒声」に思わず動きを止めた。
「あ、はい。」
思っていたよりも待たされた事で気が立っていたのか。
そんな考えが脳裏を過った瞬間、“ふっ”と、「何か」が女性の頭上を飛び越えていった。
故にほぼ反射的にそれを目で追い掛けると親戚の子の側に控えていた“大小の影”、基、“軍服のような衣服に身を包んだ「もの」ら”が着地と同時に帯刀していた刀を鞘から引き抜く。
それでいて一直線に“あるもの”のもとへと駆け抜けて行った。
数日ほど前から女性の周辺に蔓延っていた「異形の化身」のもとへと。
「……わー」
『喧嘩』、或いは『縄張り争い』なのか。
どちらにせよ突如として眼前で繰り広げられ始めた血生臭い展開に全く以て為す術のない女性は何とも間抜けな声を漏らす。
第三者からすれば“ただ突っ立っているだけの状態”なのだが、如何せん女性視点だと直ぐ目の前で腕なのか脚なのかよく分からない部分がひっきりなしに宙を舞っているのだ。
血飛沫と共に音もなく地面に落ちていく“そのよく分からない部分”は切断された箇所から徐々に亀裂が走っていき、最後には粉々となって塵と消えていく。
未だにどう言った原理なのか理解出来ていないが“そう言うものなのだろう”との認識で居ると――――――――背後から突き刺さんばかりの視線を感じた。
それ故に振り返ってみると神妙な面持ちで此方を見ている身内と目が合う。
「あっ。」
何か言わなければ、と思った。
しかしながら気の効いた言葉は何も出てこず、どうしたものかと考えていたら自身の脇を通り過ぎていく影に気付く。
言うまでもなく「それ」は今の今まで「異形の化身」と相対していた「もの」らで、透かさず辺りを窺えば“あの血生臭い光景は何処へやら”。
塵一つ残さず事態を収束させた「人間 」の形をした「もの」らは親戚の子の側に駆け寄ると何かを口にしていた。
まるで話し掛けているかのようだ、と思ったところで直ぐに思い直す。
――――――話し掛けているかのよう、じゃなくて、本当に“話し掛けてる”?
いやでも、まさか。
だって親戚の子は“視えていない”。
現に話し掛けてきている「もの」らに一切視線を向けていないし、そもそも位置を把握しているかすらも怪しい。
けれどその「声」は確と耳に届いているのか、神妙な面持ちはそのままに、ひとつ、頷く。
「ええ。直接手を下すことはないだろうと踏んでいましたが……それが仇となったようです」
明らかに「それ」らへ向けて発せられた言ノ葉はやけに重たい響きとなって女性の耳に届く。
“視えてはいないけれど聴こえてはいるのか”、と、そう判断しかけた所で親戚の子がジッと女性を見据えてきた。
「……状況が変わりました。“本丸で保護します”」
どこまでも真っ直ぐな眼差しで見据えられたかと思えば「こちらへ」、などと極々普通にマンション内へと促される。
よくは分からないが取り敢えず部屋に行くのかな?と思った女性は風除室に足を踏み入れながら鍵を取り出そうとバッグの中を漁るも“その必要はなかった”。
何故なら女性の部屋番号ではない数字の羅列を集合玄関機へと入力していた親戚の子が何処からか取り出していた鍵で「既に扉を開けてしまっていた」のだ。
何だって今ので開くのか、『セキュリティー的に大丈夫なのかこのマンション』と訝しみながらもエントランスホールの先を行く親戚の子を追って見慣れた扉を潜ると“一瞬にして視界が塗り潰された”。
「は?」
踏み込んだ先は真っ暗闇な空間であった。
ほんの数秒前までは間違いなく覚えのあるロビーが見えていたのに、現状は果ての無い「闇」ときた。
下手をしたら自分自身の姿すら見失ってしまいそうな程の暗闇、と言っても過言ではない。足下は疎か、手のひらさえ窺えるかどうか。
しかし眼前に建ち並ぶ“朱色の鳥居”が妖しくも仄かに灯ってくれていたお陰で何とか「己」を見失わずに済んだ。
――――「鳥居」。
そう、どこからどう見ても「鳥居」、である。
例えるとしたら京都伏見稲荷大社の「千本鳥居」だろうか?
全く以て「先」が窺えない程の数を誇る鳥居がすぐ目の前に建ち並んでいる、と言う現実に少しばかり圧倒されていたら当然のように手が差し出された。
「よろしければ、手をこちらに」
「え」
「此処で迷ったら大変ですよー?何処に出るか俺たちにも解らないですし!」
にっこりと笑って女性の顔を覗き込んでくるのは“ぴょこん”と立ったアホ毛が印象的な少年であった。
長い黒髪を下の方で一つに結い、濃紺の軍服のような衣服に身を包んでいる。顔立ちは何処かまだ幼いので中学生ぐらいであろうか。
また女性へと紳士的に手を差し伸べてきたのは同じ系統の軍服を身に纏い、その肩にフリンジの付いたマントを羽織らせた少年で。
どう見ても親戚の子と同年代くらいにしか思えない容姿だった為に『昨今の大人より大人らしい対応をされた』だなんて感想を抱いてしまう。
と言うか、ここに来て初めて「彼ら」の声を聞いたのだが。
「鯰尾さんが仰る通り、「此処」は通常より惑( いやすくなっているので気を付けて下さいね」
「あ、うん、……うん?」
紳士的な少年に手を引かれながら前に向き直ると(触ることが出来たのも今日が初めてだ)、何時の間にか親戚の子の服装が変化していた。
気付いたら全体的に「白」を基調とした和装、になっていたのである。
着物の上から羽織っている二重回しもまた「白」で彩られており、唯一変わっていないのは足元のブーツくらいであろうか。早着替えにもほどがある。
ここまでくるともう何でもありなあれだな、と達観した気持ちになり始める女性は目を擦りたくなる衝動を堪えつつ優に千を超すであろう鳥居を潜りながらひたすら石畳の上を歩き続けた。
『……ここ、ちゃんと出口らしい出口ってあるのかな』
別に疲れると言った事は無かったものの、一貫して風景が変わらないので感覚的にはその場でただ足踏みをしているだけと言うか。俗に言う「無限ループ」だけは避けたい、みたいな事を地味に願っていたら先を歩く黒髪の少年が親しげに声を掛けてきた。
「もうすぐで到着ですよー」
人懐っこい笑みを浮かべて前を指す黒髪の少年だったが生憎と風景に変化はない。
女性には暗闇の中でうすぼんやりと灯る朱色の鳥居の数々しか確認出来ず“それらしいもの”は何一つ視認出来なかった。
具体的に言うと後どれくらいなのか、そう問い掛けるべきかどうか迷ったところで―――――ふと肌を撫でる空気の「違い」に気付く。
そしてそれと同時に突如として“視界が開けた”。
今の今まで鳥居しかなかったのに、何気無く踏み込んだ一歩から“ガラリ”と景色が変わったのだ。
辺りが暗いのは変わらないままではあるけれど、それでも周囲を窺えるだけの自然な明るさはあると言うか。
これらが余りに突然の出来事だったので素直に目を疑う女性だったが、そろりと視線を彷徨わせてみると生い茂る木々の輪郭がくっきりとまでは行かないものの確と認識出来たので「これ」は幻でも何でもないのだろうと判断する。
何より眼前に聳え立つ、それはそれは立派な『武家屋敷』は疑いようもない存在感だった。
「私は政府に事情を説明してきますので、前田さんは彼女を客間まで案内して頂けますか?」
「はい、お任せ下さい。」
「じゃあ俺は荷物を片付けてきちゃいますね!」
呆気に取られながらも玄関口まで歩んでいくと先に上がり框へと上がっていた親戚の子が此方に会釈をしてから長い廊下の奥へと消えていく。
また黒髪の少年は少年で今まで引いていたキャリーバッグを軽々と抱えるなり、すたこらと同じ廊下を駆けて行ってしまった。
その様子は終始どこか楽し気で、つい先程まで「異形の化身」へと襲い掛かっていたものとはとても思えぬほどの変わりようであった。多分こちらが「素」なのだろう。
「では客間まで御案内致します。どうぞ此方へ」
「ああ、はい、お願いします……?」
既に見えなくなった二名を目で追い続けていたら残された幼い少年が相変わらずの恭しさで先を促してくる。
故に誘われるがまま靴を脱ぐと邪魔にならぬよう隅っこで揃え、一応「お邪魔します」と断りを入れてから玄関に上がり込む。
それでいてキョロキョロと辺りを窺いつつ、今度は先程とは打って変わり自身の前を行く幼い少年の背を静かに追い掛けた。
因みに脚の長さが違うため案内の途中でうっかり相手に打つかってしまわないかと危惧したが、実際は歩幅を考えてくれていたのか一度として打つかることはなかった。要らぬ心配とは正にこの事だ。どこまでも気の回る少年である。
「今日はもう遅いので、後日改めて本丸内を案内致しますね」
「あー……いえいえ、お気遣いなく」
その言葉を耳にしたことで漸く『時間』と言う概念を思い出す。
何だかんだでもう二十一時を過ぎていたらしい。通りで辺りが暗い訳だと一人納得し、暫しの沈黙後、まだまだ続くであろう長い廊下の先を眺める。
『なんと言うか―――……』
自分達以外、人っ子一人いない。
もしかして他に「人」が居ないのだろうか?
そのような考えが脳裏を過った矢先に「あーあー……俺も現世に行きたかったー……」「清光うるさい」と言った声が通り掛かりの一室から聞こえてきた。と同時に足をバタつかせているかのような音も。
どうやら やたらと周囲が静かだったのは就寝前であったからで、普通に考えれば解ることも『普通じゃない』出来事が続いたせいで大分思考が鈍ってしまっているようだった。
しかしそれにしても早い就寝だな、とも思ったが、相手が親戚の子と同年代であれば妥当な時間帯とも言える。何せ大人と子供では寝る時間も違ってくるし。
「あれ」
「?」
「今日はお早いお休みなんですね、和泉守さん」
少年少女の健全な眠りを妨げてしまわぬよう気を付けながら足を進めていると少し先の部屋から一人の青年が姿を現した。
見るからにうつらうつらとしているのは腰まで届く長い黒髪を三つ編みに結った美丈夫で、その服装はティシャツにスウェットとかなりラフな格好である。しかも件のティシャツには物凄く達筆な字で『最近流行りの刀』、と言う一文がプリントされていた。一体どこのブランドなのだろうか、果てしなく、その、あれである。
だが着用している人物の顔が無駄に良いせいか、これと言って違和感を覚えないのがまた何とも言えない感じであった。
「おー……前田か。いや、明日は入れ替わりで直ぐに出陣だってんで国広が「早く寝ろ」ってうるさくてよー」
「そうでしたか。お休みのところ呼び止めてしまい申し訳ございません」
「別に謝ることじゃねーだろ。お前だって…………、…………?」
“そう言やお前、暫く主の護衛に付いてるんじゃ無かったか?”
