ここにきて早1ヶ月。食事はだいぶ取れるようになってきた。おいしくもなく不味くもない食堂の料理には、然して不満はない。
順々に、香穂は慣れてきていた。資料室で資料を読み漁ったおかげで、情報量はだいぶ増えた。常識は身に付けたつもりだ。だが知識がつけばつくほど、脱走しようという想いは萎んでいった。
春雨。宇宙海賊春雨。香穂が捕まっていたのは、春雨の雷槍、ほとんどが夜兎で形成された第7師団だった。
銀河系最大級の海賊、春雨相手に逃げ切ることなどできるはずがない。ましてや、最強最悪と言われる傭兵族夜兎の監視下だ。今まで命があっただけでも大したものだった。ここにきて、ようやく神威に言われた言葉の意味を知る。夜兎族の攻撃なんて、避けれるはずがない。あの時の自分の運の良さに拍手を送った。
逃げるなんて自殺行為。ここは大人しく奴隷として生きて行こう。そうすれば、痛い思いも苦しい思いもしなくて済む。そう思っていたが、念のため。小型宇宙船の操作方法は探っておいた。治安が良く地球に行けるであろう星の名前と場所も確認済み。春雨から地球に直接逃げるよりは、どこか他の星でワンクッション置き、小型宇宙船を乗り捨てるほうが無難かと思えた。さすがに、地球以外の知らない星に逃げ込む勇気はない。
と、まぁ香穂の不断の努力で最凶最悪の事態への準備はできたわけだ。実行したいとは微塵も思わないが。
だが最近、他の団員んの香穂を見る目が変わってきているのは事実であった。
いつの間にか宇宙船にいた、まだ年もいかない、地球産の女。
単純に珍しさからの興味であろうと推測する。何事もなく時が経てば薄まるだろう。それが1番難しいのだけれども。
戦闘を仕事とする男たちの脳内を理解することははっきり言ってしまえばできない。香穂とはあまりにもかけ離れた環境で生まれ、育ち、考えてきた彼らの価値観は突飛すぎる。
今まで香穂が大切だと思っていたものが、ここでは通用しない。
勉強、運動、楽器。ここではそんなものができたって生きていけない。強さがないと。1人で生き抜く強さがないと。他人を身代わりにしてでも前へ進める強さがないと。誰かを最大限に利用できる、強さがないと。
「香穂、ご飯だヨー」
ノックもなしに突然開けられた扉。神威が髪の毛を揺らして待っていた。
女性の部屋をノックなしに開けるだなんて、失礼極まりない行為ではあるが、蹴破られなかっただけマシだと言える。既に香穂は神威に扉を粉砕されるという経験をしており、その度に阿伏兎に頭を下げて修理してもらった。顔を真っ青にして謝罪する香穂を、何故か当人である神威はケラケラ笑いながら見ていたのをとてもよく覚えている。
「いつもより……早いですね」
扉の前でご機嫌に笑っている彼を振り返り声をかける。
ふと、先ほどの考えがよぎった。
私の強さとは、なんであろうか。
1人で生き抜く強さなどない。戦えるほど戦闘力もない。誰かに支えてもらわなければ、1人で立つこともままならない。
何故私がこんな目に?どうして私だけ?
そう思わないわけがなかった。ずっとずっと、心の深く深くで押し殺してきた黒い感情は、静かに、それでいて確かに全身を毒していた。
もしもあの日、あと5分家を出るのが遅かったら?自転車で登校しなかったら?一つ前の信号で渡っていたら?
今、この場で神威というたった1人の青年に怯えるのも、そしてその青年にしがみついて生きるのも、香穂ではなかったかもしれない。
何故私が。何故私だけが。
悲観的に、まるで悲劇のヒロインのようなその思考は止まることを知らない。
これではいけない、そんな思いさえも思考を増幅させる材料と化す。
右も左も、正解も不正解も、今の自分にはわからない。
それでも無理に答えを出すよりは、黙って考えずに、神威にしがみついて生きる方が楽だと思えた。
後書き
ALICE+