そんな疑問が喉にまで出かかった所で漸く黒髪の青年の寝ぼけ眼が少年の背後に佇む女性の姿を捉えた。
瞬間、何とも解りやすく青年の動きが止まる。
と言うよりは“固まった”、の方が正しいだろうか。
女性の姿を捉えるなりギョッとした様子で肩を揺らし、己が目を疑うかの如くマジマジと相手を見詰めては口を開いたり閉じたりを繰り返す。
その度に「ど」、やら、「な」、やらを口々に漏らしていたがどれもちゃんとした言葉にはなっておらず、不思議そうに此方を見てくる女性を前にしては完全に口を横一文字に結んでしまっていた。
「では案内の途中ですので、これにて失礼させて頂きます」
お休みなさい、の一言と共に頭を下げる幼い少年は恐らく相手の言わんとしていることを察している。
察しているが敢えてこの場では何も語らず、案内が脱線してしまったことを詫びてから再び女性を促し始めた。故に後を追うしかない女性は後ろ髪を引かれつつも少年と同じく「お休みなさい」と口にすると黒髪の青年の横を通り過ぎていく。
その際、ほんの僅かに相手の指先が自身の指先に触れたような気がしたのだが―――――――――多分、気のせいであろう。
『こんな時間に見慣れない人間が居たらそりゃ驚くよなー』だなんて的外れなことを暢気に考えている女性はきっと気付いてすら居ない。
「っあ、るじの奴、なに考えてんだ……!」
自身の背中に向けられていた視線が一体“どのような「感情」からくるものであったのか”を。
「お待たせ致しました。此方が今後使用して頂く客間になります」
それから他愛もない会話を交えて足を進めていくと、ようやっと目的とされていた客間に辿り着いたようであった。
別段入り組んだ道程では無かったものの、妙に迷いやすく感じたのは“そう言う風になっている”からだそうで。詳しく聞いたところで理解出来るとも思えなかったため適当に頷いたらスパッ、と障子が開かれた。
なので徐に中を伺うと八畳程の和室に鏡台付の机と座椅子、また可愛らしい花々が描かれた置行灯などが目に入ってきて思わず「おお……」と言う声が漏れ出てしまう。
自分の部屋が完全にフローリングだからか「畳」と言うのが珍しくも懐かしかったのだ。これぞ正しく和室、なんて地味に感動していたら幼い少年が押入れの戸を開けて何やらもぞもぞとし始めたではないか。
「床を整えますので少々お待ち下さい」
「いやいやいや、大丈夫、大丈夫です、自分でやれるので、本当、お気遣いなく」
「しかし、」
「本当、本当に大丈夫ですんで、これ以上は」
小さな体で大きな布団を取り出そうとしていた少年を透かさず制し、それぐらいはやらせて欲しいと丁重に断りを入れる。
何たって此処に来るまでの間、それはもう散々気を遣って貰ったのだ。流石にそこまでやらせるわけには行かないだろう、との精神から半ば強引に少年の肩を押さえると向こうも此方の気持ちを組んでくれたらしい。
ちょっとだけ名残惜しそうにしつつも「席を外しますが何かありましたら遠慮なく仰って下さいね」と言い残し、これまた律儀に一礼をしてから部屋を出ていく。全く以て大人顔負けの出来た子だ。
『……そう言えば、あの子の名前聞いてないな』
でもって自分も名乗っていない。
あの少年はこれまでにも何度か視たことがあったので勝手に顔見知りのような感覚で居たが、実際は「初めまして」もいいところだ。
とは言え、わざわざ呼び戻してまで自己紹介をしたい訳でもなく、「明日で良いか」の思考に陥る女性は小さな足音が徐々に遠ざかっていくのを確認してから改めて部屋の中を見渡す。
それでいて隅々まで掃除が行き届いた室内の空気を徐に吸い込むと、
「――――――っはー……」
まるで溜め込んでいたものを全て出し切るかのような、それはそれは盛大な溜め息を吐き出した。
そして次の瞬間には押入れの中の布団にズボッ、と両腕を突っ込み、そのまま体重を預けるかのようにして顔を押し付ける。
時間にして物の数分程そうしていただろうか、ふかふかとした感触に眠気を誘われた女性の瞼がゆっくりと閉じられていくと部屋の中に静寂が訪れる。
まさかその体勢で寝てしまったのかと思われた瞬間、今までと違って物凄い機敏な動作で女性の顔が持ち上げられた。
見るとその顔は何時になく真剣で、此処に来てやっと事の重大さに気付いたのかと思われたら。
「いかん、洗濯物干しっぱだ」
実際はベランダに干しっ放しである洗濯物を今になって心配すると言う、どうにも緊張感に欠ける女性であった。
【視えていた人の話】
18.02.16
「踏み潰しても踏み潰しても“うじゃうじゃ”と湧いて出てくるってんだから殺し甲斐も何もあったもんじゃないわ」
営業スマイルと共に運ばれてきたパスタをいざ口にすべく いそいそとフォークを手にした所で一人の女性の動きがピタリ、と止まる。
それは何も目の前に座る友人の物騒な台詞に驚いたからではない。現に動きを止めた女性は友人を見るでもなく目下のパスタに視線を投げ掛け続けている。
具体的に述べると“パスタ皿の周辺をうろつく幼児体形の小さな生き物の姿”を目で追っていた。
赤黒い皮膚。赤い目。長い耳。二足歩行。
俗に言う「魑魅魍魎」を前に『今日はよく現れるなー』等と思いながら手持ち無沙汰となったフォークを一旦脇に置くことにした女性は今更ながらに相槌を打つ。
「バルサンでも駄目なら害虫駆除業者でも呼ぶしかないかもね」
そう言えば何の話をしていたのだったか、と思案しては直ぐに思い出す。
曰く「この季節は害虫がわらわら出てくる」とのことだった。
春先で徐々に暖かくなってきたからだろう、下手に木陰に近付いて「ぎゃあ!」な展開などあるあるネタだ。
そしてこの友人の口振りからして家に例の「アレ」が出たのかもしれない。一匹居た時点で彼方此方にわんさか居ると言うのはよく聞く話だ。
「駆除なら毎日してるんだけどね。それこそ、あっちこっち休む暇もなく」
「もう引っ越した方が早い気がするなあ」
と言うより毎回「アレ」を踏み潰しているのだろうか?
だとしたら凄い行動力だな、なんて感心していたら―――――――――“ぐしゃり”。
正にそのような効果音が似合いそうな感じに“潰された”。
「何」が?
勿論パスタ皿の周辺をうろついていた魑魅魍魎が、だ。
踏み潰されたわけではないが、叩き潰された。
ひしゃげた頭部から形容しがたいものが飛び散っていたが見なかったことにし、代わりに友人の背後にいる「もの」をチラリと盗み見る。
生憎とその表情を窺い知ることは出来なかったがテーブル上をチョロチョロとしていた魑魅魍魎が居なくなったのは此れ幸いと言えよう。何故なら何も視えていない友人から「食べないの?」と不思議そうに問われた際、全く以て“何事もなかった”かのような態度でフォークにパスタを絡ませることが出来たのだから。
「ところで本日のご用件は害虫に対する愚痴をひたすら聞き続ける、ってことでファイナルアンサーだったんでしょうか」
「んな訳ないでしょ。自分の親友を何だと思ってんのよ、アンタ」
物凄く怪訝な顔をされた。
てっきり今日は日頃の積もり積もった愚痴を聞かされるものだとばかり思っていたのだが。出だしが出だしだっただけに。
では本題は何だろうかとパスタを咀嚼しながら首を傾げれば既に昼食を終えて優雅にアイスコーヒーを飲んでいた友人が足を組み直す。
「アンタ、どうせ週末は暇でしょ?」
「まあ。大体は」
「こっちはまた暫く忙しくなりそうだからさー。その前に息抜きでプチ旅行とかどうよ?ってな誘いなわけ」
「なるほどね。良いよ。…………あっ、やっぱ駄目だ」
「どっちよ」
反射的に了承したものの直ぐに大事なことを思い出して首を左右に振る。
つい何時ものノリで簡単に頷いてしまったが、如何せん週末から暫くは既に予定が詰まってしまっているのだった。忘れているつもりはなかったのだが見事に忘れていたらしい。
又もや怪訝な顔をする友人を前に残りのパスタを食べ終えた女性は「ごめんごめん」と平謝りしつつ、簡潔に事情を説明する。
「いや、もう春休みに突入するじゃん」
「……?……ああ、そう言えば前にそんなこと言ってたっけ」
「うん。親戚の子が遊びに来ます」
三月も後半に差し掛かった頃なので児童や生徒は春休みに突入する。
故に短くも長い約二週間程度、女性の家には親戚の子供が泊まりに来る予定となっていた。
とは言え、社会人である女性は春休み中も普通に仕事があるので一緒に居られる時間は割と限られているのだが。
むしろ留守番の時間の方が長いかも、と危惧したが「それでも構いません」との事だったので何かその間の暇潰しになりそうなものでもないか友人に聞こうと思っていたのだった。物騒な言葉を口にする反面、これで意外と子供好きな面も持ち合わせているのがこの友人なのである。
「確か、半分は向こうの血が流れてるんだっけ。来るのは甥っ子?姪っ子?」
「―――――さあ、どっちだろう。まあ大した差はないからどっちでも構わないんだけど」
改めて問われたことでふと思い返す、あの少し癖のある色素の薄い銀の髪と大きな金の瞳を。
まだまだ幼さを残した顔立ちをしているのにも関わらず何処か大人びた雰囲気を持つ、どちらかと言えば中性的な容姿をした彼の人物。
立ち振舞いからしても昨今の少年少女の成長は著しいな、と思い知らされるような子なので一緒に居るとついつい背筋が伸びてしまうのだ。
不思議と『だらしない姿を見せてはならない』、と思ってしまうのはその佇まいの良さにも起因しているのかもしれない。
「ふーん……ってか、アンタに親戚が居たってことにびっくりだわ。聞いたことないし。しかも年端も行かないような子とか」
「びっくりだよねー。今となっては違和感も無くなってきたけど」
「?」
いや、こっちの話。
「画像とかないの?」
「画像自体はよく送られてくるよ」
「?相変わらず妙な返し方をするわね……」
その可笑しな返答に解りやすく眉を寄せる友人だったので「まあ見てご覧なさいな」の一言と共にバッグから取り出した端末を手渡す。
そこにはこれまで送られてきた画像の全てが一覧として映し出されており、どれどれと身を乗り出して操作し始める友人は―――――――――次第に首を傾げていく。
「……ねえちょっと。人っ子一人、写ってないんだけど。ってかこの異常な食べ物率はなんなの。飯テロ?」
「なんか自撮りとか好きじゃない子みたいでね。写したとしても手とか足とかの一部分だけだし、そもそも友達が撮ってるときもあるっぽい」
ざっと見ただけでも圧倒的に食べ物率の高い画像の数々に「最近の子は洒落たもん食べてんのね……」などと何処か羨ましそうに漏らす友人。それには同意見だと言わんばかりに女性も頷く。
いつだったか親元を離れて大人数で暮らしている、と聞いたことがあったので恐らくは身の回りの世話をしてくれている寮母の腕が良いのであろう。
しかも件の寮には物凄く大きな畑があるらしく、画像の大半はその畑で取れたと思しき野菜や果物などが写っていた。
他にも季節の花々や遠出した際の風景など、実に充実した日々を送っているであろうことが窺える写真ばかりである。
「ところで明らかにやばいアングルのもあるんだけど、これは色々と大丈夫なの?」
「それ、は……スルーするかどうか私も悩んだ」
桃色のフリルが可愛らしい、黒地のスカートから覗く「絶対領域」。
どう考えても下から撮られたであろうその画像が送られてきた時は正直反応に困った。すこぶる困った。
だが後々から『誤解を与えかねない画像を送ってしまいました。申し訳ございません』と言う、それはそれは実に丁寧な謝罪文が送られてきたのを覚えている。まるで子供の悪戯に気付いた保護者からのものと思しき文面だった。
ただ此方も本人ではなく友達が悪戯で送ってきたのだろうと推測していたので大事にはしなかった記憶がある。と言うより対処に困ったので何も見なかったことにしたかったのだった。
「随分とまあ懐かれてるみたいで微笑ましい限りだけど……――――」
「……?どうかした?」
子供らしいと言えば子供らしい悪戯にちょっとだけ絆されつつあった友人だったものの、不意にその指の動きが止まる。
それでいて次の瞬間には端末の画面をジッと見詰め、口許に指を当てながら何かしらを考え込んでいるかのような仕草を見せた。
だからであろう、もしかしてまだ問題のありそうな画像があったのかと心配になった女性が身を乗り出して自身の端末画面を覗き込むも“何て事はない”。
そこには極々普通の風景が写っていただけで先程のような色々と誤解を与えかねない画像など何処にもありはしなかった。
あったのは本当に何の変哲もない、雨上がりの空模様だけ。
「ああそれ?酷い雨の後に虹が出たんだって。こんなにくっきりしてるのって滅多に見ないから珍しいね、って話をしてたんだけど」
「………………そうね。確かに“珍しかったわ”」
ほんの少しだけ目を細めながら相槌を打つ友人に僅かな違和感を覚えたところで礼と共に端末を返された。
あれ、と思いながらも端末を受け取る女性は今し方の違和感について言及するかどうか一寸だけ悩んでは直ぐに『まあいっか』との結論に至る。何分わざわざ口に出して指摘するほどのものでも無ければ、そもそもの話としてそこまで気にもなっていない。
と言うわけで最終的に「自分の気のせい」であると結論付けていたら件の友人が徐に口を開いた。
「ねえ。その親戚の子って、「子供」、なのよね?」
「うん?そりゃ大人びた子だけど、どこからどう見ても子供だよ」
「……そう。そうよね。だとしたら」
“ 、 ”。
まるで「何か」に対して吐き捨てているかのような、そんな口の動きだった。
生憎と「声」にはなっていなかったので続いた言葉が何だったのかは解らず仕舞いだったけれど、相手の表情を見る限り余り気持ちの良いものではなさそうだ。むしろ気付かない内に地雷を踏み抜いてしまった感がある。
今の会話の何処に地雷が?、などと気まずそうに視線を彷徨わせてから掛ける言葉を探していると何気無く此方を見た友人が途端に呆れ返ったような面持ちで頬杖を突くのが解った。
「まあアンタ相手に言ったって仕方ないんだろうけど、面倒事には関わるんじゃないわよ」
「?大丈夫、そうそう連帯保証人になったりはしないから」
「どや顔で言うことじゃないんだけど、それ。……本当、頼むわよ」
“アンタとは「友達」のままで居たいのよ”。
物事をハッキリと言い放つ友人にしてはとても珍しい、か細い呟きだったように思う。
それが余りにも珍しいことであったが故に女性が目を瞬かせていると溜め息混じりに立ち上がった友人がテーブルの端に置いてあった伝票を引っ掴んだ。
あ、と漏らす頃には「それじゃ、またね」の一言と共にひらひらと手を振りながらレジに向かってしまっていたので小さく礼を言いつつ『今度は自分が盛大に奢ろう』と心に決める。だって折角の誘いも断ってしまったことだし。
「……ん?」
自分もそろそろ行くかと、昼休憩の時間を気にしながら荷物を手にしかけたところで今更ながらに女性は気付く。
友人が去ったあとも微動打にせず、いつまでも其処に在り続ける「もの」の姿を。
いつもならば友人にくっ付いてすぐに消えてしまうのに今日に限っては何故かまだ「其処」に居るのである。
それ故に思わず友人の後ろ姿を探してしまう女性だったものの疾うに去ってしまっていた事もあってか何処にもその姿は無かった。と言うか、仮に見付けたとしても“どうすることも出来ない”のだが。
ただ目の前の「もの」に害がないことは知っていたので結局はそのまま放置することにし、普段通り特に気にせず店を後にする事にした。
例え件の「もの」が自身の後を追い掛けて来ていても『まあいっか』で済ませながら。
【思っていたよりも早く着きそうです】
後日、そんなメッセージを受け取るなり女性は早々に仕事を切り上げた。
『やばい。夕飯の買い出ししてなかった』
普段は一人きりの為、食事は基本的に『お湯を注ぐ系』のものばかりだったのだが今日から暫くはそうも行かないのである。
ほぼ空っぽである冷蔵庫の中身を思い浮かべて“ううん…”と唸る女性は暫し悩んだ後、最終的に「取り敢えず今日は向こうの好きなものを作ろう」と言う考えに思い至る。決して考えるのが億劫になった訳ではない。
なった訳ではないが、“一旦荷物を片付けたら一緒に買い物に行こう”と改めてメッセージを送ると直ぐに【分かりました】との返事が返ってくる。
ついでに夕飯のリクエストも考えておいて欲しい、と打った後、続けざまに相手へと問い掛けた。
【もうすぐ着くけど、今どの辺に居る?】
【雑貨屋さんの角を曲がりました】
【マジか。じゃあ、もう暗くなってきてるから明かりが点いてる場所で待っててくれる?】
【分かりました】
どうやら彼方の方が先にマンションへと辿り着いてしまいそうであった。こんなことなら予めポストにでも鍵を入れておけば良かったか。
暖かくなってきたとは言え夕方になればそれなりに気温も下がるし、何よりこの辺は外灯が少ない。エントランス内に居てくれればまだ安心だが、どうにも外で待っていそうな予感がする。
と言うか、これまでの経験上、あの子は律儀に外で待っているだろう。部屋に入る際も「どうぞ」と言うまで動かずに待っているような子だし。
「あ、」
そうこう考えている内に覚えのある後ろ姿が視界に入り込んできた。
辺りが暗くなってきても決して風景に溶け込むことのない銀の髪に、フード付きのパーカーとハーフパンツ。
足元は黒地のブーツで纏めると言った少年とも少女とも取れるその出で立ちの「子」の傍らには日用品が入っていると思しき大きめのキャリーバッグと“大小の影”がある。
実際は「影」などではないのだが、付き従うように控えている「それ」らを目に『この前とはまた違う面子だなー』と言った感想を抱く女性は気持ち小走りとなった。
するとその足音に気付いたのだろう、此方へと視線を投げ掛けた「それ」らは女性の姿を捉えるなり表情を一変させて直ぐ様“何かを叫ぶ”。
しかしこれまで一度として「それ」らの声を耳にした事の無い女性は、
「――――――動かないで下さいっ!!!」
代わりとばかりに口を開いた身内のその「怒声」に思わず動きを止めた。
「あ、はい。」
思っていたよりも待たされた事で気が立っていたのか。
そんな考えが脳裏を過った瞬間、“ふっ”と、「何か」が女性の頭上を飛び越えていった。
故にほぼ反射的にそれを目で追い掛けると親戚の子の側に控えていた“大小の影”、基、“軍服のような衣服に身を包んだ「もの」ら”が着地と同時に帯刀していた刀を鞘から引き抜く。
それでいて一直線に“あるもの”のもとへと駆け抜けて行った。
数日ほど前から女性の周辺に蔓延っていた「異形の化身」のもとへと。
「……わー」
『喧嘩』、或いは『縄張り争い』なのか。
どちらにせよ突如として眼前で繰り広げられ始めた血生臭い展開に全く以て為す術のない女性は何とも間抜けな声を漏らす。
第三者からすれば“ただ突っ立っているだけの状態”なのだが、如何せん女性視点だと直ぐ目の前で腕なのか脚なのかよく分からない部分がひっきりなしに宙を舞っているのだ。
血飛沫と共に音もなく地面に落ちていく“そのよく分からない部分”は切断された箇所から徐々に亀裂が走っていき、最後には粉々となって塵と消えていく。
未だにどう言った原理なのか理解出来ていないが“そう言うものなのだろう”との認識で居ると――――――――背後から突き刺さんばかりの視線を感じた。
それ故に振り返ってみると神妙な面持ちで此方を見ている身内と目が合う。
「あっ。」
何か言わなければ、と思った。
しかしながら気の効いた言葉は何も出てこず、どうしたものかと考えていたら自身の脇を通り過ぎていく影に気付く。
言うまでもなく「それ」は今の今まで「異形の化身」と相対していた「もの」らで、透かさず辺りを窺えば“あの血生臭い光景は何処へやら”。
塵一つ残さず事態を収束させた「
まるで話し掛けているかのようだ、と思ったところで直ぐに思い直す。
――――――話し掛けているかのよう、じゃなくて、本当に“話し掛けてる”?
いやでも、まさか。
だって親戚の子は“視えていない”。
現に話し掛けてきている「もの」らに一切視線を向けていないし、そもそも位置を把握しているかすらも怪しい。
けれどその「声」は確と耳に届いているのか、神妙な面持ちはそのままに、ひとつ、頷く。
「ええ。直接手を下すことはないだろうと踏んでいましたが……それが仇となったようです」
明らかに「それ」らへ向けて発せられた言ノ葉はやけに重たい響きとなって女性の耳に届く。
“視えてはいないけれど聴こえてはいるのか”、と、そう判断しかけた所で親戚の子がジッと女性を見据えてきた。
「……状況が変わりました。“本丸で保護します”」
どこまでも真っ直ぐな眼差しで見据えられたかと思えば「こちらへ」、などと極々普通にマンション内へと促される。
よくは分からないが取り敢えず部屋に行くのかな?と思った女性は風除室に足を踏み入れながら鍵を取り出そうとバッグの中を漁るも“その必要はなかった”。
何故なら女性の部屋番号ではない数字の羅列を集合玄関機へと入力していた親戚の子が何処からか取り出していた鍵で「既に扉を開けてしまっていた」のだ。
何だって今ので開くのか、『セキュリティー的に大丈夫なのかこのマンション』と訝しみながらもエントランスホールの先を行く親戚の子を追って見慣れた扉を潜ると“一瞬にして視界が塗り潰された”。
「は?」
踏み込んだ先は真っ暗闇な空間であった。
ほんの数秒前までは間違いなく覚えのあるロビーが見えていたのに、現状は果ての無い「闇」ときた。
下手をしたら自分自身の姿すら見失ってしまいそうな程の暗闇、と言っても過言ではない。足下は疎か、手のひらさえ窺えるかどうか。
しかし眼前に建ち並ぶ“朱色の鳥居”が妖しくも仄かに灯ってくれていたお陰で何とか「己」を見失わずに済んだ。
――――「鳥居」。
そう、どこからどう見ても「鳥居」、である。
例えるとしたら京都伏見稲荷大社の「千本鳥居」だろうか?
全く以て「先」が窺えない程の数を誇る鳥居がすぐ目の前に建ち並んでいる、と言う現実に少しばかり圧倒されていたら当然のように手が差し出された。
「よろしければ、手をこちらに」
「え」
「此処で迷ったら大変ですよー?何処に出るか俺たちにも解らないですし!」
にっこりと笑って女性の顔を覗き込んでくるのは“ぴょこん”と立ったアホ毛が印象的な少年であった。
長い黒髪を下の方で一つに結い、濃紺の軍服のような衣服に身を包んでいる。顔立ちは何処かまだ幼いので中学生ぐらいであろうか。
また女性へと紳士的に手を差し伸べてきたのは同じ系統の軍服を身に纏い、その肩にフリンジの付いたマントを羽織らせた少年で。
どう見ても親戚の子と同年代くらいにしか思えない容姿だった為に『昨今の大人より大人らしい対応をされた』だなんて感想を抱いてしまう。
と言うか、ここに来て初めて「彼ら」の声を聞いたのだが。
「鯰尾さんが仰る通り、「此処」は通常より
「あ、うん、……うん?」
紳士的な少年に手を引かれながら前に向き直ると(触ることが出来たのも今日が初めてだ)、何時の間にか親戚の子の服装が変化していた。
気付いたら全体的に「白」を基調とした和装、になっていたのである。
着物の上から羽織っている二重回しもまた「白」で彩られており、唯一変わっていないのは足元のブーツくらいであろうか。早着替えにもほどがある。
ここまでくるともう何でもありなあれだな、と達観した気持ちになり始める女性は目を擦りたくなる衝動を堪えつつ優に千を超すであろう鳥居を潜りながらひたすら石畳の上を歩き続けた。
『……ここ、ちゃんと出口らしい出口ってあるのかな』
別に疲れると言った事は無かったものの、一貫して風景が変わらないので感覚的にはその場でただ足踏みをしているだけと言うか。俗に言う「無限ループ」だけは避けたい、みたいな事を地味に願っていたら先を歩く黒髪の少年が親しげに声を掛けてきた。
「もうすぐで到着ですよー」
人懐っこい笑みを浮かべて前を指す黒髪の少年だったが生憎と風景に変化はない。
女性には暗闇の中でうすぼんやりと灯る朱色の鳥居の数々しか確認出来ず“それらしいもの”は何一つ視認出来なかった。
具体的に言うと後どれくらいなのか、そう問い掛けるべきかどうか迷ったところで―――――ふと肌を撫でる空気の「違い」に気付く。
そしてそれと同時に突如として“視界が開けた”。
今の今まで鳥居しかなかったのに、何気無く踏み込んだ一歩から“ガラリ”と景色が変わったのだ。
辺りが暗いのは変わらないままではあるけれど、それでも周囲を窺えるだけの自然な明るさはあると言うか。
これらが余りに突然の出来事だったので素直に目を疑う女性だったが、そろりと視線を彷徨わせてみると生い茂る木々の輪郭がくっきりとまでは行かないものの確と認識出来たので「これ」は幻でも何でもないのだろうと判断する。
何より眼前に聳え立つ、それはそれは立派な『武家屋敷』は疑いようもない存在感だった。
「私は政府に事情を説明してきますので、前田さんは彼女を客間まで案内して頂けますか?」
「はい、お任せ下さい。」
「じゃあ俺は荷物を片付けてきちゃいますね!」
呆気に取られながらも玄関口まで歩んでいくと先に上がり框へと上がっていた親戚の子が此方に会釈をしてから長い廊下の奥へと消えていく。
また黒髪の少年は少年で今まで引いていたキャリーバッグを軽々と抱えるなり、すたこらと同じ廊下を駆けて行ってしまった。
その様子は終始どこか楽し気で、つい先程まで「異形の化身」へと襲い掛かっていたものとはとても思えぬほどの変わりようであった。多分こちらが「素」なのだろう。
「では客間まで御案内致します。どうぞ此方へ」
「ああ、はい、お願いします……?」
既に見えなくなった二名を目で追い続けていたら残された幼い少年が相変わらずの恭しさで先を促してくる。
故に誘われるがまま靴を脱ぐと邪魔にならぬよう隅っこで揃え、一応「お邪魔します」と断りを入れてから玄関に上がり込む。
それでいてキョロキョロと辺りを窺いつつ、今度は先程とは打って変わり自身の前を行く幼い少年の背を静かに追い掛けた。
因みに脚の長さが違うため案内の途中でうっかり相手に打つかってしまわないかと危惧したが、実際は歩幅を考えてくれていたのか一度として打つかることはなかった。要らぬ心配とは正にこの事だ。どこまでも気の回る少年である。
「今日はもう遅いので、後日改めて本丸内を案内致しますね」
「あー……いえいえ、お気遣いなく」
その言葉を耳にしたことで漸く『時間』と言う概念を思い出す。
何だかんだでもう二十一時を過ぎていたらしい。通りで辺りが暗い訳だと一人納得し、暫しの沈黙後、まだまだ続くであろう長い廊下の先を眺める。
『なんと言うか―――……』
自分達以外、人っ子一人いない。
もしかして他に「人」が居ないのだろうか?
そのような考えが脳裏を過った矢先に「あーあー……俺も現世に行きたかったー……」「清光うるさい」と言った声が通り掛かりの一室から聞こえてきた。と同時に足をバタつかせているかのような音も。
どうやら やたらと周囲が静かだったのは就寝前であったからで、普通に考えれば解ることも『普通じゃない』出来事が続いたせいで大分思考が鈍ってしまっているようだった。
しかしそれにしても早い就寝だな、とも思ったが、相手が親戚の子と同年代であれば妥当な時間帯とも言える。何せ大人と子供では寝る時間も違ってくるし。
「あれ」
「?」
「今日はお早いお休みなんですね、和泉守さん」
少年少女の健全な眠りを妨げてしまわぬよう気を付けながら足を進めていると少し先の部屋から一人の青年が姿を現した。
見るからにうつらうつらとしているのは腰まで届く長い黒髪を三つ編みに結った美丈夫で、その服装はティシャツにスウェットとかなりラフな格好である。しかも件のティシャツには物凄く達筆な字で『最近流行りの刀』、と言う一文がプリントされていた。一体どこのブランドなのだろうか、果てしなく、その、あれである。
だが着用している人物の顔が無駄に良いせいか、これと言って違和感を覚えないのがまた何とも言えない感じであった。
「おー……前田か。いや、明日は入れ替わりで直ぐに出陣だってんで国広が「早く寝ろ」ってうるさくてよー」
「そうでしたか。お休みのところ呼び止めてしまい申し訳ございません」
「別に謝ることじゃねーだろ。お前だって…………、…………?」
“そう言やお前、暫く主の護衛に付いてるんじゃ無かったか?”
そんな疑問が喉にまで出かかった所で漸く黒髪の青年の寝ぼけ眼が少年の背後に佇む女性の姿を捉えた。
瞬間、何とも解りやすく青年の動きが止まる。
と言うよりは“固まった”、の方が正しいだろうか。
女性の姿を捉えるなりギョッとした様子で肩を揺らし、己が目を疑うかの如くマジマジと相手を見詰めては口を開いたり閉じたりを繰り返す。
その度に「ど」、やら、「な」、やらを口々に漏らしていたがどれもちゃんとした言葉にはなっておらず、不思議そうに此方を見てくる女性を前にしては完全に口を横一文字に結んでしまっていた。
「では案内の途中ですので、これにて失礼させて頂きます」
お休みなさい、の一言と共に頭を下げる幼い少年は恐らく相手の言わんとしていることを察している。
察しているが敢えてこの場では何も語らず、案内が脱線してしまったことを詫びてから再び女性を促し始めた。故に後を追うしかない女性は後ろ髪を引かれつつも少年と同じく「お休みなさい」と口にすると黒髪の青年の横を通り過ぎていく。
その際、ほんの僅かに相手の指先が自身の指先に触れたような気がしたのだが―――――――――多分、気のせいであろう。
『こんな時間に見慣れない人間が居たらそりゃ驚くよなー』だなんて的外れなことを暢気に考えている女性はきっと気付いてすら居ない。
「っあ、るじの奴、なに考えてんだ……!」
自身の背中に向けられていた視線が一体“どのような「感情」からくるものであったのか”を。
「お待たせ致しました。此方が今後使用して頂く客間になります」
それから他愛もない会話を交えて足を進めていくと、ようやっと目的とされていた客間に辿り着いたようであった。
別段入り組んだ道程では無かったものの、妙に迷いやすく感じたのは“そう言う風になっている”からだそうで。詳しく聞いたところで理解出来るとも思えなかったため適当に頷いたらスパッ、と障子が開かれた。
なので徐に中を伺うと八畳程の和室に鏡台付の机と座椅子、また可愛らしい花々が描かれた置行灯などが目に入ってきて思わず「おお……」と言う声が漏れ出てしまう。
自分の部屋が完全にフローリングだからか「畳」と言うのが珍しくも懐かしかったのだ。これぞ正しく和室、なんて地味に感動していたら幼い少年が押入れの戸を開けて何やらもぞもぞとし始めたではないか。
「床を整えますので少々お待ち下さい」
「いやいやいや、大丈夫、大丈夫です、自分でやれるので、本当、お気遣いなく」
「しかし、」
「本当、本当に大丈夫ですんで、これ以上は」
小さな体で大きな布団を取り出そうとしていた少年を透かさず制し、それぐらいはやらせて欲しいと丁重に断りを入れる。
何たって此処に来るまでの間、それはもう散々気を遣って貰ったのだ。流石にそこまでやらせるわけには行かないだろう、との精神から半ば強引に少年の肩を押さえると向こうも此方の気持ちを組んでくれたらしい。
ちょっとだけ名残惜しそうにしつつも「席を外しますが何かありましたら遠慮なく仰って下さいね」と言い残し、これまた律儀に一礼をしてから部屋を出ていく。全く以て大人顔負けの出来た子だ。
『……そう言えば、あの子の名前聞いてないな』
でもって自分も名乗っていない。
あの少年はこれまでにも何度か視たことがあったので勝手に顔見知りのような感覚で居たが、実際は「初めまして」もいいところだ。
とは言え、わざわざ呼び戻してまで自己紹介をしたい訳でもなく、「明日で良いか」の思考に陥る女性は小さな足音が徐々に遠ざかっていくのを確認してから改めて部屋の中を見渡す。
それでいて隅々まで掃除が行き届いた室内の空気を徐に吸い込むと、
「――――――っはー……」
まるで溜め込んでいたものを全て出し切るかのような、それはそれは盛大な溜め息を吐き出した。
そして次の瞬間には押入れの中の布団にズボッ、と両腕を突っ込み、そのまま体重を預けるかのようにして顔を押し付ける。
時間にして物の数分程そうしていただろうか、ふかふかとした感触に眠気を誘われた女性の瞼がゆっくりと閉じられていくと部屋の中に静寂が訪れる。
まさかその体勢で寝てしまったのかと思われた瞬間、今までと違って物凄い機敏な動作で女性の顔が持ち上げられた。
見るとその顔は何時になく真剣で、此処に来てやっと事の重大さに気付いたのかと思われたら。
「いかん、洗濯物干しっぱだ」
実際はベランダに干しっ放しである洗濯物を今になって心配すると言う、どうにも緊張感に欠ける女性であった。
【視えていた人の話】
18.02.16
◆
目が覚めたら「其処」は、普通に自分自身の部屋だった( 。
『…………そりゃ、そうだ』
見慣れた天井をぼうっ、と眺めてから緩やかに瞬きを繰り返す。
どうやらアラームが鳴り響く前に目が覚めてしまったらしい。ならば二度寝をするか、と考えるものの、妙に冴えて行く脳によって出したばかりの案を却下されてしまう。
これでは思うような睡眠が取れない、そう判断するなり潔くベッドから上体を起こした女性は徐に自身の体を見下ろすと溜め息まじりに顔を覆った。
「あー……やっちゃった……」
着替えるどころか化粧すら落としていない。
普段どんなに面倒でも最低限のことは済ませてから就寝すると言うのに。
よほど疲れていたのだろうか。いや、でも、最近はそんなに疲れるようなことをした覚えがないのだが。
と言うより、昨日は早目に仕事を切り上げた筈だ。そして荷物を片付けたら買い物に行く予定で――――――――予定で、どうしたのだったか。
『取り敢えずシャワー浴びよう……』
幸いなことに今日は休みである。
欠伸を噛み殺しながらベッドから降りた女性は“ベッドから降りた感覚がない( ”と言う違和感に「んん?」と漏らしつつ台所に繋がる扉に手を掛けた。
「…………………………なんと。」
眼前に広がっていたのは手入れの行き届いた緑豊かな中庭だった。
僅かに霧がかった其処には少し草臥れたソファーなんて無ければガラス製のテーブル、ましてや買い替えたばかりのテレビなんて何処にも無い。
室内ではなく完全に室外、台所があった筈の場所に目に優しい緑が広がっていたものだから女性は『夢だな』と思わざるを得なかった。
しかも何気なく寝室を振り返ってみると見慣れた洋室から見慣れぬ和室に変化していたので思わず開けたばかりの扉、ならぬ障子戸を閉めてしまう。すると再び和室から洋室に見た目が切り替わったので寝起きの頭に「ホログラム」と言う単語が浮かびあがってくる。
「おはようございます」
疑問は尽きないが直ぐに『まあいいや』、との思考に落ち着いた女性が今度こそ戸を開けきって迷わず廊下へと踏み出そうとしたら待っていたと言わんばかりに幼さを含んだ声が届く。
見れば女性が休んでいた部屋の前でこれでもかと言うほど姿勢を正して座していた少年が年相応とは言い難い穏やかさを伴って此方を見上げてきていたではないか。
覚えのある紺色の軍服に似た衣服を身に纏うその少年は昨晩お世話になった子供で間違いなく、これによって女性は確と昨日の出来事を思い出す。流石に昨日の今日なので忘れていたわけでもなかったのだが、如何せん何もかもが突然すぎた為、ただの「夢」として片付けておきたかったのが正直な本音だったりする。
やっぱり現実だったか、と小さく息を吐く女性は戸惑いがちに件の少年に目を向けた。
「えっと……おはよう、ございます」
「お早いお目覚めのようですが、昨夜は余り良く眠れなかったでしょうか?なるべく普段のお部屋と遜色無いように切り替えてみたのですが……」
「いえいえ、眠れました、熟睡しました。爆睡です。」
「それならば良かったです」
「じゃなくて、えーと、もしかしてだけど……ずっと此処に居たり、したんでしょうか……?」
「?はい、不寝番を任されましたので」
質問の意図を汲み取れなかったのか不思議そうに女性を窺う少年。
そんな少年を前にした女性はと言えば、小学校低学年程の男児が寝ずの番をしている中で呑気に爆睡していたのかと地味な衝撃を受けていた。気付けよ自分、と額に手を当てたくなっていたら機敏な動作で立ち上がった少年が恭しく女性と向き合う。
「少し早いですが、お目覚めになられたら湯殿に案内するよう仰せ付かっておりましたので早速ご案内致しますね」
「それは……助かります」
何はともあれ風呂には入りたい。
図々しい気もしなくはないが折角の好意を無下にするのもどうかと思った女性は素直に頷き、「では参りましょう」の言葉と共に歩き出した少年の背を追う。
これ昨日と全く同じ光景だな、などと考えながら長く続くであろう渡り廊下を歩き始めた所で不意に女性が首を傾げた。
何だろう、なにか、昨日とは違う気がするのだが。
強いて言うなら、そう、「何か」が足りない。
昨日の夜、客間と言っていたあの部屋に案内されるまでの間、自分はずっとこの少年の背中を眺めていた訳だが――――――やはり「何か」が違う。
そこまで大きく異なっている訳ではないので本来ならば気にするようなことではないのかもしれないが、一体なにがそんなに物足りなく感じるのかと改めて少年の背中をジッと眺めてみたら。
『……あっ。なるほど、今日はマントが無いのか( 』
ちょっとした違和感の正体、それは何てことはないマントの有無だった。
あのタッセルの付いた白いマントが揺れる様をずっと見ていたからこそ何も無い今日の背中に「おや?」となったのだ。
合点が行ったと一人納得する女性はそもそもの話として目の前の少年が昨夜の少年とは異なる、と言う点に微塵も気付いていない。
そうかそうかと得たばかりの答えにスッキリした様子で少年の背を眺めていると視界の隅で物珍しいものを捉えた。
「…………フラミンゴも飼ってるのか……」
「フラミンゴ?」
「え、いや、なんかフラミンゴっぽいのが居たので……」
「?」
ぽつりと漏らした言葉を見事に拾われたので返事を返すとキョトンとした顔を向けられた。
この様子からしてフラミンゴは飼っていないらしい。見間違いか?と今一度中庭より更に先にある大きな人口池の方を見やるが、残念な事に再度その姿を捉えることは出来なかった。
ここからでは距離があったのもそうだが、何よりまだ日が昇りきっていない。うすぼんやりとした景色の中、人口池に架かった朱色の橋の上に桃色の細い生き物が居たような気がしたのだが完全なる見間違いだったようだ。
寝ぼけ眼とは正にこの事だと、苦笑混じりにパタパタと片手を振って誤魔化す女性は余所見をやめるなり今度こそ目の前の少年の背中に注目し直したのだった。
「こちらが湯殿となります」
客間から少し歩き、角を曲がって長い廊下を突き進んで行くと滞りなく【大浴場】との木札が掛けられた場所に到着した。
促されるまま引戸を引いた先に足を踏み入れれば十畳は軽く越えるであろう広さの脱衣場が目に飛び込んできたが為に思わず「うわ」、と言う声が漏れ出てしまう。何せ脱衣場の時点で女性の部屋より遥かに広かったのだ、ここで寝泊まり出来るレベルである。
しかも片側の壁一面は洗面台となっており、其処には様々な種類のスキンケア用品が所狭しと並べられていた。軽く専門店並みの品揃えだ。
またもう片側には使用中の洗濯乾燥機が二台と最新式らしき体重計がこれまた二台、戸がないタイプの木棚は大人数が使用することを考えてか部屋の真ん中に背中合わせで設置されている。
他にも目移りしてしまうようなものが多数あったのだけれど、音もなくふわふわのタオルを差し出されたことで女性の意識が目下の少年に戻される事となった。
「お召し物はそちらに。必要なものは中に揃っていますのでお好きにお使い下さい」
それでは失礼致します、と頭を下げては早々に脱衣場から出ていく少年。
やけにあっさりとしているな、などと首を傾げ掛ける女性だったが直ぐに察した。普通に気遣われたのだ( 、と。
これから風呂に入ろうとしている人間( の前に何時までも居座るわけには行かぬだろうと、そう慮ったからこその素早さだったのである。あの年齢でそこまで気遣えるとは本当によく出来た子だ、親の顔が見てみたい――――――そんなことを次々に思っては、訂正する。
(……いや、「人間( 」じゃないんだから、親の顔なんて無いか)
えげつない広さだった、と後に女性は語る。
なんと広大な大浴場に加えて露天風呂まであったのだ、豪勢にも程があろう。そんじょそこらの旅館とは比べ物にならならないぐらいの立派な造りだったのもあり、烏の行水よろしく湯船には浸からずにさっさと上がってしまった。
普通に落ち着かなかったのもあるが長湯をしない傾向の人間なので勿体無さは感じていない。代わりとばかりにコマーシャルで有名な高級シャンプーを使わせて貰ったし。
自分だけだと先ず手を出さない値段の代物であったので誘惑に負けてしまった、とも言える。
と言うかシャンプー類の多さもえげつなかったのだが、果たして此処にはどのくらいの「もの( 」が居るのだろうか。
「芋ジャーかぁ……」
申し訳程度にスキンケア用品を借りつつ辺りを窺えば長椅子の上に見慣れぬ衣服が置かれていた。
女性が脱ぎ捨てていた衣服は洗濯にでも出されたのか既に回収された後らしく、他にそれらしいものはない。つまり一時的にこれを着ていろ、と言うことなのだろう。思わず見たままを口にしてしまったが裸一貫にならないだけマシかと即座に先程の呟きを無かったことにする。
手にした赤銅色のジャージは襟や袖、裾口だけが黒色でいて左胸部分には切り込みの入った山と水面のようなものが描かれた紋様が印刷( されていた。だからであろう、これが更に学生時代を思い起こさせて懐かしい気分になる。
言うほど年月が経った訳ではないのにな、とファスナーを一番上にまで引き上げた女性はだぼっとした袖を捲りながら廊下に通じる引戸に手を掛けた(因みに下着は自分で簡単に洗ってドライヤーで乾かした)。
「うんまい!コクがある!この油揚げはいけますぞ!」
そろっと廊下を覗き込んだら先程の少年が何やらフサフサとした生物になっていた。
全体的に黄色い、と思わせておいて実際は割と白色成分がある「それ」は恐らく「狐」と呼ばれる部類の生き物だろう。ハッキリと断言出来ないのは目の前の「それ」が女性の知るところの「狐」とは何処か異なる風貌だったからだ。
顔や腹、尻尾の先と足の先以外は普通の狐の毛色をしているのにも関わらず――――――その白い顔には張子の狐面のような模様が描かれていたのである( 。
ただ女性も「狐」の種類に詳しいわけではないため、自分が知らないだけで本当は“こう言った柄の珍しい狐”が居るのかもしれない。と言うか、はぐはぐと美味しそうに油揚げを食している辺りどう見ても「狐」としか思えないのだが。
「はっ」
でも普通の「狐」は鳴きはしても喋りはしない。
そんなことを冷静に考えていたら朝食と思しき油揚げを食べ終えた狐もどきが漸く女性からの視線に気付いたようだった。
「これはこれは、お早いお戻りで!」
「はあ」
「支度が整ったようでしたら主さまの部屋まで案内します。ささっ、こちらへ」
ひらり、と尻尾を振っては今し方まで油揚げを頬張っていたとは思えぬ身軽さで歩みだす狐もどき。
これが先程まで居た少年の正体、と言う極論には流石に至らなかった女性は取り敢えず先を行く四つ足の獣に率直な疑問をぶつけることにした。
「狐ですよね?」、と。
すると件の狐もどきから肯定と共に「こんのすけと申します」との自己紹介が返された為に女性もまた簡潔に挨拶を返す。
やはり見たままで間違いなかったらしい。正確に言うと「管狐」なるものらしいが。
『管狐ってイタチ科じゃなかったっけ……』
どこかで仕入れた情報を朧気に思い出しながら来た道とはまた異なる廊下を進んでいく女性。
正直、行きも帰りも案内役が居なければ目的地にさえ辿り着けそうにないのでこの屋敷の案内図( が欲しくなってきた。頼めばくれるだろうかと目の前で尻尾を揺らし続ける相手に問い掛けようとしたら――――――すぐ先の廊下を一人の青年が横切っていった。
気配があったから此方を見た、と言わんばかりに女性を一瞥してきたその瞳は藤色であった。ように、思う。
何分あっと言う間だったのでまじまじと見ることが叶わなかったのだ。ただ相手の姿を目にした女性は『神父……神父?』などと首を傾げつつ、角に消えていった背中を視線だけで追う。
パッと見は明らかに神父のような出で立ちだったのだが紫色のカソックなんてあるのだろうか。神父自体あまり見る機会がないので何とも言えないが、もしかしたら暦の時期などに合わせて祭服等が変わることがあるのかもしれない。
「へし切長谷部がどうかしましたか?」
「え?ああ、いや、特には…………何て?」
うん、きっとそうだそうに違いないと自分なりの憶測を立てていたら尻尾を振ったこんのすけの口から何やら物騒な響きの名称( が紡がれた。
故に女性は再度「何て?」と繰り返しそうになったのだが直ぐに口を噤む事となる。何故なら先程の青年が姿を現した方向に件のこんのすけが歩みを進めたからだ。
それでいて“とある部屋”の前で立ち止まると「ここです」と述べ、四つ足を廊下につけたまま中に居るであろう人物に声を掛けた。
「主さま、こんのすけに御座います。客人をお連れしました」
そんな風にこんのすけが呼び掛けると数秒も経たない内に中から「どうぞ」の声が返ってくる。
すれば当然の如く此方を振り返ってきたこんのすけだったが為に手持ち無沙汰となっていた女性は解りやすく目を瞬かした。でもって相手と暫し見つめ合うと、ああ、と納得したように頷く。
――――確かに、その足( じゃドアを開けられないよな。
普通に喋るものだから、これまた普通に開けられるものだとばかり思っていた。
やりようによっては出来なくもなさそうだけれど女性( が居るのなら女性( に開けさせた方が早い、と思ったのだろう。と言うことで、こんのすけの言わんとしていることを何となく察した女性は控え気味なノックの後にドアノブを捻ったのだった。
「おはようございます」
心の中で『失礼しまーす』と述べつつ扉を開け放つと、出迎えてくれたのは案の定“親戚の子”であった。
「慣れないところでお休みになられたので余り良く眠れなかったのでは?」
「いやいや、普通に熟睡しちゃってたよ……」
この部屋だけ洋風の造りなのか、壁一面の蔵書は縦横と隙間無く書物で埋め尽くされていて普通に圧巻される画となっていた。
部屋の中央には木製のテーブルとそれを挟むような形で設えられた深緑色のソファーがあり、更にその奥にある机の上にはアンティーク調のダイヤル式電話とタイプライター、古い地球儀と言った何処と無く時代錯誤な調度品が置かれている。
入ってすぐの壁にも大掛かりな動く歯車の装飾が施されていたりと何かしらの拘りを強く感じさせる部屋ではあるのだが――――――“子供らしいか?”と問われると答えに窮するような部屋だった。そしてこれまた自身の部屋よりも広い空間だった為に『泊まりに来る度に窮屈な思いをしていたんじゃ?』と言う疑問が女性の胸に浮かび上がってくる。
まあ自分一人で生活する分には十分な広さなので引っ越すつもりはないのだけれど。
「朝食を用意して貰いましたので、宜しければどうぞ」
「……一人分?」
「私はもう済ませましたので」
相も変わらず何処か大人びた雰囲気を持つ親戚の子に促された事で高そうな脚付ソファーへと腰を下ろす女性。
次いで木製テーブルの上に用意されていた一人分の膳を見下ろすとタイミングよろしく腹の虫が鳴った。全く以て卑しい腹である。
とは言え昨夜は何だかんだで何も食べずに寝てしまったのだ、遠慮する理由も無いので有り難く頂戴するとしよう。折角用意して貰ったのだし、と、それらしい理由付けをしては向い合わせで座った親戚の子を気にしつつ箸へと手を伸ばす。
そう言えば“ちゃんとした朝食”なんて随分と久し振りのような気がする。
「ところで、いつもこんなに早いの?」
「そうですね……いつもはもう少しゆっくりしているのですが、昨夜から色々とやることがあったので( 」
白米に豆腐とワカメの味噌汁、筑前煮と焼き鮭に沢庵。
正に『THE・朝ごはん』と言わんばかりの膳に舌鼓を打ちながらちょっとした疑問を口にすると歯切れの悪い返事を返された。この子にしては珍しい、とは思うものの、その気持ちは解らなくもなかった。
恐らく、どこまで話して良いものか( 考えあぐねているのだろう。
現に親戚の子は口元に手を持っていくと何かしらを考え始めた様子でいた。
女性としては話せないことを無理に話す必要は無いと思っている為、これ以上は特に質問すること無く食事に集中する。
すると暫く黙り込んでいた親戚の子が徐に顔をあげたのが解り、
「こんのすけー!( 」
何か聞かれるのかな、と味噌汁に伸ばし掛けた手を止めて視線を返したら何処からともなくこんのすけを呼ぶ声が耳に届いた。
「ちょっとした取引をしない……か……」
最後が尻すぼみになったのは予想外の人物が「其処」に居たからなのだろうか。
ドタドタと騒がしい音を奏でながら勢いよく部屋の中へと飛び込んできた人物を目にした女性は――――――先ず一番に『もやし』を連想する。次点で『しらす』、或いは『うどん』辺りを。
何故かと言えば“そこ”に、全身を「白」一色で統一した、髪の毛の色まで真っ白な青年が居たからだ。
身に纏う衣服の所々を赤く汚したその青年の手には金色の装飾が施されたこれまた白い太刀が握り締められており、模造刀とも思えなかったことから「銃刀法違反」と言う単語が女性の脳内を過っていく。けれど手にしているその太刀がやけに和装姿の青年と合っている( ような気がして、どうにも不思議な感覚に陥った。
まるであの太刀こそが、とまで思考していたら件の白い青年が此方を見たままポツリと一言。
「こりゃ驚いた。」
言うが早いかパタリ、と扉が閉められる( 。
今度は静かに、まるで今し方の登場を無かったことにするかのようにして外に出ていってしまう白い青年だったが故に女性と親戚の子は揃って顔を見合わせた。
“こんのすけに用があったのなら呼び戻した方が良いのでは?”
そう判断して反射的に相手を呼び戻そうとする女性だったが、生憎と後に続く言葉は無い。
何せあの白い青年の「名」を知らぬのだ、呼び戻そうにも呼び戻せない為に『えーと……どうすれば?』などと悩んでいると部屋の外から複数の足音が聞こえてきた。と同時に話し声も。
「何をやってるんだ、アンタは」
「こんのすけは――――って、兄者?!そんな持ち方をしたら床が……」
「ありゃ?ごめんごめん、気を付けてたんだけどねえ」
「雑巾を持ってくる。」
「おっと。なら俺も先に行ってるぜ」
トタトタと遠ざかって行く足音は最後の二人のものであろう。
それ以外は部屋の前で留まったまま動く気配を見せず、だからこそ『今度は何だろう』と思った女性が扉へと視線を巡らす。また誰頭が飛び込んできたら噎せかねない、そんな考えもあって朝食の手を止めたままにしていたら見つめる先のドアノブが僅かに傾いたのが解った。
「報告もあるんだ、さっさと扉を開け……」
「待て、待て待て山姥切。今は駄目だ。色々と駄目だ。せめて着替えてからにしないか?」
「?だからアンタが言ったんだろう。手伝い札を使って、」
パパッと元通りにしてしまおう、と。
そんな台詞と共に再び扉が開かれると今度は襤褸布を被った青年と目が合った。先程のものともまた異なる、普段生活する上では余り見る機会の無い青緑色の瞳と。
途端、襤褸布を被った金髪の青年が呆気に取られた様子で動きを止める。
何だか昨日も似たような反応をされたなと思う女性だったものの、取り敢えず失礼がないようにと会釈をしたらビクッと肩を揺らされた。何故だ。
それでいて暫し此方の顔を凝視してくる金髪碧眼の青年だったのだが、不意にその視線が「下」に下がって行ったかと思うと――――――次の瞬間、何でか首から上を一気に赤く染め上げていく( 。そして襤褸布を引っ掴んで顔を隠すなり、
「兄弟はどこだ!!」
の叫びと共にドスドスと廊下を突き進んでいってしまうのであった。
「ええ……?」
「ひとまず髭切さんは手入れ部屋へ。膝丸さん、お願い出来ますか?」
急にどうした、何が問題だったのだと女性が困惑していたら特に驚いた様子の無い親戚の子が冷静に一つの指示を出した。
因みに指示を出されたのは金髪碧眼の青年が居なくなった後にヒョイッと部屋の中を覗き込んできた青年らで、どちらともに似た顔立ちをしていることから兄弟だろうと推測する。
片方は象牙色の髪を持ち、片方は白緑色の髪を持つ「双子」と言っても遜色の無いそっくりな目元をした二人組。
ただ象牙色の髪を持つ青年の衣服だけがやけに赤黒く染まっていた為、親戚の子の言葉通り、彼の青年が怪我をしているのだと瞬時に察する。現に姿を見せた相手の左腕は肘から下が失くなっており、残された方の手が確とその「肘から下のもの」を握り締めていた( 。
「あ、ああ。承知した。兄者、行くぞ」
「待たね〜」
彼らも彼らで少なからず女性の存在に驚きはしていたものの、すぐに感情を切り替えると部屋を後にする。
その際、にこやかな笑顔と共に手を振ってきた象牙色の髪を持つ青年だったのだが、「兄者?!そっちの手はならん!ならんぞ!」なとど素早い動きで白緑色の髪を持つ青年に“その行為”を止められていた。
まあ普通であれば切り離された方の腕で手を振ってきたりはしない( だろう。耐性のない者が見ていたら卒倒ものである。
自分は耐性のある方だから良かったものの、とまで思考しては『もう良いか』と止めていた朝食を再開させる女性であった。
「あー……その、なんだ、邪魔して悪かったな」
「大丈夫ですよ。報告も後程聞きますから」
「ああ」
一番始めに出ていった筈の白い青年が何故か最後まで残ると言う、何とも気まずい光景だった。
そもそもこんのすけに用があった筈の「彼」は何だってあんなにも早く部屋から出ていってしまったのだろうか。もしかして見知らぬ人間、つまり「自分」が居たせいで部屋を出ざるを得なかった――――のだとしたら普通に申し訳ない。
『実際のところはどうなのだろう?』との疑問を胸に抱いた女性は味噌汁を啜りつつ白い青年に目を向けると、視線を感じ取ったらしい相手にそれはもう分かりやすいぐらいの目線の逸らされ方をされた。どうやら不躾であったらしい、重ね重ね申し訳ない。
「……本当ならこう言った驚き( は俺が提供してやりたかったんだが、先を越されたんなら仕様がない」
自己紹介はまた改めてさせて貰うぜ、と言うなり部屋を後にする白い青年だったが為に女性も会釈で相手を見送った。
ただ最後まで己自身の出で立ちを気にしていた様子の青年だったので女性は素直に首を傾げたくなったのだが――――――もしかしたら「彼」は紅白に( 染まっていた自分自身の姿を余り他人に見られたくはなかったのかもしれない。「様」にならない、とでも思っていたのだろう。
此方としては別段気にならなかったのだが当人と他人とでは「重き」を置く場所が異なる。なら見なかったことにしておくか、と一つ頷く女性は口に放り込んだ沢庵をボリボリと噛み砕いた。美味である。
「お騒がせしてしまい申し訳ありません」
「ん?うん、……や、気にしてないよ」
と言うより、あの怪我をしていた青年は大丈夫なのであろうか。
『手入れ』と言っていたが、どう考えても『手入れ』で済むような傷ではなかった。見るからに重傷である。
もはや救急車案件なのでは?とまで考えるものの、本人が至って“ゆるふわ”な感じだったことを思い返しては意外と大丈夫なのかもしれないと直ぐさま思い直す。
だって切断された方の腕で手を振って来ていたくらいだ、見た目ほど酷い怪我ではないのかもしれない。……いや、流石にそれは無理があるか。
あれではどうしたところで障害が残るだろうと不憫に思い掛けるも、ここで漸く彼女は「前提条件」を思い出す。
見た目こそ「人間( 」である“彼ら”は「人間( 」ではないのだ、と言うことを。
「(――……この人は、)」
あの光景の後にこうも簡単に食事が取れるのか、と親戚の子は思っていた。
一般的にグロテスクなもの、例えば今みたいに切断された腕や夥しい血液の痕を見てしまった直後はそれまであった食欲も一気に消え失せてしまう筈であろうに。
幾ら耐性があったとしても間近で、それこそ血の臭いが残る空間で“こんなにも極々普通に”“何事もなかった”かのようにして食事を取るだなんてこと――――――流石の自分とて出来はしない。
やはり本丸で保護しておいて正解だった( 、と「伯母」に当たる女性を静かに観察していた親戚の子は意を決したように口を開く。
「…………では、本題に入りましょう」
その前に二・三、質問させて下さいと紡ぐ親戚の子のその顔は年相応の子供のものとは到底思えぬ代物であった。
【視えていた人の話2】
20.05.09
←
目が覚めたら「其処」は、
『…………そりゃ、そうだ』
見慣れた天井をぼうっ、と眺めてから緩やかに瞬きを繰り返す。
どうやらアラームが鳴り響く前に目が覚めてしまったらしい。ならば二度寝をするか、と考えるものの、妙に冴えて行く脳によって出したばかりの案を却下されてしまう。
これでは思うような睡眠が取れない、そう判断するなり潔くベッドから上体を起こした女性は徐に自身の体を見下ろすと溜め息まじりに顔を覆った。
「あー……やっちゃった……」
着替えるどころか化粧すら落としていない。
普段どんなに面倒でも最低限のことは済ませてから就寝すると言うのに。
よほど疲れていたのだろうか。いや、でも、最近はそんなに疲れるようなことをした覚えがないのだが。
と言うより、昨日は早目に仕事を切り上げた筈だ。そして荷物を片付けたら買い物に行く予定で――――――――予定で、どうしたのだったか。
『取り敢えずシャワー浴びよう……』
幸いなことに今日は休みである。
欠伸を噛み殺しながらベッドから降りた女性は“
「…………………………なんと。」
眼前に広がっていたのは手入れの行き届いた緑豊かな中庭だった。
僅かに霧がかった其処には少し草臥れたソファーなんて無ければガラス製のテーブル、ましてや買い替えたばかりのテレビなんて何処にも無い。
室内ではなく完全に室外、台所があった筈の場所に目に優しい緑が広がっていたものだから女性は『夢だな』と思わざるを得なかった。
しかも何気なく寝室を振り返ってみると見慣れた洋室から見慣れぬ和室に変化していたので思わず開けたばかりの扉、ならぬ障子戸を閉めてしまう。すると再び和室から洋室に見た目が切り替わったので寝起きの頭に「ホログラム」と言う単語が浮かびあがってくる。
「おはようございます」
疑問は尽きないが直ぐに『まあいいや』、との思考に落ち着いた女性が今度こそ戸を開けきって迷わず廊下へと踏み出そうとしたら待っていたと言わんばかりに幼さを含んだ声が届く。
見れば女性が休んでいた部屋の前でこれでもかと言うほど姿勢を正して座していた少年が年相応とは言い難い穏やかさを伴って此方を見上げてきていたではないか。
覚えのある紺色の軍服に似た衣服を身に纏うその少年は昨晩お世話になった子供で間違いなく、これによって女性は確と昨日の出来事を思い出す。流石に昨日の今日なので忘れていたわけでもなかったのだが、如何せん何もかもが突然すぎた為、ただの「夢」として片付けておきたかったのが正直な本音だったりする。
やっぱり現実だったか、と小さく息を吐く女性は戸惑いがちに件の少年に目を向けた。
「えっと……おはよう、ございます」
「お早いお目覚めのようですが、昨夜は余り良く眠れなかったでしょうか?なるべく普段のお部屋と遜色無いように切り替えてみたのですが……」
「いえいえ、眠れました、熟睡しました。爆睡です。」
「それならば良かったです」
「じゃなくて、えーと、もしかしてだけど……ずっと此処に居たり、したんでしょうか……?」
「?はい、不寝番を任されましたので」
質問の意図を汲み取れなかったのか不思議そうに女性を窺う少年。
そんな少年を前にした女性はと言えば、小学校低学年程の男児が寝ずの番をしている中で呑気に爆睡していたのかと地味な衝撃を受けていた。気付けよ自分、と額に手を当てたくなっていたら機敏な動作で立ち上がった少年が恭しく女性と向き合う。
「少し早いですが、お目覚めになられたら湯殿に案内するよう仰せ付かっておりましたので早速ご案内致しますね」
「それは……助かります」
何はともあれ風呂には入りたい。
図々しい気もしなくはないが折角の好意を無下にするのもどうかと思った女性は素直に頷き、「では参りましょう」の言葉と共に歩き出した少年の背を追う。
これ昨日と全く同じ光景だな、などと考えながら長く続くであろう渡り廊下を歩き始めた所で不意に女性が首を傾げた。
何だろう、なにか、昨日とは違う気がするのだが。
強いて言うなら、そう、「何か」が足りない。
昨日の夜、客間と言っていたあの部屋に案内されるまでの間、自分はずっとこの少年の背中を眺めていた訳だが――――――やはり「何か」が違う。
そこまで大きく異なっている訳ではないので本来ならば気にするようなことではないのかもしれないが、一体なにがそんなに物足りなく感じるのかと改めて少年の背中をジッと眺めてみたら。
『……あっ。なるほど、
ちょっとした違和感の正体、それは何てことはないマントの有無だった。
あのタッセルの付いた白いマントが揺れる様をずっと見ていたからこそ何も無い今日の背中に「おや?」となったのだ。
合点が行ったと一人納得する女性はそもそもの話として目の前の少年が昨夜の少年とは異なる、と言う点に微塵も気付いていない。
そうかそうかと得たばかりの答えにスッキリした様子で少年の背を眺めていると視界の隅で物珍しいものを捉えた。
「…………フラミンゴも飼ってるのか……」
「フラミンゴ?」
「え、いや、なんかフラミンゴっぽいのが居たので……」
「?」
ぽつりと漏らした言葉を見事に拾われたので返事を返すとキョトンとした顔を向けられた。
この様子からしてフラミンゴは飼っていないらしい。見間違いか?と今一度中庭より更に先にある大きな人口池の方を見やるが、残念な事に再度その姿を捉えることは出来なかった。
ここからでは距離があったのもそうだが、何よりまだ日が昇りきっていない。うすぼんやりとした景色の中、人口池に架かった朱色の橋の上に桃色の細い生き物が居たような気がしたのだが完全なる見間違いだったようだ。
寝ぼけ眼とは正にこの事だと、苦笑混じりにパタパタと片手を振って誤魔化す女性は余所見をやめるなり今度こそ目の前の少年の背中に注目し直したのだった。
「こちらが湯殿となります」
客間から少し歩き、角を曲がって長い廊下を突き進んで行くと滞りなく【大浴場】との木札が掛けられた場所に到着した。
促されるまま引戸を引いた先に足を踏み入れれば十畳は軽く越えるであろう広さの脱衣場が目に飛び込んできたが為に思わず「うわ」、と言う声が漏れ出てしまう。何せ脱衣場の時点で女性の部屋より遥かに広かったのだ、ここで寝泊まり出来るレベルである。
しかも片側の壁一面は洗面台となっており、其処には様々な種類のスキンケア用品が所狭しと並べられていた。軽く専門店並みの品揃えだ。
またもう片側には使用中の洗濯乾燥機が二台と最新式らしき体重計がこれまた二台、戸がないタイプの木棚は大人数が使用することを考えてか部屋の真ん中に背中合わせで設置されている。
他にも目移りしてしまうようなものが多数あったのだけれど、音もなくふわふわのタオルを差し出されたことで女性の意識が目下の少年に戻される事となった。
「お召し物はそちらに。必要なものは中に揃っていますのでお好きにお使い下さい」
それでは失礼致します、と頭を下げては早々に脱衣場から出ていく少年。
やけにあっさりとしているな、などと首を傾げ掛ける女性だったが直ぐに察した。
これから風呂に入ろうとしている
(……いや、「
えげつない広さだった、と後に女性は語る。
なんと広大な大浴場に加えて露天風呂まであったのだ、豪勢にも程があろう。そんじょそこらの旅館とは比べ物にならならないぐらいの立派な造りだったのもあり、烏の行水よろしく湯船には浸からずにさっさと上がってしまった。
普通に落ち着かなかったのもあるが長湯をしない傾向の人間なので勿体無さは感じていない。代わりとばかりにコマーシャルで有名な高級シャンプーを使わせて貰ったし。
自分だけだと先ず手を出さない値段の代物であったので誘惑に負けてしまった、とも言える。
と言うかシャンプー類の多さもえげつなかったのだが、果たして此処にはどのくらいの「
「芋ジャーかぁ……」
申し訳程度にスキンケア用品を借りつつ辺りを窺えば長椅子の上に見慣れぬ衣服が置かれていた。
女性が脱ぎ捨てていた衣服は洗濯にでも出されたのか既に回収された後らしく、他にそれらしいものはない。つまり一時的にこれを着ていろ、と言うことなのだろう。思わず見たままを口にしてしまったが裸一貫にならないだけマシかと即座に先程の呟きを無かったことにする。
手にした赤銅色のジャージは襟や袖、裾口だけが黒色でいて左胸部分には切り込みの入った山と水面のようなものが描かれた紋様が
言うほど年月が経った訳ではないのにな、とファスナーを一番上にまで引き上げた女性はだぼっとした袖を捲りながら廊下に通じる引戸に手を掛けた(因みに下着は自分で簡単に洗ってドライヤーで乾かした)。
「うんまい!コクがある!この油揚げはいけますぞ!」
そろっと廊下を覗き込んだら先程の少年が何やらフサフサとした生物になっていた。
全体的に黄色い、と思わせておいて実際は割と白色成分がある「それ」は恐らく「狐」と呼ばれる部類の生き物だろう。ハッキリと断言出来ないのは目の前の「それ」が女性の知るところの「狐」とは何処か異なる風貌だったからだ。
顔や腹、尻尾の先と足の先以外は普通の狐の毛色をしているのにも関わらず――――――
ただ女性も「狐」の種類に詳しいわけではないため、自分が知らないだけで本当は“こう言った柄の珍しい狐”が居るのかもしれない。と言うか、はぐはぐと美味しそうに油揚げを食している辺りどう見ても「狐」としか思えないのだが。
「はっ」
でも普通の「狐」は鳴きはしても喋りはしない。
そんなことを冷静に考えていたら朝食と思しき油揚げを食べ終えた狐もどきが漸く女性からの視線に気付いたようだった。
「これはこれは、お早いお戻りで!」
「はあ」
「支度が整ったようでしたら主さまの部屋まで案内します。ささっ、こちらへ」
ひらり、と尻尾を振っては今し方まで油揚げを頬張っていたとは思えぬ身軽さで歩みだす狐もどき。
これが先程まで居た少年の正体、と言う極論には流石に至らなかった女性は取り敢えず先を行く四つ足の獣に率直な疑問をぶつけることにした。
「狐ですよね?」、と。
すると件の狐もどきから肯定と共に「こんのすけと申します」との自己紹介が返された為に女性もまた簡潔に挨拶を返す。
やはり見たままで間違いなかったらしい。正確に言うと「管狐」なるものらしいが。
『管狐ってイタチ科じゃなかったっけ……』
どこかで仕入れた情報を朧気に思い出しながら来た道とはまた異なる廊下を進んでいく女性。
正直、行きも帰りも案内役が居なければ目的地にさえ辿り着けそうにないのでこの屋敷の
気配があったから此方を見た、と言わんばかりに女性を一瞥してきたその瞳は藤色であった。ように、思う。
何分あっと言う間だったのでまじまじと見ることが叶わなかったのだ。ただ相手の姿を目にした女性は『神父……神父?』などと首を傾げつつ、角に消えていった背中を視線だけで追う。
パッと見は明らかに神父のような出で立ちだったのだが紫色のカソックなんてあるのだろうか。神父自体あまり見る機会がないので何とも言えないが、もしかしたら暦の時期などに合わせて祭服等が変わることがあるのかもしれない。
「へし切長谷部がどうかしましたか?」
「え?ああ、いや、特には…………何て?」
うん、きっとそうだそうに違いないと自分なりの憶測を立てていたら尻尾を振ったこんのすけの口から何やら物騒な響きの
故に女性は再度「何て?」と繰り返しそうになったのだが直ぐに口を噤む事となる。何故なら先程の青年が姿を現した方向に件のこんのすけが歩みを進めたからだ。
それでいて“とある部屋”の前で立ち止まると「ここです」と述べ、四つ足を廊下につけたまま中に居るであろう人物に声を掛けた。
「主さま、こんのすけに御座います。客人をお連れしました」
そんな風にこんのすけが呼び掛けると数秒も経たない内に中から「どうぞ」の声が返ってくる。
すれば当然の如く此方を振り返ってきたこんのすけだったが為に手持ち無沙汰となっていた女性は解りやすく目を瞬かした。でもって相手と暫し見つめ合うと、ああ、と納得したように頷く。
――――確かに、その
普通に喋るものだから、これまた普通に開けられるものだとばかり思っていた。
やりようによっては出来なくもなさそうだけれど
「おはようございます」
心の中で『失礼しまーす』と述べつつ扉を開け放つと、出迎えてくれたのは案の定“親戚の子”であった。
「慣れないところでお休みになられたので余り良く眠れなかったのでは?」
「いやいや、普通に熟睡しちゃってたよ……」
この部屋だけ洋風の造りなのか、壁一面の蔵書は縦横と隙間無く書物で埋め尽くされていて普通に圧巻される画となっていた。
部屋の中央には木製のテーブルとそれを挟むような形で設えられた深緑色のソファーがあり、更にその奥にある机の上にはアンティーク調のダイヤル式電話とタイプライター、古い地球儀と言った何処と無く時代錯誤な調度品が置かれている。
入ってすぐの壁にも大掛かりな動く歯車の装飾が施されていたりと何かしらの拘りを強く感じさせる部屋ではあるのだが――――――“子供らしいか?”と問われると答えに窮するような部屋だった。そしてこれまた自身の部屋よりも広い空間だった為に『泊まりに来る度に窮屈な思いをしていたんじゃ?』と言う疑問が女性の胸に浮かび上がってくる。
まあ自分一人で生活する分には十分な広さなので引っ越すつもりはないのだけれど。
「朝食を用意して貰いましたので、宜しければどうぞ」
「……一人分?」
「私はもう済ませましたので」
相も変わらず何処か大人びた雰囲気を持つ親戚の子に促された事で高そうな脚付ソファーへと腰を下ろす女性。
次いで木製テーブルの上に用意されていた一人分の膳を見下ろすとタイミングよろしく腹の虫が鳴った。全く以て卑しい腹である。
とは言え昨夜は何だかんだで何も食べずに寝てしまったのだ、遠慮する理由も無いので有り難く頂戴するとしよう。折角用意して貰ったのだし、と、それらしい理由付けをしては向い合わせで座った親戚の子を気にしつつ箸へと手を伸ばす。
そう言えば“ちゃんとした朝食”なんて随分と久し振りのような気がする。
「ところで、いつもこんなに早いの?」
「そうですね……いつもはもう少しゆっくりしているのですが、昨夜から
白米に豆腐とワカメの味噌汁、筑前煮と焼き鮭に沢庵。
正に『THE・朝ごはん』と言わんばかりの膳に舌鼓を打ちながらちょっとした疑問を口にすると歯切れの悪い返事を返された。この子にしては珍しい、とは思うものの、その気持ちは解らなくもなかった。
恐らく、
現に親戚の子は口元に手を持っていくと何かしらを考え始めた様子でいた。
女性としては話せないことを無理に話す必要は無いと思っている為、これ以上は特に質問すること無く食事に集中する。
すると暫く黙り込んでいた親戚の子が徐に顔をあげたのが解り、
「
何か聞かれるのかな、と味噌汁に伸ばし掛けた手を止めて視線を返したら何処からともなくこんのすけを呼ぶ声が耳に届いた。
「ちょっとした取引をしない……か……」
最後が尻すぼみになったのは予想外の人物が「其処」に居たからなのだろうか。
ドタドタと騒がしい音を奏でながら勢いよく部屋の中へと飛び込んできた人物を目にした女性は――――――先ず一番に『もやし』を連想する。次点で『しらす』、或いは『うどん』辺りを。
何故かと言えば“そこ”に、全身を「白」一色で統一した、髪の毛の色まで真っ白な青年が居たからだ。
身に纏う衣服の所々を赤く汚したその青年の手には金色の装飾が施されたこれまた白い太刀が握り締められており、模造刀とも思えなかったことから「銃刀法違反」と言う単語が女性の脳内を過っていく。けれど手にしているその太刀がやけに和装姿の青年と
まるであの太刀こそが、とまで思考していたら件の白い青年が此方を見たままポツリと一言。
「こりゃ驚いた。」
言うが早いかパタリ、と扉が
今度は静かに、まるで今し方の登場を無かったことにするかのようにして外に出ていってしまう白い青年だったが故に女性と親戚の子は揃って顔を見合わせた。
“こんのすけに用があったのなら呼び戻した方が良いのでは?”
そう判断して反射的に相手を呼び戻そうとする女性だったが、生憎と後に続く言葉は無い。
何せあの白い青年の「名」を知らぬのだ、呼び戻そうにも呼び戻せない為に『えーと……どうすれば?』などと悩んでいると部屋の外から複数の足音が聞こえてきた。と同時に話し声も。
「何をやってるんだ、アンタは」
「こんのすけは――――って、兄者?!そんな持ち方をしたら床が……」
「ありゃ?ごめんごめん、気を付けてたんだけどねえ」
「雑巾を持ってくる。」
「おっと。なら俺も先に行ってるぜ」
トタトタと遠ざかって行く足音は最後の二人のものであろう。
それ以外は部屋の前で留まったまま動く気配を見せず、だからこそ『今度は何だろう』と思った女性が扉へと視線を巡らす。また誰頭が飛び込んできたら噎せかねない、そんな考えもあって朝食の手を止めたままにしていたら見つめる先のドアノブが僅かに傾いたのが解った。
「報告もあるんだ、さっさと扉を開け……」
「待て、待て待て山姥切。今は駄目だ。色々と駄目だ。せめて着替えてからにしないか?」
「?だからアンタが言ったんだろう。手伝い札を使って、」
パパッと元通りにしてしまおう、と。
そんな台詞と共に再び扉が開かれると今度は襤褸布を被った青年と目が合った。先程のものともまた異なる、普段生活する上では余り見る機会の無い青緑色の瞳と。
途端、襤褸布を被った金髪の青年が呆気に取られた様子で動きを止める。
何だか昨日も似たような反応をされたなと思う女性だったものの、取り敢えず失礼がないようにと会釈をしたらビクッと肩を揺らされた。何故だ。
それでいて暫し此方の顔を凝視してくる金髪碧眼の青年だったのだが、不意にその視線が「下」に下がって行ったかと思うと――――――次の瞬間、何でか
「兄弟はどこだ!!」
の叫びと共にドスドスと廊下を突き進んでいってしまうのであった。
「ええ……?」
「ひとまず髭切さんは手入れ部屋へ。膝丸さん、お願い出来ますか?」
急にどうした、何が問題だったのだと女性が困惑していたら特に驚いた様子の無い親戚の子が冷静に一つの指示を出した。
因みに指示を出されたのは金髪碧眼の青年が居なくなった後にヒョイッと部屋の中を覗き込んできた青年らで、どちらともに似た顔立ちをしていることから兄弟だろうと推測する。
片方は象牙色の髪を持ち、片方は白緑色の髪を持つ「双子」と言っても遜色の無いそっくりな目元をした二人組。
ただ象牙色の髪を持つ青年の衣服だけがやけに赤黒く染まっていた為、親戚の子の言葉通り、彼の青年が怪我をしているのだと瞬時に察する。現に姿を見せた相手の左腕は肘から下が失くなっており、残された方の手が確と
「あ、ああ。承知した。兄者、行くぞ」
「待たね〜」
彼らも彼らで少なからず女性の存在に驚きはしていたものの、すぐに感情を切り替えると部屋を後にする。
その際、にこやかな笑顔と共に手を振ってきた象牙色の髪を持つ青年だったのだが、「兄者?!そっちの手はならん!ならんぞ!」なとど素早い動きで白緑色の髪を持つ青年に“その行為”を止められていた。
まあ普通であれば
自分は耐性のある方だから良かったものの、とまで思考しては『もう良いか』と止めていた朝食を再開させる女性であった。
「あー……その、なんだ、邪魔して悪かったな」
「大丈夫ですよ。報告も後程聞きますから」
「ああ」
一番始めに出ていった筈の白い青年が何故か最後まで残ると言う、何とも気まずい光景だった。
そもそもこんのすけに用があった筈の「彼」は何だってあんなにも早く部屋から出ていってしまったのだろうか。もしかして見知らぬ人間、つまり「自分」が居たせいで部屋を出ざるを得なかった――――のだとしたら普通に申し訳ない。
『実際のところはどうなのだろう?』との疑問を胸に抱いた女性は味噌汁を啜りつつ白い青年に目を向けると、視線を感じ取ったらしい相手にそれはもう分かりやすいぐらいの目線の逸らされ方をされた。どうやら不躾であったらしい、重ね重ね申し訳ない。
「……本当なら
自己紹介はまた改めてさせて貰うぜ、と言うなり部屋を後にする白い青年だったが為に女性も会釈で相手を見送った。
ただ最後まで己自身の出で立ちを気にしていた様子の青年だったので女性は素直に首を傾げたくなったのだが――――――もしかしたら「彼」は
此方としては別段気にならなかったのだが当人と他人とでは「重き」を置く場所が異なる。なら見なかったことにしておくか、と一つ頷く女性は口に放り込んだ沢庵をボリボリと噛み砕いた。美味である。
「お騒がせしてしまい申し訳ありません」
「ん?うん、……や、気にしてないよ」
と言うより、あの怪我をしていた青年は大丈夫なのであろうか。
『手入れ』と言っていたが、どう考えても『手入れ』で済むような傷ではなかった。見るからに重傷である。
もはや救急車案件なのでは?とまで考えるものの、本人が至って“ゆるふわ”な感じだったことを思い返しては意外と大丈夫なのかもしれないと直ぐさま思い直す。
だって切断された方の腕で手を振って来ていたくらいだ、見た目ほど酷い怪我ではないのかもしれない。……いや、流石にそれは無理があるか。
あれではどうしたところで障害が残るだろうと不憫に思い掛けるも、ここで漸く彼女は「前提条件」を思い出す。
見た目こそ「
「(――……この人は、)」
あの光景の後にこうも簡単に食事が取れるのか、と親戚の子は思っていた。
一般的にグロテスクなもの、例えば今みたいに切断された腕や夥しい血液の痕を見てしまった直後はそれまであった食欲も一気に消え失せてしまう筈であろうに。
幾ら耐性があったとしても間近で、それこそ血の臭いが残る空間で“こんなにも極々普通に”“何事もなかった”かのようにして食事を取るだなんてこと――――――流石の自分とて出来はしない。
「…………では、本題に入りましょう」
その前に二・三、質問させて下さいと紡ぐ親戚の子のその顔は年相応の子供のものとは到底思えぬ代物であった。
【視えていた人の話2】
20.05.09
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